笑わない巫女少女と笑わせたい鬼12
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「……それで……お話とは、何でしょう。雪姫様……」
白音を伴った撫子は、庭にある雪化粧で斑に白い紅い橋の上をそろそろと登った。待っているのは冷たさが漂う妖艶な美姫。
「—— どう思っていらっしゃるの?」
「……え?」
無表情のまま雪姫に聞き返した撫子は、直ぐにわかった。これは、自分への質問ではないと。
そう、白音への問いかけだと。
自然と、目線は背後に佇む鬼の元へと向かった。
「分かりかねますが。あなたは撫子様とお話しをされに来たのではないのですか?」
「ええ、その通りですわ。でも、私あなたにも興味がありましてよ?」
ゆっくりと扇を閉じて、雪姫はそれを撫子たちへ真っ直ぐに上げた。雪姫の色白な手の甲に絡まった紅いヒモは、まるでしたたる鮮血のようで。
「!? 撫子様!!」
「あ」と小鳥のような声が言い終わらぬうちに、少女の艶のある黒い髪は舞い上がり、桜色の簪が白い雪の中へと沈んだ。
「お前も、大鬼様の変化を良しとしないのでしょう?そこの巫女へ抱く不快感を拭いきれないのでしょう?
ならば、どうして……、お前は——、」
美麗な雪姫の目元が苦しげに歪み。
撫子の双眸は眼球が落ちてしまいそうな程に開かれ、その中で黒真珠のような黒目が揺れ動く。
「——どうしてお前は、その巫女を庇っているのかを聞いてもよろしくて?」
「……し、しお……。何が……起こって……」
撫子は白音に背後から抱きつかれていた。そして、剣を握った白音の腕は氷柱が突き刺さった箇所から凍りついてしまっている。
「これは、主人への対立行為とみなして宜しいので?雪姫様。鬼の里と一戦を交えれば不利なのは其方の方ですよ」
「そうかもしれませんわね。けれど、巫女を失くした大鬼に、そんな余裕ができるとは思いませんわ。ねぇ?どう思っていらっしゃるの?貴方が居なくなった瞬間よりも、大鬼の心を揺さぶるのはこの忌々しい人間が死んだ時というのは」
一歩、また一歩、草履で雪を食む。雪姫はゆっくりと近寄ってくる。白音の心を揺さぶるように、ゆっくりと足を運ぶ。
「っ……それ、は……」
「そんな巫女。これ以上、大鬼が気に入ってしまう前に、居なくなってしまえばいいと、お前も思っているのでしょう?」
「っ……そんな、こと……は」
「さぁ、時間を稼いで差し上げますから、本懐を遂げなさいな」
心を揺さぶられた白音の震える手が撫子の細首を掴みかけた時、か細い声が届いた。
「白音、ごめんね……」
「ぐふ!!!」
黒い貝殻が鬼の顎へと突っ込んだ。つまりは、撫子が白音に頭突きを繰り出したのだ。
目を白黒とさせた白音は、顎を押さえて撫子から地たたらを踏んで身を引く。痛そうな光景に、思わず雪姫も口元を扇で隠し、柳眉
を歪めた。
溢れてしまった。
知らなければ、何もなかったのに。
暗闇の中、灯りに向かって駆け出してしまっている気分だ。
待って、待ってと心が早る。
「ごめんね、白音……。きっとほんの少し前だったら……私の代わりは沢山いると……差し出していたかもしれない……でも、でも……」
自分の首元に手をやって、撫子はそっと瞼を閉じる。
脈打つ喉元、温かい体温。
「この命は、今此処に。私の体の中で脈を打っていると分かったから……、誰かにあげることなんて今は、できない……」
知ってしまったから、知りたくなった。
巫女としてだけじゃなく、自分自身を見てくれる大鬼を。温かい笑みを。美しい景色を。
今、この命の中には七色にも輝く美しくて温かい日々が宝物のように仕舞い込まれているから。
「私は……、撫子を生きたい……」
大鬼に笑いかけられるようになるその日まで。
撫子を見上げて、揺れ動く白音の瞳。
「それに、大丈夫……。大鬼様は……白音がいなく、なったら……きっといの一番に泣いてしまうと思う……。白音がいないと、大鬼様は、お仕事しなさそうだから……」
きょどりながら不器用に白音の頭を撫でてやれば、拾われた子犬のような顔をしてしまう。それから反省してしまったようだ、何やら謝罪を撫子に告げようとしていたその唇に指を乗せて次の言葉を封じ込める。
これは、怒り……なのかもしれないと、自身の胸の内で感じる。
「雪姫様……」
「まぁ、そんなお顔も出来ましたのね……」
冷ややかな目線と交わる撫子の怒の視線。
どちらが先に口を開くかで、この先の未来が変わってしまうくらいに空気が張り詰め始めた。
「どうして、白音を傷つけたのですか……?」
「どうしてと、貴方が聞きますの?」
雪姫の声が、肩が、微かに震える。
「たかだが、巫女として選ばれて妖の世界に放り込まれ、運がいいことに大鬼様に気に入られただけの貴方が。私、いっそこの手でその命をもぎりたい程に恨めしくてよ」
金色の双眸が強く怪しく輝き、撫子の背後にいた白音でさえ、その狂気に飲み込まれそうになってしまう程に、禍々しい邪気を放つ。
それを、撫子は一身に受け止めた。
「—— 嗚呼、私も大鬼様の言う『笑って欲しい』が、どんな気持ちか、今わかりました……」
着物の懐から小さな手鏡を取り出し、撫子は巫女の力を使って邪気を吸い込む。鏡から溢れ出すのは雪をも溶かす太陽の如く温かい光——神光。
いつの間にか、雪に埋もれていた桜色の簪が顔を見せていた。
「ごめんなさい、雪姫様。貴方を苦しめてしまいました……。でも、どうか、泣かないで……? そう思うことさえも、苦しませてしまうのでしょうか……?」
「——っ!! あ、貴方が……憎いわ……。なのに、なのに……」
妖は、好きなのだ。短い時の中で、その儚い生を懸命に生きようとする人間のことが。特に鬼は。
身に流れる妖怪の血が雪姫に撫子を愛おしく想わせているに違いないが、抗えない。
「嗚呼……本当に、人間なんて……嫌いですわ……」
頬に雫を伝わせた雪姫の溜飲が下がり、邪気が消失していく。
「泣かないで、ください……雪姫様……笑って……い……」
「撫子様!!?」
力を使いすぎたのか、気を失い、その場にくらりと倒れ込む撫子—— を、駆け寄ろうとした白音よりも先に、力強い大鬼の腕が支えた。
「おっと……。もう少しで池に落ちるところだったな……様子を見に来て正解だった」
「あ……ああ……大鬼様……」
大鬼にすごまれる雪姫の顔が、一瞬にしてより蒼白に変わる。
「……して、この事態を説明してもらえるのだろうな?雪姫よ」
大鬼の金眼の瞳孔が紅く紅く、燃え上がった。
人間の中でも巫女は、妖たちの異界に放り込まれるだけあって、好かれやすい




