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笑わない巫女少女と笑わせたい鬼10

 

 *

 *


 *


 カロンッ。

 下駄が石畳に打たれて小さく音を奏でる。

 大鬼たちを出迎えたのは、透けるような白い肌の雪姫だ。水色の髪を赤い紐で質素にまとめているのにも関わらず、金色の瞳や高い鼻立ちは気品を醸し出す。


 白い肌によく似合う赤と金の刺繍が入った3枚の衣を重ねた着物を着こなして、雪姫は大鬼達の前へと現れた。


「——ようこそ、雪の里へ。大鬼様、撫子さん。お久しゅうございますね」


「嗚呼、雪姫」


「……はい、なんでしょう?大鬼様」


 大鬼の腕の中に抱かれた撫子に目を一瞥した雪姫は、すぐに顔を上げて柔らかく微笑んだ。「この間までは、子猫のように抱えていたのに……」そんな小さな声が撫子には聞こえてしまっていた。一瞬自分に向けられた鋭い金色の瞳が恐ろしく冷たくて、撫子は大鬼の胸に顔を隠す。


 何故だろう。先程まであたたかいはずだった気持ちが、周囲の低い外気に吹き荒らされ温度が下がっていく。


「今日は、この里がいつもより寒いような気がするが……、撫子は巫女とはいえ人間ゆえ、今回の茶会は気を使ってやってくれぬか?」


「——えぇ……、そうでしたね。ご安心を大鬼様。あたたかい物を用意させますゆえ……」


 雪姫は口元を着物で隠している。けれど、けれど。目は笑っているのに、隠れている口元は強張っている気配がした。それは、長年人と関わらず、その一方で周囲の人間の表情を見てきた撫子だからこそ分かるものだったかもしれない。


 撫子は、ちらりと大鬼を見上げた。


「どうした?撫子」


 大鬼は笑いかけてくる。どうしてか、撫子の凍っていた心が溶け出してあたたまっていく。大鬼の微笑みだけで、ホッとしてしまった。


「い、いえ……。なんでも、ないです……」


「そうか。何が不便があれば言うと良い。雪姫ならば、そなたに最大限の配慮をしてくれるはずだ」


「えぇ、もちろんです。大鬼様。うふふ、大切な巫女様ですから。こちらの里でも最大限の配慮をする準備は整っております」


「ありがとうございます……雪姫様……」


「いいえ!どうぞ!雪姫と呼んでくださいな撫子さん」


 雪姫の、発言ひとつひとつが氷柱の如く尖っていた。


「こほん。では、ご案内しますわ。どうぞ、こちらへ」


 屋敷の中へと大鬼たちは足を踏み入れた。平家状の屋敷は、複数の柱と部屋に分かれている。中庭を囲うようにして門や部屋の廊下は作られており、雪姫に案内されている間も、美しい雪化粧の庭を見ることができた。


 雪を被った松の木には小さな小鳥が羽を休め、雪を突いていたがやがて飛んでいってしまった。


「——ふふ、屋敷の庭はお気に召したでしょう?鬼の里には雪が降っておりませんから。これから先きっと一度くらいしかあそこでは見れないかと思いますわよ」


「そう、ですか……」


「雪姫が屋敷に来れば雪くらい降らせられるであろう?」


「いやですわ大鬼様。買い被りすぎです」


 雪姫の色白の肌が、大鬼の言葉によって薄く赤らむ。


「気に入ったのなら、撫子さん、後で庭を散歩なさって?」


「え……っ。い、いいのですか?雪姫様」


「えぇ、もちろんです。撫子さんは今日の茶会で大切なお客様ですもの」


 先程までの態度が嘘のように、撫子へ雪姫は今日一番の優しさと微笑みを浮かべた。



 *

 *


 茶会の会場に着いた途端、雪姫は思い出したと大鬼の袖を引く。


「ああ、そうですわ。大鬼様、実は少し困った案件が……」


「嗚呼、そうだったな。すまない、撫子。先に雪姫と里長同士の話し合いがある。庭でも見てくると良い。白音」


「はい。庭を、見てきます……」


 頷き、白音に抱きかかえられた撫子は庭へと出た。


「……えっと、撫子様は雪は初めてで?」


「え?あ、うん。初めて……」


 撫子を抱えて庭に出た白音は気まずい雰囲気に耐えきれず、話題を絞り出した。


「……白音。この間、どうして笑わないのかって聞いたでしょ?」


 ぽつり。撫子が言葉を溢す。


「はい、言いました。大鬼様が変わっていってしまわれるのは、この白音、これ以上は耐えられません」


「そう……。あのね、考えて、みたの……」


 そっと手を雪に伸ばせば、撫子の体温で白雪が簡単に溶けていってしまう。自分の体温が、あたたかいということも彼女は初めて気が付いた。


「私、知らなかった……。雪も、外の世界も。もちろん、嬉しいって気持ちも笑顔、も……」


 白音は黙って聞いてくれていた。撫子は言葉を紡いでいく。


「大鬼様の笑顔だけで、私……どうしてか、ホッとしたの。……どうしてか雪姫様の笑顔で怖いって思ったの……。笑顔でホッと、したり……、怖いって思ったのは初めて……」


 長く言葉を伝えることに、撫子は慣れておらず、何が言いたいのかわからなくなってくる前に、これだけは伝えようと白音を見上げた。


「……だから、その、ありがとう白音。きっと、言われなければ分からないままだったから……」


「いえ。なんとなく予想はしていました。結界を保持する為にこちらに来た貴方様が人の世で大切に扱われすぎて何にも得ていないということは。はぁ、大鬼様が仕事をなさらないので個人的には早めに笑顔をお作りになっていただきたいものですよ、ホント」


「……えっと、それは、ちょっと……。難しい……ごめんなさい」


「なんで、笑って欲しいって言われて謝ってるんですか!逆ですよ!逆!いえ、大鬼様に見せてくださらないと意味はないのでいいんですけどね!」


「頑張って、みます?」


「はい、頑張ってください撫子様」


「は、はい……」


 白音は目の下のクマが酷い。日々の仕事に疲れているのだろう。ひしひしと白音から必死さが伝わってきて、やはりどうして自分が笑わないだけでそんな事になっているのかと首を傾げた。


「仲が良いのですね。撫子さんと白音は。そう思いませんこと?大鬼様」


 庭の様子をチラチラも眺めていた大鬼。それに気が付いた雪姫は、金色の瞳を怪しく光らせる。


「そうか?白音は俺の命令を遂行してあるだけだ」


 墨で文字が書かれた巻物に庭から目を移し変える大鬼はそっけなく答えるも、庭へ目を向ける回数が増えていく。


「……嗚呼、本当に……」


 雪姫は、奥歯を噛み、手の内にある和紙がクシャリと歪んだ。

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