失恋したらしばらくは、失恋相手のことしか考えられない
雨が降っていればいいのに。
そう思いながら、私は昼過ぎの町を歩いた。
すれ違う人達は私に気づくとぎょっとしたような顔をして、中には爆発物でも見るように距離を取る人もいた。
思わず笑ってしまっているカップルもいた。子供達は怖がったり興味を持ったのか近づいて来ようとしたり、色々だ。情け深そうな初老のおじさんが何か声を掛けて来る横を私は通り過ぎた。
どうでもいい。
私は今、顔中を涙と鼻水で濡らしながら、自分の中に閉じ籠っているのだ。
わかってたまるか。
誰にも今の私の気持ちなど、わかってたまるか。
大好きだった。あのひとが世界のすべてだった。
初めての失恋の時は立ち直るのに10日かかった。その次は一ヶ月かかった。前の時は1年かかった。失恋を重ねるたびに長くなっている。今回はどれ程かかるのだろう。
毎日目を赤く腫らし、鼻はティッシュですりきれ、仕事中に突然泣き崩れ、夜は一刻も早く意識を失いたがっていた。今回はあれがどれだけ続くのだろう。
私の背中を見送る優しそうな初老のおじさんの視線を感じながら、私は心の中で世界に文句を呟く。なぜ私をほっておくのだ? 私は今、自称世界一かわいそうな人なのに? わかってたまるか。わかられてたまるか。ほっといてくれ。どうか、誰か私を抱き締めてくれ。なんて、誰が言うものか。誰かの胸にぶつかって泣きたい。見るな。見るなよ。見てほしい。こんなにかわいそうな私をどうか。見んな!
私はただ歩き続けていた。歩いていると、あまり有名でないアーティストが路上でライブをやっていた。あまり有名ではないが、私達二人の間ではビッグスター扱いだった、彼女だ。私のほうが先に大ファンになって、あの人に教えたらあの人も好きになってくれた。今はどうでもいい。その歌声を、その力強いのに優しいギターの音色を、そのメロディーを、私の中に染み込ませないでください。笑顔だった頃のあの人を、思い出させないでください。
近くで火事が起こっているらしく、みんなそっちのほうへ走って行く。どうでもいい。野次馬どもめ、くだらない。私はむしろその燃え盛る建物になって、燃え尽きて、炭になって、消えたい。
向こうのほうでは発砲事件が起きたらしい。銀行強盗だかヤクザの抗争だか知らないけどどうでもいい。実にくだらない。それであの人を忘れられるとでも言うのか。ムードのない馬鹿騒ぎなんて今は聞きたくもない。やるならもっとしんみりやってくれ。邪魔!
宇宙人が攻めて来ていた。地球は征服されるようだ。勝手にすればいい。私には関係ない。どうせすべてのことは放っておけば時間が解決してくれるのだ。どんなに悲しかったことも、どんなに辛かったことも、どんなにエイリアンに虐げられた思い出も、時間という名前の薬が優しく過去へ流してくれる。そんなものなのだ。それを待つしかないのだ。
3年後、私がようやくあの人のこと以外のことを考えられるようになった時、大きな蚊の姿をしたエイリアンが地球を支配していた。
私の上に乗って、私の血を少量ずつ、殺さない程度に吸い続けるエイリアンの立てる音を聞きながら、私はふらふらする意識の中で思う。
失恋の痛みに比べれば大したことないや。でも、こんなつまらない苦しみを長く味わうことになるのなら、さっさと殺してくれてればよかったのに。
あの人のことしか考えられなかったあのうちに。