第三話 加増
天文十二年(1543) 九月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 龍王丸
「麻機村の話、聞き及んでいる。石高が大いに増えたらしいな。領内全土でやれば如何程の効果が出ようかと思案している」
父親である義元が感心したような顔で話している。義元の横には寿桂尼、一段下がってすぐの場所に雪斎がいる。お決まりのメンバーだな。
「はい。整地や等間隔で植えるなど労力はありますが、何処でも同じような成果が出るでしょう。ただ…」
「ただ?何だ、申してみよ」
勿体ぶるなと言いたげな顔をしながら義元が続きを急かしてきた。意外とせっかちなんだな。
「何処でも成果が出るということは、敵国でも同じでございます。我らが豊かになるのと等しく敵も豊かになる可能性がございます」
“うーむ”と言って義元が黙った。そうなんだよ。整地や等間隔での田植えなんて難しいことじゃない。簡単に真似ができる。農民同士の土地の利害関係などあるものの、基本的に皆がハッピーになるから一度実績さえできてしまえばどんどん広まっていくと思うんだよな…。
「御屋形様、此度の施策は直轄地のみで実施し、国人衆の土地で行うのは公知の事実になってからとしたらいかがかと。直轄地で隠蔽して行うことで他国に漏れるのを遅らせることができると存じます」
雪斎が義元に向かって提案をした。御祖母様も頷いている。賛成のようだ。
それもありかもしれないがな…。
「龍王丸はどうじゃ。何か思うところはあるか」
義元が俺に問いかけてきた。まるで試すような眼だ。コラコラ、若年の息子に向ける目じゃないぞ。
「雪斎の意見も一つあるかと思いますが、もし今川の直轄地のみで行ったことが広く知られた際に、国人達が反発しないか懸念が残りまする。何故、御屋形様はもっと早くお教え下さらなかったのかと。それを思えば、むしろ積極的に国人衆も含めて周知し、米の増産に励むべきです。増産分を今川家にて良い値で買い取り、当家はその米を清酒に変えて売れば良いのではないでしょうか」
庭を眺めながら俺の話を聞いていた義元が“フフフ”と笑った。
「国人衆にも石高が増える策を教え感謝されつつも、清酒の利益は当家で独占するか。とても五つとは思えぬ狸だな」
「将来的には清酒についても、国人衆に作り方を教えて増産する必要があると思いまする。なれど今は希少性をもって高い価値をつける時期です。大量生産するのは早うございまする」
これはブランド戦略だ。売れるならもっと作れと言われるだろうが、大量に作っては価値を損なう。清酒の作り方は秘匿しているから当分独占できる。ならば利幅を増やしておいた方がいい。他国への広がりも整地は時間がかかるだろう。大事な土地をいじるからな。今川は仮名目録があるから少しアドバンテージがある。必要なら条項を追加して対応だな。
一通り対策についての議論が終わると、おもむろに義元がこちらを向いてきた。
「その方に褒美をとらせなければならんな。何か望みはあるか」
褒美か。これは予想していなかったな。“大したことをした訳では”と謙遜すると、
「領内の多くでこの施策を行えば、数万石も我が領の石高が増える可能性がある。まずは結果を出したのだ。それに報いてやらねばな。それに其の方には期待をしている」
「考えておきまする」
天文十二年(1543) 九月下旬 駿河国安倍郡府中 今川館 龍王丸
今川館の一角に自室がある。時代劇などでよく出てくる謁見スタイルの部屋だ。当主が使うもの程広くはないが、子供が使うには広過ぎるくらいだ。俺が使う上段も家臣や客が座る下段も板の間だったが、上段だけは職人を雇って畳を敷いてもらった。今麻機村に畳の生産工場を作っている。たしか畳はこれから爆発的に普及していく筈だ。儲かる匂いがする。イ草をもっと作らないといけないな。
床の間には雪斎に揮毫してもらった“常在戦場”の軸を飾っている。俺が死んでからもっと先の未来になるだろうが、この軸はかなりの価値が出るだろう。雪斎に揮毫を頼んだ時、“おかしなことを言う奴だ”というような苦笑いをしつつも、満更でない様子で書いてくれた。礼は臨済寺への寄進で良いとのことだから、椎茸の儲けで寄進した。これからもタイミングを見て頼んでいこう。しかし正座は足が痺れるし腰が痛くなるな。次は座椅子でも作らせてみるか…。
褒美は榛原郡菅ヶ谷村を貰うことにした。石高は二千石程度の小さな村だが、ここにしたのは石油が出るからだ。相楽油田と言って太平洋側唯一の油田があった筈。かなりの軽質油で、取れた油をバイクに入れるとそのまま動いたと聞いたことがある。確か1日で400リットルくらい油を取ることができた筈だ。前世で郷土史に詳しくて、やたらと饒舌な地元の事業主と酒を飲んだ時に聞いた覚えがある。まさかこんなところで活かせるとはびっくりだ。
それから、その他には豊田郡龍川村峰之澤地域の開発権を貰った。こちらは鉄が多く採れる。戦後になるが、大きな鉱山開発がされている。褒美で欲しい所領はすぐに決まったが、何故そこを選んだのかという理由を考えるのが難しかった。まさか未来の知識で知っているとも言えん。
菅ヶ谷村はくそう水が出ると言っていた商人がいたことにした。わざわざ行商人を雇ってアリバイ作りまでした。峰之澤は“森林伐採に向いている。天竜川ですぐに運べるから儲かる”とか“武田が万が一侵攻してきた時の軍事拠点になる”とか無理やり説得した。後で怪しまれないよう砦は作った方が良いな。無駄に金がかかるが仕方ない。こういうことはしっかりやっておかないと。俺が妖のように思われると家臣から気味悪がられてしまうからな。
しかし今回痛感したのは、コマンド部隊というか、諜報機関というのか、この時代でいう忍の必要性だ。手足となって動いてくれる忍がいればアリバイ工作もやりやすいし、戦の情報も経済の情報も取りやすい。確か父上が伊賀忍者を使っていた筈だ。どうも今川には専属の忍びはいないらしい。これは情報の軽視ってやつだな。とりあえず伊賀とは繋がりがあるようだから紹介してもらえないか頼んでみよう。ただ、スポットで依頼するよりも、甲賀者のように召し抱えたいな。スポット採用は情報漏洩の恐れがある。いつの時代でも情報漏洩対策は大事だよな。
(参考)
伊賀流忍者:比較的スポットで任務を請け負うことが多かったようです
甲賀流忍者:近江大名の六角氏の支配下。織田信長上洛後は織田氏の影響にあったようです。