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00-140 ネズミ【≒植物】

過去編(その91)です。

 断片的な情報だけでは何者も全体像を認識できない。事物の全体像を理解するためには脈略が必要だ。断片と断片を脈略でつなぎ合わせ、補完されて初めてそれは『そういうもの』だと理解される。そうして理解された全体像を本物と比較した時、本物に近しいか歪んでいるかは脈略、つまり断片的な情報を繋ぎ合せるために補完した部品の誤差による。そして多くの場合、元の事物と完全に一致した認識は存在しない。概念としてその事物は共有されていたとしても、各々の脳内で再生される『それ』は多かれ少なかれ差異があると考えた方が良い。この特性をアイは利用している。


「すんません。全っ然わかりません」


 ヤマネがすまなそうに首を竦め、


「うん、わかんない」


 ハツカネズミが胸を張って言うものだから、


「同じく」


 ヤチネズミも乗じて無理解を白状した。


 カヤネズミはむっとした顔を向けたが、間に割って入ったのはまたもやセスジネズミだ。 


「アイは嘘をつきません。でも完全な情報も教えはしない。俺たちに正しい事実の断片のみを与え、解釈させ、その解釈こそを事実と思いこませる。……ということでしょうか」


 ヤチネズミはセスジネズミの説明さえよくわからなかったが、


「お前がいてくれてまじで助かる」


 カヤネズミがつくづく感心したとばかりに言うものだから、黙って流しておくことにした。


 カヤネズミはヤチネズミやその同室たち全員の理解を得ることは求めていなかったらしい。セスジネズミだけを相手にするように淡々と話を進める。


「なんで上階(うえ)から降りてくる研究員たちとネズミ(おれたち)は区別されてたのか、あいつらが地階に降りてくるのになんで、俺たちは上がることを禁止されてたのか。それがずっと疑問だった」


 カヤネズミの独白にヤチネズミは驚く。『ずっと』とはいつ頃からなのだろうか、と。どれほど長い間、カヤネズミはそんな疑問を持ち続けていたのだろうか、と。ヤチネズミにはそちらの方が疑問で衝撃的だった。何故ならヤチネズミはそんな疑問を未だかつて持ったことなどなかったから。研究員は上階から来るもので、ネズミは地階にいるもので、それが当たり前でそういうものなのだと、それ以上考えたことがなかったのだ。


 だが当たり前を『当たり前』でやり過ごすことがどれほど危険だったかを、彼らはこの後知ることになる。


「俺らに知られちゃ困るものがあったんだよ、地上階(うえ)には」


 腕組みをしたカヤネズミが言う。


「『知られちゃ困るもの』って…」


「女だ」


 ヤマネの質問にかぶせてカヤネズミが答えた。ヤマネも薄々気付いていたのだろう。さほど驚きもせず、黙って正面に向き直る。対峙する『女』に。


 カヤネズミは俯き加減で続ける。


「地上活動の目的の一つが女を塔に運ぶことだ。地上に出て初めて女を見た時、俺は女は地上にしかないものだと思ってた。塔にはないから地上から入手するもんだって。でも…」


地階(した)にはいなかったけど上階(うえ)にはいた」


 ハツカネズミが虚空を見つめて呟いた。


 ヤチネズミも思い出す。ハツカネズミに乱暴に担がれて、逆さの視界の中で捉えた女の姿を、耳に飛び込んできた金切り声を。確かにいた。あれは女だった。しかし、


「でもカヤ、あそこにいたのは『俺らが地上から塔に運んだ女たち』だったってことなんじゃね?」


 ヤチネズミは考え得る可能性を口にする。いや可能性ではなくて事実のはずだ。だってそうだと…


「いや違う」


 ヤチネズミの憶測は簡単に断ち切られる。


「仮に一部の女はそうだったとしても元から女は塔にいた。これは確実だ」


「なんで…?」と言いかけたヤマネを見据えて、


「こいつが女だからだよ」


 言ってカヤネズミはアイを睨み上げた。ヤチネズミたちは促されるようにアイを見上げる。


「アイは塔そのものだ。地階の底から最上階まで、どこにだってこいつはいる」


 分かりきった事実だ。


「でも地階じゃ声と圧力だけだったろ? 確かにこいつは俺らのそばにいて、育児に口出しして、地上の存在をちらつかせて、くっだらない雑学なんかも教えられたけど、全部声と空気だけだ」


「掃除機とか輸送機とかもあったじゃん」


 ヤチネズミの揚げ足取りにカヤネズミは舌打ちし、


「声と装置と(・・・)圧縮空気だけでこいつは俺たちに自分の存在を誇示してきた。でも実際はこうやって『姿』も持ってた。そして地上階ではこの形でもって上階(うえ)の奴らに接してた」


「だから何?」


 ハツカネズミが頭をがりがり掻きながら尋ねる。


「結局カヤは何が言いたいの」


上階(うえ)には女がいたからこいつもこの姿を晒してられたんだって」


 カヤネズミは言い切った。ハツカネズミの頭を掻きむしる手が止まる。


「そもそも『地上には女がいる』って誰から教わった? 上官とか先輩たちからだろ? 先に地上に出てたネズミたちからだ。でもアイから何か聞いたか? こいつは何も言ってないんだって。

 

 アイは質問すれば答えをよこす、でも質問しない限り教えることもない。『地上には女がいる』ってことにしたって『塔には女がいない』ってことにはならないだろ? こいつはそうやって言うべきことを言わず(・・・・・・・・・・)に俺たちの解釈を狂わせる(・・・・・・・)ことで、重要なことをうまいこと隠し通してきたんだよ。嘘を使わずに部分的事実のみを与えることで真実を隠してきた。そうだろ?」


 睨みつけるカヤネズミにアイは笑みを深めた。


「なんでそんなこと…」


 ヤマネが頭の中の疑問を整理しきれずに言葉に詰まる。何かが引っかかっているけれどもそれが何か言い表せないらしい。その様子を横目で見たセスジネズミが代弁する。


「何故アイはネズミ(おれたち)から女を隠したんですか?」


 ヤマネは驚いた様子でセスジネズミに振り返ったが、目が合うと小刻みに頷いて見せて前を向いた。


「………抑圧する(ためさせる)ためだ、多分」


 吐き捨てるように言ってカヤネズミは奥歯を鳴らす。セスジネズミが怪訝そうに眉根を顰めたが、他の面々は瞬時に理解した。


 ヤチネズミは思い出していた。初めて地上に出た時のことを。地上調査の方法や活動の目的、小銃の使い方などを教わる中で聞いた、自分たちとは異なるものの存在。言葉で説明されても全く要領を得なかったのに、実物を見せられた瞬間に全てが腑に落ちた。上官たちにいたぶられていた虚ろな顔、匂い、身体。まだあどけなさの残る子どもの泣き顔に胸が痛んだが、それとは裏腹に下半身は疼いた。


「居住可能地域は無い、薬での肉体強化はアカネズミ以外は成功してない、ってなると地上活動の目的は『女』しか残ってないんだって」


 充血した目で仲間たちを見回しながらカヤネズミは言った。


 ハツカネズミが真顔のまま即頭部を掻きむしる。ヤマネは呆然とどこかを見ている。セスジネズミが怪訝そうなしかめっ面のまま左右を見比べる横で、ヤチネズミは半歩踏み出し、


「どゆこと」


 何となく胸につかえる予感から目を背けて、カヤネズミにその答えを求めた。


 ヤチネズミの浅はかな責任逃れは完全に勘付かれていたのかもしれない。カヤネズミは息を吐きながらたらだらと回れ右し、完全に透けた女に背を向けておざなりに質問をした。


「アイちゃん、教えてくだっさい。さっき俺らが見た上階にいた女は、ネズミが地上から運んできた奴らですかー?」


「いいえ。彼女たちは元から塔の上階にいた保管体の方々です」


「『ほかん…たい』?」とヤマネ。


「さっきもそんな風に呼んでたね」


 ハツカネズミがひとりごちる。


「アイ、保管体とは何ですか?」


 カヤネズミが再び棒読みで尋ねると、アイは笑みを湛えたまま、


「保管体とは(しゅ)を存続させるための必要最低限数で管理、保護されている者たちです」


「だってよ」


 カヤネズミが背中で言った。


―アイがなくても子どもは作れます―


―やっとわかったよ! ネズミ(おれら)が地階にいた理由、地上(そと)に出された理由、お前が俺らにはその顔を一切見せなかった理由ッ!!―


 ヤチネズミは唾を飲み込む。あり得ない、信じられない可能性がちらつき始めてくらくらする。


「種の保存って、」


 憮然としていたヤマネが口を開いた。


「なに…、な、何? 何言ってんだよ、アイ」


 空元気に作り笑いを浮かべて、落ち着きなくその場でうろうろしながら、


「わけわかんないし! え? 何? 俺らが『(しゅ)』? 俺らの? (たね)ってだって……、意味わかんないってだって、」



 植物でもないのに!



 女の癇癪によく似た悲鳴を響かせた。


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