00-139 ヤチネズミ【同じ】
過去編(その90)です。
「同じなんだってッ!!!!」
声を裏返したカヤネズミの勝利だった。上半身を突き出して怒鳴りつけていたハツカネズミはぐっと顎を引く。互いに肩で息を切らしながら睨みあっていたが、視線を反らしたのはカヤネズミが先だった。
「『同じ』って?」
先輩たちの怒鳴り合いに涙目になっていたヤマネが尋ねる。
「俺もわかりませんでした」
セスジネズミも言う。
「そいつの言うことなんてわかるわけないよ」
ハツカネズミはそっぽを向き、ヤマネがその横顔を涙目で見つめた。
ヤチネズミもハツカネズミの横顔を見つめる。混乱と動揺だけではない。地下掃除を軽んじられたことが耐えれなかったのだろう。ハツカネズミは地下の連中を心底憎んでいるから。子ども思いのハツカネズミは夜汽車を傷つける奴らを許すはずがないから。だがヤチネズミは違う。
ヤチネズミも地下に住む者は憎い。死ねばいいと思うし掃除は必要という点に異論は無い。しかし地下にも子どもはいる。子ネズミや治験体のような子どもたちが。ヤチネズミは子どもには嫌われがちだし後輩たちからでさえ慕われない。それが自分の性格異常なる障害のせいなのか否かはわからない。でもヤチネズミ自身は実は子どもが好きだ。守ってやらねばと思う。そしてそれは塔だろうが地下だろうが住んでいる場所に関わらず、『子ども』であれば皆同じように見えてしまうのだった。
ただ、こんなことを言えば地下を擁護していると思われる、頭がおかしいと思われるという恐怖から絶対に口にしたことがなかっただけで。
だから地下に住む者だろうと夜汽車だろうと塔の上階の連中だろうと、子どもには死んでほしくない。
カヤネズミが不意にこちらを向いた。ヤチネズミが顔を上げると、
「お前ならわかるだろ?」
聞かれてヤチネズミは混乱する。何を? っていうかなんで俺に? 何のことを……、
「お前、トカゲの子どもに目隠ししてやってたじゃん。ハツの掃除、見せないようにって」
一瞬で頭に血が上った。怒りのためではない、動揺と羞恥と気まずさのためだ。
全員の視線が突き刺さる。ハツカネズミが怒りさえ湛えた顔で睨みつけてくる。ヤマネがあわあわと周囲を見比べ、セスジネズミは感情を読み取れない顔をしていた。
「なに? どういうことヤチ。ごめん、わかんない」
ゆらりと歩み寄るハツカネズミから後退りして、ヤチネズミは顔を背ける。
「地下の連中に肩入れしたってこと? なんで? ねえヤチ、」
「ち、ちが…」
「答えろよおッ!!」
怒鳴り散らしてハツカネズミは、ヤチネズミを吊し上げた。胸座を掴んでくるハツカネズミの手首を握りしめて引き離そうとするが、ヤチネズミ程度の握力では当然ハツカネズミには及ばない。
「そんなことしないよねえ!? ねえ、ヤチ!!」
「ハツさん!」
ヤマネとセスジネズミが先輩の暴走を止めようとするが、
「なんかの間違いだろお!?」
「間違ってんのはお前だよ」
一切手を下さずにハツカネズミを止めたのはカヤネズミだった。
「お前っていうか俺らが間違わされてた」
カヤネズミの匂わせ発言にはヤチネズミもうんざりしていたが、この時ばかりはありがたかった。ハツカネズミはヤチネズミを吊り上げたままカヤネズミに顔を向ける。
「どういうこと?」
「地下の連中も塔も夜汽車もみんな同じってことだ」
何度目だろうか、カヤネズミが同じ言葉を繰り返すのは。
ハツカネズミはヤチネズミから手を離すと、睨みつける先のカヤネズミに歩み寄った。尻をついたヤチネズミをヤマネが気遣い、セスジネズミは棒のように佇んだまま先輩たちの動向を見守る。
「何が同じ? 何と何がなんで同じ?」
今にもカヤネズミの掃除を始めそうなハツカネズミに、
「ハツカネズミが非常に興奮状態です。早急に集団から隔離し、冷却時間を置くことを推奨します」
アイが妥当な措置を申し出るが、
「黙ってろっつったろ」
カヤネズミが提案を退ける。
「お前も黙ったら?」
ハツカネズミが完全な喧嘩腰でカヤネズミに凄むが、
「俺が黙ればみんなが困るだろ」
言われたハツカネズミは目を見開く。思い出したように歯を食いしばってそのままどかどかと壁際に向かうと、壁面や床を殴り始めた。千切れた導線から電気が弾ける。漏電と破壊音でハツカネズミの周囲だけが騒然としている。
昔はあんなことする奴じゃなかった、物に八つ当たりするなんて……。信じ難い同室の後ろ姿にヤチネズミは絶句する。それから我に返り、ハツカネズミを止めようと歩み寄りかけたところをセスジネズミに邪魔された。
「どけ、セージ…」
「止まってください」
「止める相手はハツだろ!?」
「命令です」
部隊などとうの昔にあってないようなものなのに、
「お願いします」
後輩の上官にヤチネズミは圧し負けた。
「そんくらいでいんじゃね?」
腕組みしたカヤネズミが目を細めて言うと、ハツカネズミは駄目押しのごとく後ろ蹴りで最寄りの支柱を粉砕した。処刑室全体が揺れ、穏やかでない重低音が響きわたる。天井から降り落ちる埃に戸惑うヤマネとヤチネズミの横でセスジネズミは冷静だ。
「アイ、柱の補修を」
「はい。処刑室南二番の支柱の補修作業を開始します。ハツカネズミは速やかに破壊行動を中止してください。できますか? アイがおてつだい…」
「だからいらないって!!」
不貞腐れた子どものような言い草でハツカネズミは返事をすると、最後にもう一度支柱を蹴り込んだ。どこからか自律修繕機器たちが集まってきて、壁面と支柱の補修工事が始められる。騒音の中でカヤネズミがヤマネに耳打ちし、慌ててヤマネはハツカネズミを迎えに行った。ぶすっとしたままのハツカネズミが、ヤマネに手を引かれて戻ってくる。
「随分派手にやってくれて」
カヤネズミがアイの一部たちの作業風景を見遣りながら息を吐いた。
「どういたしまして」
ハツカネズミもそっぽを向き、厭味ったらしく答える。
「ヤマネ、ハツさんは重くなかったか」
セスジネズミが無表情にも鋭い眼差しを同輩に向けた。ヤマネが「別に? なかったと思うけど…」と首を傾げると、
「ならよかった」
涼しい顔に戻って正面を向く。
「ああ、よかったな」
カヤネズミも同調した。そして、
「少しは落ち着いたか? でかい方のバカ」
冷めた顔で喧嘩腰に吹っかけたが、
「少しは黙れば? 性悪の酔っ払い」
ハツカネズミも売り言葉に買い言葉だ。
カヤネズミは鼻であしらうと顔を上げ、
「他の連中も血迷うなよ。話くらい最後まで聞けって」
ひときわ大きな声で言い放った。
「さっきから聞いてるじゃん…」
ヤチネズミは首を傾げて呟いたが、
「大丈夫ですよ、他は」
セスジネズミがヤマネを横目で見下ろして言った。
「続けてください」
「お前がいてくれて助かったよ」
カヤネズミは背中越しにセスジネズミに言うと、ヤチネズミを流し目で見た。ヤチネズミは眉根を寄せて顔を突き出しただけだ。
「それでな? ヤマネ、」
突然カヤネズミに話をふられたヤマネは、どぎまぎと返事をする。
「地下掃除の他には何があった?」
「何って…?」
「地上活動の目的だって。『居住可能地域の探索』、『地下掃除』、それと?」
「『女の、確保』?」
話が最初に戻った。カヤネズミは「正解」と呟く。それからまた、得意の遠回しな言い方でここに至るまでの『仮定の話』を語り始めた。