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00-137 ヤチネズミ【腐らないみかん】

過去編(その88)です。

「それが薬だ」


 どれが薬だ? と、言いかけたヤチネズミだったが、


「効能は利益と同時に負利益ももたらす」


 セスジネズミが呟いた。カヤネズミは頷く。


「……どゆこと?」


 絶対に怒鳴られることを覚悟の上でヤチネズミは尋ねた。案の定、凶悪な視線で振り返るカヤネズミ。しかしその口が開くより早くセスジネズミが話し始めた。


「薬が入ることでネズミは様々な効能を得ます。しかし同時に副作用やその効能のために本来であれば生じ得ない問題も起こり得るということです。つまり、」


俺たちに入ってる(・・・・・・・)薬は地上に出るために必要なものじゃない」


 セスジネズミの説明を引き継いでカヤネズミが結論づけた。


「確かに薬は俺たちの能力を向上させる。でもどの効能も必須じゃないんだよ。百歩譲っても『あれば便利だな〜』くらいの効能ばっかりだ」


 寝ない、感覚が無い、筋力が増加する、食べる量が減る……。


「もし本当に薬が地上に出るために不可欠なものなら、その効能は『温度変化を物ともしない』とか『日光に当たっても火傷しない』とか『一切飲み食いしなくていい』とかじゃないのか?」


 全員の視線がヤチネズミに向けられる。それら全てを見回して、逸らして、居たたまれなくなってヤチネズミは、「それはないんじゃね?」と返答した。


「俺のは薬じゃなくて『毒』なんだよ。検査でも数え切れないくらい名前も知らない子ネズミたちを死なせたしミズラだって、」


 シチロウだって。


 犯した罪の重さに項垂れたヤチネズミの後頭部を、カヤネズミは無遠慮に引っ叩いた。「カヤ!」と咎めたハツカネズミを見もせずに、カヤネズミはヤチネズミの胸元を掴んで睨みつけるように見つめる。


「お前の後悔は置いとけ。今はお前の『薬』の効能の話をしてるんだって」


「だから俺のは薬じゃなくて…」


 なおも斜め下を向くヤチネズミの愚痴は、カヤネズミの早口によって遮られた。


「お前のだけは地上活動に必要な薬だって言えるんだよ。水も飲まない飯も食わない、でも死なない。裸一貫で延々ほっつき回っていられる身体こそが地上活動には必要な要素なんじゃないのか?」


 ヤチネズミは注目の中で固まる。考えてもみなかった。だが言われてみれば自分ならば、殺されない限り死ぬ要素がない。


「きっとお前の薬には上階(うえ)の連中も色めき立ったはずだ。でなきゃ『数え切れないくらい』多くの受容体になんて薬合わせしないだろ。大抵三回くらい死亡例が出た時点でその生産体の薬なんて見放されるって」


 カヤネズミは生産体として検査に入り、受容体として地上に上がったどっちつかずのネズミだ。受容体の立場も生産体の仕事も両方見てきたのかもしれない。それとも自分だけが知らない事実だったのだろうか、とヤチネズミは記憶を手繰る。しかし都合の悪いことは手前勝手に忘却してきた脳味噌だ。大事なことも同様に引き出せない。だが思い出したい都合のいいことはいつもすぐに出てくる。


―ヤチの薬は今までのどの薬よりもすごいー


 ハタネズミはこのことを言っていたのか。


「でもヤチは『出来損ない』だった」


 思い出と感動的な衝撃の中にいたヤチネズミは、カヤネズミの言葉に引き戻される。


「ヤチの薬はヤチにだけ有効で他の奴に入れれば『毒』になった。上階の連中(けんきゅういんたち)は焦っただろうよ。さすがにこれ以上薬合わせしても無理だってことになってヤチも俺たち同様に地上に『放棄』された」


「『放棄』?」とハツカネズミ。


「放棄って何? どうゆうこと?」


「そのまんまだよ」


 カヤネズミは突き放すようにしてヤチネズミを解放しながらハツカネズミに言う。


「俺たちは薬を入れられたおかげ(・・・)で地上に出たんじゃない。薬を入れられたせいで(・・・)地上に捨てられたんだ、不用品として」


 廃墟と同じように。


―俺たちっていらないんじゃね?―


 以前聞いたカヤネズミのぼやきをヤチネズミは思い出す。


「もしヤチも『完成』してたら塔から出ることはなかったはずだ、アカネズミみたいに」


 思いもよらない名前が耳に飛び込んで来た。顔を上げたヤチネズミを待っていたのは真顔だが怒ってはいないカヤネズミだ。


「アカが何?」


 ハツカネズミが一歩前に出る。カヤネズミはハツカネズミに視線を向けて、ヤチネズミに伝えるつもりだった自身の考えを話す。


「アカが塔から出たことが無いのはあいつが『必要な』薬の生産体だからだ。あいつに入ってる薬ってお前よりも種類多いんだろ?」


 聞かれたハツカネズミは斜め上を向くと、指で数えながら思い出せるだけ薬の種類を答えて行く。


「トガちゃんとハタネズミさんとコジネズミと、エチゴモグラさんとアズミトガリネズミさんとシコク……何とかさんととく…」


「わかった、もういい」


 せっかく思い出していたのに、とハツカネズミはむっとしてカヤネズミを睨みつけたが、カヤネズミは全くお構いなしだ。


「そんだけ入ってればこいつ同様、武器もなくても服も着なくても地上で生きていけそうだ」


 『こいつ』と言われたことにも無頓着に、再会時のアカネズミは上半身が裸だったことをヤチネズミは思い出していた。 


「薬の種類が多ければ何だって言うんだよ」


 いいようにあしらわれていることに腹を立てているのだろう。眉間と顎に皺を刻んでハツカネズミはカヤネズミににじり寄ったが、


地上で生きていける(・・・・・・・・)身体(・・)になるって言ってんだよ」


 同じく苛立った声でカヤネズミも答えた。


「いいか、『地上に居住可能地域は無い』。まずここはおさえとけ。でもアイ(こいつ)は地上にも塔の活動領域を広げようとしてる、それは確かだ。理由は不明だけどネズミをこんだけ地上に送りだしてるんだ、そうとしか考えられない。そうだろ?」


 カヤネズミがアイに顔を向けると、アイはまた、先と変わらない微笑みで応える。答えを返してこない女に舌打ちして、カヤネズミは再びハツカネズミに向き直った。


「でもどんなに探しても地上に居住可能地域は無い。あるわけない。居住不可能になって捨てた場所の中からもう一回住める場所を探すなんて、腐りきったみかん箱の中から新鮮なみかんを見つけるようなもんだ。無謀っていうか無理なんだよ。だから反対の発想だ。腐ったみかんの中に新鮮なみかんが見つからないなら…」


「『腐らないみかんを作って入れる』」


 セスジネズミが結論を横取りした。カヤネズミはセスジネズミを見つめて力強く頷く。


「………どゆこと?」


 やはり意味を解せないヤチネズミが周囲に尋ねると、カヤネズミよりも数倍丁寧に、わかりやすく、セスジネズミが説明を始めた。


「腐ったみかんの入った箱を想像してください。一つ腐れば腐敗は箱全体に及びます。放置すれば腐敗汁とかびの楽園です。その中から腐っていないみかんを見つけることは可能でしょうか」


 無理だと思う。


「しかしみかんの箱は一つしかありません。何としてもその箱の中にみかんを保管しておきたいとしたら、ヤチさんならどうしますか?」


「……袋に包んで入れる?」


「まあ妥当でしょう」


 後輩に微妙な評価をされて、ヤチネズミは瞬時に恥ずかしさと怒りが込み上げた。しかしさすがのヤチネズミでも、この状況下でそんな瑣末な問題は持ちだせない。


「しかし袋に包まれたみかんもやがては腐ります。そのみかんの寿命かもしれませんし、周りのみかんが持つ菌の侵入を許して汚染されたかもしれません。ではどうしますか?」


 どうしますかと言われても……。ヤチネズミは答えられずに視線を反らす。


「この場合のみかん箱が地上です」


 悩むヤチネズミをセスジネズミは待たない。


「腐ったみかんは地上の環境、太陽や大気などの要件ですね。そして袋が薬で袋の中のまだ腐ってないみかんがネズミです」


 ヤチネズミは顔を上げた。


「居住可能な地域を獲得せんとしてもそのような場所は地上には無い。ある程度は薬という名の『袋』で身体を守ることで地上活動は可能になりますが、それも期限付き。ならば無期限の『袋』で身体を守ろうというのが薬が開発され続ける理由です」


 セスジネズミに見つめられていたヤチネズミは口を半開きにしたまま固まっている。賢い後輩の丁寧な例え話のおかげで何となく議題の形が見えてきていたが、突き付けられた結論が突拍子なくて理解出来ない、したくない。


「……お前、まじで頭いいな」


 カヤネズミがセスジネズミに言う。


「カヤさんには劣ります」


 無表情でセスジネズミが答える。


「カヤよりずっといいよ」


 ハツカネズミが加わって、


「カヤの話よりも何十倍もわかりやすかった」


 後輩を称えた。


 ヤチネズミはカヤネズミを見た。視線を受け取ったカヤネズミは目を伏せる。


「地上に出るのは簡単だ、出るだけなら治験体でも誰でも出来る。でも地上に居続けることは出来ない。居住とか生活とかは無理なんだって。だから薬で身体を強化する、地上の環境にさらされ続けても耐え続けられるようにするために。


 でも俺たちは、受容体のほとんどは失敗作なんだよ。俺たちに入ってる薬は薬として不十分だ。挙げ句の果てに副作用も反作用もある。さっきの話で言えば、穴の開いた湿った袋ってとこだ。


 けどお前の薬は違う。完全に乾燥しきった、穴の開いてない袋がお前の薬なんだって。


 そしてアカネズミもだ。あいつはお前のとは少し違うけどお前みたいに裸一貫でほっつき回れる身体を手に入れた。しかもそこから生産体に変異した。だから…」


「だからアカは死なない場所で死なないように保管されてるって言うの?」


 口を挟んだのはハツカネズミだった。「そうだよ」とカヤネズミは答える。


「アカの薬はほぼ最強だ。しかも生産体だ。あいつが子ネズミたちに薬合わせを始めたかどうかは知らないけど、まだだったとしてももうすぐ始まるはずだ。あいつこそ、塔が求めてた薬だからな」


―アカネズミは死んではいけません―


―アカネズミは生きねばいけません―


 ヤチネズミはアイを見上げた。


「そのためのお前だ、ハツ」


 カヤネズミは続ける。


「お前もめちゃくちゃ薬、入ってるだろ。お前もアカネズミ同様に扱われてたんじゃないのか?」

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