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00-136 カヤネズミ【薬】

過去編(その87)です。

 しばしの沈黙。皆、突き付けられた仮説の検証で頭がいっぱいになっている。考えれば考えるほどカヤネズミの仮説が事実にしか思えず、しかしそれを受け入れてしまえば恐ろしい現実に引きこまれそうで、極力その先を直視しないようにしつつ思考を進めている。


 しかし、どんなに考えても、他の情報と目の前の情報の繋がりを見出せないヤチネズミは行き詰る。最終的に、


「どゆこと?」


 結論を周囲に求めた。


 当然のように向けられ続けてきた凶悪な視線も、毎度おなじみな後輩からの呆れた溜め息もない。誰もが項垂れる中でカヤネズミが一言、


(ここ)は過去だ」


 随分と詩的な言い草で表現した。


 それでも困った顔で見つめてくるヤチネズミに、カヤネズミは顔を上げる。虚ろにも見える憐れみの表情は一秒後にはまた目を反らし、疲れ果てた様子でヤチネズミにもわかるように説明をする。


「地上の廃屋が以前は誰かに使われていた居住施設で、それが今は放棄されてる。使えないから捨てたんだ、住んでいられないから。地上で生きていける奴なんていない、それは事実だろ? でも多分、昔は違った。そう遠くない過去には地上でも生きていけたんだ」


「そ…!」


 ヤチネズミは言いかけたがカヤネズミは中断を許さずに、


「そうだよ、今は無理だ。昔がどんなんだったかなんて俺だって知らねえって。けど今は無理だ。だから放棄されてる。放棄された物なんだよあれは、廃屋は! ここまではわかるか? いや、理解しろ飲み込め!」


 ヤチネズミは唾を飲み込む。


「で、放棄されてない、捨てられてない廃屋は上階(うえ)にある。上階(うえ)の廃屋は新しくて清潔感撒き散らかして今でも使い続けられてる。廃屋だけじゃない、あの風呂みたいな銅像付きの海の模型とか、腹の足しにもならない花しか咲かない草とか木とか熱くない太陽とか、今でも使える上階の設備は、大量の電気を消費しながら廃屋をまだ使える状態に保ってるんだ。


 電気がなければ廃屋、電気があるから居住施設。電気で維持してるんだよ、居住可能地域を。わかるか? 『維持』してるんだ、」


 わからない、とは言えないヤチネズミは混乱を極めたが、


(ここ)は地上の在りし日を模した空間だ!!」


 最後の言葉でようやくカヤネズミの言いたいことがわかった。もう一度カヤネズミの説明を整理しようと、ヤチネズミは口元を手の平で覆う。


「『在りし日』……」


 昔の日々、過去、自分たちが作られるよりもずっと前、


「『模した』……」


 その終わった時間を真似た、(かたど)った、再現した、


「……居住可能地域」


 考え事をしていると唇からそれらに関する単語をこぼしてしまうのはヤチネズミの癖だ。シチロウネズミに指摘されてからは、気付いて恥ずかしくなってこうして手の平でこぼすまいとしているが、それでも指の間からいまだにこぼし続けていることに、ヤチネズミは気付いていない。


 カヤネズミは息を整えながらヤチネズミの頭頂部を見つめていたが、やがて大きく息を吐くとぎろりとアイを睨み上げた。アイはにっこりと微笑み返す。


「……っていうのが俺の結論その一なんだけど、ここまででどっか違ったか?」


 カヤネズミの言葉を聞いて、ヤチネズミと子どもを除く全員がアイを見上げた。アイは微笑みを湛えたまま唇を開く。


「いかなる事物においても可能性は必ずあります。完全な正論も絶対と言える普遍の原理もありません」


「質問に答えろ」


 カヤネズミは命令する。


「居住可能地域なんてもう(・・)、地上には無いんだろ?」


「地上は広大です。絶対に無いと断言することは誰にも出来ません」


「この期に及んで詭弁で返すなって」


 白い目を向けてカヤネズミが吐き捨てた。


「待ってくださいよ」


 ヤマネが不安そうに震えた声を上げる。


「じゃあ、……もしそうなら、もし! もし本当にカヤさんの話の通りなら、俺ら、何のために地上活動させられてたんすか?」


 尤もな意見だった。与えられた仕事こそが自分の使命だと信じて、そのために文字通り命を賭けて多くの仲間を失いながらも続けてきた行為が、何の意味も持たないとしたら。その行いを続けてきた自分自身の存在価値を揺るがせる、無駄になる、不要な時間だったと自分自身を全否定されたら、


「地上に出るために必要だって言われたから、……のに、あの『検査』は何のための何だったんですか!!」


「落ち着けヤマネ、」


 ハツカネズミに背中を擦られながらも動揺しきりのヤマネは、真っ青な顔でカヤネズミを見上げる。


「頼むから落ち着いて聞いてくれ」


 滅多にない、いや、これまでもこの先もおそらく二度とないだろうカヤネズミからの懇願にヤマネは怒りを忘れた。


「お前の言うとおりだ。俺たちは地上に出るために薬で肉体を強化されて、過酷な環境下でもある程度活動できる能力を持たされて地上活動に就いた。ここまではいいか?」


 カヤネズミの言葉にヤマネがおずおずと頷き、他は黙って次の言葉を待った。カヤネズミは質問がないことを確認すると再び伏し目がちになって話を続ける。


「だがこの説明も矛盾が出てくる、薬の必要性だ。薬はネズミ(おれたち)の肉体を強化するためのもののはずなのに、薬なんて入ってなくても地上活動は可能だってことだ」


「え……?」


 と戸惑うヤマネの横で、ヤチネズミはあの昼のことを思い出していた。ムクゲネズミ隊に編入されてハツカネズミたちと再会した日、シチロウネズミもまだ生きていて、不穏な雰囲気に首を傾げて、見張りをしていた隣室の同輩に話しかけた日、カヤネズミは酒を口に運ぶ手を止めて語っていた。


「考えてみろ」


 ヤマネを横目で捉えてカヤネズミが言う。


「まず地下の連中。あいつらが薬なんて持ってるわけない。なのに地上に這い出てきて夜汽車襲ったり駅まで出てきたり好き放題やってるだろ」


「……でもそれは、地下の連中だからであって、地上の近くで生活してる奴だから出来ることってだけで、塔の中にいる俺たちならやっぱり薬がないと地上に出ることなんて…」


「お前の薬は地上でなんか役に立ったか?」


 常識を擁護するヤマネにカヤネズミはさらなる質問を突きつける。


 ヤマネに入っているのはアズミトガリネズミの派生とハタネズミの薬だ。しかしハタネズミの薬はヤマネにはさほど強く効かなかったようで、多少感覚が鈍っただけで痛覚は健在だった。アズミトガリネズミの薬も微妙な効き具合で、食べる量は減ったが超長期間の断食に耐えることはできない。長くて三日、加えて何故か水はかなり飲む。食べ物の分を補うかのようにとにかく飲む。そしてなぜか朝日だけだが日光を浴びたがる。


「……俺が少食になった分、食糧を他の奴に分けれたし、センカクなんかいっつも俺に聞く前に勝手に飯、取ってってたし…」


「お前は俺の飲み水くすねてただろ」


 カヤネズミがぴしゃりと言ってヤマネは口籠る。


「だ、だってカヤさん、酒しか飲まないから…」


「飲んだ後は喉が渇くだろ!」


 カヤネズミが声量を上げたからヤマネは顎を引いた。縮こまって案の定「すんません…」と小さく頭を下げる。


「俺があげたのじゃ足りなかったの?」


 ハツカネズミに覗き込まれたヤマネはさらに首を竦めて、「すんません」と言ったきり押し黙った。


「もしヤマネが薬のおかげで地上活動が出来てるってんなら、食糧消費が抑えられてるって点だけだ。一ヶ月分の飲み水を四、五日で呑み干すっていう欠点と引き換えにな。けどこれって薬の利点って言えるか? かえって荷物増やしてるだけだろ」


「カヤ、大概にしろよ」


 ハツカネズミが口を挟んだ。カヤネズミのヤマネへの当りの強さに黙っていられなかったのだろう。


「ヤマネだけだろ? それ」


 ヤチネズミはハツカネズミを押し止めるようにして前に出て言った。


「他の奴らは薬に大いに助けられてるんじゃないのかよ。ハツは特別だとしたってカヤだって『特に不便はない』って言ってたじゃん…」


「俺はもうすぐ死ぬ」


 カヤネズミの言葉に激震が走った。ヤマネはおたおたと「え、え?」と視線だけでなく全身で右往左往し、ハツカネズミも「何言ってんの? いきなり」と不機嫌そうな顔を作りつつ動揺して項を掻き毟っている。部隊員を死なせないために自分が死のうとしていたカヤネズミは「なんで……」と呟いたきり絶句し、頭が追いつかないヤチネズミは呆然と立ち尽くした。


「俺の薬は不眠だ。おんなじ薬の生産体だったマッさんは突然死だったってアズミさんと……が言ってた。一生のうちの覚醒時間は決まってて不眠はそれを前借りする薬だからって。だから俺も明日突然死んでるかもしれない」


 ヤチネズミはハタネズミの話を思い出す。確かにそう聞いた。ドブネズミの態度と不可解な泣き顔の理由にたどり着く。知っていたはずなのに失念していた事実に愕然とし、それからハツカネズミを見つめた。ハツカネズミにも不眠の薬が入っている。多分、アカネズミにも。ということはハツもアカもある日突然…


「安心しろ。まだ死なないって」


 誰の顔も見ずにカヤネズミが断言した。突然死すると言った口が一体何を根拠にそんなことを。不測の死を操る薬でもカヤネズミは持っているのだろうか。


「まだってカヤさん?」


 ヤマネが悲鳴じみた声で聞くがカヤネズミは顔色一つ変えずに、


「それは置いといて、」


 置いておけない話題を無理矢理終わらせ、


「それが薬だ」


 前を向いて断言した。

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