00-134 カヤネズミ【仮定の話】
過去編(その85)です。
天井の導線が火花を散らして蠢く。ハツカネズミの再生を彷彿とさせる速度で、塔の電気系統は修復していく。セスジネズミとカヤネズミの死刑を撤回しろ、もう一度俺たちの主張を聞いてくれ、それよりもまず聞きたいことは……。息を呑んでアイの復旧を待っていたヤチネズミの横に、ふらふらとカヤネズミが起き上がってきた。俯き過ぎていて表情は見えない。それほどハタネズミに憧れていたのだろうか。こいつにはハタさんの功績だけを教えておくべきだったか、とヤチネズミが隣室の同輩を心配している間に、天井の損傷は完全に修復された。
室内に明かりが灯る。セスジネズミが一瞬、身じろぎする。塔の上階で対面した女の虚像が現れ、初対面するヤマネが驚き戸惑い、ハツカネズミが腕の中の子どもと共にぶすっと頬を膨らませた時、カヤネズミが顔を上げた。その横顔にヤチネズミとヤマネが後ずさりし、セスジネズミさえ驚いた顔を見せる。完全に目を座らせた酔っぱらいはハツカネズミを押し退けて前に出ると、今度は満面の笑みをアイに向けた。
ヤマネが悲鳴を上げて数歩退き、ハツカネズミもぎょっとして覗き込む。ヤチネズミが唖然としてその横顔を見つめていると、
「旧ムクゲネズミ隊の皆さん、及び治験体キュウジュウキュウは各々、所定の居室にお戻りください。セスジネズミはこのままこちらに残ってくださって結構です。出来ますか? アイがお手伝い…」
「アカは!!」
待ちきれずにヤチネズミは叫んでいた。
「アカの様態は? ちゃんと生きてんだよな? 治療もちゃんと…」
「大丈夫だよ! アカが死ぬわけないじゃん!!」
ハツカネズミが強気に怒鳴る。
「アカネズミさんが死ぬぅ?」
ヤマネが声を裏返らせてセスジネズミも振り返り、ヤチネズミは口籠って視線を泳がせる。
「何があったんですか」
セスジネズミは同室の先輩たちに上官として問い質したが、
「ネズミの皆さんは速やかに移動を開始してください。負傷されている方はアイがお運びします」
アイが強制的に話を進めた。再び空気が渦を巻く。ヤチネズミの両肘は腰に押し付けられる。ヤマネがもがき始め、感覚が麻痺しているハツカネズミとセスジネズミは動きにくさに圧縮空気の存在を認識する。
「アイ、聞いてくれ!」
ヤチネズミは顔を上げた。
「罰でも検査でも何でも受ける。でもセージとカヤの死刑は不当だって何回も言ってるだろ? っていうかその前にアカは…」
「申し訳ありません。承諾しかねます」
「アカの容た…!」
「ヤチネズミは平素からアイを欺きます。申し訳ありませんが、アイはヤチネズミのいかなる提案も受け入れることが…」
「黙れ女ぁ」
酔っぱらいが凄んだ。黙ったのはヤチネズミだ。呂律は回っている。足どりも確かだ。しかし、
「って言うか止まれよ、義脳ぉあ!!」
カヤネズミの憤怒にセスジネズミが瞬きをした。
「顔色が優れませんね、カヤネズミ。何かありましたか?」
カヤネズミとは対照的に、女はにっこりと微笑む。
「あれ、あの…、あ、アイ、……さん??」
ヤマネが透けた女の正体を左右に尋ね、
「だと思う」
セスジネズミが躊躇い気味に首を傾げ、
「みたいだよ?」
ハツカネズミが中途半端な答え方をして、
「らしいな」
ヤチネズミも曖昧に頷いた。
「ほらほら、みんな困っちゃってるよお? ちゃあんと自己紹介してやらないと」
ヤチネズミたちの間抜けなやり取りを顎でしゃくって、カヤネズミは女をけしかける。
「自己紹介とは初対面の者同士が相互の素性を知り合うための挨拶です。ネズミの皆さんとアイには当てはまりません」
「だってよ」
今度は透けた女を顎で指して、カヤネズミは言った。
「え……、じゃあ、やっぱり、あれ、あの…」
「アイ?」
混乱してどぎまぎしたヤマネの横から、セスジネズミがもう一度、目の前の女の映像に問いかけた。女はにっこりと微笑むと、「はい」といつもの調子で肯定する。
「え? え……、ええ!?」
ヤマネが狼狽してたたらを踏み、後ずさりししながら自分の足に躓いて尻もちをついた。両手を塞がれることの危険性に気づいたのか、カヤネズミがハツカネズミに指示を出す。圧縮空気に押さえつけながらもハツカネズミは言われた場所まで難なく移動し、抱える子どもを慮ってか後ろ蹴りでもって壁面ごと中の基盤を破壊した。途端に身体が自由になったヤチネズミはつんのめり、既に腰を下ろしていたヤマネは女と同輩や先輩たちを交互に指差して、最後は両手で頭を抱えた。
「アイ? ……ってその、お、女ァ!?」
「落ち着けヤマネ」
カヤネズミが静かに言った。先までの怒りは? 落ち着き払った横顔をヤチネズミは盗み見る。
「お前はバカだけどその考えはあってる」
「あって……?」
珍しくカヤネズミに褒められてヤマネは戸惑い、固まる。
「ヤマネの考えって?」と尋ねたヤチネズミに、
「お前は見ただろ」女を睨めつけながら答えるカヤネズミ。
俺が見たもの? 考え始めたヤチネズミの横で、
「上階の!」
ハツカネズミが先に答えにたどり着いた。見上げてきたヤチネズミにハツカネズミは向き直り、
「カヤたちと落ち合った場所にいたじゃん」
誰が?
「女!」
「おんな…?」
「はい正解。って遅えんだよ」
全く面白くもなさげにカヤネズミが言う。言われて思い出したヤチネズミの横で、思案顔を上げたセスジネズミが一言、
「『塔にも女はいる』?」
ヤチネズミはセスジネズミに振り返り、ここに至ってようやくヤマネの考えていたことを理解した。
「勘がいいな、セージ」
カヤネズミが無感動にそんなことを言う。その数歩後ろでは、ヤマネは女を見上げている。アイは微笑みのまま佇んでいる。
「カヤ」
ハツカネズミがアイではなく、実体のある見慣れた仲間に答えを求めた。
「死刑囚になって良かったのはアイが何でも言う事を聞いてくれることだ。だろ? セージ」
同意を求められたセスジネズミはちらりと背後に目を向ける。自分が所望した、部隊員たちへの贈り物の品々を視野に入れて、「はい」と答えた。
「仲間思いのお前は俺たちの欲望を叶えてくれたみたいだけど、自分本位の俺は俺の疑問だけを延々こいつに聞いてた」
『こいつ』と顎で指されてもアイは全く表情を崩さない。
カヤネズミは腕組みをしたまま「ヤマネぇ!」と怒鳴る。呼ばれたヤマネは飛び上がって声を裏返し、姿勢を正して返事をした。
「お前、地上に出る時こいつから何聞いた」
低い声で脅されて、しどろもどろになるヤマネの肩にハツカネズミが手を置いた。ヤマネは同室の先輩を見上げると、力んでいた肩を落として頷き、息を吐いてカヤネズミの背中を見た。
「地上に出るのは薬で身体を強化できたネズミの特権で、地上活動は塔のために働くことだって…」
「地上活動の中身!」
と、すかさずカヤネズミ。
「ち、地上には『地下に住む者』がいて、そいつらは夜汽車に乗ってる子どもを食糧にしてるから、夜汽車を守るためにも塔の脅威の地下のごみの、……ごみは『掃除』しなければならない…」
「まだあるだろ」
「と! あと……、塔の外でも俺たちが生活できるような、居住可能な地域を見つけて同時に女をは…」
「それ!」
「はい!!」
「どれ?」
怒鳴られてびくりと直立不動になったヤマネの反対側からヤチネズミが言った。思わず口をついてしまった質問のせいで、カヤネズミの次の標的にされる。
「どうなってんだよ、その頭。お前には前に話したろ」
前っていつだよ……、と途方に暮れたヤチネズミに気づいてか、はたまた最初からその記憶力には期待をしていなかったのか、カヤネズミは出来の悪い同輩を一瞥すると再びアイを睨みつける。
「……今から話すのは全部仮定の話だ。間違ってたら指摘しろ」
睨みつけられる女は包み込むように微笑む。
「それまでは一切口を挟むな。わかったか」
「はい」
カヤネズミに凄まれたアイは微笑みのままに頷いたが、「喋んなって言ってんだろ!」とたった一言の返事さえ理不尽にけちをつけられる。
「カヤさん、今のはアイがかわいそうなんじゃ…」
恐る恐る進言したヤマネの注意は華麗に流されて、カヤネズミは『仮定の話』を語り始めた。