00-133 セスジネズミ【気持ち】
過去編(その84)です。
「なんだあれ?」
ヤチネズミの憤りを故意に流してカヤネズミが処刑台を駆け下りる。見るとそこには生活臭がただよってきそうな、誰かの居室のような趣向品の数々。酒瓶、煮物、端末、果物、寝袋も? それらが敷かれたばかりの布団の周りに並んでいる。場違いなのは小銃だ。
「何だよこれ……。じ、純米大吟醸じゃん……」
カヤネズミは震える声で一升瓶に指を触れる。
同輩と先輩たちから疑問の視線を浴びたセスジネズミは、素知らぬ顔の無表情を横に向けて、
「アイが聞くので」
もごもごと答えた。
「アイに何を聞かれたの?」
ハツカネズミに覗き込まれたのが嫌だったのか、セスジネズミは逃げるようにして処刑台を駆け下り、喉を鳴らして酒瓶を見つめていたカヤネズミの横に立った。無言でそれを持ち上げると、「あ……、」と声を漏らしたカヤネズミが追うようにして顔を上げる。
「『最期にほしいものは』とアイに何度も聞かれたんです」
ハツカネズミはヤチネズミを担ぎ、ヤマネと共に処刑台を降りてくる。
セスジネズミは手にした酒瓶をしばし見つめていたが、腕を伸ばしてカヤネズミにそれを差し出した。
「どうぞ」
カヤネズミの情けない顔がぱっと一瞬嬉しそうに輝き、そしてすぐにまた戸惑いの表情に変わる。
「なんで?」
「カヤさんのですから」
「だからなんで??」
「ほしいものと言われても特に無かったので断わろうとしたのですが、どうせなら部隊員が喜ぶものを支給してもらおうかと」
カヤネズミは震える手で酒瓶を受け取ると慈しむように抱きしめ、目を輝かせて感動しきりの顔を上げた。
「お前………、最ッッッッ高!!!!」
言うなり蓋を開け、口をつけて酒をあおり始めた。
「カヤぁ……」と呆れ果てたヤチネズミの横をすり抜けてヤマネが布団の側に駆け寄り膝をつく。
「これって…」
振り向いたその手の中には小鉢に盛られた大学芋。
「ヤマネと言えば芋だから」
照れくさそうに呟いたセスジネズミの肩に、ヤマネが立ち上がり腕を回して揺さぶった。
「カワにはこれ」
セスジネズミはヤマネに肩を組まれたまま別の小鉢を手にする。
「あいつ芋煮に目がないし」
セスジネズミはそれから、アイに支給された『最期の』所望物の贈り相手を、一つひとつ説明していった。
二組の寝袋はタネジネズミとジネズミ宛てだそうだ。突然寝落ちしては乱雑に扱われる彼らは、目覚めた時にいつも見に覚えのない痣があちらこちらにあることに不平不満を漏らしていた。今後はこの寝袋に入れて運んでやってほしいという。敷かれたばかりの布団は、たまにはゆっくり寝たいと言っていたワタセジネズミのためのもので、掛け布団を捲るとワタセジネズミが子どもの頃に愛用していたぼろぼろの毛布まで出てくる徹底ぶりだった。
端末はドブネズミにと言っていたが、中身はドブネズミ以外には見せてはいけないらしい。大方、カヤネズミの盗撮画像集か何かだろう。オオアシトガリネズミにと言って手にしたのは摘みたての苺だった。あの顔で好物が苺って……。ヤチネズミは自分を慕ってくれる後輩の似合わない素顔に頬を引き攣らせた。
「そう言うお前の芋団子は?」
手指と口の周りをべたべたにしながら大学芋を頬張るヤマネが、食べかすを飛ばしながら言う。
セスジネズミが無言で見つめた視線の先には、箸が並べられた食べかけの小皿。
「けっこう余裕あったんだね」
ハツカネズミが吹き出した。
「なんか安心した」
「ハツさんにはこれです」
失笑した先輩にむっとした顔でセスジネズミが突き出したのは、異彩を放っていた小銃だ。
「ハツさんは怪我をし過ぎます。薬で守られているとは言え、もう少し自分の身を守る術を習得してください」
上官らしく背筋を伸ばして、セスジネズミは練習用の薬莢と火薬の類もハツカネズミに持たせていく。ハツカネズミはすっかり小さくなって「うん、うん、……はい、はい…」と、年下の上官の説教に首を竦めた。
床に置かれた部隊員たちへの贈り物を説明し終えたセスジネズミは、最後にヤチネズミと目が合う。はっと驚いたような顔を見せた後で、セスジネズミは顎を引いて顔を背けた。
「……お前、俺の分だけ忘れたろ」
「そんなこと、あ…りません」
怒ったように答えたセスジネズミは、唇を固く結んで俯き加減に瞬きを繰り返し、それから意を決して天井を仰ぐと、大きく息を吐いてから挑むような目でヤチネズミの前まで来た。その威圧感にヤチネズミはたじろぐ。
「……なんだよ」
「どうぞ」
「は……?」
訳がわからず顔を突き出したヤチネズミに、セスジネズミは苛立たしげに息を吐いてから両腕を持ち上げ、胸を開いて見せる。
「ヤチさんには、………俺で」
同室の後輩の認めたくない申し出にヤチネズミは顔を真っ赤にした。それから、
「おま…、ふ、ふざけんな! くそ野郎ッ!!」
その怒鳴り声に、好物や上官命令に勤しんでいた面々が顔を向ける。
「俺にだって選ぶ権利あるわ! お前みたいなむさっ苦しいのじゃなくて巨乳の熟女限定なんだよ!!」
「また夢みたいなことを」
ヤマネが鼻で笑う。
「しわしわ女の巨乳なんて見たことないじゃん」
「やめとけって。バカは現実見んのが下手なんだよ」
上機嫌のカヤネズミも加わる。
「それを垂らさないで保ってるから尊いんだろ!」
ヤチネズミは外野の野次に唾を飛ばしてから、
「おいセージ! お前もそっちか!! ハタさんと同類かよ!!」と後輩を罵った。
「『ハタネズミさんと同類』って?」
カヤネズミが残り少ない酒瓶を床に置いてしばしばの目を向けてくる。
「そのまんまの意味だよ! 脳みそちんこ野郎は男も女も見境なくて、隙あれば後ろから穴狙ってくる下衆野郎だったって言ってんだよ!」
「ハタネズミさん、が?」
とカヤネズミは目を丸くする。
「あ~…、うん。ハタネズミさん。そう言えばそんなんだったね」
銃口を床に向けてハツカネズミが思い出を手繰るように上を向いた。
「まじすか? うへぇ!」
ヤマネが肩をすくめる一方で、
「つまりヤチさんは、俺はいらないということですね?」
セスジネズミが真剣に尋ねる。
「当たり前だろ! 俺はそっちじゃねえんだよ!」
怒鳴り散らしたヤチネズミから顔を背けて腕を下ろし、「よかった」と心底安堵し息を吐くセスジネズミ。
「『よかった~』じゃねえよ。拒絶されて安心するくらいなら初めから自分の身体なんて差し出すな!」
怒り狂うヤチネズミを横目で見て、
「『ほしい』って言ったのはヤチさんじゃないですか」
セスジネズミは不服そうに頬を膨らませた。
「そりゃなんかほしいだろ! みんな色々もらってんのになんで俺だけもらえないんだよって思っちゃ悪いかよ!!」
「相変わらずガキだなぁ、ヤッさん」
腹をさすりながらヤマネが茶々を入れる。
「お前は芋でも食ってろ、イモネズミ!」
ヤチネズミは憎たらしいヤマネを揶揄するが、
「もう食べましたぁ~、ご馳走さまでした~」
ヤマネは反省の色さえ見せない。
「お前なぁ!」
ヤチネズミは奥歯を鳴らしてヤマネを恫喝しようと息巻いたが、
「なぁヤチ、まじでハタネズミさんってそんなんだったのか?」
終わった話題をカヤネズミが蒸し返す。ヤチネズミは拳がヤマネに届かなくて、セスジネズミが憎たらしくて、カヤネズミがうざったくて怒りに震え、
「ああそうだよ! 『ハタネズミさん』は超好色ど助平の変態くそ野郎だったよ! 懐は深いけどそれ以外はあっさ浅の血液成分精液男だったんだよ。本性が他の部隊にばれてなかったのはアズミさんが必死こいてハタさんの尻拭いしてたからで…」
「アズミさん?」
とカヤネズミが顔を上げる。そう言えば、と、ヤチネズミも思い出す。
「そう言えばカヤはなんでアズミさんと面識あったんだ?」
「アズミさんってあのアズミさん? 生産隊の部隊長の?」
「だからそうだって言ってんじゃん。ってさっきもお前…」
ヤチネズミが言い終える前にカヤネズミは頭を抱えた。
「アズミさんが尻拭いしてた? 変態の? 助平の中年って……」
「カヤさんもハタネズミさんと面識があるんですね」
ハツカネズミ同様、ハタネズミの薬を受け継ぐセスジネズミが尋ねる。
「そうなんすかあ?」
歯間に詰まった食べかすを取るヤマネは、まるで上の空だ。だが尋ねられたカヤネズミの動揺は深刻で、久方ぶりの酒に上気していた顔は青ざめ、打ちひしがれている。
「……マッさんが死んだ時、教えに来てくれたのがアズミさんとどっかの変態じじいだったんだよ。アズミさんが真剣に話してたその横で、慰めるふりして俺の肩抱いてどさくさにまぎれて胸揉んできて、そいつに押し倒されそうになったのを助けてくれたのがアズミさんで…」
「間違いありません。それがハタネズミさんです」
セスジネズミが断言した。カヤネズミは愕然とする。
「あれが……? 『あれ』が、ハタネズミ、…さん?」
「ちなみにカヤ、アズミさんからは何もらった?」
ヤチネズミが尋ねるとカヤネズミは気不味そうにさらに項垂れ、
「麦焼酎を少々…」
「口止めだ、それ」
ヤチネズミの駄目押しにカヤネズミが閉口する。
「なんか知りませんけどお、」
爪に詰まった食べかすを指先で弾いてから、
「生産隊ってくずの集まりっすね!」
ヤマネがげらげらと笑った時だった。
「休憩は終わりみたいだよ」
天井を見上げたまま停止していたハツカネズミが言った。カヤネズミを除く面々に緊張が走る。
「……そう言えばアイさん、妙に静かだったね」
ヤマネが眼球だけで周囲を見回す。
「言われてみれば確かに」
事もなげにセスジネズミが答える。
「お前、そんな性格だったっけ?」
焦りも怯えもしないセスジネズミに対してヤチネズミが言うと、
「あの子のおかげみたいだね」
ハツカネズミが天井に向かって言った。ヤチネズミたちはハツカネズミに振り向き、その視線の先を見上げる。処刑台の上の、セスジネズミを殺そうとしていた吊り紐の残骸の出発点、ヤチネズミたちの立つ床と平行な天井に、例の子どもの姿があった。声も気配もないものだから、ヤチネズミに至っては子どもの存在そのものを忘れていた。言葉を持たない治験体の子どもは、まるでそちらこそが床だとでも言わんばかりに天井に貼り付き、一心不乱に張り巡らされた導線を毟り取っている。アイの修復も追いつかない。しかしその無表情はいつもと違う。疲労だ。疲労の色が浮かんでいる。
「俺たちに時間をくれてたのかな」
ハツカネズミは切なそうに言うと小銃を肩にかけた。ヤチネズミたちに顔を向けると、
「もういいよね?」
ヤチネズミは力強く頷く。
「はい」
セスジネズミも返し、
「……だ、大丈夫っすよ」
ヤマネが強がった。
「おい、カヤ」
ヤチネズミはいまだに項垂れたままのカヤネズミをつつくが、
「うるせぇ。俺のハタネズミさん像を返せ」
などと言って拗ねている。現実を直視出来ていないのはどこの誰だ。
「カヤさぁん」
ヤマネの呆れ声に吹き出して、その笑顔のままハツカネズミは天井を仰ぎ両腕を上げた。
「もういいよ。ありがとう、おいで」
ハツカネズミが声をかけると治験体の子どもは顔を向け、両手を開いて飛び込むようにハツカネズミの胸目がけて落ちてきた。ハツカネズミは全身でしっかりと子どもを受け止める。子どもはまた無表情に戻り、自分の頭を優しく撫でてくれる手の平の主の胸にしがみついた。
「やっぱりハツさんだなぁ」
ヤマネが感心する。
「歌以外はな」
ヤチネズミが小さくぼやく。
「来ます」
セスジネズミが副部隊長の顔になって言った。