00-132 ヤマネ【仲間】
過去編(その83)です。
這いつくばったヤマネを押し退けて、ヤチネズミが自身の負傷も痛みも忘れて駆けつけた。吊り紐が巻かれたままの首筋に指を当て、後輩の口元に耳を寄せる。近づいてきたヤマネが驚いて退くほど勢いよく起き上がると、その勢いのままセスジネズミの胸に両手を置いて全身運動で叩き始めた。
「セージ?」
「セージ!!」
「ヤッさん、セージは…?」
「呼べッ!! 呼び戻せ!!」
ヤマネがびくりと肩を上下させた。カヤネズミが唇を噛みしめる。ハツカネズミは息を呑み、吐き出すと同時に叫び出した。
「セージ、がんばれ!!」
カヤネズミもはっとして声の限りに呼びかける。
「セージ、駄目だ行くな!!」
「セージ、帰ってこい!」
ヤマネも叫ぶ。
「セージ! セージ!!」
「セスジネズミ!」
セスジネズミの眉根と指の腱が反応する。
「せーじぃ!!!」
「起ぎろごらぁッ!!!!」
ヤチネズミが殴り殺さんばかりに両手を絡めた特大の拳を打ち下ろした。セスジネズミの胸部を支点にして、頭部と爪先がくの字に浮く。
「せぇじぃッ!!!」
「ヤチ!!」
無我夢中に心肺蘇生術を施していたヤチネズミを止めたのはハツカネズミだ。ハツカネズミは背後からヤチネズミを羽交い締めにして、セスジネズミを観察するようにヤチネズミに促す。その脇をヤマネが這ってセスジネズミのそばに行く。カヤネズミが首を伸ばし、ヤチネズミとハツカネズミは絡まりあったまま、後輩の動向に固唾を飲んだ。
「セージは!」
耐えきれずに尋ねたヤチネズミにヤマネが涙目で振り返った時、完全な離れ目をセスジネズミが瞼で隠した。ヤチネズミは目を瞬かせ、唇を戦慄かせて横たわる後輩を指差す。ヤマネががばりと振り返り、ハツカネズミはヤチネズミの存在を忘れて身を乗り出した。潰れたヤチネズミを横から引きずり出したカヤネズミの耳に飛び込んできたのは、喉を絞り出した下手くそな咳払いだった。
「……セージ?」
ハツカネズミが呼びかける。全員が同じ瞬間をじっと待つ。弛緩していた先までとは明らかに違う、眉間に皺を寄せた苦しげな顔がぐっと唇を結んだかと思うと、瞼と共にその唇も開いた。
「せ…」
「……ハツさん?」
歓喜が沸き起こる。ハツカネズミは目覚めたばかりの後輩を力任せに抱きしめた。状況が把握できずに身体を捻りあげられるセスジネズミの頭を、仮面ではない満面の笑みのカヤネズミが両手で掴んで乱暴に揺する。その後ろでは床に手をついて号泣するヤチネズミ。嬉しくても悲しくても感情が昂ぶればすぐに泣くのだ。涙腺の筋肉を鍛える術がもしあるならば、一刻も早く彼にはそれを修得させたい。
「ハツさん、あの……」
「セージぃ、セぇえージい!!」
「ヤチさ…、……きたな…」
「心配させんなって、ったく!」
「カヤさん…」
「セージ!!」
喜びと大喜びの渦の外から、異質な怒鳴り声があがった。セスジネズミの先輩たちは笑い顔と泣き顔のまま振り返る。ハツカネズミの腕を掻い潜って顔を上げたセスジネズミに対峙するように、真っ赤な目を釣り上げたヤマネが歯を食いしばって仁王立ちしていた。ハツカネズミとカヤネズミは察して身を引く。ヤチネズミは鼻水を啜り上げながら「なんだよヤマネ…」と揚げ足を取りかけたところをカヤネズミに取り押さえられ、ハツカネズミに口を塞がれる。
立ち上がり、ヤマネの正面に歩み出たセスジネズミは、ムクゲネズミの背後に控えていた時と同じように無表情だ。その無表情が視線を落とした時だった。
ヤマネがげんこつでセスジネズミを殴りつけた。セスジネズミは床に手をつく。ヤチネズミは空気を読まずにヤマネを叱ろうと踏み出したが、カヤネズミに羽交い締めにされたまま臀部を膝蹴りされ、その悲鳴はハツカネズミの手の平で封じられた。
「ヤマネ…」
「何が『仕事』だ、ふざけんな!」
セスジネズミからの疑問を許さずにヤマネは叫ぶ。
「『仲間を守る』? それが『仕事』? 何様のつもりだよ! そうやって俺ら全員下に見てずっと高みの見物決めてたってか!」
「別にそんなことは…」
「そういうことなんだよ! お前がしてきたのは!!」
セスジネズミは口籠る。ヤマネの怒りは収まらない。肩を上下し胸を膨らませて長い息を吐くと、息を吸う気配もなく項垂れたまま固まる。無様な姿勢で腰を下ろしていたセスジネズミはその無言の長さに顔を上げ、微かに驚いた顔を見せた。俯いたままヤマネは泣いていた。
「バカにすんなよ……、ちゃんと、は、話せよ、背負い込むなよ…、」
もう喚かないと判断したのだろう。ハツカネズミはヤチネズミの口を覆っていた手を下ろす。カヤネズミの羽交い締めからも開放されてヤチネズミは前につんのめり、片足の痛みを思い出して膝をついた。四つん這いの格好で顔を上げると、セスジネズミが立ち上がり、泣きじゃくるヤマネに歩み寄るところだった。
無言の無表情が同室の同輩と向き合う。涙と鼻水と涎を流し、やっとのことで立っているヤマネは袖で顔をぐちゃぐちゃに拭うと、
「仲間、ま…もるのが…、しごとって……なら、おま…まえ、自分もちゃんと、まもれよ……」
セスジネズミは目を伏せる。ヤチネズミは目を凝らして耳を澄ませ、カヤネズミは目を細める。ハツカネズミがじっと後輩たちの喧嘩の着地点を見守る中で、ヤマネは最後に一言、
「おばえだって仲間だろうがあー!!」
言って天井を仰ぎ泣き崩れた。
セスジネズミの無表情が翳る。端から見てもすまなそうに項垂れ、肩をすくめて、
「うん、ごめん」
「わがりゃあいんだよぉお!」
ハツカネズミが破顔し、カヤネズミが満足そうに横を向いた。ヤチネズミは自らも鼻水を啜り上げてから、
「クソガキどもが」
泣き笑いで呟く。途端にヤマネが睨みをきかせ、セスジネズミは無表情に戻り、示し合わせたように振り向いた。
「うるぜえ!」
「じじいは萎れてろ」
「すっこんでろ!」
「口を挟むな」
「息を止めでろお!」
思いがけない総攻撃にヤチネズミは言葉を失い下顎を震わせる。その顔を見てハツカネズミが楽しそうに笑い、カヤネズミが「うぜえんだってよ、ヤッさん」とその背中に足を置いた。ヤチネズミは全身を使ってカヤネズミを振り払うと真っ赤な顔で立ち上がる。
「おい、お前ら!! この…ッ! ヤマネぇ!!」
「なんだあれ」
カヤネズミが真顔になって呟いた。