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00-49 ヤチネズミ【同室】

過去編(その2)です。

「ヤチぃ、こっち診てやって」


「こいつ終わってからな」


 食の細い五七(ゴジュウナナ)を保育器に戻しながらヤチネズミはシチロウネズミに返した。この時期でこの細さは異常だ。自分が抱き上げてもあまり泣かない子どもが気になったが、シチロウネズミに急かされてヤチネズミはその場を離れた。


「アイが背中さすれって言うんだけどさあ、なかなか上手くいかなくて」


「右向きで寝かしとけって。それなら吐いても詰まらないから」


「それもなんか心配だし」


 ヤチネズミは息をつくと子どもを乱暴に片手で持ち上げ、その背中を寒風摩擦並みにこすった。


「もう少し優しくやっても…」


 シチロウネズミがどぎまぎとしている間に、ヤチネズミの肩の上で子どもはげふっと空気を吐き、ついでに胃の内容物も出した。ヤチネズミの肩から背中がしっかり汚される。「うわあ…」と声を漏らしたシチロウネズミとは裏腹にヤチネズミは顔色一つ変えずに吐いた子どもを寝床に戻した。


「シチロウは甘いんだよ。もっと強めにやった方がいんじゃね?」


 注意しながらヤチネズミは上着を脱ぎ捨てる。


「アイ、洗っといて」


「乾燥が間に合っていません」


「聞いてないし。ちゃんとやっとけよ」


「汚し過ぎですよ、ヤチネズミ」


「俺じゃないじゃん! 餓鬼どもが…」


「俺の貸すよ」


 アカネズミが笑いながら上着を差し出してくれた。


「アカのはでかいんだよ」


 受け取りながら口を尖らせたヤチネズミに、


「ヤチがちっちゃいんだよ」


 シチロウネズミが先ほど吐いた子どもの口を拭いながら茶々を入れ、


「シチロウも変わんねえだろ!」


 怒鳴りつけたヤチネズミに、


「腕まくれば?」


 子どもを背中と腹に結び付けて、左右それぞれの腕にも別々に抱えて、全身で揺れていたハツカネズミが提案した。


「ヤチはすごいよね、何でも出来てさ。手も貸してくれるアイみたい」


 提案通りにアカネズミの上着を腕まくりしながら、ヤチネズミはハツカネズミから顔を背ける。


「別に。ハツたちがもう少しアイからちゃんと教わればいいだけじゃね?」


 照れ隠しで皮肉を言う。口元は嬉しくて歪に上ずっている。


「アイの話を最後まで聞くって何の罰だよ」


 シチロウネズミがげらげら笑う。


「俺もそんな忍耐ないわ」


 アカネズミが肩を竦めた。


「だからすごいんじゃん!」


 高揚したハツカネズミがシチロウネズミたちに強調した。突き出したその顔に、ちょうどおむつを替えられていた子どもの水鉄砲が直撃する。「ぅわあ!」と悲鳴を上げて後ずさりしたハツカネズミは、その腰で台上の哺乳瓶を倒して割って辺りにぶち撒け、慌てた拍子に滑って転んで尻から落ちた。四面に身に着けていた子どもたちを無傷で済ませたのだけはさすがだ。


「な〜にやってんだよぉ!」


 シチロウネズミが呆れて口をあんぐりとさせ、


「ほんっとにハツはそそっかしいね」


 アカネズミが苦笑し、


「間の悪さが天才的っつうかある意味すごいんじゃね?」


 ヤチネズミも言って一同が爆笑した。


「そこまで言わなくたっていいじゃん……」


 尻もちをついたまま情けなく唇を尖らせたハツカネズミは、


「アイぃ〜、みんながひどいよ。なんか言ってやって」


 とアイに加勢を求めたが、


「床の清掃を始めます。ハツカネズミは早急にその場を譲ってください」


 反対に注意されてさらに落ち込んだ。その様子を見てさらにヤチネズミたちは笑い転げた。


 自分にしか出来ないことなど無い。自分ができるくらいのことは大概、他の皆も出来ていて、むしろ自分が出来ないことを簡単にやってのける者の方がはるかに多い。だがそれが物事に向き合わない理由にはならない。皆が出来ることを出来ないならば自分が出来ることをすればいい。ヤチネズミが探し当てたのは皆が出来るがやりたがらないことを集中的に体得すること、つまり子どもたちを医療的観点から看護することだった。


 医療的処置は痛みが伴うことも少なくないため、手技を施した子どもたちにはことごとく泣かれた。二度と近寄らせてくれないほどに嫌う子もいた。だがそれは元々だ。そういうものなのだ。アカネズミは何もしなくても何でも出来るし、シチロウネズミはいるだけで場を和ませるのが特技だ。ハツカネズミは何も出来ない癖に子どもたちには好かれる。ならば自分は何をしても嫌われる役回りなのだろう。だが皆が嫌がって敬遠している間にひたすらアイの話を傾聴し続けた時間は、確実にヤチネズミの知識と技術を向上させた。アイの指示を仰がなくても出来ることが増えたし、その分野においてだけは皆よりも少しだけ詳しくなれた。こうして頼られるくらいには。


「そういえばさあ、」


 シチロウネズミが吐きこぼした子をあやしながら話しかけてきた。


「最近トガちゃん見ないよね」


「忙しいんじゃね? クマさんたちだって全然来なくなったじゃん」


 ヤチネズミは天井を見上げる。


「俺ら、もしかしたら今度会えるかも」


 アカネズミが言った。


「何それ? どゆこと?」


 と振り返ったシチロウネズミに、ハツカネズミが照れた様子でうつむき加減にはにかむ。


「俺とアカ、呼ばれた」


「え……」


「まじまじ? え? ハツも? うっそ! いつ? すごくねえ?」


 聞き直そうとしたヤチネズミを押し退けてシチロウネズミが上気した顔を突き出す。ハツカネズミは照れ臭そうに頭を掻いている。


「受容体って言われたけどまだ検査段階。でも少し外すこと増えるから」


 ハツカネズミに代わってアカネズミが答えた。


「まじかあ、おめでとう! いやいや、まじ、すごいって!!」


 興奮冷めやらぬ様子で同室を褒め称えるシチロウネズミの横で、ヤチネズミは何も言えずに立ち尽くした。アカネズミが呼ばれるのはわかる。でもハツカネズミも? あのハツが俺より先に……。

 ハツカネズミと目が合ってヤチネズミは唇を結ぶ。


「ごめん、ヤチ」


「……なに謝ってんの?」


「だって怒ってんじゃん」


 ヤチネズミは顔ごと視線を逸らす。


「ヤチとシチロウに負担かけちゃうことになるからさ、だから怒ってたんじゃないの?」


「……別に」


「ヤチは寂しいんだよ」


 シチロウネズミが割って入ってヤチネズミの肩に肘を置いてきた。


「みんな一緒がいいんだよな?」


「はあ? 何? 意味わかんねえし」


「そんな泣くなって。俺はそばにいてやるよ」


「勝手に話作んなよ、重いんだよ、全部シチロウの思い込みじゃん」


「照れ隠しぃ~」


 シチロウネズミの指で頬を突かれた。「やめろよ」と振り払いたかったがシチロウネズミの方が力は強かった。


「ごめんね、ヤチ」


 ハツカネズミが繰り返した。


「だから違うし」と否定したが、


「でもヤッちゃんがいるからこいつらも安心だよ」


 アカネズミが真正面からそんなことを言うから、ヤチネズミは何も言えなくなる。


「ちょちょ、ちょっと! 俺は?」


「シチロウは心配」


「ハツが言うな!」


「ヤッちゃんの足手まといになるなよ」


「いやいやいや。俺がヤチのお守りしてんだよ? 知らないの?」


 ハツカネズミとアカネズミに茶化されたシチロウネズミがそれに合わせておどけて見せて、その顔があまりに間抜けで揃って皆で噴き出した。ヤチネズミも笑って見せたが上手く出来ていなかったことは確かだ。その後三度、ハツカネズミが気まずそうな視線を送ってきたことがその証拠だった。



* * * *



「ヤチしかいないと辛気臭いなぁ~」


 シチロウネズミが頬杖をつきながら隣でぼやいた。ヤチネズミも腰を下ろして頬杖をついたまま、あからさまに嫌そうな顔をした後でそっぽを向く。


「シチロウしかいないと仕事多くてやってらんねえわ」


「ちょちょ! 俺がいないと困るのはヤチのほうじゃね?」


 シチロウネズミが本気で慌てて見せてきたから、ヤチネズミは鼻で笑った。

 新生児室の次に配属されたのは農作業という名の幼児の世話だった。野菜の栽培と収穫を指導することになってはいるのだが、子ネズミたちは走り回ってばかりだ。休憩時間と言っているのだから休めばいいものを、走ることが今生の喜びとでも言いたげに、つくづく楽しそうに身体を動かし続けている。


 幼児にもなると大分子どもたちの数も減る。半数以上は『よぎしゃ』になり、トガリネズミが世話をしていた子どものようにごく幼い頃から名前を与えられていた子どもは徐々に来なくなり、周囲に比べて発達の遅れが目立つ子は顔を見なくなった。そして体重の増加が不安視された五七(ゴジュウナナ)はあの後すぐに短い命を終えた。


「お~い、転ぶぞそこ! ええっとぉ…ヤマネ?」


「セスジネズミ」


 奇声を上げて走り回る子どもを注意しようとしたシチロウネズミだったが、まだ子ネズミたちの名前を覚えきっていないらしい。


「セージぃ、転んで骨折ってもいいから芋、踏むなよ」


 代わってヤチネズミは窘めたが、


「うっせえ! じじいはしおれてろ」


「ちび!」


「おに!」


「ふけがお!」


「おい! 何つった今! ああ!?」


 反対に集中攻撃を受け、堪らず立ち上がって怒鳴り返した。子ネズミたちはぎゃーぎゃー騒ぎながらさらに走って逃げていく。


「俺がいないと困るのはヤチだろ?」


 にやにやしながらシチロウネズミが下から見上げてきたものだから、ヤチネズミは憮然として腰を下ろし、そっぽを向いて頬杖をついた。


「遊んでやれば?」


「絶ッ対やだ」


「拗ねネズミぃ~」


 笑いながらシチロウネズミが肩を組んできた。ヤチネズミはされるがままに抱きつかれながら息を吐く。息を吐いてシチロウネズミの肘の内側に気付いた。


「何これ」


「あ、これはその…」


「呼ばれたの?」


 シチロウネズミは気まずそうに腕を引っこめる。ヤチネズミは真顔になってシチロウネズミの横顔を見つめた。そして、


「よかったじゃん。上行くんだ」


「まだ検査段階だし……」


「確定じゃん」肩を竦めるシチロウネズミの言葉を遮り正面から覗きこんだ。


「おめでとう、シチロウ」


 ヤチネズミは祝福した。だがシチロウネズミは気まずそうに俯いたままだ。


「なに? もっと喜べばいんじゃね?」


「……ごめん、ヤチ」


「なに謝ってんの?」


「だって、」


 シチロウネズミは肩を竦めたまま気まずそうに、


「俺はそばにいるって言ったのに……」


「ばかじゃね? あ、シチロウはばかか」


「何だよ、その言い方!」


 シチロウネズミがようやく普段通りにおどけてきたので、ヤチネズミは普段以上に意地悪くいじってやった。


 追いつけたと思ったらすぐに置いていかれる。どんなに同じ場所に立とうとしても絶対にアカネズミには敵わない。自分より出来が悪いと思っていたハツカネズミにはいつの間にか抜かされていた。

 だったら皆とは違う仕事を物にしようと足掻いてみたのに、少しは足手まといを返上できたかと期待した途端、アカネズミたちはまた一段、上に行ってしまった。何をしてもヤチネズミは見上げることしか出来ない。

 シチロウネズミとだけはいつでも同じ位置にいられそうな気がしていたが、どうやらそうもいかないらしい。自分だけが違うみたいだ。


 やれば出来る程度のことならさっさとやればいい。だが努力ではどうしようもない部分については出来ることがない。ヤチネズミの身体は『受容体』には向かない。なぜアカネズミとハツカネズミだけが先に上階に呼ばれたのかアイに問い質した時につきつけられた理由だった。体質は努力では変えようがない。何をしてもどうにもならないことというのはあるのだ。アイの力でも五七(ゴジュウナナ)の呼吸が再開しなかったのと同じように。


「トガちゃんに会ったらよろしく言っといて」


「だいぶ先の話だよ、それ。まずは検査、検査。それ終わってようやく訓練って言うじゃん」


 アカネズミたちは今、どの辺にいるのだろう。自分は今、どこにいるのだろう。また一歩先に行ってしまった同室の同輩とじゃれあいながら、ヤチネズミは顔とは反対の後ろ暗い思いを腹の中に押し隠した。



* * * * 



「お? 鬼のヤッさんじゃないですか」


 隣室の同輩が通路の先から話しかけてきた。そういえばこいつもまだ同じ場所にいたんだっけ、とヤチネズミは憮然とする。


「どうも。仮面のカヤネズミさん」


「俺、()ネズミ(きども)にそんなふうに呼ばれてんの?」


 眉尻を下げた間抜けな顔を指差したカヤネズミに、ヤチネズミは鼻で笑った。


「『腹黒カヤさん』とも言われてたよ」


「『仏のカヤさん』でいいじゃん」


「アカには敵わないだろ」


 ヤチネズミの言葉にカヤネズミは同意した。


「聞いたよ。シチロウも呼ばれたって?」


 カヤネズミはヤチネズミが隣に来るまで待ってから、肩を並べて歩き出した。


「そっちはドブネズミだっけ? 先越されたって聞いたけど」


「ブッチーな。って先越されたとか言うなって。結構傷ついてんだから」


 まさか後輩の方が先に呼ばれるとはカヤネズミも思っていなかったらしい。だが言葉とは裏腹に悲壮な感じはおくびにも出さず、おどけて顔の中央に皺を寄せつつ唇を尖らせる。


「こっちも同じだよ。セージとヤマネが呼ばれた」


「ヤマネと誰?」


「セスジネズミ」


「ヤチんとこはその前にもいたよな?」


「ヒミズって言いたい?」


「そうそう、ヒミズ!! あの調子こき!」


「その調子こきにも先越されたよ」


 答えてヤチネズミは息を吐く。つられたそぶりでカヤネズミもため息をついて見せる。


「育児担当で最年長って肩身狭いよなぁ」


 切なそうにカヤネズミがぼやいたから、


「お前は餓鬼どもに受けいいじゃん。適材適所なんじゃね? だからあえて呼ばれないんだよ」


 ヤチネズミは憶測を言った。半分は慰め込めたつもりだったのだが、


「何それ。俺はずっと地階(ここ)から出るなって?」


 カヤネズミはヤチネズミの意向を受け止めてくれなかったようだ。瞬間沸点を越えた視線を向けてきた。


「違うって」


 言い訳をしながら善意であっても下手なことは口にするものじゃないな、とヤチネズミは顔を背ける。


「顔色が優れませんね。何かありましたか?」


 雰囲気を察知したのだろう。アイが余計な口出しをしてきた。案の定、


「呼んでないよ、アイちゃん。出てくんな」


 仮面の笑顔のカヤネズミに八つ当たりの標的にされた。音声が途絶える。と思ったのだが、


「冷静に聞いてください、カヤネズミ。できますか?」


 あまり聞いたことのない呼びかけに、ヤチネズミとカヤネズミは険悪さも忘れて顔を見合わせた。

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