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00-130 ヤチネズミ【安置所】

過去編(その81)です。

 遺体安置所………、『安置所』? 

 安置じゃないだろう、安置じゃ。意味と言葉が違い過ぎて笑えてくる。放置、放棄、廃棄、遺棄。借り置き、でもいいかもしれない。少なくとも大切に保管されている様子は微塵もない。


「止まってんな」


 松明を掲げたカヤネズミが壁際で呟いた。上着を首巻き代わりにして目元以外の頭部を覆い、片手で剥がした壁板の中を覗きこんでいる。


「オオアシですか?」


 尋ねたヤマネに「いや」と首を振り、カヤネズミは壁板を嵌め直した。


「この『部屋』は普段からほとんど干渉されてないんだろ。強いて言えば温度管理だけだな」


「何のために?」


 扉を潜った時から感じてはいたが、外気に比べて生温い。しかし慣れた後では微妙に肌寒く感じるこの温度は、


「……白骨化」


 ヤチネズミの言葉にヤマネとカヤネズミが振り返る。


「どゆこと?」


 ヤマネが怪訝そうに首から上を突き出し、カヤネズミは部屋全体を見回して「なるほどな」と言った。


 ヤチネズミたちが侵入した空間は、夥しい数の遺体の山で埋め尽くされていた。安置ではない、絶対ない。折れ曲がり、重なり合い、向きも角度も北枕もあったものじゃない。『死者』ではなく『物』として扱われたと考えられる彼らは、腐敗度合いによっていくつかの山に分類されていた。あたかも損壊したアイの破片のように。動かなければ意味を持たないと判断され、分別後の処分を待つ部品のように。物言わぬ彼らは異臭と汁と気体を放出しながら質量を減らしている。


「アイの管理下じゃないって、じゃあこれ……、ここにいる連中は誰が埋葬するんですか?」


 ヤマネは一部、侮辱的表現を言い直しつつカヤネズミに質問する。


「『普段』って言ってんじゃん。定期的に監視しにみにきてはいるんじゃないか? アイも」


「定期的?」


「だから…」


「一定の温度と空気成分で保ってやれば腐敗の速度を上げられるんだよ。下手に手を出さない方が早いこともあるから」


 カヤネズミとヤマネの問答にヤチネズミも参戦する。しかしヤマネはまだ腑に落ちないらしい。ヤチネズミは口に出すのも憚られる予測を渋々伝えようとしたが、


「時間に任せて勝手に骨になってくれるのを待ってんだって」


 カヤネズミが先に結論付けを述べた。


「え……」と固まったヤマネに向かってカヤネズミは更に続ける。


「手間暇かけるより放置の方が節電になるだろ? 水分含んだずた袋よりもかっすかすに乾いた『がわ』の方が粉砕も運搬も楽って発想だろうな」


 もう少し別の表現はなかったのかとヤチネズミは思う。しかしカヤネズミの説明は非常に簡潔でもあった。 


「骨になった後はどうされるんすか?」


 最も腐敗が進み、すでに放出するものがなくなった白い山を見つめてヤマネが言う。


「砕いて掃いて、風任せとか?」


 砂と言われればそうとしか思えない、床を覆う粉末を眺めながらカヤネズミが答える。


「せめて埋めましょうよ」


 ヤマネが声を震わせる。


「アイに言えよ」


 カヤネズミが一蹴する。それからまだ腐敗途中の山に細めた目を向けて、


「焼いてやった方がまだいいよな」


「火葬ってやつですか? 感染症以外でそんな贅沢しませんって」


 ヤマネが泣き笑いみたいな声で言い返した。その横でヤチネズミは唇を噛みしめる。


 火葬でも土葬でも風葬でも、正直なんでもいいとヤチネズミは思っていた。地上活動中は慣例に従って埋葬ばかりしてきたが、埋めるだけが弔いではないだろう。遺体を尊び、その主の死を悼む気持ちがあれば、方法など何でも構わない。その気持ちさえあれば。


「トガちゃん……」


 カヤネズミとヤマネが振り返る。カヤネズミは憐憫の眼差しを隠すように顔を背け、ヤマネは一瞬ぽかんとしてから、「あ……」と目を見張った。


 多くの期待を寄せられていたトガリネズミは、特別視されていたはずの貴重な生産体は、果たしてどのように葬られたのだろうか。検査途中で死亡したネズミはアイによって輸送される。当然丁重に弔われていると思っていた、ここに至るまでは。


 トガリネズミだけではない。恐らくは他の生産体も多くの受容体も、検査を生きて通過することが敵わなかったネズミたちは皆、名もなき死体としてここに輸送され、白骨化の進むままに放置され、砂となって初めて地上に送り出されたのではないだろうか。なぜなら治験体が、ネズミと同じように薬の精製にその身を投じられる治験体たちがそのように取り扱われているから。


 ヤチネズミたちの視線の先には、ヤマネが連れてきた子ども。無口で無表情な子どもは一定の間隔でとある遺体を蹴り続けていた。ヤチネズミにも見覚えがある。天井裏から治験室を覗き込んだ時に目があった男だ。ヤチネズミを見つめて涙したまま息絶えた治験体は、あの時と同じように両瞼を開いたま、遺体の山の中に埋もれていた。


「や、やめなよ」


 ヤマネが子どもに駆け寄って肩を掴む。しかし子どもはその手を振り払い、またあの男の遺体を蹴り始める。表情は無い、言葉も無い、何を考えているかわからない子どもの行動を止める術を、ヤチネズミたちは持っていない。


「よくないよ、やめなって……」 


 困り果てたヤマネを下がらせて子どもを抱え上げたのはハツカネズミだった。男の遺体に足が届かなくなった子どもは、ハツカネズミの腕を掴み、叩き、噛み付いて必死に逃れようとする。


「ちょっと…」


 言いかけたヤマネが口を噤む。ハツカネズミが子どもを抱きしめたからだ。腕の中でなおも暴れ狂う子どもの攻撃を受け止めながらハツカネズミが一言、


「ごめんね」


 ヤチネズミには何についての謝罪なのかわからなかった。


 だが子どもには伝わったらしい。誰の言葉も何の制止も一切受け付けなかった無口で無表情の子どもが突然、ぴたりと動きを止めた。


「悲しいね、辛かったね、」


 子どもの目が見開いていく。


「ごめんね」


 子どもが口を大きく開けた。全身を楽器にしたかのような野太く、一定の音程の声が発せられる。

 おそらくこの子どもが言葉を話せないだろうことは、ヤマネさえも気付いていた。しかし言葉を持たないことが即ち無感情とは限らない。感情を持たない者などこの世にいない。生産隊から逃れる時にも発していた特徴的な単旋律のそれはしかし、同じ音程、同じ声量、同じ声でも意味と思いはまるで異なっていた。言葉にならない声を発しながら子どもは泣いていた。無表情な顔がぐちゃぐちゃに濡れていく。ハツカネズミの袖を力いっぱい握りしめて、子どもは力の限りに泣き叫んでいた。


 ヤマネがもらい泣きを始めてカヤネズミに後頭部を叩かれる。カヤネズミの注意とヤマネの言い訳に隠れて、ヤチネズミは鼻水を啜り上げる。ハツカネズミの横顔を盗み見て、ばかやろう、と呟いた。


 何が『ごめん、わかんない』だ。どんだけ嘘つきなんだよ。ハツお前、ちゃんとまだあるんじゃん。


 怒りさえ滲ませた視線はすぐに気付かれて、ハツカネズミが振り返った。ヤチネズミは咳払いに紛れさせて鼻水を袖で拭い、ヤマネは隠しもせずに啜り上げる。


「見つけたか」


 カヤネズミの問いかけにハツカネズミは頷いた。涙目のヤチネズミとヤマネが顔を上げる。


つけたって何を?」


 鼻声に気付かれてヤマネに覗き込まれたが、ヤチネズミが言い訳するよりも先にカヤネズミが息を吐いた。


「処刑室に決まってんだろ」


 もう悪口の種類も底をついたのか、カヤネズミはそれ以上何も言わなかった。ヤマネがハツカネズミに駆け寄り、「あいつの…!」と言いかけたのに頷いて見せて、


「行こう」


 しがみついて離れない子どもを抱きかかえたまま、ハツカネズミが歩き出した。





 滑り台にしか見えない。場違いな遊具もあったものだ。カヤネズミが松明を翳して急勾配の先を照らさんとするが、その出発点は高い闇の中に溶けていく。


「ここしかないと思うんだよね」


 子どもを肩車して傾斜の先を見上げながらハツカネズミが言う。


「なんでそう思うんすか?」


 ヤチネズミと同じ感想を持ったヤマネが尋ねると、途端にカヤネズミがため息をついた。


「治験室で見ただろ? 輸送機だよ」と、まだ意味深な言い方をする。


「治験室はかなり上階うえだったろ? ここまで距離がある時は輸送機使って運んできたけど、ここから直結してる場所からの遺体なら?」


「運ぶ必要がない!」


 謎かけに正解したヤマネにカヤネズミも微笑む。だがその横から首を伸ばし、


「……どゆこと?」


 尋ねたヤチネズミには凶悪な視線を寄越した。


「ヤッさぁ〜ん……」


 ヤマネまでもが悲しげに哀れむ。


「仕方ねぇだろ! わかんねぇもんはわかんないって…!」


「輸送機を動かす電気を節約したいから、近場の遺体は『落とし』てるんだよ」


 ハツカネズミが言って滑り台に手をかけた。


「セージはまだ落とされてないみたいで一安心だけど、」


 周囲の床を見回してから頭上を睨みつけ、


「まるでごみ箱だ。地下じゃあるまいし」


 全身を強張らせた。


「俺らは無理だぞ」


 カヤネズミがその背中に伝える。


「こんな傾斜は登れないしあんな垂直も降りれない」


 登るつもりか!? ヤチネズミが驚いた時、


「俺は行けるから」


 ハツカネズミがにっこりと笑って、自分の背中を顎で指した。ヤチネズミたちは顔を見合わせ、戸惑うヤマネを連行してハツカネズミの身体にしがみついた。

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