00-127 ドブネズミ【時】
過去編(その78)です。
「……お前のやりたいことって?」
ドブネズミは尋ねる。
「特にないっすねぇ〜」
オオアシトガリネズミはいつものようにへらへらとはぐらかす。
こういう奴なのだ、昔から。ドブネズミは三度、鼻筋に皺を刻むと、今度こそこのふてぶてしくて舐めた態度の嫌な奴を置いていこうと踵を返した。
「あ、でもぉ、」
返したのに! その途端にこうしてまた後ろ髪を引きやがる!
「まだ死にたくはないっすねぇ〜」
またそれか。
「行くぞ、カワ」
「あとぉ、」
「カワ!」
「は、はい」
「まだ死んでほしくもないっすね」
カワネズミが動かない。上官として命令したのに足を動かさない。しかしそれはドブネズミも同じだった。
―まだ死ないって―
まだっていつまでですか。
―それはわかんないって。けどマッさんも突然死だったみたいだし同じ薬の俺もきっとそうなる―
誰にも言うなよ、という条件で、お前しかいないだろ、と肩を揺すられて、
―だからブッチー―
他の奴らには滅多に見せない、素の眼差しで、
―後は、頼むな?―
「………カワ、ワタセ、」
隣室の後輩たちに支持を出す。
「悪いが先に…」
「行きませんよ」
決心を遮られたドブネズミはカワネズミに顔を向ける。
「俺も残ります」
カワネズミも見上げてきた。
「お前はこいつらとこの子を…」
「俺らも残ります」
ワタセジネズミも見上げてきた。
「きっとタネジジさんたちもおんなじこと言うはずです」
「しかし……」
言いかけてドブネズミは背中の子を見遣る。オオアシトガリネズミに凄まれてからすっかり萎縮した子どもの横顔。
「お前、」
子どもが顔を向ける。
「お兄さんたちと一緒に残ってもいいか?」
何を聞いているのだ、と自分で思う。こちらの事情もこの状況も理解出来ていないだろう年端もいかない子どもに与える選択肢ではない。嫌だと言われてもどこに行かせられる訳でもない。ましてや治験体だ。話のわかる相手でもなかろうに……
「おじさんのこるの?」
「お兄さんたちは残る」
「おじさんは?」
「………おじさんは残る」
「おじさんネズミだから?」
ドブネズミは子どもの言わんとすることがわからず答えあぐねたが、
「おれもネズミだからのこる?」
そう言えばかつてはネズミだったと、この治験体の子は言っていたか。
「そうだ。ネズミだから残る」
『お兄さんは』という主語を言い忘れたが、子どもは別の解釈をしたのだろうか。「うん!」と大きく頷くと、またあの懐っこい満面の笑みになった。
ドブネズミの頬もつられて綻ぶ。ごく当たり前のように、流れるような動きでドブネズミは抱えていたジネズミを足元に落とすと、その手の平は背中に負う子どもの頭を撫でていた。
カワネズミはすでに、ワタセジネズミを引きずりながらオオアシトガリネズミの傍らに立っていた。ドブネズミも眠り続けるタネジネズミたちを安全な場所に移動させて合流する。
「言っとくけど別にお前に言われたからとかじゃねえからな」
ぶすっとしたままカワネズミは、塔の外壁に向かって強がる。
「俺はなんにも言ってませんよお〜」
オオアシトガリネズミはカワネズミを見もしないでいつものようにへらへらと笑う。
「お、俺だってお前なんか…」
ワタセジネズミも先輩に倣って啖呵を切ってみせるが、
「はいはい」
オオアシトガリネズミは余裕の表情であしらう。
「ほ、本当だからな! 俺らのこれはハツさんたちのためでお前なんて…!」
「何やりゃいい」
両手を空けたドブネズミが月明かりを遮って言った。見るとタネジネズミとジネズミは砂の上に横たわらされている。オオアシトガリネズミは片頬を持ち上げた。
* * * *
「地上一階と他の階を分ける必要があります。塔全体を一括で操作するなら設定だけしときゃいいんすけど、一階部分だけってなると話が違って…」
「結局、何すりゃいいんだよ」
オオアシトガリネズミの説明を遮ってワタセジネズミが急かす。
「初心者にもわかるように話してんのに黙って聞いてられないもんかなぁ」
すかさず不満を垂れるオオアシトガリネズミ。
「難しいことは俺らよくわかんないからさ、要点だけまとめろって頼んでんじゃん」
カワネズミが始まりかけたいがみ合いを仲裁するが、
「手動でいくか」
ドブネズミが話を進めた。
「理屈はわかるがこんな外側からアイの中枢をいじれるか?」
「無理かな〜とは思ったんすけどあったんですよ、運よく。多分近くにアイが神経使わなきゃいけないもんがあるんでしょうねえ」
「線路か」
「さすがブッさん、話が早くて助かります」
ドブネズミとオオアシトガリネズミが難しい単語を出し合って意見交換し始めた。カワネズミとワタセジネズミは目を見合わせ、口を挟まないことが自分たちの求められていることだと頷き合う。
「あとはこいつをその都度ここから離してやればいいんすけど、」
「原始的だな」
「確実性を重視してです」
「力づくでってことか」
「直接的なアイの触れ合いって言ってくださいよぉ」
「何で触るんだ?」
「それなんです」
ドブネズミが基盤の迷路からオオアシトガリネズミに視線を移す。オオアシトガリネズミはそれを受け取り肩を竦めて、
「絶縁体なんて、ブッさん、持ってないっすよねぇ〜?」
はにかんだ頬を指先でかきながら説明を続けた。
「原理も仕掛けも今話した通りなんすけど問題の手段が手詰まりで……」
ドブネズミは自分の右手を見下ろす。無骨な手だ。器用さは欠片もない。だが、
「圧はどれくらいだ」
ドブネズミの質問にオオアシトガリネズミは腕を組んで、
「自動二輪で跳ねられたくらいの衝撃かなぁ〜と」
踏ん張れば耐えられるか。
「や、もすこし強いかな? 運が良ければ気絶止まり、悪ければ一発心停止」
今の自分ならば意識が飛ぶことはないだろう、カヤネズミのおかげで。ならば、
「だから駄目っすよ」
握りしめた拳の向こうから、オオアシトガリネズミが白い目で睨みあげていた。
「死なせない手伝いするのにブッさんが死のうとしないでください」
オオアシトガリネズミの一言に、無言を維持していたカワネズミたちがぎょっとする。
「ブッさんが死ぬって??」
カワネズミの問いかけに、
「高圧電流に腕突っ込んで自殺しようとしてるんすよぉ」
オオアシトガリネズミが眉尻を下げ、顎でドブネズミをしゃくって柄悪く答える。
「自殺ぅ?」と戸惑ったワタセジネズミに、
「死ぬとは限らないだろ。一か八かでやってみようって話だ」とドブネズミ。
「一でも八でも死にますって」
呆れて頭を振るオオアシトガリネズミはさらに、
「犠牲が美徳って考え方、やめてもらえません?」
冷めた視線が細めた瞼の向こうから注がれた。ドブネズミも顔をしかめて、
「誰かがやらなきゃいけないことだろ」と言い放った。
「必要な手段なんだろ? だったらこの場で最年長の俺が被るのが道理だろ」
「年上から順々に死んでいくほど平和な場所にはいないでしょう。何に負い目感じてるのか知りませんけどブッさんはどこまで行ってもブッさんですよお?」
「負い目なんて何に…」
「逆立ちしたってヒミズさんにはなれませんって」
ドブネズミは一瞬で赤面した。
「おじさん?」
オオアシトガリネズミにびくびくしながらも、背中の子どもが顔色をうかがってくる。カワネズミが無言の目力で子どもを黙らせているのも、ドブネズミにとっては恥ずかしさを倍増させる要因でしかない。
「……あのぉ、」
ドブネズミとオオアシトガリネズミが険悪になりかけたその横で、砂の上に横たわったままのワタセジネズミが久方ぶりに声を上げる。
「多分それ、俺の仕事です」
「は?」と振り向いたカワネズミには応じずに、ワタセジネズミはドブネズミに顔を向けて、
「電気の中に腕突っ込んでなんかすればいいんすよね?」
再度、手順を確認した。
「……高圧電流が流れる導線を引き千切るんだ。時計が動く時に拍動するから手の平で感じ取った瞬間にその流れを遮断する。そうすればその部分だけアイの時計は止まる。だが導線はすぐに修復するし電気が流れ始めたらアイは復旧するから、その都度また導線を千切ってやれば時計を巻き戻し続けることができる」
「さっきまでは勝手に焼けて千切れてくれるように設定してたんだけど、ヤチ先輩に言われて今はまた正常に動いてる状態。束になってるこれのこいつが一階部分ってのはわかったんだけど素手で触るのはねぇ」
と、オオアシトガリネズミは項に手を当てる。
「触った途端に感電死か、ぎり拍動感じ取ったとしても引き千切れるのは一回ぽっきりで千切った奴は一瞬でぽっくり逝っちゃうおまけ付き」
「だから絶縁体」
カワネズミ納得して呟く。その横からワタセジネズミが再び首を伸ばして、
「俺やります」
右手を顔の横に上げて言った。わずかにだが体力が戻ってきたようだ。
「お前の仕事ってどゆこと?」
カワネズミが首を傾げたその後ろで、オオアシトガリネズミがぱっと顔を上げてワタセジネズミを凝視した。その視線を受け取ってワタセジネズミも頷き、這いつくばりながら移動を始める。唖然として遅れを取ったドブネズミは、
「おい!」
慌ててワタセジネズミの行く手を遮った。
「一番若手が死に急ぐな! そんな役割お前が引き受けなくたって…」
「絶縁体」
カワネズミが再び呟く。眉毛をひん曲げて振り返ったドブネズミにカワネズミが大声で叫ぶ。
「ブッさん! こいつ絶縁体!!」
「…とはちょっと違いますけどねぇ」
オオアシトガリネズミがへっと笑い、ワタセジネズミがえへっとはにかんだ。