00-124 ヤチネズミ【懇願】
過去編(その75)です。
「離せバカ!」
動転したヤチネズミの肩をカヤネズミが引き、オオアシトガリネズミを解放する。
「バカかお前、せっかく時間稼ぎしてんのに元に戻したらセージが…」
「アカが治療中なんだ」
カヤネズミを遮ってハツカネズミが言った。
「アカが重症なんだ、アイが治療してる。治療の最中でアイにそんな不具合起こされたらアカがどうなるかわかんない」
ハツカネズミの横で、真っ青になりながら口元を手の平で覆うヤチネズミは小刻みに震える。
「治療中?」とカヤネズミ。
「重症って……」カワネズミの疑問に、
「ヤチが撃ったの。アカの心臓」
ハツカネズミが簡潔に答えた。一同の驚愕と困惑の視線がヤチネズミに集中する。
「ばッ…、おまッ! 何考えて…」
「重症って? だってアカネズミさんてだってハツさんと同じ…」
「回数いっぱいいっぱいだったみたいで上手く再生できてなくて」
「なんでんなとこ撃ってんだって聞いてんだって…!」
「俺だよ! 俺が喧嘩しちゃってヤチはそれを止めようとして……」
カヤネズミとカワネズミの質問にハツカネズミは答えていく。オオアシトガリネズミはどこかを見つめて口を開いたまま固まり、ヤチネズミは項垂れて瞬きを忘れている。
「だからってアイを戻したらセージが死ぬんだぞ?」
「でもアイに治療してもらわないとアカもどうなるかわかんないじゃん!」
「ハツさん……」
「セージを見捨てんのか? あいつが今までどんな思いで俺たちを守ってきたかお前、わかってんのか!?」
「カヤさん、そんな…」
「でもアカが死ぬのもやだ!!」
カヤネズミとハツカネズミが唾を飛ばしあい、間でカワネズミとドブネズミが右往左往する。ヤチネズミは頭を抱えて膝をつき、動けないワタセジネズミはただただあわあわと周りを見回すことしか出来ない。そんな狂騒の中でもタネジネズミとジネズミは眠りこけている。
「何階っすか」
じっと押し黙っていたオオアシトガリネズミがぼそりと言った。カワネズミはその呟きに振り返ったが、年長者たちは大声でまだ怒鳴り合っている。
「なんて…?」
「そいつがいるのはどこだって聞いてんだよ!!」
地面に座り込んだ男の恫喝に辺りは一瞬で静まり返った。ハツカネズミは驚きのあまり丸くした目を二、三度│瞬かせ、カヤネズミも唇を閉じて喉を上下させた。ヤチネズミが顔を上げて涙目を向ける。
「地下……、三階……」
叱られて縮みあがった子ネズミのような声で、ヤチネズミが途切れ途切れ答えた。
「地下三階」
「でも集中…治療室に連れてく、とも、アイは…」
「近いのは地下八階、重体なら地下十四階」
口中で繰り返すとオオアシトガリネズミは両手を砂について身体を移動させ始めた。塔の外壁にたどり着くと、めぼしい場所を探して壁板に手をかける。
「オオアシ……?」
鼻声で呼びかけたヤチネズミに、
「アイの健忘症を処刑室のある地上の一階だけに限定してみます。そうすれば他の階は正常に動くはずです」
「んなことできんの?」とカワネズミ。
「いっそのこと一階だけ全停電とか…」言いかけたワタセジネズミを、
「停電は大規模だからすぐ復旧しちゃうんだよ」オオアシトガリネズミが遮った。
「軽い不具合のほうが時間を稼げるってのは俺もそう思う」
カヤネズミに説得されてワタセジネズミ下を向く。オオアシトガリネズミはなおも手を動かしながら、今度は背後の先輩たちに説明を続けた。
「他の階が普段通りに動き始めれば、地上一階の不具合なんてアイならすぐ気付くはずです。このまま置いておけばまだ十分くらいはもったかもですけど、もう三分ないと思ってください」
「頼む」
ヤチネズミが鼻声で、
「アカをだすけで……」
片頬を持ち上げてオオアシトガリネズミが鼻で笑った。
カヤネズミもオオアシトガリネズミのそばに向かった。何をすべきかわかっていたのだろう。言葉も交わさずに慣れた手付きで早速作業に取り掛かる。ハツカネズミは仲間たちを見回すと「うん」と頷き、
「わかった。なら俺はセージのとこに行ってくる」
残された問題の解決を買って出た。しかし、
「お前はもう動くな!」
カヤネズミの声に立ち止まる。
「え……、でもセージ…」
何事かを言いかけたハツカネズミに背を向けてカヤネズミは、
「頼めるな?」
ドブネズミを指名した。ドブネズミは唇を舐めると「俺はっ!」と言いかけたが、カヤネズミに見据えられて俯き、顎を引く。
「俺も連れてってください!」
カワネズミがドブネズミの前に歩み出た。
「俺だってあいつらの同室です。俺だってセージには一言言ってやりたいことが…」
「お前、走れないって言ってたじゃん」
目元を拭うヤチネズミの一言にカワネズミはむっとした顔を向け、
「だから連れてってって頼んでんじゃん!」
強気に依存心をひけらかす。
「少しは出来ることを探せ」
ドブネズミがため息混じりにカワネズミを抱えてカヤネズミに向き直り、
「すぐ戻ります。だからそれまでは…」と言いかけたが、
「あ、あの! 俺も同室です!」
砂の上に寝そべるワタセジネズミも声を上げる。ドブネズミは若干顔を歪めてワタセジネズミを見下ろしたが、
「お前は後輩だろ」
鼻水を啜り上げるヤチネズミの横槍が入る。
「同室には違いないし!」
先輩に食って掛かるワタセジネズミ。ハツカネズミも便乗して、
「なら俺だって同室だし」
などと言ってどさくさに紛れて足を踏み出す。
「待てハツ!」
慌ててヤチネズミがその上着に縋り付き、ドブネズミが両脇にカワネズミとワタセジネズミを抱えたままハツカネズミを止めようとした時、
「これ以上仕事増やすな運動以外は大体音痴の暴走バカが!!」
カヤネズミが怒鳴りつけた。
「おんち……音痴? 音痴って言った? 俺が?」
ハツカネズミは憤る。もっとも、それが単なる悪口でないことにハツカネズミ自身は気づいていないのだけれども。
「あのさぁカヤ、周りを馬鹿にするのも大概にしたら? 地上十八階から飛んだことは謝ってるじゃん。いつまで根に持ってんだよ。それともあのままアイに捕まった方がよかった? 結果的にみんな無事だったのは俺のおかげもあるんじゃないの? なのになんでそうやって…」
「おいバカ、そこのバカを何とかしろ」
カヤネズミはハツカネズミを無視してヤチネズミにも指示を出す。その不遜さがまた鼻について、ハツカネズミはさらに唇を尖らせて言い返そうとしたが、
「おじさん! あれなに? あれ!」
ドブネズミの背中にがんじがらめになって貼り付けられた子どもが、ドブネズミを蹴ったり叩いたりしながら彼方を指差した。
「あれなに? アイ? おじさんあれ、あれ!」
「おじさんじゃない」
子どもの攻撃にむっとしながらドブネズミは振り返る。ハツカネズミも騒がしい子どもを横目で見たが、ここで目を反らしては負けな気がして、ぐっと顎を引きカヤネズミを睨み下ろす。が、不意に視界が傾いた。原因を探すとヤチネズミが袖を掴んで引いている。
「何? ヤチ…」
「あれ……」