00-107 カヤネズミ【口撃】
過去編(その58)です。
「コウベ!」
「コウベさん!!」
「アイは…」
「まだ復旧しません」
「コウベさん!!」
コウベモグラは打ち所が悪かったらしい。なかなか起き上がってこない。それを囲む生産隊の横でカヤネズミはドブネズミを従えて仁王立ちする。武術大会の決勝戦のような空気を放ち合い、怒髪天を衝きぬけて無表情にさえ映るコジネズミと対峙する。
ドブネズミの尻込みを皮膚で感じた。大丈夫だって、と言ってやりたいところだがカヤネズミも怖い。めちゃくちゃ怖え! 超怖え!! なんだよこいつの威圧感。ちびりそう。
「カヤ……」
足元に転がる粗大ごみが呼びかけてきた。粗大ではない、粗小ごみだ。矮小なごみ以下の煩わしい馬鹿は事態の説明と助けを求めてくる。求めてくんな、こっち見んな、あっち行け。カヤネズミはやはりヤチネズミを殴りたくて仕方ない。
「死刑囚、」
コジネズミが呟いた。カヤネズミは足元に移りかけていた視線を慌てて正面に戻し、にやりと口角を持ちあげる、皮膚の重みを痛感しながら。
「お前だろ? ムクゲさん殺したの」
正確には自分は未遂で完遂したのはセスジネズミなのだが、
「だったらなんすか?」
満面の笑みを向ける。まだ微かに引き攣るが、手指ほどの痛みはない。仮面を繕いながらカヤネズミは自身の回復力に感謝した。いいぞ。負けるな、俺の表情筋。
「『なんすか』じゃねえよ」
コジネズミが声色を変えた。身構えたドブネズミをカヤネズミは片手で制止する。ドブネズミがちらりと見下ろしてきて、黙って居住いを正した。
「与えられた仕事はきちんとこなせって言ってんの。こいつらですら治験体として静かに死んでってんだからさ、死刑囚なら死刑囚らしくとっとと死ねよ」
ヤチネズミがコジネズミを睨み上げた。全身から怒りが溢れ出ている。だからお前はすっこんでろって、とカヤネズミはヤチネズミに怒鳴りつけたくなったが、ヤチネズミの怒りもわからないでもない。
「すんませ~ん。受容体って仕事しないでほっつき回ってるごみばっかりで」
にこにこと肩を竦め、へらへらと頭を下げているのか前後に動かしているだけなのか、会釈とはおよそ呼べない動きを見せながらカヤネズミは言う。
「でもお、生産体も生産体で特になんにもしてないですよね~?」
コジネズミの片眉が引き攣った。コウベモグラを介抱していた生産隊のいくつかの顔が振り返る。
「生産、生産って言ってますけど何を生産してるんですかあ?」
「薬だよ!」
間髪入れずにコジネズミが怒鳴った。アズミトガリネズミたち生産隊の全員が振り返る。
「生産体がいないと薬ができないってそんなことも知らないのかよ、受容体どもは! 生産体がいるから受容体は薬を入れてもらうことができて、地上での活動が…!」
「受け取る奴がいてこその作り手だろ」
呟きに似たカヤネズミの早口にコジネズミは「はあ?」と聞き返す。ちゃんと聞けって、と言わんばかりにカヤネズミは同じ内容を繰り返してやる。
「受容体がいるからこそ生産体は薬を入れられるんじゃないですかあ。受け取ってくれる受容体がいなければ、生産体は薬を作ったって作りっぱなしで使い道がないでしょう。宝の持ち腐れってやつですよ。あ、薬の持ち腐れかな? 薬って腐るんすか? でも薬が腐ったらその『容器』の生産体サマも腐ってますねえ~」
「てめえ……」
コジネズミが目に見えて憤慨してきた。怖い。便所に行っておけばよかった。だがしかしもうひと押しだ。カヤネズミはさらにも増して笑みを強める。
「そもそも薬って必要なんすか? 何のための薬ですか? 誰かを殺すため? そこのバカのみたいに即効性のある劇薬作りが本来の目的だったりして」
カヤネズミは半笑いで床に座り込んだままのヤチネズミを一瞥した。ヤチネズミはぽかんとしている。話について来ていない。ちょうどいい、お前はそのまま黙ってろ。
「薬がなければ死ぬだろ」
コジネズミが反論してきた。
「受容体なんてなくてもどうってことないんだよ! むしろいてもいなくてもどっちでもいいから地下掃除に当てられてんだよ。死んでも次の受容体を当てればいいだけの話だからな」
ヤチネズミが歯噛みしてコジネズミを睨む。
「使い捨てなんだよ、お前らは。つ・か・い・す・て。自覚しろよ、受容体。
でも生産体はそうはいかない。生産体は貴重だ、絶対数が極端に少ない。薬を作れる身体はなかなかない。わかるか? 俺らは選ばれた貴重な存在、特別なの!
薬の必要性は地上での耐性強化だ。普通の身体じゃ地上でなんて生きらんないだろ。試しにそこの治験体、放り投げてみろよ。五分で死ぬ。温度、湿度、大気の成分割合、どれとっても塔とは違う。生きていけないんだよ、地上でなんて。だから薬が必要なんだろ! 薬で地上の環境に耐えうるように身体を強化して、地下を排除しながら居住可能区域を開拓して……」
アイを信じてるんだな、興奮してまくしたてるコジネズミの話を聞きながら、カヤネズミは少しだけ目の前の男に同情した。コジネズミが並べ立てるのはアイが子ネズミたちに話して聞かせる内容そのままだったから。コジネズミはそれを完全に信じて、アイの言うまま思うままに動いているだけだったから。
いや、動かされているのかもしれない。当のコジネズミ自身は自分で考え、自分の意思で行動していると信じて疑ってさえいない。だがその思考と行動原理が与えられた知識をなぞるだけならば、それは自分の思考ではなく知識を与えた者による操作だ。アイによる煽動だ。
「……そのために生産体は守られなきゃいけないんだよ。ぜったい死なせちゃいけない、塔の知識と知恵の結晶が生産体なんだよ。お前ら受容体の有象無象とは価値が違うんだ、お前らがどんだけ死のうが俺らは生きなきゃいけない存在なんだよ塔のためにな!」
「だったら受容体だって同じでしょう」
ヤチネズミが口を挟んできた。めんどくせー、黙ってろバカ、と口をつきかけた言葉をカヤネズミは憮然とした面持ちで堪える。
「治験体だって同じだ、夜汽車だって。生産体が薬を作るのが仕事なら、受容体はそれを受け取って使うのが仕事で、治験体はその薬の精度を上げるため? わかんないっすけどみんなそれぞれ出来ることをしてるじゃないすか。生産体とか受容体とか仕事内容だけで価値が変わるなんてこともないでしょう!」
「違うんだよ! お前らと俺が同価値なわけないだろ!!」
「薬無しでも地上で活動できるとしたら?」
カヤネズミの一言にコジネズミとヤチネズミが同時に振り返った。いつの間にか目を覚ましていたコウベモグラと他の生産体も、その場の全ての視線がカヤネズミに注がれる。
「なに…」
「薬無しでも地上で生きていられる奴、例えば地下の連中。あいつらは薬なんてなくたって地上に出まくってるじゃないですか。地上での活動が目的ってんなら俺ら全員、地下の奴らと同じ身体になればいいだけです。地上に出るための薬っつうなら、生産体の価値って『地下の奴らになること』ってことになりませんかねぇ?」
コジネズミだけでなく、生産隊の面々に視線を滑らせながらカヤネズミは言い放つ。コジネズミは固まっている。動揺しているのではなく、突然与えられた可能性の示唆に情報処理が追い付いていないらしい。ヤチネズミははっと目を見開く。そう言えばこいつには昔、話したことあったな、とカヤネズミは思い出す。しかしヤチネズミだ。それが何を意味しているのかまではたどり着けないだろう。
だが俺の意図は読み取れよ。
「上階の連中とかここにいる奴らは塔から一度も出ないで生涯過ごすのに、なーんで俺らネズミだけが地上に出させられるんですかあ?」
カヤネズミは誰もに聞こえるように静かに言った。コジネズミは固まっている。唇を動かしかけて何かを答えようとしている。脳筋ではないのかもしれない。ただ、アイに与えられた知識以外の可能性を考える時間と機会に出会えなかっただけなのかもしれない。
しかしその不幸を救ってやる時間はない。
「なんでアイは俺らに『女』がいることを地上に出るまで教えなかったんですかー? 女なんて塔にもいるのに」
「え?」
と驚く声が聞こえた。生産隊にもこの事実を知らない連中がいるのか、とカヤネズミはその時初めて知る。かく言う自分も今しがた知ったばかりなのだが。
「ネズミには地下掃除させながら塔から地下に夜汽車を送り出す理由はなんですか?」
息を飲む音さえ聞こえない。生産隊の面々は全員が静まり返り、侵入者からもたらされた、言われてみれば矛盾をはらんでいる見過ごしてきた事実に目を見張る。
「塔のため、塔のためって具体的には誰のためですか」
「カヤさんのためです」