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00-104 コジネズミ【引導】

過去編(その55)です。

「まだわかんない? それとも俺の言葉が理解出来ない? え? お前一応生産体だよね? ()験体(いつら)と違って知能はあるよね?」


 コジネズミは言いながら、傍らの男の寝床を爪先で蹴った。突然の振動に横たわっていた男が反応する。生命維持装置も連動する。


「わかんないならわかるまで何回でも言ってやるよ」


 朗らかにコジネズミは、笑みを深めた顔を再びヤチネズミに向けてきた。


「お前がハタさん殺したの。ハタさんはお前に殺されたの。お前さえいなければハタさんは生きてたの!」


 同じ事実を言い方を変えて繰り返しながら、コジネズミの足は先と同じ場所を蹴り続ける。蹴られ続ける病床の男は身動きの取れない身体で不安を強くする。ヤチネズミは苛立つコジネズミへの恐怖よりも、『治験体』と呼ばれる男が心配になった。怖気づきつつも元上官に進言しかけた時、


「コジネズミは足を止めてください。一二五(ヒャクニジュウゴ)が動揺しています。コジネズミは病床を蹴らないでください」


 アイが沈黙を破った。


「黙ってろって言われただろ」


 突然のコジネズミの低い声にアイも一瞬、音声を止める。しかし、


「はい。アイは先ほどアズミトガリネズミより皆さんの議論に参加しないよう指示されました。しかしコジネズミの現在行っている行為はアズミトガリネズミとヤチネズミの議論内容に関わりありません。また、生産体が治験体を虐げても良いという理由もありません。コジネズミは速やかに一二五の病床から距離をおいてください」


 『皆さんは大切です』、その言葉に嘘はないのだろう。アイは生産体や治験体の区別なく、公平にコジネズミを窘める。


 不貞腐れたコジネズミはなおも小言を繰り続けるアイを無視して周囲を見回した。そして何かを見つけたようだ。吊るし上げていたカワネズミとタネジネズミを物のように床に落とすとワタセジネズミだけをそのまま連れて壁の一辺に近づいた。


「カワ! タネズミ!」


 ヤチネズミは後輩たちに歩み寄る。「ごめんヤッさん……」弱々しくカワネズミが言う。ヤチネズミは無言で首を横に振った。

 と、物凄い音がした。ヤチネズミたちが揃って音の方を振り返ると、ワタセジネズミが頭を下にして壁際に倒れている。投球直後のような体勢で、「命中!」と喜ぶコジネズミ。


「「「ワタセ!」」」


 旧ムクゲネズミ隊が揃って最年少の部隊員を慮った。呼ばれたワタセジネズミは奇妙な格好のまま動かない。


「大丈夫でしょ、あいつなら。俺の薬、入ってるんだし」


 コジネズミが鼻で笑う。


「コージ」


 流石にこれにはアズミトガリネズミも顔を顰めた。「すんません」と悪びれもせずにコジネズミは肩を微かに竦めて見せてから、


「でもこれでアイも黙りましたよ」


 部隊長に笑顔を向けた。


 ヤチネズミははっとして部屋中を見回す。電気は灯っている。だが治験体に向けられていた音声は止んでいた。輸送装置は速度を落とし、生命維持掃除は待機状態になっている。


「ここでアイを消すなよ」


 トクノシマトゲネズミが苛立ちを隠さずに言う。


「治験体全部殺す気か?」


「すんませ~ん」


 コジネズミが再び肩を竦める。絶対に反省していない、同じ部隊にいた時は頼もしい限りだった先輩にヤチネズミは身震いした。常に笑顔で任務を遂行する狂気性と不真面目さが、今では歩く凶器にしか見えない。


「ほっとけ。その程度なら勝手に復旧する」


 アズミトガリネズミが腕組をしてトクノシマトゲネズミに言う。「そうかもしれませんけど」とトクノシマトゲネズミは治験体を見回した。


「別にこの部屋なら消えたままでもいいと思いますけどねえ」


 コジネズミは言いながら先の男の枕元まで行き、


「何もしなければ勝手に死ぬじゃないすか、こいつら。アイが生かしてるだけでしょ? 何のためか知りませんけど」


「コージ」


「大丈夫ですって」


 再び窘めたアズミトガリネズミに笑顔を向けたコジネズミは、男に向き直り眉根を顰めた。


「どうせ聞いてませんよ。聞こえてても理解出来ないでしょ、俺らの話なんて」


 言って腰を曲げて口付けせんばかりに男に顔を近付ける。


「こいつら腹立つんすよね。何もしないで寝っ転がってるだけなのにいっちょまえに飯…、『栄養』っすね。栄養もらって世話してもらって。こいつら生かしておくのにどんだけ電気使ってるんすかねえ? こいつらがいなけりゃ今の四分の一は節電できるって噂じゃないすか」


「コージ!」


「噂っすけどねー」


 アズミトガリネズミに凄まれてもコジネズミはへらへらしている。そして、


「噂っすけど。噂だったとしても俺らが地階(した)で働いてた時も地上(そと)で調査してた時も、こいつらはずっと食っちゃ寝、食っちゃ寝してたんだと思うと、なんにもしてないこいつらのために俺らは(しのぎ)を削ってんのかなっていらっときません?」


―能力差によって義務を求められる者と免除される者が現れるのは不平等です―


 アイが執拗に平等を追い求める理由を、ヤチネズミは目の当たりにした気がした。


「いい加減にしろ、コージ。治験体は治験体の仕事をしてる。薬の初期段階ではこいつらも大いに貢献してるだろ」


 アズミトガリネズミの注意に対しても、


「ってアイからは聞きましたけどねー」


 笑顔のコジネズミにはどこまで響いているのか知れない。


「で、本題だけど」


 コジネズミが突然自分に向き直ってきたから、ヤチネズミはびくりとして固まった。カワネズミが不安げに見上げてくる。その横でタネジネズミが天井に目を遣り見開き、俯いた。


「もしお前が俺の話を理解できてないんだとしたら、お前はこいつらと同じってことだよって言いたいの」


 ヤチネズミは元上官の言い分の意味を考える。だが答えにたどり着く前にコジネズミが続ける。


「生産体だからお前はまだ生かされてんの。じゃなかったらとっくの前に処刑されてるって」


 生産体だから。


「って言っても使えない薬だろ? お前のって。なのになんでかハタさんはお前を贔屓してたよな。お前が来る前は俺が一番だったのに」


 コジネズミが微かに眉根を寄せて唇を尖らせた。


「生産体なら生産体らしく生産体の仕事してりゃいいのにさ。出しゃばってってネコ突っついて殺されかけてって何してんのって思ったよ。なんでハタさんに助けられてんだよ。なんでハタさんを身代りにしてんだよ!」


「コージさ…」


「コージ!」


「わかってますって!!」


 アズミトガリネズミの恫喝をそれ以上の大声で突っぱねて、コジネズミは手近の機材を蹴り壊した。


 ヤチネズミは顎を引く。コジネズミがハタネズミをそんな風に思っていたなんて知らなかった。

 自分だけが辛かったわけじゃない。自分以上の苦しみを周囲に撒き散らした結果が今だった。


「……ヤッさん?」


 傍らでカワネズミが動揺する。反対側のタネジネズミは伏したヤチネズミを見下ろし、ワタセジネズミを見遣って黒目を上方に向ける。

 ヤチネズミは両手と額を床につき、瞼をきつく閉じて頭を下げた。


「なんのつもり?」


 笑顔の消えたコジネズミが尋ねる。


「すみませんでした」


 ヤチネズミは謝る。


「なにが…」


「すみませんでした」


 コジネズミの困惑を遮ってヤチネズミは土下座のまま声の限りに謝罪した。

 それ以外に言葉が無かった。差し出せるものもなければ出来ることもない。申し訳なさで満たされた思いと、思い通りにいかない身体しかないから、思い通りに動かせる部分だけでも動かして思いだけは伝えようと試みる。


 だが思いがそのまま受け止められるか否かは、受け取る相手次第だ。


 コジネズミはヤチネズミに近づくと、ひれ伏したその頭を蹴り飛ばした。


「『すみません』で済ませられないことをしたって自覚もないのかよ」


 コジネズミは完全に笑みの消えた白け顔で、ヤチネズミの側頭部を踏みつける。


「心底苛つくよな、ヤチって。甘いんだよ認識が。ハタさんたちにはへこへこしてたくせに俺にはほぼため口だし」


 (へつら)っていた覚えはないがどう見えていたかなどヤチネズミ自身にはわからない。コジネズミがそう思うならばそう見えていたのだろうし、アズミトガリネズミさえ咎めないところを見れば周囲の認識は共通していたのだろう。ヤチネズミが言い訳をするのもおこがましい。

 旧ムクゲネズミ隊の子ネズミたちも何も言わない。生産隊を前に縮みあがっていることも一因ではあるが、コジネズミが言うことに納得している可能性も高い。

 結果、コジネズミを止める者は誰もなく、その暴挙は加速していく。


「なのに何? ムクゲさんまで殺しておいて『自分は悪くない』? ムクゲさんは殺されて当然? 本気で言ってんの? 馬鹿なの? 何なの? 何だよお前!」


 足を引き上げ踏み下ろす。側頭部を踏みつけられていたヤチネズミの左耳に直撃する。うわん、と周囲には聞こえない音が頭の中で響いた。


「ハタさん殺してムクゲさんも殺してお前は生きてるって何なの、ねえ! そんでもって治験体は殺すなってどういうこと? 生産体(おれら)は死んでよくてこいつらは生かしておかなきゃいけないって、働かない奴食わせるために働く(おれ)()は死んでいいって何それ? どういう価値観?」


「い……ってな…」


「言ってんだよ! そういうことなんだよ、お前の主張は!!」


 踏み続けることに飽きたのか、コジネズミはヤチネズミの頭を球蹴りの要領で蹴飛ばした。両手で頭を守っていたヤチネズミの丸まった身体が半回転してうつ伏せで止まる。傍にいたカワネズミは、耳血と鼻血まみれの先輩に駆け寄ろうともしない。トクノシマトゲネズミに両手を取られているヤマネも泣くことを控えている。誰も何も言わない。旧ムクゲネズミ隊は皆、息を潜め、燃えるようなコジネズミの怒りの沈下をひたすら祈る。自身に火の粉が降りかからぬようただ必死に願う。


「コージ」


 アズミトガリネズミが申し訳程度に窘める。本気で止める気はないのだろう。止められないだけかもしれない。ただ、上官として体裁を保つだけの声かけだった。その証拠にコジネズミから寄こされたのは「はいはい」というなおざりの返事だった。


 筋肉が増強されているとは言え体力は消耗する。コジネズミは息を切らせて汗を拭いながら転がるヤチネズミに歩み寄りかけたがふと足を止め、治験体の男を見下ろした。見下ろされた男は怯えている。やめてください、ヤチネズミは口中で言う。しかしコジネズミには男の恐怖がわからないらしい。


「いいこと思いついた」


 コジネズミが言って小さく笑った。悪い予感しかしない、旧ムクゲネズミ隊の子ネズミたちは全員がそう思った。号令でもかけられみたいに一様に俯いて身を固める。


「ヤチ、お前こいつ殺せよ」

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