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15-46 彼女は彼を

 端末でしょう? そう同意を求められた。だが、違うと思う、ウミネコは否定した。自分たちは日々変わり続けるが端末は変化しないと。しかしハチは端末も変わると言った。多量の情報を有すると外付けで膨れ上がるし、そもそもアイは私たちとそっくりだ。それに私たちよりも精確な分、端末の方が優れているよ、と。勢いに圧されて言い返せなかったが、やはり彼女は間違っているとウミネコは思った。端末は壊れても内部情報を引き出せば別の端末で以前と同様に稼働させられるが、自分たちは壊れればそこで終わりだ。記憶という名の内部情報を他者に全て語りつくしても、情報を引き継いだその他者が、元の誰かになどなれはしない。私たちは誰かの代替品などではない。


 ハチに言えば機嫌を損なわれそうだったからハチがいない時にそう言った。だがナナも自分の考えに首を傾げた。わたしたちは互換性を持つ夜汽車の備品よ。夜汽車の走行という最重要目的のために動き続けるアイや他の機械と何が違うの?

 それも違うと思った。それならばむしろ私たちは植物と同じだ、端末よりは植物に近いはずだ―


 しかし今は、ウミネコは拳を握りしめた。端末であってほしいと思った。私たちは端末と同じで、好きな時に起動して、古くなれば情報だけを引き出して新しい機体でまた動き続けられる、そんな端末でありたいとウミネコは強く望んだりした。


 ツキノワグマの咆哮が続いている。見た目と同様に太く大きな声をあげて、横たわる体に縋りついている。イイズナとオコジョも泣いている。どちらかが欠ければ倒れそうなくらい互いに互いの体を預けて、悲しみの分散を図っている。イタチはコイタチを抱きしめ、いつもは気丈なテンも、この時ばかりは瞬きもせずにぼうっとしていた。皆思い思いに声をあげている。暗い天幕の下、凍りつく地面の上で熱い涙を流している。しかしどれほど皆の体温を預けても、冷たくなったヤマネコの瞼が解凍されることはなかった。


「バカだね。もう少しだったのに」


 テンがヤマネコに向かって小さく呟く。それから天幕を仰ぎ、息を吸って声をあげた。 

 誰もが認める次の長は的確な指示を飛ばす。しかしすぐに従う者はいなかった。反発しているわけではない。ただ、まだ動けない。


 オコジョの肩を抱きながらイイズナが顔を上げた。テンと目が合うとオコジョを励まし、連れだって出て行った。それをきっかけに皆、徐々に動き始める。相変わらず泣きわめくツキノワグマの横を皆何も言わずに歩き去る。ツキノワグマはアナグマがどんなに揺すっても見向きもしない。やがてテンがつかつかと近づき、ツキノワグマの肩を掴んで思いっきり頬を張った。


「あんただけじゃないんだよ」


 テンが喉の底を鳴らすような声で凄む。再び泣き出しそうになったツキノワグマを、アナグマが力ずくで起き上がらせ、天幕を出て行った。


「チャコ」


 ジャコウネコは肩で呼吸をして立ち尽くすテンの傍にいた。ウミネコの声は届いていない。ツキノワグマを打った手の平を反対の手で潰すほどに握りしめていたテンをジャコウネコが肩を叩いた。それがきっかけだったかのようにテンの頬を涙が静かに伝う。


「チャコ…」


 隣まで行ってようやくジャコウネコはウミネコに気がついた様子だ。


「行きましょう。外…」


 与えられた命令を促したのにジャコウネコは困った顔をして見せた。ジャコウネコが答える前にウミネコは、ああ、うん、と声に出さずに頷いた。


「テンと話がある」


「わかった」


「すぐ行く」


「すぐには終わらないでしょう?」


「……悪い」


「ううん」


 平気、と口の中で唱えてウミネコはジャコウネコに背を向けた。


 同じ班の者たちはすでに持ち場についている。ひと塊に寄り添う二つずつの影は東と西とその間に一定の距離を保って天幕を囲んでいた。ウミネコは唯一空いている南の空の方に歩いた。風に運ばれて聞こえてくる啜り泣きの中、一つきりの背中は無言で地面に腰を下ろす。

 月が細い。あんなに弱々しくて崩れそうなのに、自身の周りに幾重にも光の輪を作って辺りを照らしている。星たちはその眩しさに気遅れしたのか、だいぶ距離をとって控えめに息を顰めている。ウミネコは目を細めた。明るくて、美しくて、触れればきっと温かいだろうと思う。


―カモメ?―


 その名を聞いたことがある気がした。ずっと昔、うろ覚えの靄がかかった記憶のどこかで。


―わたしの獲物を横取りするのばっかり上手くてね―


 そう言って母の話を聞かせてくれたヤマネコは、言葉とは裏腹に表情は明るく楽しげだった。


―あいつが会わせてくれたのかもね―


 細くて折れそうな腕だったのにヤマネコの抱擁は力強かった。そして温かかった。長年ウミネコが求めていたものだった。


 組んだ腕の中に顔を埋める。白い吐息が漂うばかりで痛いほど冷たい外気に体温は奪われていく。左も右も寒い。左にも右にも寄り添う者がないから。 


 次の長はテンだ。それは決まっている。ヤマネコの隣で全てを見てきた彼女以外にその役割を勤められる者はいないだろう。だがテンがヤマネコになれるわけではない。テンはテンでどこまでいってもヤマネコにはなれない。私たちに互換性は無い。空いた穴はそれ以上のもので埋めねばならない。


 チャコだろうとウミネコは思った。おそらく他の皆も言葉には出さないが確信している。次の参謀はジャコウネコだ。ジャコウネコならば長の補佐も立派に務まるだろうと強く思う。テンもそれを望むだろうし、ジャコウネコも長の命令ならば従うだろう。そして自分は単独行動を強いられる。今この現状がそれを示している。今この現状が今後延々と続いて行くのだ。その事態に気付いている者は、気付く者はいない。皆、自分のことで手一杯だ。ヤマネコを失った悲しみとこれからを受け止めること、隣に支えられること以外に頭は回らない。


 仲間は大切だ。だが自分はもっと大切なのだ。二本脚では心許なくとも四本になれば持ちこたえられる。確固とした支えを欲するのは立ち続けるための知恵だ。無意識下の本質的な欲求だ。


 仲間に優劣はない、おそらく皆口では揃ってそう言うだろう。しかしならば自分か相方を捨ててでもウミネコの隣を補充しようという者はいるだろうか。いないと思う。自分だったらそうだとウミネコも思う。誰かを責めるつもりはない。ジャコウネコはジャコウネコで最善の道を選ぶだけだ、健気なテンを恨むのも筋が違う。皆間違っていない、ウミネコは自分にそう言い聞かせる。火照る頭の中心を理屈で押し止めようとする。真っ当な感情を呼び戻そうとする。ヤマネコの死だけを悲しもうと試みる。会えない、それが悲しい。しかし隣に誰もいないこともウミネコにとってはそれ以上に耐えがたいことだった。


 ずっとそうだったとウミネコは気付いた。自分の隣にはずっと誰もいなかった、と。

 父の隣には母がいて、父を失った母はすぐにウミネコを手放した。教室の中でもウミネコは異物で、自分を理解する者などいなかった。奇数だった女子は必然的に余りが出た。二つの背中と行動を共にしたが、二つの背中の間にウミネコの入り込む場所はなかった。彼女たちは彼女たちだけで完結していた。ウミネコはその背中を眺めながら、時々振られる話に相槌を打っていただけだった。


 ここに来てジャコウネコに会った。初めて真横に顔が来た。だがその顔も立ち去り、明日からは眺めるだけの背中になる。

 ずっとそうだった。偶々今まで特異な状況に置かれていただけなのだ。元に戻るだけだ、それだけだ。でも寒い。


―生きていてくれたじゃないか―


 そんな風に言ってもらえたことが嬉しかった。ありがたかった。でもジュウゴ、それだけじゃ足りないの。生きているだけじゃ足りない。


―ナナは生きてた―


 ワシの駅にいると言う。生きていたと。

 どんな状況だろう。無事だろうか。ひどいことなどされていないだろうか。もし会えるならナナ、話したいことがたくさんある、話さなければいけないことが。聞いてほしいことがたくさん。


―今度こそちゃんと聞く―


 シュセキ……


 肩を叩かれた。顔を上げるとイイズナだった。


「……なに?」


「あんたそんなんじゃ見張りになってないよ。テンには私から言っておくから今日は休みな」


 自分だって赤い目をしておきながらそんなことを言う。ウミネコは首を横に振ってイイズナの気遣いを断った。


「大丈夫。ちゃんと出来るから」


 休めと言われてもどうせ眠れない。


「そうじゃないって」


 イイズナに苛立たれる。ならどういうこと? とウミネコは尋ねる。


「あんたのためじゃないの。埋葬終わったらすぐ出ることになるだろうから、移動中にへばられても困るって意味」


 仲間たちに比べて体力が劣るウミネコはいつも編隊を乱しがちだ。今まではジャコウネコが何かと庇ってくれたが、今後はそうもいかない。


「わかった。ごめんなさい」


 肩を落としたまま立ち上がったウミネコを見て、少しばかりイイズナも気まずさを感じたのだろう。先の苛立ちを覆い隠さんとその理由を並べ始めた。


「どうせなら早く行きたいだろ? 多分あと三日も歩けば着くはずだからさ。あたしもちゃんとした駅で寝たいし」


「駅?」


 と、ウミネコは眉値を寄せる。彼女たちが駅を持っていたなんて初耳だ。ネコたちは駅を持たないからこそネズミを駆除するために歩き回っていたわけではないのだろうか?


「あれ? あんた聞いてなかった?」


 イイズナが赤い目を向けた時、揃って同時に地面を見た。足裏から伝わる振動は、


「ネズミッ!」 


 次の瞬間、ほぼ真横の地面が爆ぜた。イイズナが体当たりで庇ってくると同時にウミネコの腰帯から半棒を引き抜く。アナグマの叫び声をウミネコは砂上を転がりながら遠くに聞く。イイズナが投げつけた半棒は最初に出てきた自動二輪の車輪に命中し、運転手とその後ろが自動二輪から投げ出された。


「ウミ、だいじょうぶ…」


「姐さんのところに行ってて、早く!」


 まだ幼いコイタチを怒鳴りつけてから、テンのところへ行けと言うべきだったかと一瞬反省する。そしてすぐさま起き上がりかけた男に駆け寄りその顔を覗き込んだ。と、別のネズミに背後を取られた。首が締まる。爪先が浮く。男の腕力。


 二つの猛り声が聞こえた。ツキノ! 首が解放されてウミネコは膝をつく。


「立てる?」


「ありがと」


 アナグマの手を借りてウミネコは起き上がった。その横でツキノワグマが男だった者の体をへし折っていた。その間にも地面は泡立ち、次から次へと自動二輪は姿を現す。


「ウミ」


 オコジョの顔が眼前にあった。


「ぼうっとするんじゃないよ」


 半棒を受け取りながらウミネコは鼻を啜りあげて頷き、そのまま俯いた。


 出来れば『彼』とはやり合いたくない。どうか別の集団であって。仲間には決して打ち明けられない願いを飲み込み、ウミネコは顔を上げて半棒を握りしめた。

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