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00-100 ヤチネズミ【絶句】

過去編(その51)です。

 ヤマネの尻に注意しながら、ほふく前進する。一定の間隔をおいて下から差し込む明かりの先を覗きこみながら、子どもたちを追う。大抵の病児は重症であればあるほど泣き声が少ない。泣き続けられる子はそれだけ体力があるという証拠だ。しかし眼下の子どもたちはほとんどが泣けない子どもだとヤチネズミは思っていた。昇降機の箱の中で耳にした多くは絞り出すようなか細い声だった。それなのにどういうことだろう。泣いている、子どもたちが。発声する体力もあまり持っていないはずなのに、ここぞとばかりに持てる力を振り絞って泣き声を発している。言葉はなくても伝わって来る不安。徐々にはっきりとした輪郭を帯びてくる叫び。ヤチネズミの胸はぞわぞわと不快な空気で満たされていく。何だ? あいつらなんであんな声出してんだ? 何にそんなに怯えている?


 顔からヤマネの尻に激突した。程よく嵌まった鼻頭が気持ち悪くて首をのけ反り目の前の尻をひっぱたく。眼下に注意を払い過ぎていた。


「いきなり止まんなよ!」


 小声で叱責したがヤマネは返事を寄こさない。


「おいこら、早く動けって」


 狭い通気口の中で身体を捩り後輩の顔を覗きこもうとしたが、視覚情報より先にヤマネのかすれた声が耳に入ってきた。


「…んさ、」


「何だって?」


「け、検査してる!」


 言ってヤマネは四つん這いのまま蹲った。自分の時の恐怖を思い出したのか眼前の光景に不快感を覚えたのか、一段落ちた頭は両手で覆われ、目障りな尻は小刻みに震えている。


 ヤチネズミはヤマネの尻を無言で押した。ヤマネは黙って前進し、視界をヤチネズミに譲る。譲り受けた天板の隙間を前にしてヤチネズミはヤマネ同様に言葉を失った。無自覚のうちに片手は口元を覆う。


「あんな…、あんな小さい体に……」


 声を押し殺してヤマネが憤る。


「なんで……、なんであんなッ!!」


 手の平の中でヤチネズミの奥歯が軋んだ。


 塔の子どもたちは新生児期に受ける検査によって分類され、その後どこに配属されるかが決まる。生産体、受容体を持つ者はネズミとして地階で育てられ、それ以外の多くの陰性の子は夜汽車に乗せられ、『おや』のある子は上階から降りてこなくなり、何らかの異常が発見された子は省かれて子ネズミよりも早期に検査に借り出され、その多くが今まさにヤチネズミたちの目の前で死んでいくところだった。


 当然だろう。少年期まで成長した子ネズミの身体にでさえ、薬は大きな負担だ。検査における死亡事故は珍しくない。それを幼児に課しているのだ。ただでさえ平均よりも虚弱な体質の病児たちに。


 視界の中に、子どもとは呼べない体格の者たちもいることにヤチネズミは気づいた。年の頃は定かではないが、明らかに子どもではない。自分と同じくらいかさらに年上か。幼児たちの中で彼らがとりわけ目を引いたのは体格の差だけでなく、輸送されてきた子どもたちとは比べものにならないほど多くの生命維持装置に繋がれているその姿のためだった。幼児たちにはない硬直した四肢や手指、激しく側弯した者も見受けられる。それらが体質に起因するところは大きい。彼らが彼らの意思で、自らの身体を自由に動かすことが難しかっただろうことは想像に難くない。しかし外部からの働きかけが十分とは言えなかっただろうこともまた否めない。少なくとも彼らがその生涯の中で、おそらく眼下の部屋に輸送されて以降は一度も、自分以外の誰かの皮膚との接触を持つ機会が皆無であったことは確実だ。何故なら彼らの周囲で唯一、思いのままに動き続けるのはアイだけだったから。聞き慣れた音声と圧縮空気と様々な装置の他に、彼らを見守る者は誰もいなかったから。


 部屋中に張り巡らされた輸送装置は、無理矢理薬合わせをさせられた後に息絶えた子どもたちを載せて延々走り続け、その身体をどこかに連れて行く。辛うじて生きている子どもたちには各々の病床が与えられ、『先輩』たちに並ばされて生命維持装置が装着されていく。褥瘡予防だろうか、身動きの取れない男たちの病床が一斉に傾けられた。不安の色を示す者の耳元では音声が語りかけている。凝り固まった身体の上を圧縮空気が柔らかく滑り、着衣の乱れを直したり、背中や頭皮を撫で下ろしたり。されるがままの男たちの中には嬉しそうに笑みを浮かべる者や奇声を発する者、無反応な者など様々だ。そして一通りのアイによる介助が終了すると、輸送されてきた子どもたちと同様に合意も何の手順も踏まずに、男たちにも薬合わせが行われた。筋緊張が高い凝り固まった身体がのたうち回ることはない。気管切開された者は声をあげることもない。虚ろな表情は苦痛に歪むこともなければ、シチロウネズミのような絶叫があがることもなく、子ネズミたちの検査とは全く違ってとても静かな薬合わせだった。暫くすると生命維持装置がそこかしこで警報音を鳴らし始め、アイによる蘇生術があちらこちらで始まる。そして規定に則った時間の後で施術は一斉に停止した。死亡確認された男たちは誰に看取られることもなく輸送装置に移乗され、子どもたちの後を追うように退室していく。取り残されたのはまだ息のある者たちだ。自ら拭うことも叶わずに口元に吐瀉物を貯めて咽ている者、生きているのか死んでいるのか一目ではわからない土気色の顔で呆然と天井を仰いでいる者、比較的身動きが取れるのか奇声をあげて病床の上で転がっている者、背を丸めて震える者。彼らはまた、定められた休息の後に、同意もないまま何の手順も踏まれずに薬合わせをさせられるのだろう。


 ヤチネズミのいる場所からは薬合わせの様子しか確認できないが、もしかしたら薬合わせ以外の検査も施されているかもしれない。彼らがそれまでにいったい何回、それらの行為を無理強いされてきたのか、ヤチネズミには想像さえできない。だがこの部屋に輸送されてから死ぬまで、彼らの仕事がその身を以て薬の精製に携わり続けることだっただろうことは簡単に予想できた。


 完全な傍観者として一連の様子に呆然としていたヤチネズミは視線に気づく。瞬きもせずに仰臥位で静止しているその目に見つめられてはっとする。身じろぎもせずに固唾を飲み、上官に怒鳴られた時みたいに目を逸らしかけたヤチネズミは、再びその視線を見つめ返して今度こそ固まった。


―仕方ないって言ってるじゃん。俺らネズミなんだから。塔のために働かなきゃいけないじゃん―


 わかってるよ。塔のためだよ、働くよ。だって俺もネズミだから。


 でもこいつらは? 


 眼下(ここ)にいる連中はネズミなのか? 地上に出られるわけでもないのに、酒盛りできるわけでもないのにそれでも尚、出口のない検査に延々従事しなければいけないのか? 何のために。誰のために。


―子どもが先だろ―


 そうなんだけども。でも、でも……、


―夜汽車を犠牲にしたままでいいわけないじゃん!―


 いいわけないよ、わかってるって。地下の連中の所業を放置しておくわけにはいかない。夜汽車は救いださねばならない。


 でもそれ以外は? 


 夜汽車以外の犠牲はそのままでいいのか? 夜汽車じゃないあいつらは救われなくてもいいのか? ネズミの犠牲は? 死んでいった子ネズミたちは? 地上に上がれなかったトガリネズミは、アカは、ヒミズは、シチロウは、


―俺らっていらないんじゃね?―


 いつかのカヤネズミのぼやき声が聞こえた。


 いらないのか? いらないのか。そうかもしれない。

 そうだとしたら理屈が通る。そうであれば辻褄が合う。俺たちはいらないのだ。いらないから犠牲になることを余儀なくされて、いらないから検査があって、いらないから死んだら名前も奪われて別の誰かに使い回されて、いらないから、取替が効くから、誰でもいいから、役割さえこなせばそれだけでいいから、それだけが求められている価値だから、俺が俺でなくてもあいつが誰であっても出会っていてもいなくてもそんなことどうでも……


 そんなことないだろう。


 そんなこと言うなよ。いるよ、必要だって、必要なんだよ!


 じゃなきゃ何のための検査だ? 何のための掃除だ? 何のために俺たちは五感を削って地下と対峙して仲間を失って今日までここまで。


―それが塔が求めることだったんです―


 生産体だけは死なせないためにその他を使い捨てて行くこと。


「………違う」


 食いしばった歯の奥から言葉がこぼれた。ヤマネが目だけで先輩に振り返る。


「ざけんな……」


 ふざけるな。ふざけるな! 馬鹿にするな、切り捨てるな、


「ふざけんなクソがぁッ!!」


 ヤマネは息を飲んで固まる。喉の奥「や……」と呼ぶのがやっとで制止は全く間に合わなかった。

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