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00-98 ヤチネズミ【反対の見解】

過去編(その49)です。

 ヤマネの憤りが歯ぎしりと共に聞こえた気がした。


「おい、揺らすなよ」


 ヤチネズミは後輩に注意する。苛立つ理由も焦燥も大いに理解できるが、この状況ではやめてほしい。


「そっちだろ、おっさん」


 ヤマネが返してくる。


「いちいち揺らさないと登れないの? どんだけ運動神経悪いんだよ」


「お前に言われたくないわ! 足だけじゃなくて登るのも遅いしこんなにぎしぎし…」


 言いかけて口を閉じた。『ぎしぎし』? ヤマネの歯軋りにしたってうるさすぎるだろう。


「んだとこらあ! 言うほど遅くねぇよ!! みんなが速すぎるだけなんだよ!」


「ヤマネ、」


「迷惑加減で言えばお前の先走りのほうが上だろ? 俺はちゃんとハツさんの話、聞いてから動くし…」


「静かにしろ」


「下手な単独行動も取らねぇよ。和を乱すなって言うだろ? 何事にも協力ってもんが大事だってカヤさんも…」


「黙れヤマネ!!」


 突然豹変したヤチネズミの怒号にびくりとして、ヤマネはお喋りを止めた。しかしすぐに苛立ちが湧き上がる。なんでこいつはこんなどやし(・・・)方をするのか、なんでいつもいつも突然態度を百八十度変えるのか。そのきっかけがいまだに掴めないヤマネはこうしていつも驚かされ、そして腹が立つ。


「おいおっさん…」


 蹴り落としてやろうかと半分本気で思いながら見下ろした先輩はしかし、拍子抜けするほど押し黙って固まっていた。


「今度はなんだよ…」


「お前じゃないんだな?」


 聞き取りにくい小声の質問にやマネは首を傾げる。


「何が?」


「お前が揺らしてるんじゃないんだな」


 ヤチネズミは言葉を変えて再度質問を繰り返した。何言ってんだ、このバカは、とヤマネが尋ね返そうとした時、


「登れ」


 面倒くさい先輩が命令してきた。だから登ってんじゃん、とヤマネは呆れる。


「登ってるよ、見えないの? 頭だけじゃなくて目も悪くなっちゃったのかよおっさ…」


「登れ早く! 急げ!!」


 言い終わる前にヤチネズミが急接近してきて尻を押された。


「んだよやめろよ」


「いいから早くしろ、急げ早く!」


「ちゃんと急いでんじゃん…」


「来たんだよ!」


 尻を押し上げながら真っ青な顔が慌てふためく。何が来たって? とヤマネは首を伸ばしてヤチネズミのその下を覗き込もうとしたが、


「昇降機!!」


 視界の中央にヤチネズミが出てきた怒鳴った。


「昇降機が上がってきた。急げ轢かれる。早くしろ登れッ!!」


 怒鳴り顔の下から確かに床が上ってくる。でなくて箱が…


「ヤマネぇッ!!」


「ふあああ!!」


 必死な怒号と情けない叫び声が同じ顔で上を目指した。




 昇降機が上ってくる。速い、速い! いや遅い!!


「遅ぇぞ! ヤマネ!!」


「これ以上無理だって!!」


「早く行け早く!!」


「だから無理だって!!!」 


 無理だ出来ないとヤマネはそればかり繰り返す。そんなに叫ぶ元気があるならとっとと手を動かせばいいものを、ヤマネの手足と舌の速度はどうやら反比例の関係にあるらしい。ヤチネズミは下を見る。目に見えて昇降機は迫っている。上を見る。全く先が覗えず、ヤマネの泣き叫ぶ声ばかりが耳につく。上が駄目なら横はとばかりに視線を動かした時、背後の壁に窪みを発見した。何階だ? 何階のやつだ? どんだけ上った? 考える時間も惜しくて細かいことは後回しだ。


「ヤマネ! あそこだ!」


「え? なに?」


「そこ! 後ろ! 窪み!!」


「なに? どこ? わかりません!」


「後ろだって!!」


 駄目だ、こいつ。説明も後回しにしてヤチネズミは平行移動を試みた。しかしヤチネズミの腕の長さでは身体で跨いでいる溝を乗り越えられない。


「え? え? 何してんの? ヤチさんやめてえ!」


 頭の上でヤマネが悲鳴を上げた。


 誰だ、お前。情けな過ぎんだろうが、くそ野郎! 普段は生意気な口を利いてくる癖に有事には全く使えない駄目な後輩に目眩を覚えるほど憤りながら、ヤチネズミは別の道を探す。しかし無い。道は上か下にしか伸びていない…


―下が駄目なら上もある―


 ヤチネズミは目を見開いた。


「……飛ぶぞヤマネ」


「はいい?」


「反対の見解だ」


「何が? なんすか??」


「上が駄目なら下なんだよ!!」


 言うなりヤマネのずぼんを掴んだ。虚を衝かれたヤマネは両手を滑らせ、泣き叫びながら落ちてくる。それを待たずに昇降機は足先に迫る。


「飛べぇッ!!」


「いやああああ!!!」


 鉄板が折れ曲がる仰々しい音が響き渡った。

 



「大丈夫か!」


 ヤチネズミはすぐさま起き上がろうとしたが、腰から上しか持ち上がらない。自分の上には折り重なるようにヤマネが載っていた。うつ伏せて半分尻が見えている。


「おいヤマネ…」


「大丈夫なわけないじゃん! 何すんだよ!!」


 起き上がると同時にヤマネはヤチネズミの上体を突き押した。涙目の鼻声はずぼんをずり上げながら靴裏でがしがし蹴ってくる。心配は要らなそうだが、


「あの場合は仕方ないだろ! そもそもお前がとっととちゃんと登ってれば…!」


「騒ぐなよおっさん、アイに気づかれるだろ!」


 自分こそ喧しく喚いている癖にヤマネはそんなことを言う。さらに怒鳴りそうになったヤチネズミだったが、尻の下の気配に息を呑んだ。互いに顔を見合わせて恐る恐る目線を落とす。自分たちの体重でへこんだ昇降機の天井は見るからに湾曲し、鉄板の繋ぎ目からは明かりが漏れていた。しかし昇降機の速度が変わることもアイから呼びかけられることもない。


感知(きづ)して(いて)ない?」


 ヤチネズミは小声で尋ねる。


「かも」


 ヤマネも小声で言う。揃ってごくりと喉を鳴らしてから同時に小さくゆっくり息を吐いた。


「どこまで昇るんだろうな」


 ヤチネズミは小声で言って真っ暗な頭上を見上げる。


「どっちにしろあのまま腕力で登り切るのは無理だったんだしちょうど良かったじゃん」


 ヤマネが足を投げ出してぼやく。調子が良すぎるだろ、と呆れたが指摘するのも疲れてヤチネズミはため息を吐いた。それから項垂れた先の光源の中に目を凝らす。


「子ども?」


 同様に覗き込んでいたヤマネが言った。ヤチネズミも頷く。


 アイにとっては感知さえされなかったか、取るに足らない事象だったかもしれない自分たちの落下音とその衝撃は、幼子たちにはとっては十二分に恐ろしく、不安を掻きたてるものだったのだろう。子どもたちの泣き声の合唱にかき消されながら、微かにアイの子守唄も聞こえる。


「駄目だよ。あそこまで泣いてたら抱っこしてやらないと」


 ヤマネが子守り初心者の後輩に教えるような口調で言う。


「昇降機の中じゃ無理だろ」


 圧縮空気はそこまで万能ではない。


 ヤチネズミの正論に「そうなんだけどさあ」とヤマネはぼやきつつ、光源の中をさらに覗き込んだ。


「……ハツさんの子守唄聞かせたら、あいつらどうなるかな」


 ヤマネがそんなことを言うから、ヤチネズミは思わず吹き出してしまう。「笑わせんな」と笑いを噛み殺しながらも、


「間違いなくもっと泣くな」


 便乗してきたヤチネズミにヤマネもにやつく。


「あれは『歌』じゃないもんね」


「恐怖を感じさせる旋律ってなかなかなくね?」


「夢に出て来てうなされるよ」


「どうやったらあんだけ音、外せるんだろな」


「ハツさんはちゃんと歌ってるつもりみたいだよ、ハツさん()


 揃って肩を揺すりながら、なかなか泣きやまない子どもたちに目を細めた。しかしヤチネズミは眼下の子どもたちの異常に気付く。その物憂げなため息にヤマネも顔を上げた。


「なに? ヤッさん」


「病児だ」


 言われてヤマネも目を凝らす。それから「ああ」と呟いた。

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