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00-94 オオアシトガリネズミ【先輩】

過去編(その46)です。

「………あのぉ、」


 オオアシトガリネズミがおずおずと声をかけてきた。ヤチネズミは袖口で滅茶苦茶に鼻水と涙を拭いあげ、口で呼吸を整えながら顔を上げる。


「『先輩』って呼んでもいいすか?」


 突然の脈略のない申し出にヤチネズミは口を開けたまま止まる。


「ん?」


 辛うじて首ごと前に突き出しながら口にした返事は、間の抜けた鼻声だった。


「ヤチ『先輩』って呼んでもいいですか?」


 良いも悪いも。


「別に……」


 構わないけれども、


「……なんで?」


 オオアシトガリネズミはへっと嬉しそうに鼻で笑うと、導線を弄びながら早口に言い始めた。


「俺の部屋、上も下もいないでしょう。カヤさんとブッさんみたいな関係、実はちょっと憧れてて」


 あそこは特別だ、という事実は飲み込んでおく。


「シチロウ君……」


 言いかけたオオアシトガリネズミは左右を見回すと小声になって肩を竦め、


「ここでなら、少しくらいいいですよね?」


 シチロウネズミの思い出話をしたいのだろう、ヤチネズミは暗闇でも見えるように頷いた。


「俺の名前、長いじゃないっすか」


 突然オオアシトガリネズミはそんなことを言いだした。まあそうは思っていたが今言うことか? とヤチネズミは答えに窮する。


「どこ言っても『オオアシ』って短縮されて呼ばれてたんすよ。でもあの隊に入ってシチロウ君に会って、初めてあだ名つけてもらったんです」


 シチロウはこいつを何と呼んでいたか、とヤチネズミが思いを巡らしていると、


「『オオちゃん』ってなんか、かわいくないっすか?」


 照れたように言うオオアシトガリネズミの影を見つめて、そんな風に呼んでいたかもしれないと思い出せもしない記憶を掘り起こす。


「シチロウ君に『オオちゃん』って呼ばれると、なんかこそばゆくって。ヒミズさんとかは『お前に“ちゃん付け”は似合わない』とか言ってぜったい呼んでくれませんでしたけど」


 おそらくヒミズの感覚が正しい、とヤチネズミも思う。


「でも俺は嫌いじゃなかったんすよ。っていうか大好きでした」


 そこでオオアシトガリネズミは言葉を区切った。ヤチネズミも頷く。


「シチロウ君、ヤチさんが入隊してくれて嬉しかったんだと思いますよ?」


 驚き動揺して、ヤチネズミは反応に困る。


「だって、ヤチさんが来てからシチロウ君、なんか……、なんつうかなあ? 胸張るようになってましたもん」


 オオアシトガリネズミの言わんとしていることがよくわからなくてヤチネズミはやはり何も返せない。「ううんとぉ、」とオオアシトガリネズミは頬を指先で掻くと、


「なんか自信を持ててる感じがしました。よく笑うようになったって言うか、元気になってたっていうか。それまではハツさんに遠慮してるのが目に見えてましたけど」


 ヤチネズミは思い出す。そう言えばシチロウネズミはハツカネズミを恐ろしいと言っていた。


「まあ、傍から見ててもわかりましたけどね。ハツさん、過保護が過ぎんですよぉ。シチロウ君がなんかしようとしたら全部先回りして自分でやっちゃって。俺らも含めてムクゲから守ろうとしてくれるのはありがたいんすけど、それにしてもあれだけ先回りされちゃあ自由もへったくれもなかったです」


 何となく、だが確かに言われてみれば、そういった(ふし)はあったかもしれない。


「でもシチロウ君、ハツさんがいないところでは割と普通に冗談も言ったりしてよく遊んでくれて。ムクゲの『かわいがり』も俺らの代わりに受けてくれたりしてました」


 カヤネズミは『シチロウネズミは怪我をしない』などと言っていたが、やはりしていたのだろう。ただ薬を使わずに自然に治るのを待っていたのではないだろうか。ヤチネズミはシチロウネズミの戦い方を思い出しながら、根拠もないのにその予想は正しいと思った。


「俺、シチロウ君の同室になりたかったです」


「部屋は違っても同じ部隊だったんだ。お前はシチロウの後輩だろ?」


 ヤチネズミが声をかけると、オオアシトガリネズミは一瞬固まり、それからへっと嬉しそうに鼻を鳴らした。


「俺がシチロウ君の後輩なら、ヤチさんも俺の『先輩』ですからね」


 ヤチネズミは失笑する。


「好きにしろよ」


 まんざらでもない。


「ヤチ先輩? ヤッさん先輩? ヤチネズミ先輩?」


 オオアシトガリネズミは言葉を覚えたての幼児のような口ぶりで同じ意味を言い方を変えて繰り返す。それこそくすぐったいわ、とヤチネズミは「やめろよ」と言うがなかなかやめてもらえない。


「そう言えばお前、」


 ヤチネズミは立ち上がり、オオアシトガリネズミの寝床に歩み寄る。


「力入らなくなったって言ってたじゃん。それ以外の副作用は?」


 生産体の義務だ。自分の薬の効能その他を把握しておこうと思った。


「副作用?」と顔を上げた黒い影は首を捻り、鼻の奥で唸ってから、「あ」と声を上げた。


「痛くなりました」


「どゆこと?」


 ヤチネズミは眉根を顰める。


「なんつうかぁ、」とオオアシトガリネズミは唇を尖らせて、


「前よりも痛いんすよ、いろいろ、全部、あっちこち。ハタネズミさんの薬は入ってませんけどここまで痛くは無かったんすよねぇ。でもこんな擦り傷程度でさえ、ひりひりしてたまりません」


 臭くて痛くて食えなくて。俺の『毒』って百害あって一利もないのな、と改めてヤチネズミは落ち込む。


「……力入らなくても、戦う方法はあるから」


 自分を慰めるように項垂れた頭を持ち上げ、ヤチネズミはオオアシトガリネズミの肩に手を置いた。


「なんすか?」


「一応覚えとけ」


「何をっすか?」


「ハツみたいな痛みも何にも感じない奴に絡まれた時の対処法」


「ハツさんに何を絡まれるんすか」


 オオアシトガリネズミは訝ったが、


「ハツみたい(・・・)()痛みを感じない奴だよ」


 と、ヤチネズミは強調した。


「あいつら撒くにも打撃じゃ通用しないだろ? 痛くないから骨折れてても平気な顔して追って来るし」


「ハツさんになんで追われるんすか」


「護身術だって」


 何とも腑に落ちない顔のオオアシトガリネズミを言いくるめて、ヤチネズミはその肩に片手を置き、反対の手で手首を持った。


「そういう奴からはまず、武器奪え」


「武器い?」


「物理的に動けなくしてやれって言ってんだよ」


 言い直して両手に力を入れる。骨がこすれる音が響き渡り、オオアシトガリネズミはが絶叫した。暗闇の中でヤチネズミはそれを見て笑う。


「なな!? 何すか? あんた何やってんすか!!」


「だから護身術って言ってるじゃん」


 笑いを噛み殺しながらヤチネズミは、脱臼させた肩関節を戻してやった。


「口で説明するより早いだろ? 覚えとけよ」


「なんなんすか、いったい……」


 本気で怒りかけたオオアシトガリネズミを見下ろしてヤチネズミは笑っている。


「ヒミズさんたちがあんたを無視してた理由がわかったよ……」


 不貞腐れた呟きを訊き返そうとした時、しばらくぶりに電気が灯り、アイが復旧した。


「顔色が優れませんね、何かありましたか? オオアシトガリネズミ」


 開口一番、オオアシトガリネズミを気遣ったアイに向かって、


「ヤチ先輩にいじめられてました~」


 厭味ったらしくオオアシトガリネズミは唇を尖らす。


「違うって。『かわいがって』たんだって」


 半笑いで言ったヤチネズミに対して、


「笑えねぇ~! まじつまんない。それ冗談のつもりぃ?」


 いきり立ったオオアシトガリネズミだったが、


「楽しげで何よりです」


 アイの的外れな声かけに脱力した。


「アイちゃぁ~ん、それ不正解」


 お笑いでも演じているかのようなその姿にヤチネズミは噴き出す。しかし、


「ヤチネズミ、オオアシトガリネズミはそのままお聞きください。旧ムクゲネズミ隊の皆さんの処遇が決定しました」


 アイのその一言で同時に口を噤んだ。




「ヤチネズミとオオアシトガリネズミは塔に残って再検査を受けて頂きます。ヤチネズミの薬を受け入れられた唯一の受容体としてオオアシトガリネズミには今後数ヶ月間、精密検査にお付き合いいただく予定です。加えてヤチネズミは、受容体を壊さずに薬合わせが成功する方法を導き出していただきます」


「唯一って、俺の受容体はハツもいるじゃん…」


「旧ムクゲネズミ隊のほかの皆さんの処遇をお伝えします」


 反論しかけたヤチネズミはアイの言葉に唾を飲み込む。


「カワネズミ、シコクトガリネズミ隊に移動。


 ジネズミ、エチゴモグラ隊に移動。


 タネジネズミ、サドトガリネズミ隊に移動。


 ドブネズミ、地下五階にて検査に再従事」


「はあ?」


「ワタセジネズミ、オリイジネズミ隊に移動」


「んだよそれ……」


 ヤチネズミの憤りにオオアシトガリネズミが顔を上げた。


「ちょっと待て! 何だよそれ、アイ! 移動はわかるよ、百歩譲って納得してやる。でもなんでブッチーがそんなこと……」


「ドブネズミの犯した罪に対しての処罰です」


「ブッチーが何したって言うんだよ! ムクゲの死には無関係じゃん。なんでまた検査なんて…」


「ドブネズミはムクゲネズミ射殺の首謀者であるカヤネズミに加担し、その罪の隠蔽を試みました。よって殺害幇助および隠蔽罪が適用されます」


「そんな……。だ、だったら俺だって…!」


「ムクゲネズミ殺害に直接関わった者たちの処罰は以下の通りです」


 アイがさらに罪状を告げ始めたから、ヤチネズミは口を噤む。


「カヤネズミ、死刑」


「はあ!!?」


「セスジネズミ、死刑」


「ちょ、ちょまっ…!!」


「ハツカネズミ、終身刑」


「何だよそれ、ふざけんな!! おい、聞け、アイ!!」


 怒鳴り散らして取り乱し、慌てて扉の前に立ったヤチネズミだったが鉄扉は一向に開かない。


「開けろてめえ!! ふざけんなクソが! 誰の判断だ、誰が決めた! そいつ連れて来いっつってんだろうがおい!!」


「罪状は次の通りです。カヤネズミはムクゲネズミの殺害教唆および隠蔽未遂罪、且つ部隊を混乱に陥れた謀反の首謀者として、セスジネズミはムクゲネズミ殺害の実行犯としてそれぞれ刑に処されます」


「わけわかんねーよ! セージのは正当防衛だって言ってんだろうが!!」


「ハツカネズミは救援に赴いたオリイジネズミ隊に対する無礼と暴力行為、および反逆罪が適用されます」


「ぐだぐだ喋ってないで開けろこら!」


「……そっか」


 鉄扉を拳で叩きつけるヤチネズミの後ろで、オオアシトガリネズミが呟く。


「部隊長を殺すって、」


「ああ!?」


 怒りのままに振り向いたヤチネズミを見ないで、オオアシトガリネズミは布団を握りしめ、


「そういうことなんすよ、きっと」


 言って喉を動かした。


「なんのことだよ!!」


「そういうことなんですって、ヤチ先輩」


「だから何が!!」


「部隊長殺しって、生産体を死なせるって、そんだけの罪ってことっすよ」


 オオアシトガリネズミが初めて真面目に強張らせた顔を向けてきた。

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