15-45 彼は彼女を
シュセキが床から腰を上げた。支えに使っていた棒を手放し、右脚で体を支える。感触を確かめながらそっと左側に体重移動させた。
腰には幾重にも巻かれた固定具。何度も紐を交差させたその先には金属製の湾曲した板が繋がれており、今後はそれが棒代わり、いや、新しい彼の右脚として彼を支える。
「いいな、これは」
シュセキにしては珍しく素直な感想だった。だが表情は一切変えない。嬉しさや感動を噛みしている時の、彼特有の照れ隠しだ。ジュウゴもそれを聞いて大きく頷く。
「イシガメたちが作ってくれたんだ、義足。君の前の右脚はどこかに落としてきてしまっただろう? だから絶対必要だと思って」
腰を下ろして義足の長さを調節を試みた。シュセキが少しふらついたがジュウゴは気付かない。
「ここ、膝だった辺りにあるこれをこうやって回して長さの調節するんだ。君の身長を聞かれたけれどもわからなかったし、僕より少し高いと伝えたんだけどそれじゃわからないと言われたから余裕を持たせて作ってもらって正解だった」
手を動かしながら「これくらい?」と顔を上げてシュセキに尋ねた。「もう少し短い方がいい」と言われて慌てて戻そうとしたが、今度は手間取る。
「どいてくれ。自分でする」
ぶっきらぼうに言ってジュウゴの肩を押し退けると、シュセキは腰を曲げて自分で調節しようとした。しかし彼も上手くいかないようだ。
「出来るのか?」とジュウゴ。
「少なくとも君よりは器用だ」と応えるシュセキ。
「そんな言い方しなくたって!」
せっかく作ってもらってここまで運んで来たというのに。
「こんな近くで声を荒らげるな。事実を言っただけだろう」
平然と言うシュセキに、
「腹立つ!」
「僕もだ」
「僕がいつ君の気分を害したんだよ!」
「現在進行形で害されている。そこに居られると煩わしい。邪魔だどいてくれ」
ジュウゴはそれ以上何も言い返せなくなり、真っ赤な顔をしてその場を離れた。シュセキから極力距離を取らんと壁際まで行くと、腰帯の短刀を握りしめ持ち上げてから腰を下ろす。
「本ッ当にそっくりだよ、腹立たしいし素直じゃないし…」
ぶつぶつと悪態をついていたジュウゴははたと顔を上げて、
「君たちこそ『きょうだい』じゃないのか?」
同じく腰を下ろし、固定具を外して義足の調節に集中していたシュセキに言った。シュセキはジュウゴなど眼中にないのだろう。義足を眺めまわしながら「また理解不能なことを」などと受け流している。
「聞けよ、君の話だよ。君にそっくりな奴がいるんだよ。腹立たしくて素直じゃなくて目付きが悪くて口も悪くて感じ悪くて…」
「頭が悪い君に言われたくない」
「そういうところが!」
シュセキを指差して唾を飛ばした。
「君は『きょうだい』が何なのかを調べていたんじゃないのか?」
「別に調べてはいない。それに関する情報はどこを探しても無かったから調べようがないために気になっていただけだ」
「それを調べると言うんじゃないのか?」
「調べようがないと言っただろう。相変わらず理解力も低いな」
「理解してないのはそっちだろう! 僕はコウじゃないしコウとワンは『きょうだい』じゃないし似てないし、君こそ彼女とそっくりだから『きょうだい』なんじゃないのかと提案しているのに聞き入れないのは君の方で…」
「外に出るか。君の話を理解出来るのはジュウシだけだろう。彼を介さないと君の意図など誰も理解しない」
「だからジュウシは死んだんだって!!」
唐突に入口の扉が開かれた。振り向いたジュウゴは腰を下ろしたまま腰を抜かしそうになる。先の男が殺気とはまた違う暗い空気を纏って入ってきた。足元にはワンが続く。
「どこに行っていた。話の続きがある」
シュセキは男の雰囲気に頓着しない。常から男はこんな感じなのかもしれない。
男はシュセキの問いかけに答えないまま顔を上げ、その淀んだ視線でジュウゴを捉えた。ジュウゴ身じろぎも出来ずに壁に押し当てた手指を強張らせる。
「大丈夫だ」
見ると男の手はワンの頭の上に置かれていた。ワンに向かって言ったのだろうか。
「お前に聞きたいことがある」
ヤモリや子どもたちにそうしていたみたいに男に体を擦り付けるワンの姿にジュウゴは目を見張った。ワンが自ら男子にすり寄るなんて! 君は女子との接触を好んでいたんじゃないのか…
「聞け」
「ぅわあッ!!」
眼前に男の刺すような視線と不機嫌な顔があって、ジュウゴは悲鳴と共に退いた。しかし座っていたのは壁際だ。それ以上、後ろに下がれるはずもなく後頭部を思い切り打ち付け壁伝いに尻から床にずり落ちただけだった。明滅する視界の中で見下ろす男と目が合う。
「お前に聞きたい」
「……はい」
怯えるジュウゴにまるで無関心にシュセキが立ち上がり、体を揺らしながら奥の通路に去っていった。義足の調製は上手く出来たらしい。訓練もせずにすでに歩けるなんてさすがシュセキだ。ではなくて…
「お前は、」
なんでこの男と僕を置いていった!?
「コウの最期を見届けたのか」
「最後?」
「コウが死んだ時その場にいたか」
いた。死んだ時も死ぬ前も死んだ後もしばらくずっと。
「教えてくれ。どんな最期だった」
男が目を伏せた。こんな顔も持ち合わせていたのかと、ジュウゴは男の意外性に驚く。
ワンを見遣る。じっと黙って見つめられていた。コウが眠ったあの洞穴の中のように、ジュウゴの必死さに反比例して落ち着き払っていたあの時と同じ目で、ワンはジュウゴを見つめていた。
「……僕が起きた時には、コウはぐっすり眠っていました」
授業中のような敬語になってしまったのは、男からの質問がアイのそれに似ていたからだろうか。それとも考えるより先に彼の何かが彼にそうしろと指示を出したのかもしれない。
いずれにせよジュウゴは、コウの『おにいちゃん』に彼の『かぞく』の最期を非常に畏まった敬語と丁寧な口調で話し聞かせた。
* * * *
新しい左脚に注意深く体重をかけながら廊下を歩く。一本の足では移動も直立も体力を使うから、目についた木の枝を支えに使わせてもらった。だがそれはそれで不便があった。片手もしくは両手が塞がると立ち歩く事はできてもそれ以外の作業に支障を来す。枝は加工して握りやすくはしたが、如何せん右脚への負担は免れず慢性的に腰が軋むようになった。だからこの右脚は非常に良い。両手ともに自由になるし、何より自分の足で立てるということがこれほど快適で興奮するものだったとは、脚が二本あった時は気付きもしなかった。どこの誰の手によるものかは不明だが作り主には感謝する。ついでに運び手のジュウゴにも。
だが彼に直接礼などすれば必要以上に騒ぎ立てて図に乗ってやかましくなるから絶対に言ってやらない。クマタカの暴走から解放する手助けはしたのだ、それで十分だろう。もう一度クマタカを退けろと訴えられたがそこまでしてやる義理は僕にはない。彼は他者に期待しすぎる。
それにクマタカの怒りは収束していた。もう彼がジュウゴに対して理不尽な暴力を行使することはないだろう。彼は常に理不尽で粗暴だが話がわからない男でもない。典型的な地下に住む者といったところか。
―ウミになってた、サンの方ね―
地下に住む者は各々に『名前』と呼ばれる固有名刺を持つ。ならば彼女も地下になったのだろう。いや、地下に『戻った』と言うべきか。
―ウミは女の子だもん―
元々持っていたのだろう。彼女は最初から『名前』を持っていた。僕の推論は正しかった。それが立証されたことは喜ばしい。だが、
地下空間に至る。入り口に置きっぱなしの、油に捩った布切れを浸しただけの証明装置に火をつけた。弱々しい光源を頼りに発電機まで歩み寄り、膝をつきかけたところで思い出して二本の足で立ったまま、機械から垂れ下がった紐を力を込めて数回引いた。発電機が耳障りな音と振動を響かせて起動する。この足で踏ん張るのは割りと厳しいかもしれない。なにせ幅が無い。右に比べて新しい左脚は薄くて細くて硬い。歩くだけでなく立ち続ける練習、踏み込む練習も必要そうだ。
徐々に明度を上げていく照明を確認してから、手元の照明装置の火を暖房器具に移した。消えそうに凍えていた火は可燃物に燃え移った途端に態度を変えて、威張り散らすように激しく燃え上がった。キュウやジュウイチを侍らせた途端に、やけに声量が高まり、自信過剰になっていたゴウに似ている。
―お前の乗っていた夜汽車はもうない。中身は俺たちが絞めた。この缶詰がそいつらから搾ったものだ―
僕と彼以外は皆缶詰になったと思っていた。そう聞かされたしそれを否定する材料も無かったしクマタカの言い分は筋が通っていたから。だが証明する材料も無かった。聞かされたことが必ずしも正しいとは限らないことなど、アイの言動から分かっていたことなのに。自分の怠惰に失笑する。
「別に君たちを笑ったわけではない」
怪訝そうに僕を見下ろしていた植物たちに釈明した。植物たちはまだ訝しげに僕を見ていたが、やがて室内温度が上昇してきたことに気付いたのだろう。徐々に枝を葉を広げて天井を仰ぎ始めた。
「遅れてしまったことを謝罪する。存分に温まってくれ」
僕は彼らに声をかけたが既に誰も聞いていなかったかもしれない。植物たちは各々、縮こまっていた体を開き、嬉しそうにきらきらしている。つられて僕の口もとも綻ぶ。
―ウミになってた―
缶詰になっていないならよかった。まだこの地上にいるというならそれでよかった。だが、
出来ればジュウゴを通してではなく自分の耳で聞きたかった。