00-90 ヤチネズミ【再教育】
過去編(その42)です。
「生産体は受容体とは異なり、その身が尽きるまで体内で薬の精製が続きます」
いつ以来の塔だろう。二年ぶりか? 三年近いかもしれない。結構地上に出てたんだな、とヤチネズミは感慨に耽る。
「年月を追うごとに薬の効能は強まるのが一般的ですが、効能が徐々に変化した例も報告されています。よって全ての生産体は定期検査を義務付けられています」
それにしても低いな、ヤチネズミは黒目だけで天井を見あげる。
「加えて生産体は自身の持つ薬の効能に習熟していなければなりません。検査結果は自分で記憶し、管理し、誰に聞かれても答えられるよう努めてください」
狭いな、視線を真横に移し、手を伸ばせば届く壁に指先で触れる。
「三年一ヶ月十二日と五時間四七分八秒ぶりに行われたヤチネズミの検査結果は、三年一ヶ月十二日と五時間四七分八秒前のものとほぼ数値に変化はありませんでした。薬の効能に変化は見られないという意味です。つまりヤチネズミの薬を受け継ぐことができる生産体は他になく、加えて、ほぼ全ての受容体も受け入れられません。端的に申し上げれば、ヤチネズミの薬を入れられた者は生産体、受容体の区別なく死亡します」
壁に触れた指先がびくりとして止まる。
「ヤチネズミはご自分の薬の効能を自覚しなければなりません。検査結果と向き合い、把握し、今度こそきちんと記憶してください」
連日連夜、昼夜を問わずに続けられる再教育の中で、耳鳴りとして聞こえてくるほど繰り返されてきた定型文の中で、聞き慣れた音声を無感情に聞き流す術を手に入れつつあるのにいつも同じ部分で反応してしまう。
そしてヤチネズミのその微細な反応をアイは見逃さない。
「復唱してください、ヤチネズミ。ヤチネズミの薬を入れられた者は生産体、受容体の区別なく死亡します」
平静を装おうとするヤチネズミに反して、その身体は心拍数を上げる。呼吸を乱し気道を閉塞する。
「今度こそ確実に記憶するためです。復唱してください、ヤチネズミ。ヤチネズミの薬を入れられた者は生産体、受容体の区別なく死亡します」
息苦しい。胸が頭の奥が、痛くて重くて目が熱い。
「復唱してください、ヤチネズミ。シチロウネズミやミズラモグラのような不幸な『事故』を避けるために、ヤチネズミはご自身の薬の効能を熟知する必要があります」
シチロウ。
「復唱してください、ヤチネズミ。ヤチネズミの薬を入れられた者は生産体、受容体のく…」
「アイ、」
「はい」
壊れた目覚まし時計のように同じ一文を繰り返していたアイが、ようやく止まる。
「ハツに会わせて」
「ハツカネズミは現在、事情聴取中です。旧ムクゲネズミ隊の皆さんはお会いできません」
「アカに会わせて」
「アカネズミは現在、検査のため隔離中です。どなたも面会できません」
「せーじ…」
「旧ムクゲネズミ隊の皆さんは、部隊長であったムクゲネズミの不審死の原因究明のため、現在、各々個別に事情聴取中です。供述に一切の齟齬が無く、ムクゲネズミの死には無関係と判断されたヤチネズミのみ事情聴取を終了しましたが、ヤチネズミにはシチロウネズミとミズラモグラを死に追いやった責任があると判断されました。よってヤチネズミには再教育を実施中です。ヤチネズミは再教育を受ける義務があります」
ヤチネズミは両手で目元を覆っている。唇が歪むほど歯を食いしばり、肩を震わせ俯いている。
「復唱してください、ヤチネズミ。ヤチネズミの薬を入れられた者は生産体、受容体の区別なく死亡します」
「『………ヤチネズミの、薬を、いれられた……』」
「入れられた者は生産体、受容体の区別なく死亡します」
「『……は、生産体、の…』」
「生産体、受容体の区別なく、」
「『せいさんたい、じゅようた、…の区別、……なく、』」
「死亡します」
「……し、ぃ……」
「死亡します」
喉の奥で嗚咽が漏れる。
「死亡します」
「アイ、」
「はい」
「ごめんなさ…」
「ヤチネズミはアイに対して謝罪をする必要はありません」
「ごめんなさい……」
「それはアイに対する謝罪ではありません」
「もう、ゆるして……。おねがい…」
「ヤチネズミはアイに謝罪するべきではありません。ヤチネズミが謝罪すべきはヤチネズミが自身の薬の効能を忘却し、乱用したために死に至らしめたシチロウネズミとミズラモグラに向けるべきものです。
不幸な事故はいかなる時も起こり得るものですが反復は許されません。ヤチネズミはもう二度とそのような『事故』を起こさないよう猛省し、学習するべきです」
「シチロウ……」
「シチロウネズミはいません」
「トガちゃぁん……」
「トガリネズミはいません」
誰か。
「復唱してください」
もう、ゆるして。