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00-89 ヤチネズミ【真実】

過去編(その41)です。

 ヤチネズミの薬はアズミトガリネズミの薬に非常に似通った効能が見受けられました。しかし仕組みは大きく異なり、ヤチネズミは今後一切、飲食物の消化吸収が不能になると考えられます。れっきとした一種の薬であることは確かですがそれを受け継ぐことができる生産体は他になく、また、薬合わせをした受容体たちは尽く副作用や反作用を起こしました。無事生還が叶ったのはハツカネズミだけです。つまりヤチネズミの薬は用途がありません―


「生産体は生産体でも作りだしても増やせない、作りだしても意味がないのが君の薬でしょう?」


 何を言っているのかと見下すようにオリイジネズミは吐き捨てる。


「検査に死亡事故はつきものですが、君ほど薬合わせで受容体を死なせた生産体は初めてというではありませんか」


「『死なせた』……?」


 誰が? 誰を? ヤチネズミは両目を何度も瞬きする。何の話だ? 何、言ってんだ、このおっさん。ヤチネズミは目の前の男の言わんとしていることを理解しようと考えを巡らす。中身の少ない頭蓋骨内で必死にオリイジネズミの言葉の意味と合致する事実を検索する。そしてそれは比較的新しい記憶の中で見つかった。


―……を終えます。お疲れさまでした―


 そうだ、アイだ。アイに言われた気がする。あれは塔にいた頃で、確か地下五階で、まだ『子ネズミ』って呼ばれていた頃で、


―ヤチネズミは検査を終えます。職務を全うされたということです。お疲れさまでした―


 そう言えばどうやって検査って終わったんだっけ。そもそも検査って何してたっけ。


―ヤチの薬でしょ。もらうに決まってるよ。俺らで唯一の純正生産体じゃん―


 ハツが来たんだ俺の部屋に。誰もほしがらない俺の薬をハツだけがほしいって言ってくれて薬合わせして、


 違う。


―もうやめて、もうゆるして、アイ……―


 シチロウ? ハツとの会話を思い出していたはずなのに、なんでシチロウの声が……


―だめだって! ハツ、やめろばか! たのむからやめろって……―


 違う。シチロウじゃない。あの時、アイに泣きながら許しを請うていたのは、



 * * * *



「大丈夫だよ、ヤチ。俺の身体ってすごいんだって。今までだって誰の薬でもいけたんだからヤチのだっていけるって」


 薬合わせのために部屋を訪れたハツカネズミは、いつもの笑顔でそう言った。自分の前に入室した受容体が遺体となって搬出されたのを見ていたはずなのに。


「なんでお前が来るんだよ! 出てけ、ハツ! ぜったいこっち来るなって!」


 大声で怒鳴り散らしながら久しぶりに再会した同室の同輩を拒絶した。


「ハツカネズミ、そちらに座ってください。できますか? アイがお手伝いしましょうか」


 もう何度聞いたかわからない同じ台詞をアイは繰り返し、入室した受容体に薬合わせの準備を促した。それまでの受容体は皆、拒絶した。自分よりも先に薬合わせをした受容体が尽く副作用か反作用にもだえ苦しみ、直後に動かなくなった身体がアイによって搬出されるのを見ているのだから当然だ。

 しかしハツカネズミだけは違った。それまでの受容体が必死に抵抗し、アイに強制的に薬合わせの場に座らされていたのに対し、ハツカネズミだけは自分の足でヤチネズミのそばまで来て、アイを一切煩わせることなく薬合わせに挑んだ。


「来んなよ馬鹿野郎ッ! 早く逃げろって!!」


 必死に説得するヤチネズミの怒号もハツカネズミにはどこ吹く風だ。


「それでは薬合わせを始めます」


「うん」


「やめろ!」


「いいよ、アイ。やって」


「ハツ!」


「大丈夫だって、ヤチ」


 ハツカネズミはにっこりと笑顔を向けた。そして、


「ヤチの薬でしょ。もらうに決まってるよ。俺らで唯一の純正生産体じゃん」


 本気で気のいい奴なのだ。絶対に目の前の相手を傷つけない、それだけを目標に掲げているような真正のバカなのだ。ハツカネズミもおそらく、少なからず恐怖を感じていただろう。怖くないはずがない。大抵誰でも死は怖い。しかしそれを理由にハツカネズミが取り乱せば、ヤチネズミは深く傷つくとハツカネズミは思ったのだろう。同室の同輩を傷つけるくらいなら自分が堪えよう、そう思ったのだろう。その証拠に、ハツカネズミの両手は笑顔とは裏腹に、振戦(しんせん)と呼ぶには激しすぎる振り幅で音が聞こえてきそうなほど震えていた。


「……やだ」


 嫌だった。これ以上自分の薬で受容体が苦しみ、もがき、死んでいく姿を見ていることが。それが同室の同輩にまで及ぶことなど耐えられるはずがない。


「やめろアイ! ぶっ壊すぞてめえ! やめろっつってんだろ!!」


 がなる。怒鳴る。喚き散らす。声ばかりが室内を駆け回って身体は全く動かない。


「腕を出してください、ヤチネズミ」


「絶対やだ…、痛っ! やだっていって…」


「ヤチ、大丈夫だって」


「お前は黙ってろ!」


「……ごめん、ヤチ」


「それでは薬合わせを始めます」


「やめろォッ!!!」


「いいよ、アイ」


「ハツ…!」


「ヤチ、」


 ハツカネズミがまっすぐに見上げてきた。子どもをあやしては泣きやませていたあの声で、トガリネズミみたいな包み込むような笑顔で、


「大丈夫だってば。ね?」


 右も左もわからない幼い子どもたちさえ無条件でハツカネズミに懐く理由を、ヤチネズミはその時初めて知った。

 ハツカネズミの笑顔から逃げるように目を瞑る。拡声器に向かって顔を上げ、


「お願いアイ、もうやめて……」


 泣きじゃくり、涙だけでなく鼻水も垂れ流しながら拭うことも許されないヤチネズミの嘆願は受け入れられず、アイによって薬合わせは行われた。



 * * * *



 そもそも全身を切り刻まれている最中に啜り泣きをする者などいるだろうか。痛みに耐えて歯を食いしばり、一切声をあげないように努めることはある程度ならば可能かもしれない。しかしシチロウネズミは違った。シチロウネズミは泣き喚いていた。叫んで叫んで叫び過ぎて血を吐いて、それでも叫び声を止められなくてかすれた声で絶叫していた。


 だからヤチネズミはシチロウネズミがどこにいるのかわかったのだ。厳重に閉じられた鉄扉さえも防音しきれず、通路に響き渡っていたあの声を頼りにシチロウネズミの個室にたどり着けたのだ。啜り泣きでは気付けなかった。


―シチロウは……、辛そうだよね確かに―


 記憶の中のあの泣き声はシチロウネズミのものではなかった。


―検査中の死亡案件は珍しいことではありません。生産体にも死者はあります。ネズミの皆さんが職務を全うされた結果です。ヤチネズミが気に病むことはありません―


 苦しみながら死んでいった受容体たちのように、あるいは薬合わせの直後に息絶えた受容体たちのように、一時的に動かなくなったハツカネズミを見下ろして涙さえ流せずに震えていた時、アイはそう言って慰めてくれた。背中を上下に滑る圧縮空気が誰かの手の平みたいで、でもやっぱり誰のものでもないまがいもので、それでもその重みが優しかった。


―生産体の皆さんには定期的に塔に帰還していただきます。薬の効能は時間の経過と共に体に深刻な影響を与えるという事例もあります。また効能に変化がないか、後進の生産体への引き継ぎおよび受容体への薬合わせも兼ねての定期検査です。時期や詳細は部隊長より連絡がありますので地上活動中は必ず部隊長に従ってください―


 もう二度と検査なんて受けたくなかった。受容体に、子ネズミたちに会うのが怖ろしかった。不本意だったとしても自分の身体が犯した罪に向き合いたくなかった。塔から離れれば罪に向き合わずに済む。意識しなければ記憶は薄れていく。そうやって自分を誤魔化して、見てみない振りをし続けて、都合良く事実をうやむやにして記憶を書き変えて、いつの間にか何もかも無かったことにしていた。


―行きたくないなら行かなくていい―


 塔からの招集を渋る自分に、ハタネズミはそう言ってくれた。帰ったところで待っているのは検査と検査と風呂と検査だったし、他の連中は温かい飯にありつけると喜んでいたが、本物の餅も絵に描いた餅も変わらないヤチネズミにとっては、仲間の幸せそうな顔を見せつけられることも苦痛だろうと部隊長は気を使ってくれた。その思いに嬉々として従った。


「生産体というだけで『あの男』の部隊に呼ばれたそうですが、碌な教育を受けてこなかったのでしょうね。あの男が上官ならば仕方ないかもしれませんが。おおよそあの男のその場しのぎの甘言にほだされて忍耐も努力も怠ってきたのでしょう」


 オリイジネズミの皮肉は正しい。甘やかしと優しさは似て非なるものだ。ハタさんはヤチに甘過ぎます、アズミトガリネズミも言っていた。お前、ハタさんに気に入られてるからって調子こくなよ、トクノシマトゲネズミにも小突かれた。


「だいたいあの男は全てにおいてだらしがなかったんです。規則は守らない、検査は受けない、会議に欠席は当たり前でたまに気まぐれで来たかと思えば定時を守ることは無く、遅刻してきて勝手に早退するなどあり得ないでしょう! 情報の共有も疎かだったからこうして君みたいな非常識で世間知らずな子ネズミを育てる羽目になるんです。加えてあの男ときたら……」


 ハタさんは知らなかったんだ。俺の薬が『薬』じゃないことを。自分の薬の効能は生産体が自分で把握しておくものだから。いくら部隊長って言ったって部隊員全員の効能まで覚えるのは大変だから。


「そもそもネコが出たと言ったって所詮は女の集団ではしょう。殺してはいけないのであって一切手を出ししてはいけないなどという決まりはありません。適当に動きを封じて良さげな者を摘めばいいだけの話を、全く手も足も出さないでやられっ放しで救援を呼ぶなど、どういう体たらくですか」


―聞いていますか? ヤチネズミ―


「聞いているのですか、ヤチネズミ君」


 最初から間違っていた。救えるはずが無かった。俺自身に期待なんてしてするもんじゃない、しちゃいけなかった。だって俺は。だから俺が。俺がシチロウを…、


―仕方のないことです。よくあることです。ヤチネズミが気に病むことはありません―


「君の責任です。どれほどの子ネズミを犠牲にしたと思っているのですか、君は他の生産体とは違うのですよ」


―不幸な事故はいついかなる時も起こり得ます―


「まともな生産体ぶって薬合わせをしようなどと、よくも考えましたね―


「ヤチネズミ」


―聞いているのですか! ヤチネズミ君―


「聞こえていますか? ヤチネズミ」


―ヤチネズミ君!!―


「ヤチネズミ?」


 現実で鼓膜を震わせたアイの声に我に帰った。ヤチネズミは布団の上で起き上がる。


「休憩は終了です。再教育を再開します」


 返事もせずに息を吐き、黙ってアイに従った。

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