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00-83 カヤネズミ【想定外】

過去編(その35)です。

 馬鹿野郎ォッ!!! くそ野郎! 

 

 なに勝手に死んでんだよ、なにが『ごめん』だよ、何に対してのごめんだよ、謝れば済むと思うなくそ野郎! くそシチロウ!! 何が! なんで、なんで……


 約束くらい守れ卑怯者ッ!!


 お前なんて死ぬまで一生、死んでも絶対、絶ッッ対に許さねぇからなぁッ!!



 ヤチネズミはバカだ。三六〇度どこから見ても、三六五日いつでも休みなく、誰もが認める正真正銘の大馬鹿野郎だ。


 誰にも聞かれていないと思っている。皆、気づいていないと思っている。皆が寝るまで耐え抜けたとか、誰にもばれていないとか、多分本気で疑いもせずに信じている。例えそうだったとしても今の大声で廃屋(なか)のみんなも起こされるって。恥ずかしくなるほど痛々しくて、救いようのないバカネズミだ。


 そして俺は、カヤネズミは握りしめることのできない両手の緩い拳を震わせる。そして俺は、ヤチに勝るとも劣らない、手の施しようの無いくそ野郎馬鹿だ。


 なんで勝手に安心していた? なんでヤチは大丈夫だと決めつけた? 隣室(あい)()連中()の仲の良さはいつも見せつけられていたのに、なんで平気だと思い込んだ?

 大丈夫なわけないだろう。シチロウが死んで、目の前で死なれて、その直接の原因を作ったのがヤチ自身で。

 泣きたかったに決まっている。怒り狂って怒鳴り散らして喚いて叫んで蘇生だって望んだかもしれない。

 でもハツが先にぶっ壊れてしまった。止めなくてはならなかった。止めたら止めたで後には打ちひしがれて動けない子ネズミたちが残されていて。


 なぁヤチ、お前が許せないのはシチロウじゃなくてお前自身だろう。

 俺は何を見ていた? あんな一生ものの呪縛を自分にかけるような馬鹿(ヤチ)が強い? どんな見誤りだって話だよ。俺は何をしようとしていた? これ以上、あいつに何を負わせようとした?



 信じがたい鈍感さと自分のことしか考えられていなかった薄情さを思い知らされ、カヤネズミは俯いた。

 ヤチネズミはまだ気付かれていないと思っていたらしい。手の平と言わず甲と言わず、腕全体を使って顔中を拭ってから、「なんだよ」と鼻声を発した。後ろめたさから頭を垂れ、口ごもったカヤネズミは背後の不穏な騒がしさに気付く。近づいてきた足音は、


「ハツさんが起きました」


 息を切らせてワタセジネズミが言った。




「ハツ?」


 ヤチネズミが間近に膝をついて呼びかける。廃屋の柱に縛り付けられ、四肢と会話の自由を奪われたハツカネズミは黒目がちの両目をヤチネズミに向けて頷いた。


「大丈夫か? 頭いってないか?」


 もっと別の尋問の仕方はないのかとカヤネズミは辟易するが、上手く喋ることが出来ない今の自分にはどうすることも出来ない。


「暴れるなよ、絶対な。自傷行為もすんな、いいな」


 ハツカネズミはすっかり物わかりのいい顔をして何度も頷く。


「外すぞ」


 言ってヤチネズミが猿轡(さるぐつわ)代わりの小汚い布切れを掴む。ハツカネズミは涎が糸を引く布切れを吐き出すと開口一番、


「誰の何?」


 そのあまりに普段通りの様子にカヤネズミは何かが引っ掛かった。


「ヤマネの靴下だ。(にが)かったか?」


 ヤチネズミが大真面目に答えて、ハツカネズミの唾液付きの靴下をヤマネに押し付けた。


「味はわかんないけど気分的に」


「まあな。どっちかと言えば酸っぱいかもな」


 汚れた手指をカワネズミの上着で拭いながらヤチネズミは頷きつつ、


「お前、何ともないのかよ」


 ヤチネズミの真面目な質問に、顔を顰めたヤマネと上着の裾を摘み上げていたカワネズミも真剣な面持ちになり、全員がごくりと生唾を飲んでハツカネズミを見守った。ハツカネズミは口の中の気分的な不快さを散らすようにもごもごと頬と唇を動かしていたが、皆の視線を見上げると肩を竦めて小さくなり、上目遣いに周囲を見回した。そして、


「ごめんね?」


 あまりに普通過ぎて拍子抜けするその一言に、間の抜けた息が方々から漏れる。


「ごめん……なさい」


 さらに小さくなって叱られた子どものような態度で俯く。カヤネズミの眉根が徐々に接近する。


「ハツ、お前…」


「もう大丈夫だよ!」


 ヤチネズミが言い終わる前にハツカネズミが身を乗り出して言い張った。ヤチネズミでさえ怪訝そうに眉根を寄せる。


「それよりカヤ!」


 突然呼ばれたカヤネズミはびくりとした。隣にいたドブネズミが振り返る。


「カヤこそ大丈夫? 何それ、その怪我……、『かわいがり』?」


「みたいな感じです」


 上手く話せないカヤネズミに代わってドブネズミが答えた。ハツカネズミは悲壮感を漂わせて悔しげに顔を顰めた。


「ハツさ…」


「ごめん。俺がもっとちゃんと掃除してれば」


 ハツカネズミを呼ぼうとしたヤマネが固まる。

 子ネズミたちも違和感を覚え始めていた。互いに顔を見合わせ、首を傾げ、横に振り、無言で縛られた男を見下ろす。


「副作用ですかね?」


 ドブネズミが耳打ちしてきた。カヤネズミは答えられない。そうだとしてもどういう副作用だ? 記憶の欠落? ならば一体いつからの……


「ヒミズたちの遺体は?」


 尋ねられたワタセジネズミはたじろぎ、しどろもどろになりながら仲間たちの墓を指差す。


「そっか」と呟いたハツカネズミは切なそうに盛られた砂の方を見つめた。


 記憶はあるのか、とカヤネズミは思う。ヒミズたちが死んだことは、ネコの奇襲と遁走はちゃんと覚えているらしい。


「ハツ、」


 ヤチネズミが覗きこむように同室を呼ぶ。ハツカネズミは仲間たちの墓から生きている仲間に視線を移し、それから怪訝そうにその腕の傷に目を細めた。


「どうしたのそれ。ヤチ、そんな怪我してた?」


 カヤネズミの胸がざわつく。


 ヤチネズミが「はあ?」と間抜けな顔を突き出してから左腕の腹とハツカネズミの顔を見比べて、


「怪我っつうか薬合わせで…」


「薬合わせ? 誰と?」


 まさか。やめてくれ。


「ヤチの薬の受容体って俺だけじゃん」


 カヤネズミは外れてくれることを望んだ予測の的中に愕然とする。


「何言ってんだハツ、お前だってさっきシチロウに…」


 声を荒らげそうだったヤチネズミの肩をカヤネズミは掴んだ。実際は爪が無いから力も入らなくて肩に手を置いただけだったが、ヤチネズミの興奮はドブネズミが抑えてくれた。


「ヤチさん、ちょっと」


 ドブネズミがカヤネズミに頷きかけながらヤチネズミを呼んで、ドブネズミとヤチネズミ、そしてカヤネズミが皆から距離をとった。ハツカネズミはまだ、子ネズミたちにヤチネズミやカヤネズミの怪我の具合を尋ねたりしている。


「カヤさん、あれって…」


「ムクゲの副作用か!?」


 二つのくどい顔に迫られてカヤネズミは俯いた。ドブネズミは死んだ体の薬を入れた自分を悔やみ始め、ヤチネズミは副作用か反作用かと心配をしている。しかしどちらも違う。


 ムクゲネズミは死んでいたけれども薬はまだ生きていた。副作用や反作用は起こり得るけれども、ハツカネズミはいかなる薬でも完璧に受け継ぐ受容体だ。ハツカネズミはムクゲネズミの薬を確実に受け継いだ。副作用も反作用もなく効能を発露させた、目的のために無駄を省くという効能を。


「喋れなくても書くとかできないのかよ」


 小声で怒鳴るヤチネズミに、


「爪剥がされてるんですよ」


 小声で叱責するドブネズミ。「ああそっか」と舌打ちするヤチネズミは焦燥を抑えきれないのか立ったまま貧乏ゆすりしている。


「でもなんかわかったんだろ? わかってる部分だけでいいから教えろよ、あれが副作用じゃなかったら何なんだよ」


 話せるとは思う、話そうと思えば。しかしカヤネズミは口に出せない。ヤチネズミはこれ以上の重荷を背負えない。ドブネズミには事態に対処できる器用さが無い。それ以外の子ネズミたちに伝えたとしても、ただ動揺が広がるだけだ。どうする、どうする考えろ。働け、俺の前頭葉。


 辛うじて動いたのは横に揺れた頭だけだった。ヤチネズミはそれを否定と受け取ったらしい。


「副作用でも反作用でもないなら何なんだよ」


 焦ったように責め立てる声を聞きながら、何にしよう、とカヤネズミは考える。そして、


「……こあれた」


「壊れたぁ?」


 ヤチネズミの素っ頓狂な声に子ネズミたちが振り返る。その奥にはハツカネズミの顔も。


「壊れたって何が」


「俺もよくわかんなかったです」


 ヤチネズミが慌てて小声になり、ドブネズミと示し合わせたように迫ってきた。カヤネズミは隠れるように身を引く。そういうことにしておこう、と付け焼刃な憶測を頭の中で構築し、


「かんじぉうと、きおく、が、」


 壊れた、と伝えた。


 ヤチネズミが喧嘩腰で喚きだし、ドブネズミが唖然として細い目を見開く。カヤネズミは頭を抱えて腰を落とし、震える両手の中で瞼を瞑り、食いしばれない歯を鳴らす。

 自分の目論見はことごとく望んだものと真逆の結果に向かうのだろうか。全ては自分の蒔いた種だとしても、詰めの甘さが原因だとしてもそれでも、


 それはないだろう、ハツ。

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