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00-82 カヤネズミ【空】

過去編(その34)です。

 日が暮れて過ごしやすくなる頃には六つの穴が完成していた。六割方はヤチネズミの仕事だ。動けないカヤネズミたちは黙って穴のそばに立ち、それ以外の者たちは黙々と仲間の遺体を運び、ハツカネズミはまだ眠り続けていた。誰も何も相談さえしていないのにそれぞれの遺体は十分な数の手によって丁重に処理され、包まれ、横たわらされた。ムクゲネズミを除いて。


 さすがに見かねたカヤネズミが誰かに声をかけようとした時、セスジネズミが片足を引き摺って歩きだした。無言で横たわる部隊長を見下ろしていたが、微かに視線を落とした後でその身体を持ち上げる。先ほどの会話から少しは打ち解けたのだろうか。ジネズミが戸惑いつつセスジネズミに近づいた。


「世話になったことは事実だから」


 そうかもな、とカヤネズミも同意する。


「手伝います」


 ジネズミの予想外の申し出には、カヤネズミだけでなくセスジネズミさえも驚いたようだ。


「部隊長ですから、一応」


 誤解が解けて従順になった部隊員に、セスジネズミも素直に礼を告げた。


 ヤマネはずっと泣いていた。泣きながら砂をかけ、鼻水を啜りあげながら咽て唾と一緒に砂を飛ばし、肌着だった物の裾で鼻をかんでは砂をかける。顔も手も砂にまみれた見苦しい男の汚い泣き声は、何もかもが色をなくした空の下ではありがたい騒音だった。


 カヤネズミは子ネズミたちの墓を一つずつ回りながら、それぞれに同じだけ砂をかけていった。ムクゲネズミにも一応、一握。あれほど憎い相手だったのに、殺さねばと心に決めて実行に移して結果的に本当に死に追いやれたのに、今となっては憎悪や軽蔑よりも申し訳なさの方が大きいのは何故だろう。あれほど考えなければと思っていたたくさんの問題が、今は何一つ輪郭さえ覚束ないのは何故だろう。何故……。

 頭がまた重みを増してきて、カヤネズミは重たい瞼を一度閉じた。それからゆっくりと重力に逆らって視界を開く。休もう、それがおそらく今一番必要なことだ。ムクゲネズミの身体に小さく目礼してその場を離れた。


 最後に来たのはシチロウネズミのところだった。言いたいことがあり過ぎて、何を思いながら埋めてやればいいかわからなかくて、悔しくて寂しくて腹立たしくて悲して空しくて。


 同室だったこいつは何を考えて砂をかけているのかと、向かい合う形になったヤチネズミを盗み見る。啜り泣きの大合唱の中、部隊内で一番の無泣き虫はしかし、涙を一滴も流さずに黙々と砂をかけていた。お陰でシチロウネズミの墓だけは十分すぎる砂が盛り上がってしまっている。俺の分もとっておけよ、とカヤネズミは疲れた息を吐きだした。


 その息使いに気付いたのだろうか。ヤチネズミは無言でその場を後にすると、ヒミズの眠る方に行ってしまった。そちらでも一切表情を変えず、怒ったように砂をかけている。ドブネズミが呆気に取られるほどに。ヤチネズミはそこも早々に後にすると、最後はミズラモグラの前まで行って土下座していた。


 意外に強いんだな、カヤネズミはヤチネズミの背中をぼんやりと見つめる。それから緩慢にシチロウネズミの墓に目を戻すと、


「先わしりぃ~……」


 全然似ていない口真似に子ネズミたちが顔をあげた。




 口裏を合わせておくことにした。提案者は誰だったか。しかし皆が同じことを考えていたと思う。救援を呼んだが最寄りの部隊でも今日は間に合わないというし、ならば明日までに何が起こったことにするかを決めておかねばならない。


「掃除中にネコが出たことは報告しましょう」


 それは当然だ。事実だし被害の多さの言い訳にもなる。


「ムクゲのことは何て言う?」


 問題はそれ。


「流れ弾ってのは?」


「どこからの。地下が拳銃持ってるってか?」


「俺が撃った弾が当たっちゃったとか」


「それは……」


 無理があり過ぎるだろう。


「撃たれたって言わなければいんじゃ…?」


「それだ!」


「ネコにやられたってことで」


「部隊長が前線に出てきてたっておかしいだろ」


「そうだって。ましてやあいつがさ」


 確かに。


「でもあいつ、外面は良かったっていうじゃん。俺らを庇ってとか言えばあいつの株も上がるし」


 なるほど。


「じゃあ掃除中にネコが出て、ムクゲが前線(まえ)に出てきて、犠牲になった、と」


 ばっちりじゃん。


 ムクゲネズミの本性を知るものが聞けば絶対にあり得ないとばれる嘘だったが、救援の部隊がそうでないことを祈ってそういうことにしておいた。


 詰めが甘過ぎる。いつもならタネジネズミか誰かが指摘したであろう大きすぎる穴を、その時は誰も見えていない振りをした。誰もが疲れ果てていた。身体だけでなく頭を使うことさえ。


「ハツさんは?」


 ヤマネが言って皆が一斉にハツカネズミに振り返る。注目の的はまだ眠り続けていた。本当に眠っているのだろうか。もしかしたら死んでいるのではないか? そんな疑いさえ持ちたくなるほどハツカネズミは静かだった。


「シチロウが犠牲になって取り乱した、でいいだろ」


 ヤチネズミが呟いて全員が振り返る。ヤチネズミにしては冴えている、と恐らく誰もが思っただろう。カヤネズミがそうだった。嘘は含まれていないし言い訳としても成り立つ。ハツカネズミほどの男が取り乱せば当然縛りあげるしかない。


「……はい」


 ヤチネズミに対して完全に敬語を使うようになった子ネズミたちが頷き、カヤネズミは同輩を見つめた。


 話し合いが一段落すると、ヤチネズミは何も言わずに円座を離れて廃屋の外に出ていった。こんな時に場違いに、腹が立つほどのいい夜だ。天の川ははっきりと白くて三日月まで笑っている。皆、泣き疲れて、疲れ果ててずたぼろなのに何が楽しい? カヤネズミにはわからない。笑顔で子ネズミたちを『かわいがる』ムクゲネズミの気持ちが最後まで理解出来なかったように。


「一度休もう」


 ドブネズミが言った。「みんな、一回寝るべきだ。寝てないだろ?」


 そうだよな、とカヤネズミは頷く。こんな穏やかな夜に寝るなんてどうかしていると思いながらも、一日中動きまわって寝食もままならなかった子ネズミたちには休息が必要だというのは同意する。ジネズミとタネジネズミが見張りを買って出て、カヤネズミは適当に相槌を打って、皆、言葉少なに三々五々、狭い廃屋の中で横たわった。横たわっているだけで本当に眠っている者など誰もいないのに、誰もが瞼を閉じている他の者に気を使って息使いさえ押し殺している。


 カヤネズミは外でじっと佇んでいる同輩を見つめた。昼間の騒動から今に至るまでのヤチネズミの冷静さと行動の早さは、正直、予想外だった。もっと取り乱して泣きじゃくっていると思っていた。すぐに泣くとはシチロウネズミから聞いていたし、精神年齢が永遠の五歳なのはカヤネズミも知っている。

 しかし部隊長を失って、その他多くの仲間も失って、頼りにされていた中心的存在は気が触れて、取り残された子ネズミたちにとってはこの上なく心細い状況だったはずなのに可及的速やかに最善と思われる事後処理を進められたのは、他ならぬヤチネズミのおかげだ。


 別に何か特別な立場にあるわけではないが、動けなかったとは言え何もかもやらせてしまったことが後ろめたくもある。労いと礼くらい言っておいた方がいいだろう。ムクゲネズミの薬のことも伝えておきたいし、とカヤネズミは上半身を回して傍らのドブネズミに声をかけようとした。しかし従順な後輩は思いっきり寝息を立てている。お前は見た目通りに図太いのな、と長い付き合いの後輩を見下ろしながら首筋を手首で擦り、カヤネズミは自分の力で立ち上がった。


 砂を踏む。全身が軋む。靴裏から昼間が残していった熱を感じ、そう言えば日焼けしたな、と呑気な感想を持つ。全身が痛くて、それが火傷なのか裂傷なのか、はたまた別の怪我なのか、どこがどんな痛みなのかが鈍麻していた。あいつはどうだろう、カヤネズミは顔を上げる。あの日差しの中で何時間も素肌を晒していたのだ、なかなかの焼け具合に違いない。皮膚呼吸出来てんのか? などと不謹慎なことを独りごちて鼻から息を吐いた。


「や……」


 呼びかけたまさにその瞬間だった。静かに佇んでいるとばかり思っていた背中が、静寂を破る大音量の怒声を放った。

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