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00-81 カヤネズミ【懺悔】

過去編(その33)です。

「カヤさん起きてますか?」


 ジネズミが小さく呼びかけてきて、カヤネズミの思考は中断された。俺が寝るわけないだろ、と苦笑するが頬も声帯も一切動かない。代わりにカヤネズミは瞼と額の皮を持ち上げた。額の肉ってこんなに重量あったっけ、などと思いながら。


「俺のせいなんです……」


 さらに小さくジネズミが言う。何の話だ? 頭が重いんだ、あんまり使わせるなわかりやすく言えって、とカヤネズミは思う。思うだけで声にはならないのだが。


「……シチロウ君に、ヤチの……、ヤチ…さんの薬、入れようって。……俺なんです」


 セスジネズミも振り返った。オオハシトガリネズミだけがまだ鼾をかいている。


「カヤさんの話、ちゃんと聞いてたはずなのに、……もしかしたらいけるかな、って、いけたらいいなって思って勧めました。

 ……ヤチさんはやめた方がいいって言ったのに、ミズラが上手くいかなかったんだから危険すぎるって言ってたのに」


 ミズラモグラの死因はヤチネズミの薬なのか、とカヤネズミはこの時初めて聞かされた事実に動揺した。ヤチネズミは以前話していたように、自分の薬を瀕死の子ネズミたちに分け与えたらしい。生産体の使命を全うして、受容体を助けるために。


「あ……、あんなことに、な、な…、て……」


 カヤネズミはシチロウネズミを見遣る。前のめりに蹲り、後頭部が弾けている。この場でシチロウネズミを撃ち殺す奴もその必要も見当たらないところを見れば、いや、一目で直感的にわかった。自分で撃ったのだろう。


「シチロウさんはなんで?」


 カヤネズミの疑問をセスジネズミが代弁した。こいつはシチロウのことを『さん』付けで呼んでたのか、とカヤネズミは少なからず驚く。思ってもいない方向から飛んできた質問にジネズミも目を丸くしたが、少しだけ逡巡した後で素直に答え始めた。


「……ヤチさんの薬、飲み食い出来なくなるってやつ入れた……入れました。瀕死の受容体に生産体の薬を入れたら助かるって聞いたから、……かもしれないって聞いてたから。……でも、で、シチロウ君、ヤチさんの腕……」


 そこまで言うとジネズミは俯いて押し黙った。黙るなよ、気になるじゃん、続けろってとカヤネズミは促したい衝動に駆られるが、喉の奥で弱々しい息が漏れただけだった。声が出ないとはこれほどまでに不自由なものなのかと、なくなって初めて気付くありがたみに苛々する。


「ヤチさんの腕が何?」


 セスジネズミが覗きこんで促した。いいぞセージ、とカヤネズミは目配せするがセスジネズミには届いていない。


 ジネズミの、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。オオハシトガリネズミの鼾よりも大きく。


「……シチロウ君、目の色変えて……、

 ……ヤチさんの血飲み始めた」


 散々勿体ぶった後で、ジネズミは肝心な部分を一息で言いきった。聞き間違いかと思ったカヤネズミは重たかったはずの瞼をすっかり持ち上げ、シチロウネズミに振り返る。


「ヤチさんは『薬がほしいんだよな?』ってシチロウ君に確認して、ハツさんは『薬合わせの時の混乱だ』って言い張って、そのうちヤチさんが『飲んでいい』って言い始めて、ハツさんが『そんな地下の奴らみたいなことをシチロウがするはずない』って怒り始めて……」


 反作用だ、カヤネズミはすぐわかった。シチロウネズミには合わなかったのだろう、ヤチネズミの薬が。そして、あれ? と別のことに気付く。ヤチネズミは自分の薬を誰も欲しがらなかったと言っていた。だからヤチネズミの薬を引き継ぐ後輩は生産体にも受容体にも誰もいなかったのだと。だが嫌がったところで相性が良ければ無理やりにでも入れられるのが受容体だ。生産体のヤチネズミはそれを知らないのだ、受容体の検査内容を。だとすればヤチネズミの薬は誰にも欲しがられなかったのではなく、誰の身体も受け入れることができなかったということではないだろうか。


「ハツさんとヤチさんがすごい喧嘩始めて、誰も止められなくて、俺らじゃ何も出来なくて、……そしたらシチロウ君が……。シチロウ君、……は、止めたんだと思う、……思います」


 セスジネズミが項垂れた。表情が変わらないとは言え、微妙な顔の角度で見え方は変わるものだ。シチロウ『さん』と呼ぶほどだ、セスジネズミはセスジネズミでシチロウネズミのことを慕っていたのかもしれない。カヤネズミがそんなことを思っていると、その視線が疎ましかったのだろうか、セスジネズミは両手で顔を覆い隠した。ジネズミも無表情の異変に気付く。


「セージ……さん?」


 ジネズミがおずおずと覗きこもうとした時、


「シチロウさんだけだった。普通に話してくれたの」


 ジネズミは何も言わずに口を閉じた。カヤネズミはまた新たな発見をする。仲間に誤解させていたのはおそらく計算のうちだったはずなのに、それでも仲間外れはセスジネズミの望むところではなかったのか、と。そして納得する。シチロウネズミはそういうところがあったな、と。


「すみません」


 ジネズミがまた言った。「俺のせいです……」消え入りそうな声だった。


 誰のせいでもないだろう、とカヤネズミは思う。誰か止められたのか? その状況で。ヤチの薬が合うか合わないかなんてやってみないとわかんなかったんだろ? シチロウだって受け入れたんだろ? やってみて駄目だった、それだけのことじゃん、シチロウだってわかってるって。なんで自分を責める? 


「ジネズミは悪くない」


 顔を覆ったままセスジネズミが言った。そうだって、とカヤネズミも同意しかけたが、


「俺のせいだ」


 今度はセスジネズミが言い出した。何言ってんだ? お前ら、とカヤネズミは顔を上げる。


「あの時、止めるべきだったのに動かなかった。カヤさんの説得に聞き入ってた。もしかしたら部隊が変わるかもしれないと思ったりした。ムクゲさんがいる時点でそんなことあるはずないのに」


 だったら俺のせいだろ! 計画も立案も詳細練り上げたのも実行に移したのも全部俺じゃん。俺おれ、俺だって!


「セージさんのせいじゃないです。俺が……」


 お前らバカか!? カヤネズミは唖然とした。声が出せたとしても言葉を失っていただろう。


 何だこいつら、何なんだ?? カヤネズミには子ネズミたちの頭の中が理解出来ない。もっと冷静に事実だけを見ろよ。お前らのしたことがこの結果のどこまでにどれほど影響を与えている? 微々たるものだろう? それぞれの微々たる失態が積み重なってのこの結果だろう? 強いて言えばこの場にいた『全員の』責任だ。もっと言えば俺。俺の責任だ。でも俺だってこんな結果を望んでいたわけじゃない。俺はムクゲだけを排除したかった、こんなことになるなんて思ってもみなかった。想定しきれなかった浅はかさが招いた結果だというならば、丸々十割俺の責任だろう。俺を責めろよ、それをお前ら……


―言ったじゃん。死なせないように指導することは必要でしょ?―


 自らが死に追いやった男が耳元で囁いた。うだるような暑さの中で冷たい汗が背筋を伝う。


―隊員を死なせないことが部隊長の仕事なの。そのために必要な教育っていうのがあるの―


 必要? 何が? 『かわいがり』?


「カヤさん?」


 ジネズミが首を伸ばす。視界には入っているはずなのにカヤネズミには見えていない。


「カヤさん」


 ムクゲネズミは必要だったのか? カヤネズミは俄かに混乱する。ムクゲネズミさえいれば誰も死なずに済んだのか? これまでがそうだったように。


「カヤさんのせいじゃないです」


 足元に転がる男の脂汗に気付いたセスジネズミも声をかけた。しかしカヤネズミの耳には届いていない。混乱し、思考が分断され、現実の音よりも記憶の中の声が頭の中を蹂躙する。


―これがお前のやろうとしたことだよ―


 シチロウ。


―どんどん死ぬよ。どんどん死ぬね―


 ミズラ、ヒミズ、アズマ、センカク。


「どんだけ死なせんの!」


「カヤさん!!」


 目の前にジネズミの情けない顔が迫っていて、カヤネズミは戸惑った。声を出せないから軽口も叩けなくて、同じく情けない顔で眉毛だけを動かして見せる。


「そんなに自分を責めないでください。俺たちみんな、カヤさんの言葉で勇気づけられたんです。みんなカヤさんの……、だから……」


 それはお前、俺がお前らに言おうとしたことだって。薬の効能が似ているというだけで必要以上に慕ってくれる子ネズミを見つめてカヤネズミは思った。情けなく汚い泣き顔を拭ってやることも慰めの言葉をかけてやることも出来なくて、カヤネズミは小さく頷いて見せただけだった。


 駄目だ、頭が重い。カヤネズミは後輩たちから隠れるようにして顔を隠す。顎を胸に押し付けて瞼を閉じる。


 全てが邪魔だった。哀れな子ネズミたちも、その同情も、その不安も、助けを求められることも、仲間たちの遺体も痛みもムクゲネズミも。


 考えねばならないのに。今一番やるべきことはそれだけなのに。これからどうするか、どうなり得るかの想定と対処方法、事前に出来る準備と失敗に備えての覚悟。そう、覚悟。覚悟していた、したはずだった。ムクゲネズミの首を取るには自分も怪我では済まないかもしれないと。それでもいい、それも仕方ない、それさえも考慮しての決行だったのに何故こうなった? 


 何が悪かった。ムクゲネズミが拳銃の弾を抜いていたこと? そんなの想定内だったろう? 自分はもうすぐ死ぬ身なのだしそれが多少早まるくらいどうってことはなかったはずだ。痛いのは痛いが痛いだけだ、生きている証拠だ。死なずにムクゲネズミを抹殺出来たのだ。計画通りだったんじゃないのか? なのになんで、


 なんで死んでんだよシチロウ! 何があったんだよ、ちゃんと話せよ、いつも俺には話してたろ? 話してくれなきゃわかんねえって。ハツのこともアカのこともお前、なんでなんにもいわないでこんな……


「カヤさん」


 どうする、どうする、どうなってんだ? 何があった? 何をすればいい? そんなになっちまったら薬もなんにも効かないじゃん。痛いけど治るからって子ネズミたちの身代り引き受けてたじゃん、何日かかっても治してたじゃん、今回もそれできなかったのかよ、なんでしないんだよ、なんでそんなぐちゃぐちゃのまま寝てんだよちゃんと治せよなんか言えよ俺は声でねえんだから頼むって言ってんのに


「カヤさん、」


 なんでみんな死んでんだよ! お前らじゃないだろ? 俺だったんだって、俺、俺、俺が死ぬはずだったのになんでヒミズ! お前が死ぬとかなんかの冗談だろ。とっとと起きてこい。どっきりしました~? とかふざけて見せろよいつもみたいにセンカク。ミズラはどこにいんだよ。どうなっちゃったんだよ。本当に死んだのか? 嘘でも許すから早く出て来い来ないとむしろ許さないからなって嘘うそ、許すから早く出てきてくれって頼むよアズマ、あ……、アズマぁ。みんな……。


 痛かったよなあ? 痛いよな、怖かったよな、ごめんな。ごめんなみんな。俺のせいだ。全部俺だ俺。何もかも俺のせいで俺が間違っててムクゲが正しかった。


「カヤさん……」


 ようやく出た声は、くぐもった唸り声に似た啜り泣きだった。


「カヤさん」


 ジネズミともセスジネズミとも違う野太い声に、カヤネズミは頷く。震える腕を持ち上げて目元を拭い、顔を上げて応じた。


「そんな状態の時にすんません。でも俺じゃもう無理です」


 ドブネズミは心底申し訳なさげに肩を竦め、本来の体格の半分ほどの大きさになって上目遣いで縋ってきた。カヤネズミは霞む目を凝らす。陽炎が揺れる砂の上で、ヤチネズミが一心不乱に砂を掘っている。カヤネズミが思い出す限りで先から同じ動きしかしていない。先から……。

 ……いつから?


「ずっとあの調子で日向(そと)に居っぱなしです。みんなで順番にやりましょうって言ってるのに聞く耳もたなくて」


 馬鹿ヤチ、カヤネズミはため息を吐いた。うちのブッチーを困らせるなよ。先とは違う感情で苛々する。


「…っちぃ……」


 ドブネズミに目配せし、ヤチネズミを指差して見せると後輩はすぐに察してくれた。ドブネズミに支えられてカヤネズミは立ち上がり、廃屋の外を目指す。


「カヤさん……」


 不安そうに涙目で見上げてきたジネズミに片手を持ち上げて見せて、カヤネズミは手のかかる同輩のもとへ向かった。

 いつの間にか鼾を止めていたオオアシトガリネズミが寝返りをうった。



「カヤさん」


 タネジネズミが気付いて、他の面々も振り返る。ごめんなお前ら、ヤチはバカだろ、と笑顔を向けたつもりだが、実際は潰れた顔が左右に動いただけだった。


「ヤチさん、ずっとあの調子で」


 カワネズミがドブネズミと同じ報告をする。お前ら、いつからヤチを『さん』付けするようになったんだよ、と取ってやりたい揚げ足を諦めてカヤネズミは眩しい外に目を細めた。頭と腕に肌着か何かの布を巻きつけて、ヤチネズミに怒鳴っているのはヤマネだろう。その間近の声が聞こえていないはずないのに、上半身が裸のヤチネズミは黙々と砂を掘り続けている。


「一時間交代にしましょう、って言ったんすけど」


 とワタセジネズミ。自分の頬の火傷には気付いていない。カヤネズミは傍らのドブネズミを見上げる。ドブネズミは視線を受け取ると、「多分、もうそろそろ二時間半くらい……」と答えた。


 死ぬ気か、あいつは。焼けネズミか、ヤチネズミだけに。

 カヤネズミはドブネズミの腕を叩いて下がらせると、痛い日差しの中に単身で出ていった。


「ヤッさん、ヤチさんて! もう交代、交代してよ、もう!」


 ヤマネと思われる顔の見えない子ネズミがぎゃあぎゃあと喚いている。カヤネズミの耳にでさえうるさく響くのだから、ヤチネズミは鼓膜の心配をした方がいい。それなのにヤチネズミは同室の後輩を完全に無視して作業を続けている。


「ああもうおっさん! いい加減にしてよぉ……」


 困り果てたヤマネがこちらに振り返り、「カヤさん!?」と素っ頓狂な声をあげて駆け寄ってきた。


「何してんすか! 体に障りますって、寝てて下さいよ」


 俺が寝ると思うか? と言い返したかったがカヤネズミは細めた目を向けることしか出来ない。


「カヤさんからも言ってやってくださいよ。ヤチさん、頭おかしくなっちゃって」


 今まさに中に入っていろと言った舌の根も乾かぬうちにヤマネはそんな依頼をしてくる。お前、俺の身体を労わってたんじゃないのかよ、と身体が自由ならば小突きたくなる。


 支離滅裂なうるさい子ネズミを肘の動きで追い払って、カヤネズミは服さえ着ないバカに歩み寄った。だが近くまではいけなかった。見ると随分な深さの穴が、既に三つも出来あがっている。この短時間によくもこれほど掘ったものだ。


「カヤさん、落ちないでくださいね」


 そう思うなら先に忠告しておけよ、使えない子ネズミの気遣いにがっかりしながらカヤネズミはヤチネズミの正面に回り込んだ。

 回り込んで顔を見て、唇を閉じて噛みしめて、無言でその場に腰を下ろす。


「ちょ! な、何してんすかカヤさんってば! 説得! 中入りましょうって言ってやるんでしょ? なんでカヤさんまでそんな……」


 やかましい子ネズミを潰れた目で見上げた。見つめられたヤマネは歯痒そうに地団太を踏むと、最後にひと際悔しそうな大声を張り上げて廃屋の中に戻って行った。


 ヤチネズミが砂を掘る。乾いた音と痛々しい息使い。太陽が皮膚を焼く音も聞こえてきそうだ。


「ぐぉえ……」


 上手く発音できなかった。自分でも何と言ったのか聞きとれなかったほどだ。だが、


「言うなよ」


 ヤチネズミは聞きとれたらしい。お前、耳、いいんだな、とカヤネズミは感心する。


「……ごめん」


「ぅうなって」


 同じ言葉を交互に言い合った後は、それ以上何もなかった。ただひたすらヤチネズミは砂を掘り、カヤネズミは黙ってそれを見守った。

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