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00-79 カヤネズミ【推察】

過去編(その31)です。

 動ける奴は動け、ヤチネズミはそう言った。言ってその足で炎天下の中に出て行き、早速砂をかき始めた。子ネズミたちは無言で視線を交わし合い、やがてぽつぽつとヤチネズミに続いた。


 動けないカヤネズミはジネズミと共に、同じくかなり辛そうなオオアシトガリネズミに並ばされて壁際に放置されている。平気な顔をして突っ立っていたセスジネズミも横にいる。セスジネズミ自身が気づいていなかっただけで、ハツカネズミに握られた足首の骨は折れていたらしい。亀裂()骨折()程度ならいいが、とカヤネズミは自分を救ってくれた隣室の後輩を見遣る。

 

 いやそうじゃない、自分たちが被る害を最小限に食い止め続けていた、守り続けて(・・・・・)くれて(・・・)いた(・・)仲間を心配するのだが。


 駄目だ、声が出ない。指先も腹も全身痛みに軋んでいるが、顔の痛みが半端ない。打たれ続けた頬はもちろん、その裏側も舌も耳も、皮膚と粘膜、肉質な部分が(ことごと)く痛い。動かすのが辛いのは筋の痛みか骨までいっているのか。


 以前ヤチネズミに対して、入れられた薬に不便はないと豪語して見せたことを後悔する。不便だ。痛い。めちゃくちゃ痛ぇ!! こんな薬さえなければきっと今頃気絶できている。こんな薬さえなければ無意識の時間に逃げられたはずだ、鼾までかき始めたオオアシトガリネズミのように。だが眠れないカヤネズミにはそれが許されない。


 四肢を拘束されて口にも詰め物をされたまま、廃屋の柱に縛り付けられているハツカネズミを見遣った。瞼が薄く開きっぱなしだ。完全に弛緩している。本当に眠っているようだ。セージ、さっきの薬、俺にもくれ。カヤネズミは切に願う。ハツカネズミさえ眠れているのだ、自分にだって効くのではないだろうか。頼むからその小瓶の中身で俺も眠らせてくれ。


「カヤさんには使えません」


 セスジネズミが廃屋の外に目を向けたまま答えた。俺、声、出せてたか? カヤネズミは驚いて瞼を持ち上げ、額の痛みに頬を引きつらせる。


「普通は希釈して使うものです。ハツさん以外の奴にとっては自殺用です」


 だったら俺に合わせて薄めてくれよ、カヤネズミは目だけで訴える。ちらりとこちらを見下ろしたセスジネズミは再び言外の意を受け取ってくれたのか、ごそごそと尻のあたりを弄ると件の小瓶を取り出した。今度はカヤネズミがその意を汲み取る。


「……すみません」


 セスジネズミは俯いて空の瓶を握りしめた。


 ムクゲネズミは感情がないと思っていた。あんなことを平気な顔で、違う、恍惚として喜々として楽しんでいたのだ。異常としか思えなかった。自分とは全くの異物だと、そう思わないと耐えられなかった。ムクゲネズミが絶対的に間違っていて自分たちは悪くない、ムクゲネズミがおかしいからこその理不尽な状況なのだと、ムクゲネズミという諸悪の根源を断てば全てが変わるはずだと、間違っているのは向こう側だと、カヤネズミはそう思い込もうとした。


 だが違った。ムクゲネズミは異常者などではなかった。加虐性趣向が平均よりも若干強めな傾向は見られたが、性格の悪さを言い補うことも不可能ではあるが、感情を持つ、ごく一般的な嫌な奴だった。その証拠がセスジネズミだ。ムクゲネズミの薬が入っているはずのセスジネズミがあれほど感情を剥き出しにしたのだ、ムクゲネズミの薬は『感情がない』ではない。


 薬の効能がまだ定着していない可能性も考えてみたが、ネズミとして地上に出てきている時点でそれはあり得ない。例え効能が低かったとしても無である確率は極めて低く、ある程度の効果は嫌でも発露している。ましてや副部隊長という地位は、どれほど優秀であろうともそれなりの経験を積まねば任命されないだろう。現にセスジネズミはこの部隊においてはヒミズよりも古参だ。セスジネズミは薬の効能を既に使えている。


 しかしセスジネズミは仲間たちの死に激しく動揺していた。表情は変わっていなかったが明らかに呼吸が乱れていた。そばにいたから気づけたことだ。苛立ちのままに無視して距離を取ってまともな会話さえ拒絶していたカヤネズミは完全に見落としていた。考えるより感覚で判断するヤチネズミは、セスジネズミの感情を信じて諦めなかったヤチネズミはだから気づいていたのだ。セスジネズミがムクゲネズミのご機嫌取りに徹し、完全に服従している素振りでそばに控えて誘導することで、奴の『かわいがり』を抑制していたことを。仲間たちを守るために敢えて仲間たちを遠ざけていたことを。


 ……買い被り過ぎか。あのバカがそこまで深読み出来たはずがない。単にセスジネズミを信じたかっただけだろう、昔からかわいがっていたし。だが結果的にヤチネズミの感覚の方がカヤネズミの考察よりも正しかった。バカはバカなりに頭以外のところを使うことに長けているのかもしれない、ならば同じくバカな俺も感覚に委ねてみるか、とカヤネズミは考えた。そう考えている時点で実際には理屈を捏ねくり回していることに他ならないのだが。

 

 だが理屈とほんのわずかな直感を混ぜ合わせた結果、カヤネズミが導き出したのはそれまでの思い込みとは全く別の仮説だった。


 ムクゲネズミの薬の効能は『無駄がない』。それ以外にどういい表わすかカヤネズミにはわからないが、その一言に尽きる。


 ムクゲネズミにとって、何が何でも守りたかったものは部隊長の椅子だったはずだ。部隊長の椅子という名の、弱者を好きなだけ甚振ることが表立って許される立場だったと考える。『かわいがり』、『教育』、『指導』、呼び方など何でもいい、中身は同じだ。奴にとって子ネズミたちは所有物であり、好きな時に好きなようにできるおもちゃは、一度手に入れれば二度と手放したくない大事な物だったに違いない。だからムクゲネズミにとって、部隊員の死は絶対に避けねばならなかった。死なれては困るのだ。おもちゃは失くすものではなく、遊ぶために手元に置いておくものだから。死なれては困るのだ。数は持っておきたいし減れば自分の評価も下がるから。部隊長としての信頼がなくなれば当然罷免ひめんされる可能性だってある。だからムクゲネズミは部隊員を絶対に死なせなかった。


 ただ、誰も居着きたがらないから面子も固定しなかった。しかしムクゲネズミ隊の実態を他の部隊の奴らは知らない。何故か。評価が高いからだ。数字がずば抜けてよかったのだ。掃除対象数は抜きんでていたし死者はいない、アイは数字しか見ないし、他の隊のことなどアイを通してしか皆、知り得ないから。


 ムクゲネズミ隊に所属したことのある元部隊員が隊の内情を他に漏らしていた可能性はある。噂もたっていたかもしれない。しかしそれもごく内輪のみで終息していたのではないだろうか。少なくともカヤネズミの知る限りでは拡散はしていなかった。何故か。ムクゲネズミが許さなかったのだろう。噂の発生源のみならず伝播させた全ての口を塞いでいたのかもしれない。詳細は不明だが実際にクマネズミは何も知らなかった。クマネズミに『安全な部隊だ』と言われていたからカヤネズミだって安心して加わったのだ。別の隊にいたドブネズミも誘ってしまったのだ。実態が聞いていたことと全然違って文句の一つでも言ってやろうと思っていた矢先に、クマネズミには死なれてしまったのだが。


 ムクゲネズミは自分の理想の居場所を保持するためにありとあらゆることをしたのだろう。掃除数を一定以上に保ち、死者を出させず、子ネズミたちの口を閉ざす。他の部隊長の前ではにこやかに立ちまわり、アイには求められた以上の成果を手渡し、部隊員で遊ぶ。奴の行動は一貫していた。全てが部隊長の椅子を守るための、子ネズミたちで遊ぶための『無駄のない』動きだった。


 セスジネズミもそう考えれば説明がつく。セスジネズミは自分の仕事を『部隊員を減らさないこと』と言っていた。ムクゲネズミにそのように教え込まれたのかもしれない。しかし本心として部隊員を死なせたくなかったのではないかと、カヤネズミは今ならそう思う。ムクゲネズミを止められなかった副部隊長は、仲間を死なせないために仲間の負傷を許容し、部隊長の暴走を黙認した。部隊員全員がそれを加担と捉えた、自分も含めて。そして誰もがセスジネズミに背を向けた。だがセスジネズミは仲間たちのその誤解さえも利用した。セスジネズミにとって仲間との馴れあいは『無駄』だったから。下手にムクゲネズミに自分の本心を勘繰らせないために、ムクゲネズミに絶対的腹心と思い込ませて操るために、ムクゲネズミの機嫌を損ねる全ての要素は『無駄』として排除したのだろう。あの無表情も本音を読み取られないための仮面だったのではないだろうか。


 だからカヤネズミは発狂して暴れるハツカネズミに、ムクゲネズミの薬を入れさせた。どれほど悲しくても、どれほど苦しくても、仲間や自分を傷つける行為に意味は無いから。自分の衝動や行為が『無駄』だとハツカネズミが認識すれば、暴走は止まると考えたから。

 だがあくまで全ては仮説。もし万が一外れていればハツカネズミもただ事では済まないかもしれない。だがセスジネズミの事例がある。ハツはきっと大丈夫だ、とカヤネズミは自分を信じた。結論はハツカネズミが目覚めるのを待つだけだ。


 しかしそこまで考え抜いてからカヤネズミの思考は躓いた。もし俺の仮説が正しかったとして、仮にムクゲの薬が『無駄をなくす』ことに一点集中できる効能だったとして、奴の薬は何故、『感情が無い』と見なされてきたのだろうか。


 ムクゲネズミ自身がそう思った……? それはない、とカヤネズミは確信する。ムクゲネズミほどの姑息さを持つ男だ、薬の精製によって自分の身体に起こった変化を見誤るはずがない。悔しくて腹立たしいが狡猾さは頭抜けていた。喜怒哀楽が腹の奥から湧き出てこないなどという現象があれば即座に気付いたはずだ。あまりにずる賢くて、血が通っていれば良心の呵責に押しつぶされるだろうことも平然とやってのけて、それでいて楽しそうに嬉しそうに笑うものだから感情が壊れているのだろうとカヤネズミは信じていた。しかしその前提は覆され、残ったのは何故そのような誤解が蔓延していたのかという疑問だった。ムクゲネズミという男の性質を考慮すると導き出される答えは一つ。

 

 ムクゲネズミはアイを欺いたのだ、おそらく。

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