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00-78 セスジネズミ【素】

過去編(その30)です。

 小銃とは違う、音程の高さが異なる銃声を聞いてヤチネズミは振り返り、目を疑って二度見した。


 ムクゲネズミが倒れている。腰をよじって額に穴を開けて後頭部の下の床には色のついた水溜まりを作り続けて死んでいる。ヤチネズミだけでなく、ハツカネズミを取り押さえようと群がっている子ネズミたちも皆、同じ顔をして呆気に取られた。


 上げた視線の先にはセスジネズミ。片手で構えた拳銃の先からはまだ、煙が細い筋をつくって天井に昇っている。


 カワネズミのくぐもった声に事態を思い出し、ヤチネズミは慌ててハツカネズミの左手に脚を絡めて全身で抑えこんだ。と、目の前に短刀の切っ先。寸でのところで避けた後で心臓が狂い打つ。もう少しで切れていた。両目を寄せて鼻の無事を確認する。


「ブッチー、足だ足! 足使え、乗れッ!」


 子ネズミたちに怒鳴り声で指示を出すが、ハツカネズミを抑えきれない。ヤマネに踏めと叫んだが「でぎばぜぇん……」と泣かれる。子ネズミたちのハツカネズミに対する忠誠心も、この時ばかりは無用の長物だ。

 どたばたと叫び声と悲鳴の後ろから乾いた靴音が近づいて来る。顔を上げると拳銃を手にしたままのセスジネズミだった。まさか、


「セ…ッ!」


 セスジネズミはハツカネズミの胸を撃ち抜いた。何の迷いもなく、アイのような精確さと無機質さで。ハツカネズミの全身が揺れる。さすがに心臓はそれなりに応えるらしい。だがすぐに裂けた筋は蠢き始め、男女が指を絡めるかのように元々は繋がっていた先端を探し見つけて結合していく。すでにそこにハツカネズミの意思は見えない。ハツカネズミではなくその身体が、細胞が、無意識下で生存のための反応と活動を繰り返す。


「離れてください」


 セスジネズミが頭上で言った。ヤチネズミは一瞬固まり、それからはっとして身を起こす。


「お前ら離れろ! 全員散れッ!!」


 ハツカネズミに絡めた足を解きながら、右手は子ネズミたちを追い払う。子ネズミたちは戸惑い、動けぬ者もいたが、ヤチネズミはその身体に突進して無理矢理ハツカネズミから距離を取らせる。


「セージ!」


 カワネズミに組み付いたままヤチネズミは叫んだ。それを待っていたようにセスジネズミはハツカネズミの四肢の付け根を順番に撃ち抜いていく。しかし銃弾が足りなかった。最後の右脚を前に拳銃は鉄のおもちゃと化す。ハツカネズミは大の字で横たわったまま右脚を蹴り上げる。セスジネズミはそれを事もなげに避けると、ハツカネズミの右大腿を踏みつけた。しかし相手はハツカネズミだ。力負けしている。表情が変わらないセスジネズミの横顔が上下する。


「しばるもの……」


 ヤチネズミは閃いた。それから「縛る物ォッ!!」と怒鳴り散らす。


 反応の遅いヤマネと勘の鈍いジネズミを押し退けてドブネズミがどすどすと駆けつけた。タネジネズミは「ちょい我慢」と相方に言うなりジネズミの腕に巻かれた包帯を引き解き、「ブッさん!」と言ってドブネズミに投げ渡す。


 既に再生し、セスジネズミの足首を掴んでいたハツカネズミの両手をドブネズミと協力して引きはがし、包帯でその手首をぐるぐる巻きに巻いていく。それだけでは心許なくてヤチネズミは汗と血まみれの肌着を脱ぎ、包帯の上から縛りつける。


「足りない足、足!」


 ドブネズミが全体重を乗せて顔を顰めながら抑えこんでいた足首は、ワタセジネズミの腰帯で結んだ。

 ハツカネズミの狂った笑声が止む。体の自由を奪われて壊れた興奮も収まったかと腰を下ろしたヤチネズミが期待したのも束の間、何を思ったか今度は舌を噛み切っていた。噛み切る度に再生し、再生する度に噛み切っている。力の加減がわからないのだろう。歯も数本、折れたり、抜けたりさせながらやはり再生し続けている。痛みはないのかもしれないけれども、


「く……、くっ、くちぃ!! 口塞げ!」


 再び立ち上がり、ヤチネズミはハツカネズミの下顎と、上顎と言わず鼻と言わず、顔の上半分を力づくで抑えこむ。鼻の穴にも目の中にも、指が刺さっていたかもしれないがそれどころではない。


「なんか布!」


「包帯は全部です!」


「カワ上着貸せ!」


「腕、固定してま…」


「ずぼん脱げ!!」


「……ぇの……」


 ヤチネズミの狂騒の陰で、カヤネズミが何かを言った。聞き逃さなかったのはドブネズミだ。忠実で誠実な後輩はカヤネズミに駆け寄ると耳を傾けた。しかし顔が潰れ過ぎていて発音が悪い。加えてヤチネズミがただただうるさい。それでもドブネズミは密着するのではないかと思われるほどカヤネズミに耳を近付け、全神経を集中させて先輩の指示を聞きとった。


「何でもいいから早く脱げえ!!」


「ちょ…、()ってくだざい……」


 泣きじゃくってどうしようもないヤマネを催促して怒鳴り散らすヤチネズミのもとに、ドブネズミが戻ってきた。


「ブッチー! 手ぇか、せ……」


 ヤチネズミは口を開けたまま固まる。と、ハツカネズミに指を噛み千切られそうになり、慌てて全身で踏ん張る。全身に力を入れたままもう一度ドブネズミを見上げ、やはり眉毛をひん曲げた。


「ぶっちぃ?」


「ヤチさん、もうちょっとこっち」


「何をま…」


「早く!」


 ドブネズミはムクゲネズミの遺体を担いでいた。滴る血液を、ヤチネズミは喉奥の悲鳴と共に避ける。


「カヤさんの指示です。ムクゲの薬入れます。ハツさんもこいつのはまだ入れてないはずです」


 確かにハツカネズミは、ムクゲネズミの薬だけは入れていなかった。何故かは明白だ。ムクゲネズミとハツカネズミが薬合わせをしている絵など想像し難い。


「や……、まま、待て! ブッチー?!」


 ヤチネズミは完全に目が回っている。混乱を通り越して頭の中は混沌と化し、目を白黒させて頭を上下左右に振り乱す。


「こいつまだ体、あったかいです。死んですぐだしまだ薬も生きてるはずです、大丈夫です」


「いや駄目じゃね? 駄目だろだめだってだっ……」


「早く!」


 ヤチネズミも回りきらない舌で必死に抵抗するがドブネズミも真剣だ。他の子ネズミたちは両者を見比べるだけで手も足も出さない。


「やめろって! そんな奴の薬入れたらハツが…!」


 カヤネズミの精一杯の叫び声を聞いた。ヤチネズミは振り返る。オオアシトガリネズミに勝るとも劣らない潰れた目を見て一瞬で、


 ヤチネズミはハツカネズミの口を固定したまま上半身を出来る限り後ろに倒した。口を閉じ、薄眼になって顔を横に向ける。視線で合図を受け取ると、ドブネズミはムクゲネズミの遺体を傾けた。濡れた頭髪から滴る血液が少しずつ、ハツカネズミの口の中に落ちていく。

 笑い声から唸り声に変わっていたハツカネズミの声の出所は薬を飲みこみ、反射で咽てから息を吐いた。心なしか静かになった気がしてヤチネズミは両手をそっと離す。現れた左右の目尻には涙の痕が走り、眼球は虚ろに天井を映していた。


「……ハツ?」


「ハツさん?」


「は……」


 ヤチネズミがさらに覗きこんだ時、目の前を誰かの腕が遮った。その手は握りしめていた小瓶を傾け、中身の液体をハツカネズミの口の中に流し込む。ハツカネズミはそれさえも飲み込むと虚ろな目を上方に動かし、やがて白目を剝いて果てた。


 ヤチネズミは腕の主を見上げる。セスジネズミは全員に注目されている。それでも表情は相変わらずいつものままだ。


「……それは?」


 恐る恐るヤチネズミは尋ねた。セスジネズミは腕を戻して小瓶を見下ろす。


「沈静剤の原液です。ハツさんにとっては睡眠薬みたいなものかと」


 納得にも感心にも聞こえる低い声がそこかしこであがる。ヤチネズミはすっかり力が抜けて、ハツカネズミを離すとその場でがっくりと項垂れた。


 皆が呆然としていた。立ち尽くす者、座りこむ者、壁にもたれかかる者様々だ。ドブネズミだけがカヤネズミを支えて、甲斐甲斐しく動き続けている。


「セージ、お前……」


 腰を下ろしていたヤチネズミは、ヤマネの声に顔を上げる。ほとんど何の役にも立たなかった子ネズミは、一番の功労者を訝しげに睨みつけ、


「お前、何、考えてんだよ……」


 言いつつ声は震え、上ずり、尻すぼみした。

 顔色を全く変えず、汗さえ流さずに涼しい顔をしたセスジネズミは、かつての腹心を見つめた後で床に置かれた拳銃に目を落とす。

 ヤチネズミは立ち上がり、無表情の後輩の正面まで歩み出て拳銃を拾い上げた。


「なんでムクゲを撃った」


「……ムクゲさんはハツさんを撃つつもりでした。あの状況ならば仕方ありません。ハツさんを止めなければさらに犠牲者が増えたことは確実です」


 セスジネズミの言葉に憤慨したヤマネを、ヤチネズミは目だけで黙らせる。


「しかしハツさんは部隊員からの信頼が熱く、求心力もあります。加えてこの惨事です。ここでハツさんが死ねばヤマネたちは混乱したでしょう」


 名指しされたヤマネは居心地が悪そうに項垂れる。


「加えてヤチさんです。ヤチさんは心身共に幼く、思考も単純で短絡的な行動を取るのでムクゲさんに食ってかかるのは目に見えていました。仕返しで殺害も辞さなかったかもしれません」


 今度はヤチネズミが横を向く。


「ですがムクゲさんは曲がりなりにも部隊長です。知能も身体能力もヤチさんより格段に高く、ヤチさんがムクゲさんに敵うはずがありません。返り討ちにあっていた可能性もありますいえ、確実にあっていました」


 ヤチネズミはそれ以上横を向けなくなって、足を動かし背を向ける。


「ハツさんとヤチさん、さらに言えばヤマネとカワも死んでいたかもしれないことを考えれば、ムクゲさんに死んでもらう方が部隊員の減少は防げると考えました」


 ヤマネが顔を上げた。セスジネズミと目が合う。


「俺らを守ったって言いたい?」


「仕事だから」


「お前の仕事って?」とドブネズミ。


「部隊員を死なせないことです」


 ヤマネが目を見張った。セスジネズミは微かに項垂れる。


「ハツさんたちを死なせないためにはムクゲさんを止めるしかありませんでした。でもそのためにムクゲさんを死なせてしまいました。でも必要だと考えました」


「セージ…」


「命令ではありません」


 ヤチネズミははっとする。


「自分で考えて出した結論です。行動に移したのもそう決めたのも自分ですが、」


 表情の変わらない顔を上げ、ヤチネズミに向き直ったセスジネズミは、


「……どうしよう、ヤッさん」


 セスジネズミの素顔の戸惑いを全員が見つめた。それからセスジネズミの視線を追うようにして一様にヤチネズミを見つめる。ヤチネズミは子ネズミたちの疲れ切った、気弱に怯えて助けを求める無言の圧力を受け取り、俯き、瞑った瞼を手の平で擦った。


 考えろと言った。その言葉に従ったセスジネズミは考え、導き出した結論によって自分たちは助けられた。しかしその手段としてセスジネズミに罪を犯させてしまった。上官殺しを褒めるわけにもいかない。だが、仲間を救った英断には違いない。


「……とりあえず、」


 子ネズミたちの視線を浴びながら、


「こいつら埋める。動ける奴は手ぇ貸せ」


 前のめりになったままのシチロウネズミを見下ろして、出すまでもない指示を出した。

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