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00-77 ハツカネズミ【限界】

過去編(その29)です。

「……シチロウ?」


 呼ぶ。


「シチロウ?」


 呼びかける。


「シチロウ……」


 膝をつく。


「シチロウ、シチロウ、」


 揺さぶる。揺れる。柔らかい。

 縋りつく。額を付く。喉が開く。空気と共に唾液と鼻水と涙が溢れる。


 ヤチネズミはべたべたに濡れているシチロウネズミの上着を握りしめた。揺さぶりながら呼びかける。何度も何度も返事を待つ。「騙し撃ち~」というあの笑顔で起き上がって来ることをひたすら願う。祈る。夢に見る。


 ヤマネが腰から床に落ちた。泣くことも忘れて呆然としている。


 ワタセジネズミが立ち尽くす。「なんだこれ」と呟いて漫然と廃屋の中を見回す。


 ドブネズミが頭を抱える。歯を食いしばり大きく短い息を吐いて立ち上がる。


「ヤチさん」


 数秒待ってからもう一度、


「ヤチさん、オオアシ診てください。ジネズミの手当てもお願いします」


 またやった。また死なせた。俺が殺した。俺のせいだ。


「ヤチさん」


 しなければよかった。するべきじゃなかった。では何をした? 余計な真似をしなければ出しゃばらなければ自分に期待などしなければ。


「ヤチさん…」


「なにこれ」


 ぴたりと空気が張り詰める。全員が示し合せたように声のした方に振り向き、そして時が止まったかのように固まった。


「なにやってんの、お前ら!!」


 ムクゲネズミが笑顔の片鱗さえ見せない形相で立っていた。片手で掴むのは、両手の指先と潰れた顔から血を流したカヤネズミの頭髪。聞き分けのない部下を引き摺ってきた部隊長は、初めて響かせたどすの効いた低い声のまま肩を怒らせている。


「カヤさん!」


 ドブネズミが目を見開き、先輩に駆け寄ろうとして立ち止まる。ムクゲネズミがカヤネズミ引きを上げたのだ。


「見える? カヤ。ちゃんと見て。これがお前のやろうとしたことだよ」


 今にも止まりそうなか弱い息使いのカヤネズミが細く瞼を持ち上げる。


「アズマ、ヒミズ、スナ、ズラもかな。シチロウは自殺? よくもまあこんなに死なせたもんだねぇ」


 誰も何も言えない。皮肉でも意地悪でもなく、ムクゲネズミは事実を述べている。


「お前が部隊長になったらどんどん死ぬよ。どんどん死ぬね。どんだけ死なせんのッ!!!!」


 子ネズミたちが一斉にびくりと肩を震わせた。遅れてやってきたセスジネズミが暗がりの中で珍しく目を見開き、部隊の惨状に絶句する。


「協力が大切? そう、大切。みんな仲良しでいいんじゃない? 仲良くみんなで死ぬのも『協力』?」


 カヤネズミの視線がシチロウネズミで止まった。


「お前らの大事にしたい物が俺には全ッ然わかんないけどねえ」


 言ってムクゲネズミはカヤネズミを床に投げつけた。ドブネズミが駆け寄る。先輩を抱き起こそうとしたが間に合わず、カヤネズミはムクゲネズミの靴先で蹴り上げられて砂埃を舞わせながら床を滑った。


「……カヤじゃねえよ」


 ヤチネズミは立ち上がる。袖口で鼻水を拭うと子ネズミたちを押し退けて部隊長の前に歩み出る。


「カヤじゃねえよ、俺だよ。全部俺のせいだよ!!」


 言いながら自分の言葉に傷つき俯き奥歯を軋ませ、鼻水を啜りあげて顔を上げる。


「そもそもはお前だろ。お前がちゃんと部隊長やってれば誰も逆らったりしねえよ、お前の『かわいがり』さえなければみんなまともに掃除も出来てたんだよ、お前さえいなければ!」


 ヤチネズミは涙目のまま敬語もかなぐり捨てて部隊長に唾を飛ばした。だが部隊長は反応しない。顔色一つ変えない。そもそもヤチネズミを見ていない。

 ムクゲネズミはふわっと左を向く。視線の先はカヤネズミだ。ドブネズミは息を飲み、何とか先輩を匿おうとしたが方法もなく、カヤネズミは再び掴み上げられた頭髪の痛みに顔をゆがめた。


「俺のせいなの? これ。俺がいる時の掃除で死ぬ奴なんて今までいた? 誰もいないよね。誰も死なせないことが俺の仕事なんだけど」


「カヤを離せよてめえ!」


 ヤチネズミはがなるが全く届いている気配はない。肩幅に足を開いて腰を下ろしたムクゲネズミは、潰れたカヤネズミの顔をさらに引き上げ、耳元に語りかける。


「言ったじゃん。死なせないように指導することは必要でしょ? だからお前らは今まで誰も死なずにこれたんでしょ? かわいがってやったよねえ、忘れた?」


「無視してんじゃねえよ!」


 ヤチネズミが肩を掴む。不安定な姿勢のムクゲネズミは少し前傾姿勢になる。カヤネズミから離そうと、ムクゲネズミの左腕にヤチネズミは手を伸ばすが、肩を掴んでいた手を振り払われ、鼻頭に裏拳を受けて背中から倒れた。ムクゲネズミはカヤネズミから手を離すとようやく、倒れたヤチネズミのもとに来る。


「うわさ通りのとんだ疫病神だね」


 起き上がりかけたヤチネズミは腹をさらに蹴り上げられ、その場で膝をついて蹲る。


「お前のことは始めから見てないの。そもそも論で言うならヤチ君はうちに馴染んでないでしょ? 一酸化炭素的な? いてもいなくても同じっていうかむしろいらないの、わかる? 薬だけじゃなくて存在そのものが出来損ないだね」


 言うだけ言い捨ててムクゲネズミは踵を返し、三度カヤネズミのもとに戻った。ドブネズミを下がらせてカヤネズミは顔を上げる。


「どうしてくれるの? これ、ねえ、カヤ。俺の部隊返してよ。三分の一も死んじゃったじゃん、三分の一も! どんな思いでここまで育ててきたと思ってんの、ねえカヤぁ!!!」


 言いながらムクゲネズミはカヤネズミの頬に平手を張る。潰れた皮膚が奏でる湿った音が何度も何度も響き渡る。それでもムクゲネズミの憤怒は鎮まるところを知らない。


「やめろっつってんだろ…」


 ヤチネズミが詰まった息を吐きだして立ち上がろうと手をついた時、場違いな笑い声が聞こえた。


 誰もが聞き間違いと思っただろう。おそらくムクゲネズミでさえ。


「ハツさん……?」


 弱々しい声を発してヤマネが後ずさりした。笑い声がハツカネズミのものだと気付いてヤチネズミは振り返る。見るとハツカネズミはシチロウネズミの遺体の前に座り込み、喜びを噛みしめるように肩を揺すって笑っていた。


「ハツ」


 ヤチネズミの呼びかけを待っていたかのようにハツカネズミの笑い声が音量を増した。膝をついたまま真正面を見て、強制的にこそばされているかのように引きつけを起こしたように、見開かれた両目には何も写さずにひたすら喉を震わせて狂った笑い声を響かせる。


 ムクゲネズミが不機嫌そうに舌打ちし、カヤネズミの指先を踏みつけた。声にならない音を発してカヤネズミが縮こまる。


「ハツも使い物にならなくなっちゃったじゃん。どうすんの? あれ」


 爪を剥がされた指先を踵で踏みにじられて、カヤネズミは震えて蹲る以外にない。


 ハツカネズミがシチロウネズミの遺体の下から小銃を引き抜いた。泣いているような笑ったままの不規則な呼吸でその銃身を見つめ、シチロウネズミがしたことを真似る。咄嗟にヤマネが止めた。外れた銃弾はハツカネズミの頬を掠め、ジネズミの太腿を貫いた。ジネズミが叫ぶ。タネジネズミが駆け寄る。ヤマネがハツカネズミに払い飛ばされ、カワネズミが代わりを買って出るが、カワネズミの腕力ではハツカネズミを抑えこめない。


「ハツ!」


 ヤチネズミは中腰のままハツカネズミ目がけて飛び込んだ。小銃を奪おうと試みるが、反対に振り払われて背中から廃屋の柱にぶつかり悶絶する。子ネズミたちも止めようと足掻く。だがハツカネズミを止められる者はいない。ハツカネズミは何度も自分目がけて引き金を引く。辛うじて額を貫通させていないのは子ネズミたちの必死の努力の賜物だ。


「ハツ!!」


 背中の痛みに抗いながらヤチネズミはハツカネズミに再び飛び付いた。今度こそ小銃を奪い取る。カワネズミがさらに受け取りハツカネズミの手の届かないところまで投げる。小銃を目で追い這って取りに行こうとするハツカネズミを、ヤチネズミは殴りつけた。首が四半回転し、ハツカネズミの笑い声がようやく止まる。


「いい加減にしろよ、しっかりしろ! お前、こいつらの前でなんつう醜態晒してんだよ!」


 怒鳴りつけてヤチネズミは目元を手で覆った。負傷した右側の額に鈍痛が走って顔を顰める。


「…たくない」


「ぁあ!?」


 ハツカネズミがまだ何か言うものだからハツカネズミは怒りのままに顔を上げる。殴られた頬を、抉れた耳を、銃弾が通った痕を手の平でなぞりながら、その指先についた血液を見下ろしながらハツカネズミはさらに笑う。


「笑うな!」


 怒鳴るヤチネズミに笑顔のハツカネズミが向き直った。笑顔のままヤチネズミの恐怖にも似た怒りの表情を見上げて、ハツカネズミはさらに笑みを深める。


「痛くない、痛くないぃ~、……痛いって何?」


 ヤチネズミは言葉を失う。


「痛くないんだってばぁ……」


 笑いながら泣き崩れたかと思ったら、今度は腰帯に手を伸ばして短刀を引き抜いた。後れをとったヤチネズミに代わって今度はワタセジネズミが頬を切られる。


「駄目だわ、あれは」


 ムクゲネズミが呟いた。それを聞いたのはカヤネズミとセスジネズミだけだ。他の面々は暴れ続けるハツカネズミを負傷しながらも抑えこむのに精一杯だ。


「お前の馬鹿が招いたことだからね」


 半開きの目と口のカヤネズミを一瞥すると、ムクゲネズミは腰帯に手を伸ばした。カヤネズミは潰れた瞼を持ち上げる。だが身体はどこも動かない。

 

 無力なカヤネズミの眼前で引き金は引かれ、銃声が鳴り響いた。

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