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00-75 ヤチネズミ【可能性】

過去編(その27)です。

「……生産体は、死にかけの受容体を助けられるってほんとですか?」


 静寂を破ったのはタネジネズミだった。


「なに? どういうこと?」とハツカネズミ。


 タネジネズミは右肘を押さえながら壁伝いに立ち上がる。


「カヤさんが言ってました。死にかけてる受容体がいたとして、その受容体に入ってない薬を入れたら、神経が活性化されてそいつは助かるって」


 カヤネズミは誰にでも何でも話していたらしい。だが伝言は上手く伝わりきれていなかったようだ。『かもしれない』が抜けている。そして神経が活性化されるのではなくて細胞分裂の促進だ。


「シチロウ君、死にかけてますよね」


 ジネズミが言った。ヤチネズミは顔を背ける。


「生産体なら助けられるんですよね?」


 タネジネズミが続ける。ヤチネズミは顎を鎖骨に押し付ける。


「ヤチ、それ本当?」


 ハツカネズミが覗きこんできた。ヤチネズミは答えあぐねる。


「どうなのヤチ。それほんとならアズマにもヤチの薬入れてやればよかったじゃん」


 平気な顔をしたまま死んだ子ネズミのことだろう。


「なんで入れてやらなかったの。ねえってばヤチ、答えろよお!」


「『かもしれない』って話だったんだよ!!」


 ヤチネズミは答えた。ハツカネズミはまるで理解が及ばず形容し難い音を発して首を傾ける。


「助けられる『かもしれない』って言われてたんだよ。そうかもしれないって思ったんだよ。でも初めてだった、やったことなかった、ぶっつけ本番でそいつらに試してみて…」


 オオアシトガリネズミを見遣り、


「……ミズラは助からなかった」


「二分の一の確率ってこと?」


 ワタセジネズミが呟く。トガリネズミの薬を持つ子ネズミは既にほぼ全身の再生が完了している。


 ワタセジネズミの推測にハツカネズミが動揺した。どこかで唾を飲み込む音もする。しかしワタセジネズミも正しくはない。ヤチネズミはさらに続ける。


「オオアシにも拒絶反応が出た。そいつがまだ生きてるのは俺の薬のせいじゃなくて単にそいつの生き意地が張ってたせいか運がよかっただけかもしれない」


「拒絶反応?」


 カワネズミがオオアシトガリネズミに駆け寄り、額らしき所に手を当てる。


「火傷のかな……」


 体温を計りたかったようだが、水ぶくれまみれの身体は体表全てが熱を帯びていたのだろう。


「二分の一以下」


 誰かが言ってハツカネズミがオオアシトガリネズミを見下ろした。それからシチロウネズミに振り返り、頭を掻いて掻き毟って両手で抱え込む。


「……でも、可能性があるなら入れてやればよかったのに…」


「苦しめてから殺す可能性?」


 ヤチネズミも言う。「違う!」とハツカネズミ。


「ヤチさんの薬って、どんなのなんですか」


 憔悴しきったドブネズミがぼそりと言う。


「食えない」


 ヤチネズミは一言で答える。それから補足する。


「飲み食い一切できない。食べたくても胃が受け付けない、喉が渇いても水分も取れない、全くもってなんにも口に出来ない」


「水も?」


 目を丸くしたヤマネが呟く。ヤチネズミは子ネズミたちを見回した。


「俺の薬…、」


 言いかけてやめる。欲しがるわけないだろう。訊くまでもない。


「………でも助かる」


 ハツカネズミが呟いた。ヤチネズミは息を吐く。


「『かもしれない』だって言ってんだろ。助からない可能性も高いし余計苦しめるかもしれないんだって。助かったとしても飲み食い出来ない体なんて誰も…」


「でも助かるかもしれない」


「助からないかもしれないって…」


「助かるかもしれないじゃん、やってみなきゃわかんないじゃん!」


「ハツ!」


「だってわかんないじゃん! ヤチまだなんにもしてないのに勝手に諦めんなよ!!」


 裏返った声で絶叫するハツカネズミの前に、ヤチネズミは唇を結んだ。怒りながら縋りついて来る粘着質な視線から逃げるようにして顔を背ける。しかし背けた先にも子ネズミたちの視線があってヤチネズミは下を向く。


「……もう少し、」


 カワネズミが言う。


「もう少し、あと一秒ヤッさん早く来てたらスナは死ななかった」


 ヤチネズミはカワネズミに振り返る。一秒では間に合わなかっただろうという揚げ足を飲みこむ。怒り狂った視線に返す言葉がない。『かもしれない』と再三言っているのに、こいつらは耳が馬鹿になっていやしないか。


「俺よりもアズマを診てほしかったです」


 ジネズミも呟いた。だから、と言いかけてヤチネズミは目元を手で覆い息を吐く。


 今や完全に全員が勘違いしていた。生産体は、ヤチネズミの薬は仲間を助けられると、助けられるに違いないと、誤った確信に満ちていた。違うと言っているのに、ミズラモグラの例があるのに誰もが信じたい方の可能性ばかり見つめている。


 そしてヤチネズミもその空気に流された。あれほど違うと否定していたのに、ミズラモグラの例があるのに、もしかしたら今度こそ成功するかもしれないという希望を持ち始めていた。


 ヤチネズミはシチロウネズミに歩み寄る。ハツカネズミが場所を譲る。シチロウネズミの耳のそばに膝を付き、顔を寄せて語りかけた。


「シチロウ、聞いてたか? 入れるぞ、薬」


 薬合わせの合図だ。本来ならば相互の承諾を以て成立するはずの行為は、片方が身動きを取れないという理由だけで一方的に進められた。シチロウネズミは充血した目を向けてくる。小刻みに振ることすら困難になった首に力を込めている。


「上手くいけば助かるから。頼むってシチロウ」


「……だ……」


「え?」


 微かに動いたシチロウネズミの唇に耳を近付ける。


 くすりはもうやだ。


ーもうやめて。ゆるして、アイ……ー


「ヤチ!」


 ハツカネズミに怒鳴られる。シチロウネズミを見下ろす。その唇と目が訴える必死の願いを聞き入れずに、ヤチネズミは薬を入れた。




 その背後で壁際に座らされていたオオアシトガリネズミが虚ろな目を開き、何かを言った。そばにいたカワネズミが「え?」と聞き直す。


「やめて…け……」


 今のシチロウ君には、きっと合わない。

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