00-74 シチロウネズミ【齟齬】
過去編(その26)です。
「オオアシとミズラは?」
ヒミズに尋ねられてヤチネズミは顔を上げ、そして先までいた方に目を向ける。
「……オオアシは生きてる」
「よかったあ~」
言ってヒミズはどっかりと腰を下ろした。「オオアシは」と言ったのだから「ミズラは?」と尋ねられるに決まっている。だがヤチネズミはその先を自分からは言えなかった。自分の失敗を、失態を、浅はかな希望的観測による取り返しのつかない過去を口にするのが怖かった。
しかしヒミズはそれ以上何も尋ねて来なかった。不思議に思ってヤチネズミは顔を上げる。
「ヒミズ?」
すぐに動いたのはハツカネズミだ。シチロウネズミをヤチネズミに託して後輩に駆け寄る。二度三度、後輩を静かに呼びながら揺すっていたハツカネズミはやがて、両手で頭を抱えて項垂れた。
「ハツ、ヒミズは……」
シチロウネズミを抱えたままヤチネズミは一歩踏み出す。ハツカネズミは応えぬまま肩を震わせていたが、突如顔を上げると怒ったように首を回して戻ってきた。
「ハツ、ヒミズは!」
「まずシチロウ下ろそう」
予想以上に自分以上の冷静さをもって、ハツカネズミはシチロウネズミの身体を抱えた。奪われるようにしてシチロウネズミはヤチネズミから離れ、床に横たわらされる。
「シチロウ、まず心臓のところ治して。できる?」
ハツカネズミはシチロウネズミに顔を近付けてそんなことを言った。再生は恣意的に行われるものらしいことはヤチネズミも薄々気付いていたが。
シチロウネズミは不規則な息を吐きながら半目でハツカネズミを見上げ、首を横に振る。
「駄目だよ、ちゃんとやろう。だって内臓見えてるよ?」
ハツカネズミは必死の見幕で唾を飛ばす。シチロウネズミは目を細め、やはり首を横に振る。ハツカネズミは頭を掻き毟ると腰帯から短刀を引き抜いた。
「じゃあ俺がやる。ここ剥がせばいいんでしょ。結構血ぃ出ると思うからシチロウすぐ治してね」
どうやらハツカネズミは歪んだシチロウネズミの心臓をえぐり出し、再び新しい物を作り直せと言っているらしい。シチロウネズミは首を横に振り続ける。ヤチネズミもたまらず手を出す。
「なにヤチ?」
普段は黒目がちのハツカネズミが、白目の面積を増やして睨みつけてくる。
「手、離して。シチロウ治さないと」
「嫌がってるだろ」
「手ぇ離してよ、ヤチ。シチロウ、心臓出たまんまだよ!?」
「痛がってるだろ!!」
年長者同士の怒鳴り合いに子ネズミたちが顔を向ける。
「シチロウ痛がってるだろ。めちゃくちゃ嫌がってんじゃん。少し待ってやれよ!」
あんな泣き声はもう聞きたくない。
「このまま置いとく方がやばいじゃん。心臓見えてんだよ? 早く治さないと」
「限界って言ったのハツだろ? 限界なんだよシチロウは。わかれよ」
「シチロウは治せるんだよ。トガちゃんの薬なんだよ。出来るんだから邪魔しないでよ!」
ハツカネズミも引き下がらない。どちらも同じことを望んでいるのに手段の選択が合致しない。
「出来ないんだって。出来てないじゃん現に今。目の前のシチロウ見ろよ、わかんねえのかよ、馬鹿だなお前」
「わかってないのはヤチだろう? わかんないよね、トガちゃん薬、持ってないから!」
ハツカネズミは退くどころかさらに暴力的な言葉を選んで投げつけてくる。ヤチネズミはすぐに火が付き、激昂する。
「わかってないのはハツの方だろ! ハタさんの薬もそれ以外も全部入ってるからな。全部完全に受け継いで副作用も痛みも知らないハツにはシチロウがどんだけの思いで再生させてたかなんてわかるわけないんだよ!」
ハツカネズミは一瞬ぐっと身を引き、だがすぐに頭を突き出してきた。
「ヤチだってそうじゃん! 生産隊で散々楽してきた癖に上から目線で受容体の俺たちに命令してきてさ! 俺たちの検査内容も知らないで知った口利くなよ!」
「そっちこそ生産体、生産体って馬鹿にしてんじゃねえよ! 俺らが女捕獲してたからお前らだって駅で楽しめてたんだろ? お前のやってんのは掃除だけじゃん。むしろまだ女なんて知らないんじゃね?!」
「全員皮向けてるよおッ!」
「どうだかなあ? ハツなんて特に下手臭いじゃん。お前が女、口説いてんのとかまじ想像できない…」
「何してんすかぁッ!!!」
ドブネズミだった。誰よりも横幅がある隊一番の巨漢が張りあげた大声は崩れかけた屋根を揺らし、一筋の埃が頭上から降ってきた。蒸し暑い廃屋の中で汗だくになりながら息を切らせていたヤチネズミとハツカネズミは同時に振り返る。
「あんたらカヤさんいないと会話の一つもまともに出来ないのかよ。みんなこんなにぼろぼろなのに誰がこの場を回すんだよ」
ドブネズミは運んできたオオアシトガリネズミを壁際に座らせる。
「ハツさん、みんなハツさんには感謝してます。尊敬もしてます。でも……、ヤチさんの言ったことも事実です。ハツさんには俺たちの痛みはきっとわからない」
ハツカネズミが泣きそうな目で唇を閉じた。
「ヤチさん、ハツさんが言ってたことは本当です。俺ら全員、生産体大ッッ嫌いです。ふんぞり返って塔に帰ってる暇あるなら掃除の一つでもまともにやってみろっていつも思います」
ヤチネズミは顎を引いて顔を背ける。
「でもそれ後でもいいですよね? そんなくっだらないこと糞して寝る前にやりゃいいことっすよねえ? でもみんなまだ糞してないんすよ! こんなに明るいのにまだ歯も磨いてないし全っ然寝てる暇ないんすよわかります!?」
後輩に怒鳴られてヤチネズミとハツカネズミは項垂れる。
「……チドリの駅にネコが出るなんて誰もわかんなかったじゃないですか。それの責任なすりつけあっててもしゃあないでしょう。そんなに責任取るのが怖いなら俺らに何も言わないでください。もういい。命令も指示も仰ぎません」
責任のなすりつけ合いをしていたわけではないのだが。言い返せる雰囲気ではなかった。
「ヒミズ、」
ドブネズミが同輩を呼ぶ。それ以外の全員が息を飲む。ドブネズミはまだ気付いていないのか。
「こいつら使えねえわ。俺らで回すぞ、起きろよ。疲れてんのはお互い様だろ」
「ブッチー…」
「ヒミズ?」
ハツカネズミの呼びかけを無視してドブネズミは同輩に歩み寄る。そしてようやく、
「なんでお前まで死んでんだよ……」
妙な節を利かせて鼻声で憤ると、ドブネズミはヒミズの遺体の前に膝をついた。ミズラモグラの時とは違う。相当応えている。
怒鳴り合いは止んだ。それを叱責する声もなければ啜り泣きさえ皆、堪えている。完全ではなくとも限りなく無音に近い静寂。風が砂を転がす音さえ聞こえてきそうだ。
「……生産体は、死にかけの受容体を助けられるってほんとですか?」
意を決したように、気まずさを破ったタネジネズミが顔を上げた。