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15-43 おにいちゃんッ!!

 目の前で繰り広げられる光景にジュウゴは立ち尽くした。声が出ない。動けない。驚愕と困惑と、そして圧倒的な恐怖が彼の足の機能を奪った。


 シュセキが研究所に招き入れた男にワンは嬉しそうに飛び付いた。サンにしていたように、子どもたちと鬼ごっこをしていた時みたいに、五本目の脚を超高速回転させて長い舌を出し入れして、その舌先で男の顎を頬を撫で回す。男もワンの名を呼びその体を両手で撫で回し、唾液と共に向けられる喜びに応えている。その傍らでシュセキが何の違和感も拒否感も無く佇んでいる。


「少し痩せたか。今、食いものやるからな。ちょっと待ってろ、な?」


 男は目を細めてワンに言い含めると首を伸ばして中を覗きこんだ。ジュウゴは固まった体をさらに縮こませる。


「コウは? コウはどこだ、寝てるのか?」


「目の前にいるだろう」


 シュセキの言葉に男が眉根を顰めて見上げる。


「どういう意味だ」


「彼が『こう』だ」


 指差されたジュウゴは目を見開いてシュセキを凝視した。否定の意を表したくて首を横に振ろうとするが体は未だに硬直したままだ。男が顔を向ける。その動きが酷くゆっくり、動画のこま送りのように低速に見えたのは、おそらくその一瞬の間に珍しくジュウゴの頭が働こうと努力したからかもしれない。

 だがジュウゴが期待するほど彼の頭脳は万能ではない。何の妙策も状況の把握もできないうちに、男の視線は完全にジュウゴを捕らえた。男はワンの頭に片手を置いたまま膝を伸ばす。


「お前は…」


「『おにいちゃん』!」


 言ってジュウゴは後ずさりした。壁にぶつかり断たれた退路を振り返り、再び恐る恐る男の方に顔を向ける。男は目元に皺を寄せてジュウゴを見下ろし、シュセキは侮蔑さえ浮かべた怪訝そうな視線を送ってきた。


「何をしている」


 見下してくるシュセキを見つめてジュウゴは唇を戦慄かせる。何かを言おうとして何を言えばいいのかわからなくてでもこのままここにいては危険だということは伝えたくてシュセキの腕を掴んだ。が、すぐに振り払われる。


「君の接触は不快だと何度言えば理解出来る…」


「マツ、そいつは何だ」


 男がシュセキの言葉を遮り、ジュウゴとシュセキは揃って顔を向けた。シュセキは男にも呆れた視線を向けて息を吐く。


「だから『こう』だ。君が探していた者だろう」


「違う。そいつはコウじゃない」


 男がワンを背後に隠すように押し出して歩み寄ってきた。同じ距離だけジュウゴも後ずさりを試みたが、それ以上は下がれなくて壁伝いに横歩きする。


「彼は『こう』だ。『わん』と一緒にここにやってきた。彼は『わん』だろう? 違うのか」


「ワンは合ってる。だがそいつは違う」


 シュセキがジュウゴに振り返る。まじまじと見てから男に向き直り、「彼が『こう』だ。『わん』が彼と共にいたことが証拠だ」


「ワンがそいつと?」


 ワンに振り返った男の背中に向かってシュセキはさらに言葉を続ける。


「それに彼は『こう』を飲んだと言っていた。ならば『こう』は彼の中だ。だから彼は『こう』だ」


 ジュウゴはシュセキを信じられない思いで凝視した。そんなことを『おにいちゃん』に言えば…


「『コウを飲んだ』?」


 男が呟く。明らかに声の質が変わった。首を回してこちらに向けられた顔はワンに微笑みかけていた男とは別物だ。


「コウを、飲んだ?」


「違う、違うんだ! いや、そうなんだけれども…」


 慌てふためきながらジュウゴは壁に背をつけながら移動しつつ首を横に振る。嘘の一つでもつけたならばもっと手際良くその場を後にできたのかもしれない。だが彼は嘘をつけない。つかないのではなくて、嘘をつけるほどの器用さが無い。


「コウが飲まれた?」


 男は事実を別の言い回しで言い直して、ゆらりと動いた。シュセキもようやく事態の異常さに気付いたらしい。


「シュセキ…」


 ジュウゴがシュセキに助けを求めた時、目の前を鋭い風が走った気がしてジュウゴは咄嗟にその場に尻をついた。開いた右目が宙を舞う何本かの黒い繊維を捉える。それが自分の頭髪だと気付くまでにさほど時間はかからなかった。頭上には男が抜いた細長い刃物。


「コウはどこだ」


 ジュウゴは首を横に振ることしか出来ない。


「答えろ。コウはどこだ」


「ちょっ、ちょっと待って! 話を…、おにいちゃんッ!!」


 その一言が引き金だったのだろう。男が血走った目で再び刃物を振ってきた。咄嗟に受け身。上着の脇が開いて肌が露出する。


「やめろクマタカ! 彼は…」


「コウはどこだ」


 シュセキの声などまるで届いていない。男は同じ言葉を吐きながらジュウゴに迫る。ジュウゴは床に手をつきへっぴり腰でそのまま扉に突っ込んだ。

 砂の上を走る。足を取られる。視界が黒い。当然だ、夜だ。じゃなくて義眼! 思い出して左目に手を伸ばし、手拭いを巻いたままだったことに気付かされる。慌ててほどこうとしながら背後を見遣ると男はすぐそばまで迫っていた。前に向き直りひたすら走る。小銃、無い。置いてきた! 短刀。抜けない、絡まっている!? なんでこんな時に…


―敵が来たらとにかく逃げる。いいね?―


 男の狂気を背中で感じる。


―お前、足はおそくないっしょ?―


 違うリクガメ、君の足が絶望的に遅かっただけだ!!


 ヤチネズミを思い出す。小銃が真っ二つに切られていた。頭と肩と、とにかく半身が血まみれだった。あのヤチネズミが! あんなにすごかった、あんなにすごく強かったヤチネズミさえあんなにされていたんだからだから僕なんてもっと…


 上着を掴まれた。息が詰まって顎が上がる。足がもつれて背中から砂上を転がる。右目を開くより早く頬を砂に押し付けられた。左腕を背後で固められ、腰を膝で抑えこまれる。


「コウは、コウが……死んだのか?」


 擦れた声が尋ねて来る。


「気がついたら、いつの間にか、」


 事実を述べる。自分の力ではどうすることも出来なかったと強調する。


「お前が殺したのか」


「違う! 違う違う! 起きたら寝てた」


 悲鳴じみた声でジュウゴは叫ぶ。


「寒いだろうって、指包んで、吹雪で動けなくて、温めたけど無反応でそのまま倒れてしまって」


「吹雪?」


「サン追っかけて、ヤチネズミが、でも追い付けなくて氷が降ってきてコウが流血してほらあな、ワンが見つけた穴に入って止むのを待ったけどやまなくて何日も何日もなにも…」


「あの時の」


 男が何かに納得したようだった。ジュウゴは首を限界まで回して男の顔を盗み見ようとしたが、


「お前がコウを連れだして、お前のせいで、」


「……へ?」


「お前がコウを殺した」


「ええッ!?」


 どうしてそっちに持っていく!


「違う! 違うってコウが行こうって早くしてって…」


「殺して飲んだのかッ!!」


「僕じゃない! ワンがさき…!!」


 ワンの怒鳴り声が響いた。ジュウゴと男は同時に振り返る。ワンは歯茎を剥き出しにして喉の奥で唸り続けている。


「ワン…」


 ジュウゴは付き合いの長い同伴者の名を呼ぶ。


「ワン?」


 男も言う。ワンは唸り続ける。


「なんでだ。こいつがッ!」


 ワンが再び割れた声で怒鳴る。


「ワン…」


「降りろ」


 言葉を持たないワンと会話をしていた男にシュセキが言葉を投げかけた。ジュウゴは砂の中で顎を支点に首を回す。あのいかつい小銃を抱えるように片手に携えて、一本の脚と棒で走ってきたのだろう、肩を上下させている。


「彼から降りろ」


「お前は下がってろ」


 男はシュセキに凄む。ワンに語りかける時とは声の質が別物だ。


「さもなければ僕を撃つ」


 言うとシュセキは小銃を腕の中で回して銃口を自分の顎につきつけた。ジュウゴは焦る。シュセキは多分、わかっていない。撃てば撃たれれば当たればどうなるかを、痛みよりもその上にある死を。


「だめシュセキ、やめだよ! 死ぬんだ、君、わかれよ眼鏡!!」


「君は息ごと止めて黙っていろ」


「君の息が止まるんだって!」


「死にたければ死ね。好きにしろ」


 ジュウゴの上で男が冷たく言い放つ。ジュウゴは顎を砂にこすりつけながら首を横に振る。


「たくない、だめだよシュセキ! やめろそれえッ!!」


「僕が動かなくなれば困るのは君だろう?」


 動転するジュウゴを無視してシュセキは男に言い返した。男が顎を引き身構える。


「僕が動かなくなればあの研究所を管理する者はいなくなる。君が気にかけて止まないあの植物たちは水も空気も電気も与えられずやがて全て枯れるだろう。それは君の欲するところではないはずだ」


「他の者を宛がう。お前である必要はどこにもない」


「他の者が見つからなかったから僕を宛がったのだろう?」


 背中の上の圧力が増してジュウゴは呻く。


「植物だけではない。あの膨大な情報が長時間放置されていたところを鑑みれば君が機械系統に明るくないことくらい容易に想像がつく。おそらく君の言う『他の者』も君と大差ない。よって君は僕が必要だ。違うか」


 淡々と自分の価値を説き続けるシュセキに、わなわなと男の怒気が膨れあがる。直にそれを背中に押し付けられるジュウゴは、あわあわと恐怖に震えあがる。


「捨てられるなら捨ててみろ。君が何なのか僕は知らないが、」


 シュセキは引き金にかけた指に力を込めて、


「出来るものならやってみろ」


 男を睨み下ろして恐喝した。男からの力がさらに増してジュウゴはえづく。これ以上は僕がしぬ…


「……く」


 男の膝の下でジュウゴは記憶と肺の空気をひねり出した。シュセキが自分に銃口を構えたまま、男がジュウゴを抑えつけたままそれぞれ黒目だけを下方に動かす。


「くぁ……」


「何だ」


 いつもの調子で尋ねるシュセキ。


「お……」


「言葉を発するならば事前に頭の中で整理しろ。きちんと文章を構築し、何を伝えたいのかを明確にしてから口を開けと何度言えば…」


 不機嫌さを前面に出してシュセキがジュウゴの悪癖を指摘した時、ジュウゴを抑えつけていた圧力が消えた。瞬間、立ち上がった男の手によってシュセキは小銃を奪われ蹴飛ばされ、無い方の脚の側に倒れ込む。


「お前は俺の命令通りに動いてればいい」


 男がシュセキを睨み下ろす。そして、


「勝手が利くそれ(・・)が邪魔か」


 呟き刃物を振り上げた。男の視線の先はシュセキの脚、残されたただ一本の彼の…


「かぞく!!」



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