00-70 シチロウネズミ【本領】
過去編(その22)です。
ヤチネズミの制止は間に合わなかった。ハツカネズミは単身、女の中に突っ込み、ワタセジネズミたちもその後に続いた。皆、四輪駆動車や自動二輪に乗ったまま、女を捕獲するつもりだったようだ。当然だ。掃除よりも女の方が楽しいに決まっている。だが相手はチドリではない。
「ネコぉ!?」
助手席で転げていたヒミズが立ち上がってきた。
「なんでネコがチドリの駅にいるんすか」
「知らねえよ! でもあれはネコだ!!」
ヤチネズミは焦りのままに後輩を怒鳴りつけ、前方に視線を戻した。あの連携、身のこなし、そして全員女。忘れもしないネコの女だ。ハタネズミを死に追いやったあの女どもだ。
「ヤチ!」
「シチロウッ!」
シチロウネズミが子ネズミたちを引きつれてきた。ヤチネズミの四輪駆動車に横付けする。
「ヤチが止まったから『あれ?』って思ったんだけどあれって…」
「ネコだ。ネコが出た」
シチロウネズミが喉を上下させた。ハツカネズミの乗っていた四輪駆動車は例のごとく横転し、ハツカネズミ自身はネコに囲まれている。普段なら遠慮なく身体を武器にして応戦するハツカネズミも、女が相手では文字通り手も足も出ない。出せない、出してはいけないのだ、女だから。殺してはいけない相手なのだ。だけれども。
ワタセジネズミも完全に囲まれている。ハタネズミとトガリネズミの薬を併せ持つ、優秀で万能な戦闘隊員たちは防戦一方、じり貧だ。ワタセジネズミの援護だったはずの子ネズミたちも停車が間に合わなかったのか、ネコたちに袋だたきにされていた。援護の奴らにはハタネズミの薬を持たない子ネズミもいる。もちろんトガリネズミの薬を持つ者はさらに少ない。ハツカネズミとは違う。怪我すれば痛いし負傷させられれば機能は戻らない。
ヤチネズミは運転席に座り直した。原動機を起動させながら子ネズミたちに命令する。
「お前らはカヤのとこ戻ってろ。ムクゲが何か言っても無視しとけ」
「ヤチは?」とすかさずシチロウネズミ。
「あいつら拾ってくる。載せられるだけ乗せてくるから手当て出来る奴は用意しとけ」
言うと助手席に振り返り、
「ヒミズも降りろ、席空けろ」と口早に言った。
「ヤッさんだけでネコを何とか出来るのかよ」
ヒミズに心配されてヤチネズミは場違いにも鼻で笑ってしまう。
「運転だけは得意なんだよ」
強がってはみたが運転中にネコに絡まれてはただでは済まないことは目に見えていた。だが言いだしっぺとしての責任もある。それに後輩たちの手前もある。
「ヒミズ降りて」
シチロウネズミにも命じられてヒミズは渋々従った。ヒミズが完全に離れてから発車させようとしたヤチネズミだが、ヒミズと入れ替わる様に助手席に飛び乗って来たシチロウネズミに困惑する。
「みんな屋根探しといてね。全員ちゃんと連れてくるからあとはおれらにまかせといて」
「シチロウも降りろって…」
「ヤチのお守りは俺の仕事だよ? 知らないの?」
「シチろ…!」
「俺は一緒にいてやるって言ってんじゃん」
にやりと笑った同室にヤチネズミは返す言葉が見つからず、黙って前を向いて四輪駆動車を発進した。
「……ばーか」
運転しながら悪態を吐く。
「照れ隠しぃ~」
見破られている。
「シチロウは実戦なんか出たことないんだろ? 場数だけなら俺の方が上なんだから待ってればいいんだって」
「ヤチだって掃除なんてしたことないんだろ? それに生産体は怪我出来ないって言ってたじゃん」
カヤネズミは何でもシチロウネズミに話していたらしい。
「運転は得意なんだよ。子ネズミ拾って運ぶくらい俺だけで十分じゃね?」
「運転邪魔されたらヤチはなんにもないじゃん。子ネズミ拾う前にネコにやられて捨てられるんじゃね?」
「ならどうしろって言うんだよ!」
前を向いたまま叫ぶヤチネズミに、
「運転してろって言ってんだよ」
保護眼鏡をかけながらシチロウネズミが答えた。
「ヤチはそのまま運転に集中してろって。あいつら拾って荷台にぶっこんでくのは俺の仕事」
再会時のおどおどした雰囲気ともその後のふざけた表情とも違う、地階にいた頃にも見せたことが無いシチロウネズミの横顔をヤチネズミは見た。
「シチロウ?」
「俺だって出来るよ」
シチロウネズミが肩にかけた小銃を握りしめる。「防御には向いてんだって」
「シチロウ君ッ!!」
振り返るとヒミズたちだった。「あの馬鹿ッ!」とヤチネズミは臍をかむ。
「馬鹿野郎ッ! 戻って待ってろっていっただろ!!」思いのままに怒鳴り散らしたが、
「お前じゃねえよ、シチロウ君を呼んだんだよ!」すかさず怒鳴り返される。
「シチロウ君、俺らもやっぱり手伝うよ!」
シチロウネズミのいる助手席側に回り込んできてヒミズが叫ぶ。
「みんなで協力してこいってカヤさんが言ったんだ。俺らみんな、それに乗っかったんだって」
ヤチネズミは紡ぐべき言葉を探して唇を動かし、しかし何も出てこなくて顔を背けた。こいつらに何言ったんだよ、カヤ! こんなに仲間思いの奴らにいらない発破かけ過ぎだって!
「ヒミズたちは俺に続いて」
シチロウネズミも昂り過ぎて性格が変わっていた。いつのまにか箱乗り状態になっている。
「ネコは無視してこう。相手にしちゃ駄目、無視むし、がん無視! ヒミズなら多少は無理利くよね?」
「まかせてください!」
「ナッちゃんは二輪でとにかく走りまわって攪乱。降りちゃ駄目だよ絶対。危なかったら逃げて無理しないで」
「了解です」
「カワたちはやられてるみんなの救助優先。多少荒くていいから荷台でも鼻にでも引っかけてって。でも降りちゃ駄目、絶対。返事は?」
「「はい!」」
「よし!」
誰だ、お前。ヤチネズミは唖然としてシチロウネズミに見とれ、慌てて前を向き操縦梱を握り直した。それから再び助手席側をちらりと見遣る。こいつ、いつの間にこんなに指導力を身につけてたんだ…?
「ヤチ」
「は…!」
思わず敬語で返事をしそうになり、慌てて飲み込み頷くに止める。
「ヤチには悪いけど俺たちはこのまま真っ直ぐ突っ込む。ハツは放っておいても大丈夫、ハツだから。ワタセも持ちこたえてくれると思う」
「ヤマネたちが優先だな?」
ヤチネズミの提案にシチロウネズミは頷く。
「ヤマネたちはハタネズミさんのもトガちゃんのも入ってないからね。怪我じゃ済まない時間が勝負。出来るだけっていうかやって! 大急ぎ、大至急!」
ヤチネズミはシチロウネズミを盗み見た。頼もしい同室は、助手席で立ち上がったまま前方を力強く見つめている。
「シチロウ」
「うん?」
「行くぞ!」
シチロウネズミがにやりと笑った。
シチロウネズミの命令通りにヤチネズミは四輪駆動車でネコたちの中に突っ込んだ。轢かないように、撥ねないように慎重に、且つ威嚇し恐怖を感じさせ、追い払えるように……。
無理だ。条件が複雑すぎる。案の定、女たちは一瞬たじろぎ身を引くが、すぐまた戻ってきては仲間たちを攻撃する。ヒミズたちもまとわりつかれ始めた。シチロウネズミはヤマネに手を伸ばすがヤマネがその手を掴むことは叶わない。
「シチロウ駄目だ! 一旦退く!」
「がんばれヤチ!」
頑張って出来ることならとっくにやってる!! 頑張っても出来ないから体勢を立て直すと言っているのに…
「シチロウッ!!」
ヤマネではなくネコの女がシチロウネズミの手を掴んだ。シチロウネズミは全身で抗う。ヤチネズミも可能な限り車体を振る。しかし女は植物の蔓のようにシチロウネズミの腕に絡みつき、そのまま四輪駆動車に乗りこんできた。
「このッ!!」
ヤチネズミは運転で塞がる両手の代わりに片脚で女を蹴る。踵は女の頬を直撃し、首を弾かれた女はシチロウネズミから手を離したと思ったがしかし、
「そいつの顔に傷残ったらどうしてくれるのさ」
見ると運転席側から別の女がよじ登ってきていた。気付かなかった。ヤチネズミは肘打ちで応じるが、女の方が数枚上手だ。女はヤチネズミの肘を目で追い避けると、反対にヤチネズミの腕をむんずと掴んだ。まずい。
「友だちン駅にちょっかいかけないでくんない?」
どうやらチドリの駅とネコの駅は共闘関係にあるらしい。仲間気取りか? 集団暴行をするような連中が。
「くそッ!」
肩ごと腕を振るが反対に引き寄せられる。なんて粘着性だ。ハタネズミなんて比ではない。
「ヤチ前!」
女と応戦しながらシチロウネズミが叫んだ。言われて前を見たヤチネズミは目を疑う。壁!? じゃない。ハツカネズミの乗り捨てた四輪駆動車だ。慌てて操縦梱を切るが間に合わずに正面から突っ込む。その直前に目の前を走ったのはシチロウネズミの腕。衝撃の中で目を瞑りながらも全身で感じていたのは、いつかと同じ安心感だった。