00-69 カヤネズミ【読み違い】
過去編(その21)です。
ムクゲネズミが笑っている。嬉しそうな楽しそうなその不快な騒音は、上からカヤネズミに降り注ぐ。完全に左腕を固められて、セスジネズミに抑えこまれたカヤネズミは血の滲んだ口元で歯ぎしりした。
「ごめ~ん、カヤ。だっておかしくってえ」
いつもの調子で語尾を伸ばす部隊長は、いつにも増して上機嫌だ。
「安心して。お前が姑息なことなんて知ってるよ? だって俺、部隊長だもん」
鼻歌まじりにきゃぴきゃぴと、耳障りな嫌がらせを浴びせてくる。
「盗られたことに気づかないとでも思ったあ?」
拳銃の銃身を労わるように撫でながら、
「背後にお前が立ってた時点で何かあるってわかるよお~」
嬉しそうにいやらしく下卑た笑いを噛み殺しながら、
「撃てばいいだけだと思ってたんでしょ」
耳元で低く囁かれた。言い返せないカヤネズミは無言で部隊長を睨みつける。隊員の視線を気持ちよさげに受け取って、ムクゲネズミは満面の笑みを返した。
「あのねえカヤ、お前が思うよりもずぅ~っと! 部隊長って色々考えなきゃいけないの。馬鹿には務まらないの。お前には無理なの」
別に自分が部隊長になろうだなんて思ってはいない。
「かわいいかわいい隊員たちの身の安全を守るために、部隊長は日々、努力と研鑽を積んでるの。一朝一夕でこしらえた浅知恵には越えられないの。お前ごときの野心に俺は倒せないの。わかる?」
一朝一夕じゃない。浅知恵だとしても俺だけの思いじゃない。
「わかんないよね。カヤはおばかさんだもん」
言いながらムクゲネズミは拳銃に装填した。
「使い方を教えてなかった俺が悪いのかなあ? それとも教えを乞わなかったカヤが悪い〜?」
知らなかったわけじゃない。弾が入ってないとは思わなかっただけだ。
「どっちにしても、」
ムクゲネズミが引き金を引いた。銃弾はカヤネズミの眼前の砂を弾き、カヤネズミは反射的に瞼を閉じる。弾かれた砂の粒が顔を直撃し、細かな痒さに砂の中で顎を引く。
「ムクゲさん」
カヤネズミを抑えこむセスジネズミが上官を窘めた。「わかってるよお」とムクゲネズミは唇を尖らせる。
「隊員を死なせないのが俺の仕事ですう。言われなくてもちゃんとやってるじゃ~ん」
カヤネズミは背中の上の後輩の顔を窺おうとした。どんな顔で、どんな気持ちで部隊長に加担しているのか。仲間を何だと思っているのか。お前は何を考えている。
考えるまでもなくわかりきったことだとカヤネズミは奥歯を鳴らす。こいつは何も考えてはいない。感情がないのだから。指示されるままに指示されたことを忠実にこなすことしかできない機械と同じなのだから。
セスジネズミの視線をようやく捉えた。カヤネズミはありったけの怒りを噛みしめて睨みつける。意味は無い、こいつには何を言っても通用しないと理解しながらも自分を抑えきれなかった。セスジネズミはその視線を確実に受け取る。顔色を一切変えない後輩は、視線をそらさずに一度だけ瞬きした。
―セージさ、あれ、感情はあるだろ―
―なら何が無いんだよ―
カヤネズミは隣室の同輩が言わんとしていたことに、その時初めて気付いた。
「セージぃ、」
部隊長に呼ばれて副部隊長が顔を向ける。カヤネズミは自分の考えを確認しようとしたが、
「ちゃんと抑えててね。カヤにはちゃんと体で覚えてもらわないとだから」
自身の置かれていた状況に気づかされてはっと首を回した。見るとムクゲネズミは拳銃をしまい、短刀の切っ先を指の腹で軽く撫でて遊んでいる。
「カヤぁ、俺が撃たれてたらどれだけ痛かったかわかるぅ? 誰かを傷つける前に自分がその痛みを知っておかないとって思わな~い?」
カヤネズミは眼球を剥く。角膜のちりちりとした痛みの中で必死に考えを巡らせる。
何だ? 何するつもりだ。短刀で出来る銃弾並みの痛み。考えろ、こいつは何するつもりだ。考えろ。考えろ、俺。かんがえ…
「……やめろ」
酷くかすれた声だった。恐怖が全身を震わせ、口中の水分を蒸発させたためだ。
「やめなぁい」
ムクゲネズミは嬉しそうに頬を持ち上げる。
「切るところは考えてください」
セスジネズミが口を挟んだ。カヤネズミは後輩を見上げ、ムクゲネズミは頬を下ろす。
「カヤさんはハタネズミさんの薬もなければトガリネズミさんの薬もありません。再生しなくても差し支えないところ、負傷したままでも自力歩行できるところでないと移動に支障を来たします」
ムクゲネズミは頬を膨らませて上半身を左右に揺らしている。カヤネズミはセスジネズミが常に部隊長の傍らにい続けた理由を確信する。けれども、
「ならどこならいいのお?」
不貞腐れたムクゲネズミは苛立ち始めていた。これ以上の攻防は返って危害を大きくするとセスジネズミは判断したようだ。無表情は顔を背け、カヤネズミの視線の外に逃げた。そして、
「脚と胴は避けるべきです」
最大限の妥協案を提示して、セスジネズミは諦めた。