00-64 カヤネズミ【告白】
過去編(その16)です。
「後でいいだろ」
ヤチネズミは掴まれた腕を振り払おうとした。シチロウネズミは危険なほど昂っている、気持ちを作りあげ過ぎている、酩酊状態にも似た高揚感は危険でしかなく必ず絶対火傷する。しかしカヤネズミの握力には勝てない。
「離せって! シチロウ止めてくる」
「聞け、ヤチ…」
「後で何でも聞いてやるよ!」
今はシチロウだ。
「あんな状態じゃ作戦通りに動けないって。お前の言うとおりだ、今夜は中止! 止めてくる…」
「ヤチネズミッ!!」
あまりの剣幕に全身が震えた。否が応でも立ち止まらざるを得なかった。皆から遅れて最後尾を歩いていたセスジネズミが振り返る。
一瞬にして音量と速度を上げた心臓に戸惑いつつ、聞いたこともない同輩の怒号にヤチネズミは向き直った。
「カヤ……?」
「あの昼の話」
あの昼? と一瞬考えて、この隊に来た最初の昼のことかとヤチネズミは思い至る。そう言えばいろんな話が中途半端だった。疑問と不満と消化不良が山積していたのに、その後の衝撃が大き過ぎてすっかり忘れていた。
「言いたいことはいろいろあるけど要約すると一つだ。『塔が薬を使って何をしようとしてるか』。使い捨ての受容体じゃ明かせない、でも生産体のヤチなら機会があるかもしれない。だから塔に行ったらアイに聞いてくれ。そしてヤチが駄目だと思ったら止めてくれ」
唐突過ぎて頭がついていかない。辛うじて聞き取られた言葉尻から、
「……何を?」
どんな事柄にも万能に機能する疑問詞を返しておいた。
カヤネズミがは掴んだ手首をさらに握りしめて顔を突き出し、そして、
「子ネズミたちの検査」
怒っていたわけではなかったのかとその目を見てヤチネズミは気付いた。いくつもの仮面を使い分けては御託を並べて煙に巻き、本心をなかなか見せない食えない奴だが、ハツカネズミとはまた別の意味で子どもたちから絶大な信頼を寄せられる男でもある。口では冷たい言葉を吐きつつも、本音は全然温度が違った。
「……なんで今、そんな話…」
「何の話ですか?」
見るとセスジネズミがすぐそばまで来て立っていた。カヤネズミが手を離し、ヤチネズミはその顔に振り返る。
「先輩方が陰で何かを企んでいるのは見え見えですが今は掃除前です。業務を遅滞させることだけはやめてください」
ばれているのか!? とすぐに動揺を顔に出すヤチネズミを押し退けてカヤネズミが前に出た。
「野暮だなお前、告白中だよ。今、返事待ちなんだから席外せって」
下らないことを嘯く仮面の笑顔は、ヤチネズミの肩を例のごとく握りつける。
「セージにはムクゲさんがいるだろ。早く追っかけないと捨てられんぞ?」
「そういう関係ではありません。カヤさんたちだって違うでしょう。ふざけないでください」
ほらばれてるよ、とヤチネズミは隣に目配せしたが、上から覆いかぶさるように肩を組まれて歩かされた。
「妬くなよ、セージ! ほら急げって、副部隊長」
カヤネズミはへらへらと後輩をいなして歩き出した。ヤチネズミはたどたどしくされるがまま足を進め、その背中をセスジネズミの無言の視線が追いかけた。
「セージの奴、気付いてんじゃね?」
無様に腰を曲げて歩かされながらヤチネズミは背後を窺う。
「かもな」
こともなげにカヤネズミは応える。
「何が『かもな』だよ、やばいじゃん! セージに動かれたらあの作戦は…」
「おいおいヤッさん、俺を誰だと思ってんの? そんなヤチみたいなへましないって。お前らはいつも通りにがなってはしゃいで使えない頭は置いといて体だけ動かしてればいいんだって」
「いや、だめじゃね?」
つい先ほどまで作戦中止を謳っていた奴が。
「ほんとに今日やるのか?」
ヤチネズミは組まれた肩をくぐり抜けて確認する。シチロウネズミの姿は既に砂丘の先だ。
「あぁ、もういいよ。やろうやろう」
カヤネズミは投げやりにぼやく。
「緊張感ねぇな。本気でこんなんでうまくいくのか?」
「いくいく! 完ぺき!」
呆れて物も言えない。
「おいカヤ…」
「それよりヤチ、さっきの話忘れんなよ。約束守れよ」
約束をした覚えはないが。
「ほら、行くぞって!」
「おい、ちょっ? カヤ!」
シチロウネズミとは別の塩梅で妙な勢いに乗るカヤネズミを、ヤチネズミは訳もわからず追いかけた。
チドリの駅は連携がまるでなっていない。少しつつけば、ばらばらになる。我先にとすぐ逃げる。掃除の難易度はそれほど高くないし良い女も多くて狙い目だ。
だがスズメ用に考案した作戦が通用するか否かは五分五分だった。第一に駅の構造が異なる。これは致命的だ。そして夜明けまでの時間。東の空は色付き始めている。移動にだいぶかかってしまった。夜だからこそ掃除は捗るというのに、これもムクゲネズミの狙いだろうか。
「今日はずいぶん出てますね」
双眼鏡のヒミズが言った。
「天気いいからっすかねぇ」とタネジネズミ。
「朝が近いからだろ。地下だって馬鹿じゃねえよ、俺らが動く時間帯くらい把握してんじゃね?」
ヤチネズミは当然の憶測を口にしたが、子ネズミたちが一斉に目を丸くして見つめてきた。
「……なんだよ」
一斉に視線を逸らされる。何かおかしなことでも言っただろうか。
「ヤチくんすっご〜い! そんな考え方もあるんだねぇ〜」
部隊長がきゃぴきゃぴと囃し立てた。
「こいつらみんな無学だからぁ、ヤチくんみたいな発想ないんだよぉ」
ヤチネズミは唖然としてムクゲネズミを見つめる。経験則から知恵を教えていくのは年長者の役割だろう? と。ここの部隊長は自分の職務怠慢を隊員たちのせいにして、これまでもずっと過ごしてきたのだろう。燃えあがりかけた怒りをしかし、その時のヤチネズミは上手く昇華した。作戦が成功すればこの男にひと泡吹かせられる、シチロウネズミと目配せして頷いた。
その背後でカヤネズミは黙って目を伏せていた。いつもなら真っ先にヤチネズミを制止してくるのに。
「目視でもわかるよ。あそこ突っ込めばいい?」
四輪駆動車の上からハツカネズミが尋ね、ヒミズが同意する。
ヤチネズミは首を極力動かさずに周囲を見渡した。ハツカネズミを頂点に扇状に広がる隊員たち。後方の中央にはムクゲネズミとセスジネズミ。最大の敵の斜め後ろでカヤネズミが出番を待っている。
ハツカネズミが四輪駆動車を発車させた。相変わらずの運転技術で蛇行しながらスズメの一団目がけて加速していく。
ヤチネズミは傍らの子ネズミを押し退けて自動二輪に飛び乗った。まだ名前を覚えていない子ネズミは驚いて固まり、代わりにヤマネが飛び出してくる。計算通りに。
「てめぇまたハツさんの邪魔する気かよ!」
「見てるだけの奴は黙ってろ!」
「うるせえ! この…」
「ヤチに続けえッ!!」
反対側から自動二輪をふかしてシチロウネズミが飛び出した。続けと言いながら先に出てしまってはヤチネズミの立場が無い。慌てて次の手順を踏む。
「おい、ヤマネ」
シチロウネズミの行動に呆気に取られていた子ネズミに呼びかける。
「お前、一生ハツにおんぶに抱っこで行くつもりかよ」
ヤマネが怒髪天を衝きながら赤面する。
「お前らも!!」
名前を覚えきれていない子ネズミたちに向かって、
「一生子ネズミで終われ、くそ餓鬼ども!」
啖呵を切って走り出した。
想像以上の爽快感だった。予め決めておいた台詞ではあったが頭の中で反芻する度、思わず頬が持ち上がる。
ヤマネはきっと追いかけてくるだろう。いや、来るのだ。カヤネズミが上手いこと焚き付けてくれる算段になっているのだから。
他の面々も続くだろう。続かせてくれるはずだ、カヤネズミが。そして皆で連携して掃除を終わらせる。
なんの事は無い。捻りも何もない。単に本来あるべき業務体系に戻す、それだけだった。
だがたったそれだけのことが、この隊にとってはどうしようもなく難しい問題だった。
屁理屈で捻じ曲げられた規則は隊員たちを雁字搦めに縛り付け、身動きを取れなくしていた。その捻じ曲げられたくそ理屈をまっすぐに伸ばして、正論をムクゲネズミに叩きつけるのがこの作戦だ。自分の行為を言葉遊びで正当化してきたムクゲネズミは、正論の前で持論を展開出来るだろうか。無理だろう。そんな恥晒しはあの男の自尊心が許さないはずだ。結果あいつは押し黙る。悔しそうに唇を噛む。見物以外の何物でもない。
行ける。出来る。絶対上手くいく。
ちらりと振り向いたシチロウネズミに歯を見せて、ヤチネズミは同室と同じ昂ぶりの中を駆け抜けた。
そのはるか背後でカヤネズミが残念そうに息を吐いた。