00-62 ハツカネズミ【心中】
過去編(その14)です。
「……なんでやられっぱなしなんだよ」
ヤチネズミは呟く。カヤネズミとシチロウネズミは何も言わない。
「なんで誰にも相談しないんだよ」
誰かいるだろう。塔に戻ってもいい。ハタネズミやアズミトガリネズミのように親身になって話を聞いてくれる年上が誰か。
ヤチネズミはついに地面を拳で叩き、立ち上がった。
「何の意味があるんだよ、それ。『かわいがり』? ざけんな、ただのいびりじゃん。それがあいつの薬の効能なのかよ」
「ムクゲは感情がないだけだよ。『かわいがり』は趣味って言ってんじゃん」
カヤネズミが斜め下を睨みつけて答える。
「趣味って何だって聞いてんだって! 子ネズミでやるなよ、地下の奴らでやってろよ」
「じゃあヤチがムクゲにそれ言えよ。お前だってハタネズミさんの薬もないのにそんなことできんのかって」
「だからムクゲじゃなくて他の…」
「誰に相談しろっていうんだよ」
カヤネズミが吐き捨てる。
「俺の上はマッさんしかいないしトガリさんだって」
「他の部隊の部隊長とか…」
「他の部隊を気にする余裕なんてどこにもないじゃん」
ヤチネズミの言葉を待たずにシチロウネズミも言う。
「でも誰かしら…」
「ここは戦績だけはいいから評価は高いんだよ!」
押さえ込んでいたものが弾けるようにカヤネズミが怒鳴った。
「部隊の報告なんて部隊長の仕事じゃん。それ以外の話なんて誰もまともに取り合わないって。部隊長の命令は絶対だろ、逆らえばもっとやられるってわかってるのにこれ以上どうしろっつんだよ。それに俺らは生産体と違って塔に行くことなんて死にそうな時だけなんだって生産体と違って!」
カヤネズミは一息にまくしたててそっぽを向いた。ここの隊員は部隊のことを『うち』と呼ばないな、とヤチネズミはどうでもいいことに気がつく。
生産体の待遇を好ましく思わない受容体がいることはおそらく事実なのだろう。だがここの隊員は生産体が嫌いなのではなくムクゲネズミが憎くてたまらないことこそが、その嫌悪の理由であることも確かだ。
「……でもさ、」
長い険悪な沈黙の中で、シチロウネズミが口を開いた。
「ヤチに怒られてちょっと目が覚めたっていうか。何やってんだろ、俺って」
ヤチネズミの視線にシチロウネズミは気まずそうに微笑む。
「ハツは強い薬をいっぱい持ってるしって、やり過ごす方法ばっか考えてたけど、それじゃあれじゃね? ヤチの言う腰抜けの…」
「「くそ野郎」」
同時に同じ言葉を呟いて、一緒に苦笑した。一瞬の乾いた笑いの後で、シチロウネズミは顎を引く。卑屈さもびくつきも一切ない、力強い口調で、
「俺もやるよ。ヤチの言うとおりだよ。あのハツがんばってんのにヤチも立ち向かってんのに俺だけ後ろ向きなんてだめじゃん」
「シチロウ……」
決意表明したシチロウネズミは、ヤチネズミの顔を見上げるとにやりと左右の頬を持ち上げた。そして、
「泣きネズミぃ~」
その言い方が自身の照れ隠しにしか聞こえなくて、ヤチネズミは怒る気にもなれない。
「泣いてねえし」
苦笑して返した。
ヤチネズミはカヤネズミに顔を向ける。シチロウネズミもそれに続く。つい今しがた『見ているしかない』と強調していた隣室の同輩は視線を受け取ると、顔を背けて首筋を擦った。
「……この流れで俺だけ抜けるっつったら超かっこわるいだろ」
シチロウネズミが目配せしてきた。ヤチネズミも黙って受け取る。互いに耐えきれなくて吹きだし、一緒に声に出して笑った。息を合わせたようなそのやり取りにカヤネズミは落ちそうな屋根を見上げて息を吐く。
「なんかうらやましいわ。お前らのそういうの」
ヤチネズミはカヤネズミの言わんとすることがよくわからない。カヤネズミはヤチネズミをちらりと見てから再び落ちそうな屋根を見上げ、
「俺の部屋、上と下だけだろ。お前らの同輩の? なんつうか、つうかあな感じ? めちゃくちゃ疎外感」
「カヤはヤチと仲いいじゃん」
シチロウネズミの一言にヤチネズミとカヤネズミは同時に振り返った。
「はああ!? 別に仲良くないし」
「そうだよ! こんなバカと一緒にしないでくんない?」
「ちょちょ! 息、ぴったりじゃね?」
シチロウネズミがさらにおちょくってヤチネズミはむきになる。カヤネズミは砂を払うようにヤチネズミに向こうへ行けと言い放つ。シチロウネズミの久しぶりの笑顔を見ながらヤチネズミは怒った顔を作って見せて、その実、どうしようもない嬉しさで胸がいっぱいだった。
額を突き合わせて作戦を練りあげた。と言っても原案を出したのも細部を練り上げたのもほとんどがカヤネズミで、ヤチネズミの提案は悉く却下されたのだが。話し合いが議論めいて、時々喧嘩じみたりもしたが、ハツカネズミに言えば絶対に受け入れないし自分だけで解決しようとするだろうから黙っておこう、というシチロウネズミの意見については全員が一致した。
「なあ、ムクゲの薬ってほんとに『感情がない』なのかよ」
ヤチネズミはシチロウネズミに尋ねた。確かにハタネズミもそう言っていたのだが、どうも腑に落ちない。笑ったり怒ったり、感情はあるだろう。受容体のセスジネズミだってあるのだし。
「あんなこと笑顔で出来んだぞ? まともな感情があったら出来ないって」
頭を使い尽くして両足を投げ出したカヤネズミが横からぼやいた。
「感情じゃなかったら何が無いって?」
シチロウネズミに反対に尋ねられてヤチネズミは腕を組む。具体的に何と言われると浮かばない。
「でも感情じゃないだろ、あれは……」
「何でもいいよ、あんな奴の薬なんて」
カヤネズミが一刀両断する。そして、
「それよりさ、ハタネズミさんってどんな部隊長だった?」
「俺も気になる」とシチロウネズミ。
「ハタさんが?」
ヤチネズミは腕組みを解いて眉毛を曲げた。カヤネズミは珍しく目を輝かせて身を乗り出したりしてくる。
「ヤチ、めちゃくちゃ慕ってんじゃん。ハタネズミさんなんて俺は恐れ多い感じだけど、ヤチは超近くで世話になったんだろ?」
「俺だって薬合わせの時にちらっと見ただけだよ」とシチロウネズミ。
「え? 受容体ってみんなハタさんの薬、試すんじゃないの?」
ヤチネズミは驚いて尋ねたが、
「ハタネズミさんなんてそうそう会えないって。ハタネズミさんの薬を受け継いだアカハタさんたちが今は子ネズミたちに薬、分けてんだよ」
そう言えば塔への招集をよくずる休みしていた、とヤチネズミは思い出す。
カヤネズミが受容体たちの検査の様子を熱っぽく説明した。シチロウネズミも上気した顔で補足してくる。前部隊長に向けられる意外過ぎる羨望の眼差しに、ヤチネズミは感心する。
「マッさんもめちゃくちゃ言ってた。『癖はあるけどいい男だ』って、めちゃくちゃ尊敬してたからさあ!」
「いいなあ、ヤチ。生産体さまぁ~」
シチロウネズミまでそんなことを言うものだから、ヤチネズミも嬉しくなって身を乗り出した。
「そりゃあ世話になったよ! とにかく何でも出来て頭も良くって懐がくそ深くって…」
―深いのがいいか―
思い出したくないいやらしい視線が浮かんでヤチネズミは固まる。
「どんなふうに?」
カヤネズミに促されてヤチネズミは頭ごと余計な思い出を振り払い、もう一度ハタネズミの尊敬すべき点を挙げようと試みる。しかし、
―ヤチはちっこいな―
―夜も昼もどこもかしこもちっこいな―
「ヤチ?」
「どうしたヤッさん」
「いや……」
項垂れた頭をそれ以上落とすまいと手の平で額を支えて、ヤチネズミは言葉を探す。だが、
―夜も昼もみんなの尻は俺が持つ!―
昼はいらない。
―反対の見解を持て、ヤチ。下が駄目なら上もある―
「どっちもやらせねえよ!」
「「は?」」
「あ、違う」
記憶の選択を間違えた。
「いや、だから……、面倒見がすごくいくて…」
「それ聞いたことある! 超有名じゃね?」
「悪いうわさが一つもないってすごいって!」
それはアズミトガリネズミが火消しに奔走していたからだ。
どう足掻いても悪口しか出てこない前の部隊長の顔を頭の中で睨みつけながら、
「……懐だけは深かった」
頭を抱えてそれだけは伝えておいた。
* * * *
夜汽車の子どもたちの映像は忘れられない。身体がどうなっているかとか、何をされていたかとか、当時はまだ感覚もあったけれどもそれら全てが霞んだ。
生涯の大半を過ごす小さな箱、事実を避けた教養と短い一生。例えアイがいたとしても子どもたちの不安や混乱は解消されることなどあるだろうか。そして缶詰製造工程……。
守らなきゃと思った。夜汽車も子ネズミと同じように俺たちが育てた子どもたちなのだから。
守るためには手段がいる。技術、戦法、武器、能力。どれが欠けてもいけない。相手は非情で残虐で狡猾な連中だ。だってあんなことが出来るのだから。あんなことをしてまで生き永らえようとする連中だから。
同室の中でもみんなの足を引っぱってばっかりで、要領が良くないことくらいわかっている。アカネズミみたいに何でも出来るほど器用じゃないし、ヤチネズミみたいな向上心もなければ粘り強さも無い。シチロウネズミみたいに盛り上げ上手でもなければトガリネズミみたいな包容力もない。でも運よく受容体だった。使える身体だった。アイにも言われた、非常に優れた受容体ですって。だから出来る。きっと出来る。トガちゃんが遺してくれたものだ、ハタネズミさんのすごい能力だ、クマさんの、コジネズミの、そしてヤチの力を借りているんだ。絶対出来る。絶対守る。誰も怪我させない。もう二度とシチロウをあんな風に泣かせたりしない。
だって俺はネズミだから。