00-61 ハツカネズミ【発端】
過去編(その13)です。
部隊長の命令は部隊内では絶対だ。統率の乱れた部隊ほど機能しないものはなく、好き勝手に動く駒ほど死にやすいものはない。だから部隊長には経験豊富な年長者が就くのだし、それ相応の責任と知能が要求される。部隊長の責任とは当然、部隊員を死なせないことであり、部隊員を失ってばかりの部隊長は評価も下がり椅子も失う。
「んなことわかってるって。でもあいつ、俺を撃ってきたじゃん! あれ絶対本気だったって」
「だからそうだって、ヤチは間違ってないって言ってんじゃん。そうじゃなくて殺す気はなかったって言ってんだって」
「いいや? 殺す気満々だったんじゃね? 銃口、直で心臓に押し付けてきたし現にその前に足下撃たれたし」
「当てる気は満々だったよ、でも…」
「ほら聞けよ! シチロウだって殺す気だったって…」
「殺しはしないって。死ぬ直前で寸止めするのがムクゲの趣味だから」
指差した先のシチロウネズミの推測にヤチネズミは首を九十度曲げた。
「『しゅみ』?」
「そ」とシチロウネズミは頷く。
「これもここもこっちのこれも、全部あいつの趣味」
言いながら捲った袖や裾から覗いたのは、新旧様々な傷痕だった。『かわいがり』の痕跡だ。
「んだよそれ……」
「だから黙って見てろって言ったんだって」
手当てされた右腕を擦りながらカヤネズミが苦々しげに息を吐いた。
ヤチネズミが最初に抱いた感想とは別の意味で、この部隊は見事に連携が取れていた。各々が自分の役割を熟知し、最も効率よく動くことで皆が掃除に貢献していた。例えそれが『一切動かない』という役割だったとしても。
「カヤも初めは戸惑ってたじゃん」
「そりゃそうだろ! あれ見て平然としてられるほうがおかしいって」
ムクゲネズミの加虐性趣向がどこで発露したのかは不明だ。だが子ネズミ時代の彼に目立った噂は無かったという。
「強いて言えば静かな奴だってマッさんは言ってた」
噂だけでなく、ムクゲネズミ自身が目立たなかった。
「検査終わってさ、俺は生産隊には行けないってなった時にマッさん、わざわざ顔見に来てくれたんだよ。そん時に」
カヤネズミは年上の同室の思い出を語ると、少しだけ寂しそうな目をした。クマネズミの死は唐突だったとハタネズミも言っていた。カヤネズミも平静を装いつつ、まだ立ち直っていないのだろう。
「『戦績のいい部隊だからそこまで危険じゃないだろう』って。『死ぬことは無いだろうけど死ぬなよ』って」
そこで微かに鼻で笑い、「マッさんの方が先に死んじゃったけど」
「シチロウが来た時には?」
それ以上カヤネズミに話をさせるのが不憫になって、ヤチネズミはシチロウネズミに水を向ける。カヤネズミを見つめていたシチロウネズミは顔を上げると目を伏せ、顎を引いた。相変わらずあの頃のような陽気さはないが、おどおどした感じもない。
「俺はカヤよりは先だったけど俺が入った時にはすでにムクゲはあんなんだったよ。ジッちゃんとかヤマネとかが『かわいがられ』てたし」
「ハツのやつ、どこであんな戦い方習ってきたんだ?」
ヤチネズミは一番の疑問を口にした。カヤネズミがシチロウネズミを横目で見る。聞かれたシチロウネズミは唇を固く結ぶと項垂れ、はたから見てもわかるほどに大きく一度、身震いした。
「最初は、子ネズミたちを守ってただけだった」
シチロウネズミが絞り出すような声で言った。カヤネズミが視線を逸らした。
カヤネズミよりもシチロウネズミよりも先に入隊していたハツカネズミは、きっと驚いただろう。そして抗議もしたのだろう。だってハツカネズミだから。思ったことをそのまま口にするから。褒め言葉でも相手が嫌がることでも間違っていることも正しいと思うことも思ったままを何もかも。当然煙たがられる。当然反感を買う。だがハツカネズミは根に持つことを知らない。その場で言うだけ言ってすっきりして三歩も歩けば忘れている。だから怒った時以外は大抵いつも笑っている。
それが苦手な者もいるだろう。心底毛嫌いする奴だっているかもしれない。一言でいえば純粋、別の言葉で表すなら馬鹿だ。
けれどもハツカネズミの不器用さと記憶力の悪さが愛嬌となって、彼を許してしまう者もまたいるのだ、同室のヤチネズミたちがそうだったように。馬鹿で要領の悪い正直者、それがヤチネズミたちの共通の認識で、腹も立つけれども放っておけない、憎めない奴だった。
「ヒミズたちからのまた聞きだけど、俺らよりも年長のネズミもいたみたい。そいつらはムクゲのご機嫌取りするだけで、子ネズミたちが『かわいがられ』てても見て見ないふりか、ムクゲと一緒になって子ネズミたちをいびったりしてたって」
「んだそれ…」
「ちゃんと聞け」
カヤネズミに肩を掴まれ、ヤチネズミは浮かせかけた腰を下ろす。
「そいつらは出世して自分の部隊持ったりとか、塔に戻る希望出したりして上手いことここから脱出したみたいだよ。ハツが入った時にはムクゲ以外は一番上がヒミズだったって」
部隊長と子ネズミだけの部隊。後ろで見ているだけの奴が子どもたちを危険な前線に押し出す形態。
カヤネズミに掴まれた肩を揺すられる。しねえよ、の意味を込めてその手を振り払う。
「ヒミズが?」
なぜヒミズが『かわいがり』の標的になったのか、ヤチネズミが皆まで言わずとも同室のシチロウネズミは汲んでくれたようだ。
「トガちゃんの薬」
シチロウネズミはその単語だけを告げる。同室にはそれだけで十分だった。ヤチネズミの首に青筋が立った。
トガリネズミの薬の効能は驚異的な再生力だ。皮が裂けてもすぐ塞がる。骨が折れてもすぐ繋がる。そこには縫合も添え木も必要ない。外科的処置が一切いらない。
だがトガリネズミ自身が完璧で完全な再生だったのに対し、その受容体は少々勝手が違ったらしい。塞がるには塞がる、でも少しずれる。繋がるには繋がる、しかしやはり少しずれる。再生にかかる時間もトガリネズミには遠く及ばず、トガリネズミの薬を入れられた多くの受容体が再生後の身体中の歪に不快感や痛みを訴えた。しかし上手いこと副作用をほとんど出さずに受け継げた者も中にはいる。例えばヒミズやハツカネズミ。
「ヒミズさ、出しゃばりっていうかうるさいし声でかいじゃん。目立つんだよね。それでムクゲに目ぇつけられたみたいで」
―再生? すっご~い! ねえねえ、どこまで再生するか試そうよ!―
「死なない範囲で再生の過程がちゃんと見えるようにいろいろされたらしくて」
詳細はシチロウネズミでも聞き出せなかった。話したくもなかったのだろう。
「あいつは俺と違ってハタネズミさんの薬もちゃんと入ってんじゃん。でも薬の効能って始めはあんまり強くないから」
受容体でも生産隊でも、ネズミたちの薬は時間と体験を重ねることで徐々に効果を上げていく。『かわいがり』が始まった当初のヒミズは大いに痛がり、部隊長を喜ばせたそうだ。
「ハツがそんなのほっておくわけないじゃん。ここに入ってすぐにムクゲに食ってかかって、もちろん『かわいがり』もされて。でもハツの場合、トガちゃんとハタネズミさんの薬以外もいろいろ入ってるし、ハツの受容体は生産体の効能を完璧に受け継ぐから」
暖簾に腕押しというやつだ。面白みがなかったのだろう。ムクゲネズミの『かわいがり』はハツカネズミを苦しめることも屈服させることも叶わなかった。
「だからムクゲは子ネズミたちを『かわいがった』。その頃にはヒミズもだいぶ痛みを感じなくなってきてたから、入ったばっかのヤマネたちが標的にされたって」
ヤマネたちにはトガリネズミの薬は入っていない。ヒミズみたいに壊しても無限に治ってまた壊せるおもちゃではなかったから、ムクゲネズミは物足りなさを感じ始めていた。そこで彼は新しい方法を思いつく。
―ねえ、掃除のやり方、変えてみよっか!―
それまでは『かわいがり』はあっても作戦と連携をもって行われていたムクゲネズミ隊の地下掃除は、部隊長の発案でその様相をがらりと変えた。競争制が取り入れられ、一度の掃除に使える小銃と乗り物は制限され、明確な目標数が設定された。そして目標が達成できない暁には処罰が科せられた。
「俺が入ったのはちょうどその頃。ハツたちから状況聞いて、とりあえず足の遅いヒミズたちを二輪に乗せて、他はみんな足で廃駅まで突入…」
「おかしいだろそれ!」
「ヤチ!」
もうお馴染みになったやり取りにカヤネズミはうんざりした顔を見せる。シチロウネズミにも注意されてヤチネズミは腰を下ろし、余計なことを言わないように口元を手で覆った。口を挟むなという方が無理な話だ。物理的に言葉の出所を遮らねばやってられない。
「……当然みんな怪我した。目標なんて無理な数字吹っ掛けて来るし掃除の最中よりもその後の方が最悪だし。ハツは止めようとしたよ。でもハツが止めるとムクゲは面白がってさらに『かわいがり』が加速する。ハツは常に目を光らせてたけどそれでもハツが手の届かないところでムクゲは手ぇ出してくる。だから、」
だからハツカネズミは掃除を一手に引き受けることに決めた。自分ならば痛みを感じない、自分ならば負傷しても完全に再生する、自分ならば食べ物もいらないから取り分をほかの隊員に分けられる。
「でもハツだって痛みとかを感じないだけで身体に負荷はかかってるわけじゃん。掃除が終わった後は今日みたいに大抵、ばてるのね。ムクゲはそれが嬉しかったみたい」
―ハツがそれでいいなら別にいいけどお―
「ハツだって始めは苦戦してたよ。でも、薬の効能はどんどん上がるから……」
そこまで言うとシチロウネズミはまた、ぶるりと身震いした。
「シチロウ?」
「ごめん、ヤチ」
「……なんで謝ってんの?」
何についての謝罪か。ヤチネズミがシチロウネズミを覗きこんだ時、
「俺、ハツが怖い」
再会時から抱いていた疑問の理由をその時初めて知った。トカゲの子どもを思い出す。立ち竦んで動けなかった自分を省みる。
責められるはずがない。こんなに苦しんでいるのをこれ以上鼓舞することなど出来ない。あんなに痛がっていたのをもう一度我慢しろなどと強制する資格も、ヤチネズミは持っていない。
「わかったろ? 俺らには見てるしか出来ないって」
ヤチネズミに手当てされた火傷を見つめてカヤネズミが言った。