00-60 ハツカネズミ【掃除】
過去編(その12)です。
「何止まってるの?」
振り返りかけた頬に金属が触れた。ヤチネズミは咄嗟に首を反らして手で押さえる。瞬きの後に飛び込んできたのはまだ熱を帯びている、細くて小さな銃口だった。片手にさえ収まるそれをハタネズミも持っていたことを思い出す。確か部隊長たちには護身用として配付されていて…
「お前はハツと一緒に先行するんだよ?」
言うとムクゲネズミは拳銃を握ったままの左手を、今度はヤチネズミの脇に向けた。服の生地ごしに銃口が突きつけれる。
「な……?」
「使えない子はいらないよ」
そう言ったムクゲネズミの口角が歪に持ちあがる。脅しではない。こいつ本気で、
再び銃声。今度はムクゲネズミの跨る自動二輪に当たった。ムクゲネズミは足元を見下ろすと無表情で振り返る。
小銃を構えたカヤネズミと目があった。頷くことさえ省略して自動二輪を走らせた。
* * * *
「カヤぁ、誰が撃っていいって言ったの?」
ムクゲネズミが首を傾げながら戻ってきた。笑っていない。怒ってもいないが怖い。めちゃくちゃ怖ぇ! 馬鹿ヤチ、あほヤチ、後で覚えてろ! カヤネズミは小銃を握りしめる手を下ろした。震えていることを少しでも隠そうとして。
「援護射撃ですよ」
笑顔で答える。
「やけに下手な援護だったねえ。何を狙った誰のための援護ぉ?」
真顔が尋ねる。
「と…カゲを狙ったヤチのための援護じゃないですかあ。他にありますぅ?」
笑顔が崩れてくる。がんばれ、俺の表情筋。
「みんな大好きヤチネズミくんかあ。妬けちゃうなあ?」
太陽にでも焼かれて焦げて消えてくれ。
「焼いちゃおっか!」
明案を思いついたことが心底嬉しかったのだろう。ムクゲネズミがにっこりと笑い、カヤネズミは笑顔を保ちきれなかった。
* * * *
ハツカネズミが囲まれている。トカゲの男が囲んでいる。団子の中で振りあげられた手に短刀が握られていた。まずい! ヤチネズミは自動二輪の速度を上げる。トカゲを轢くより仲間の救助を優先する。
銃声が鳴った。団子の中から出てきた男が腕を押さえて倒れ込む。ハツカネズミの悪あがきだろう。だが当たったのは腕、致命傷ではない。当てろよ! 至近距離だろ? ほんとに何やっても下手くそだな。次の装填に手間取っているのか出来る状況ではないのか。焦燥感に駆られてヤチネズミは自動二輪を飛び下りた。
団子に二輪で突っ込めばハツカネズミを巻き込みかねない。おそらく中で伏しているハツカネズミを引っぱりだして撤退だ。と思ったのに。
団子が破裂した。温めすぎて弾けて中から餡子が飛び散るように、トカゲの男が茹でた小豆の粒みたいに、潰れて中身を晒して軽々と空を舞った。徐々に露わになっていく団子の中心には、小銃を振りまわして殴打を繰り出すハツカネズミ。使い方を間違っている。だが装填していない鉄の筒としてなら最も効率的な使い方かもしれない。トカゲたちは割れて潰れてぐちゃぐちゃだ。ハツカネズミも刺されて斬られてぼろぼろだ。だが痛みに顔を歪め、膝をついた瞬間に撲殺されるトカゲと違い、ハツカネズミは痛みを感じない。刺されようが突かれようが、自分の身体など見ていない。ヤチネズミの知っている、子ども受けだけが取り柄の、他は何をさせても失敗ばかりのハツカネズミではない。
―俺の薬、ほしいか?―
ヤチネズミは無自覚に首を横に振る。歯を食いしばって小銃を振り回すハツカネズミは、角度によっては笑っているようにも見えた。
背後で音がしてヤチネズミは振り返った。見るとトカゲの男児が自分と同じように目を見張って蹲っている。腰を抜かしているのかおぞましい光景に瞬きさえ奪われたのか、ヤチネズミの同室を凝視して震えている。ヤチネズミは咄嗟に自分の首巻きをその顔に巻きつけた。子どもに見せていい光景じゃなかった。トカゲとかネズミとか関係ない。
トカゲの短刀がハツカネズミの腕を切り落とした。小銃を握りしめたままの右腕がハツカネズミの胴体から離れていく。援護! 我に返ってヤチネズミは小銃をかまえかけたが、ハツカネズミの左腕が宙に浮いた右腕の手首を掴む方が早かった。捻った腰の推進力で千切れた右腕を振り回す。握力による支えを失った小銃は吹っ飛び、ヤチネズミの足元までやってくる。小銃を失ったハツカネズミは自身の右腕を武器に持ち替え、尚もトカゲたちを殴り続けた。肉が千切れ飛び、髄液を失った白い骨は打撃だけでなく突刺にも適していたらしい。最後の男はハツカネズミの右腕を腹に貫通させて息絶えた。
乾いた銃声を聞いてヤチネズミははっとする。振り返ると子ネズミたちを引き攣れた部隊長がにこにこしながら歩み寄ってきていた。
「おつかれさまあ。今日は少し手間取ったみたいだね?」
拳銃をセスジネズミに手渡しながらムクゲネズミが言った。あんな運動量の後でもハツカネズミは息も切らさずにムクゲネズミを睨みつける。
「いくつ?」
「六つ以上は。途中で数、わかんなく…」
最後まで言い終えずにハツカネズミが腰を落とした。当然だ。酸欠も流血も、全てにおいて卒倒していてもおかしくない状態だ。ヤチネズミだけでなく子ネズミたちさえ気付いていただろう。ハツカネズミだけが自分の意思とは無関係に動きの悪くなった自身の身体を持て余している。
「相変わらずハツはおバカさんだね。でも残念、ハツは今日は九つだけ。足りなかったあ」
眉毛をハの字にしたムクゲネズミが腰を曲げ、ハツカネズミに向かって顔を突き出した。それを聞かされたハツカネズミの表情が固まる。
「けど安心! なんと初参加のヤチネズミくんがひとっつお掃除してくれたのでえ、今日は目標数たっせ~い! ヤチくんすごい! さ、みんな拍手!」
五本の指を開ききって外側に反らせた手の平で打つムクゲネズミの拍手は、口で言う「ぱちぱちぱちぱち」という音以上に小さい。むしろその口が発する効果音の方が、誰もが無言の夜の中では耳障りによく響く。
「俺は何も…」
言いかけたヤチネズミは足元を見下ろす。視界を奪われたトカゲの子どもが胸から血を流して倒れていた。
「でも不思議だねぇ。なんでヤチくんの首巻きを地下の野郎が巻いてたんだろうね?」
部隊長の質問に答えようがなくて絶命した子どもを見つめたまま、ヤチネズミは顔を上げることすらかなわない。
「じゃあ帰ろっか! ここ臭いしね」
鼻歌まじりに飛び跳ねながら、部隊長は隊員を置いてさっさとその場を後にした。
「ハツさん!!」
ムクゲネズミが立ち去った途端に子ネズミたちはハツカネズミを囲んだ。口々に心配と謝罪と労いと悔しさを口にしながらハツカネズミを両側から抱え上げる。ハツカネズミは「ごめんね」「だいじょうぶ」「ありがとう」「だいじょうぶだよ」と各々に笑顔で声かけしている。そのハツカネズミが子ネズミたちを差し置いて、
「ごめん、ヤチ」
突然謝ってきた。ヤチネズミは何のことか理解が及ばす反応も出来ない。馬鹿みたいに呆けた顔で死にそうな上目遣いを見つめる。
「ヤチのこと全然守れなかった。でも怪我ないみたいでよかった」
何言ってんだ、お前。
「ありがとね。ヤチが掃除してくれなかったらと思うとぞっとする。俺だけじゃ目標達成できなかったもんね」
これは俺じゃなくて、あの部隊長だ。
「あれ? シチロウは?」
シチロウネズミの不在に気付いてハツカネズミが周囲を見回した。カヤネズミもいないとヤチネズミは気付く。ハツカネズミに尋ねられた子ネズミたちが申し訳なさげに項垂れて、
「カヤさん、『かわいがり』入って、シチロウくんが身代わり……」
ひょろりとした子ネズミがおずおずと答えた。血まみれの顔から血の気が引く。
「『かわいがり』って?」
ヤチネズミは隣にいたヤマネに尋ねた。声をかけられたヤマネは瞬間、鼻筋に皺を刻んでヤチネズミを殴りつけてきた。拳を顔面でもろに食らったヤチネズミは起き上がる前に、腹に蹴りも食らう。
「ヤマネ!」
「全部てめえのせいだからな! カヤさんたちに土下座して詫びてこいよ!」
「ヤマネ、いいって。ヤチは今日が初めてなんだから」
ハツカネズミの言葉一つでヤマネは怒りを抑えこむ。だがこの場合はハツカネズミよりもヤマネの方が正しいとヤチネズミも思う。
「ヤチ、だいじょうぶ…」
ハツカネズミに全てを言わせずに、ヤチネズミは立ち上がってその肩に手を置いた。子ネズミたちの視線が痛い。頬と腹も疼く。だがそれ以上に頭の中と目頭が熱い。
「約束しろ」
「てめぇハツさんに向かってなに偉そうに!」
「見てるだけの奴は黙ってろ!!」
ヤマネがびくりとして唾を飲みこむ。ヤチネズミは同じく驚いた顔のハツカネズミに向き直る。
「それ以上もう怪我するな。もうそれ以上くすり…」
「大丈夫だよ、ヤチ。痛くないんだって。それにすぐ治るしさ。トガちゃんが遺してくれた薬のおかげだ…」
「もうなんにも壊すな! 小銃も二輪も四輪も」
黒目がちの目がさらに丸くなる。
「今度なんか壊してみろ。絶ッ対許さないからな! わかったかハツ!!」
勢いに気圧されたのだろうか。真意はおそらく理解していなかっただろう。ヤチネズミの顔をすまなそうに上目遣いで見てから、左手で耳の後ろを掻くハツカネズミは、「ごめん、ヤチ」とあの頃と同じ顔でしょげくれた。
ヤマネに押し退けられる。子ネズミたちがハツカネズミを支えながら移動を始める。ヤチネズミは足元に転がる小銃を拾い上げた。銃身が曲がって裂けて銃口は潰れている。
「ヤチさん」
セスジネズミに呼ばれた。そう言えばこいつは仲間はずれだったっけ、と思い出してから、俺も違わないか、と思い至る。
「絞め損ねたようにも見えましたが違うようにも見えました。ムクゲさんは気にしなかったみたいですが」
先の部隊長の呟きを、セスジネズミは聞き取っていなかったのかもしれない。そうヤチネズミが思った時、トカゲの子どもを見下ろしていた同室の後輩が、
「次は無いですよ」
そのまま冷めた視線を寄こした。ヤチネズミは目を見張る。
「セージ」
すれ違いざまに慌てて後輩の上官を呼びとめる。セスジネズミの正面に回り込みその顔をまじまじと見つめて、
「お前、やっぱ感情あるじゃん」
「業務の遂行率を上げることが俺の仕事です。そのために必要なものなら持ちますし不要なら捨てます」
「どっちでもいいけど脳みそはあんだろ? 小難しいこといっぱい考えてそうだもんな」
「考えることをやめるのは死ぬ時です」
「だったら自分の頭で考えろよ。命令じゃなくて自分で選べ。それくらいできんだろ」
まだあるのだから。
「直情的なヤチさんよりは頭を使えています」
皮肉を言えるということは苛立っていることと同義ではないだろうか。その時点ですでにセスジネズミは感情がないわけがない。とことん冷たくもないけれども熱も全く帯びていない眼差しを置き土産に、セスジネズミは仲違い中の仲間たちの後に続く。
セスジネズミの背中から顔を背けてヤチネズミは息を吐いた。視界の端に顔が見えない子どもの遺体がちらついて、爪先だけを見つめて踏み出した。
子ネズミたちと同じ屋根の下に入るのが忍びなくて、別の寝床を探すことにする。視線の針を背中に刺されながら最低限の荷物を持って瓦礫を出ると、カヤネズミとシチロウネズミが立っていた。カヤネズミは滅多に見せない、般若の仮面で近寄って来る。
「とりあえず一発殴らせろ」
黙って従い口の中を切った。
一発で済むと思い差し出された手を借りて立ち上がると、何故か再び殴り倒された。今度は黙っていられない。
「一発って言ったじゃん!」
「シチロウの分だよ!」
「だったらシチロウに殴らせろよ!」
「シチロウは腕、折られてんだよ!」
言われてシチロウを見上げると、おどおどした顔が近づいてきた。
「シチロウ……」
伏し目がちの顔は片足を上げる。その軌道を目で追うヤチネズミの頬に、華麗に膝蹴りは決められた。ヤマネやカヤネズミの拳よりも数倍重たい衝撃に、ヤチネズミはしばし判断力が低下する。
「し、ちろ…?」
「だまし打ちぃ~」
にやりと口元を歪めた顔がカヤネズミと向き合い、同時にヤチネズミを指差して噴き出した。
シチロウネズミが笑っている。同室と、腹立たしい隣室の同輩の予想外の関係を、ヤチネズミは呆気に取られてしばらく見つめた。