00-227 再起
「『呼び寄せる』ぅ?」
全く話が見えてこないタネジネズミは呆れ顔を突き出した。セスジネズミは足元に目を落とし、岩肌に描くようにして指を走らせながら説明を始める。
セスジネズミの話によると、ハツカネズミは洞窟を目指しながら四方八方を行ったり来たりしているはずだという。そして毎回五十度ずつずれ、中心点はその都度移動し、やがて全く別の場所に行きつくのだそうだ。
だが徐々にずれていく中心点であっても、大きく見ればそれなりに同じ地帯を軸にしていないこともないそうで、時々同じ場所を通過することもないわけではなく、不思議なことにそれなりに軌道修正が行われつつやがては元の場所に戻ってくることもあるかもしれない気もしないでもないという。
「つまり……???」
「方向音痴のハツさんでも大きな音のする方へ行くことは可能なはずだ。それが銃火器の音ならばハツさんは百発百中、様子を見に行く。なぜならハツカネズミ隊が何かに巻き込まれたかと心配するだろうからだ。
そして俺の計算だとハツさんは、一ヶ月後くらいにワシの駅周辺を彷徨っていそうな気がする」
つまりワシへの攻撃はハツカネズミをおびき出すための餌であり、ワシにはとんだとばっちりだ。そして一ヶ月後にハツカネズミがいそうな場所なんて、それはもう計算でも予測でもなく、
「お前の勘ね?」
運に委ねるに等しい無謀な計画だった。
「あてずっぽうよりは確率高いぞ」
コジネズミが顎で示した先に目を遣ると、折り重なったり丸められた紙の束が散乱していた。セスジネズミが必死に計算した痕跡だったが、
「だがタネジの言うとおりだ。ほぼ運任せだ」
セスジネズミは項垂れた。
セスジネズミがハツカネズミの帰還を待ちわびていたというのは嘘ではないだろう。かつて部隊長抜きでネコに挑み、惨敗した経験を持つこの部隊にとって、部隊長無しで地下に仕掛けるのは多くの犠牲を生むのではないかという恐怖が付き纏っていた。だからこそタネジネズミ始め、誰も自分たちから動き出そうと言えずに数ヶ月間こもっていたのだ。
だからこそ、セスジネズミの決意は相当の勇気が必要だっただろうことを、タネジネズミも肌で感じた。
「いんじゃね?」
タネジネズミは言う
「お前の決定だろ? ハツさんはいないんだし、今の大将はセージ、お前だよ」
セスジネズミは驚いた顔を上げる。その顔があまりにも弱々しくてタネジネズミは可笑しくなり、
「ついてくっつってんじゃん、副部隊長」
同輩の二の腕を叩いた。
コジネズミが無言でセスジネズミを見つめる。その視線を背中越しに受け止めて、セスジネズミも無言で頷く。
「ありがとう、タネジ」
「改まってなんだよ」
照れて返したタネジネズミは、そこではたと気付き、
「他の奴らには?」
皆に先んじて自分が話を聞かされた理由を尋ねた。
「タネジが一番まともそうだったから」
言ってセスジネズミは洞窟内に目を遣る。タネジネズミも振り返り、仲間たちの様子に肩を落とした。
「ジネとカワはまともだよ」
タネジネズミが言う。
「ワタセジネズミももう大丈夫じゃね?」
コジネズミが首を伸ばして言う。
「カワは本調子じゃない。ヤマネがあんなだからワタセの手前、虚勢を張っているだけだ」
しかしセスジネズミは目を伏せる。
「ワタセだって昼間隠れて泣いていた。
ジネはあれから溜め寝ができなくなっているしブッさんに至っては末期だ。自分の体調不良も気付けていないが、大分体重も落ちたと思う」
よく見てんだな、とタネジネズミはちらりとセスジネズミを見る。
「でも、」
そのセスジネズミが視線を上げ、
「ハツさんのためだと言えば頑張ってくれると思う」
仲間たちの本領を信じた。
「ヤマネだって出来るって」
タネジネズミは言う。
「やってやっか?」
コジネズミが指関節を鳴らしながらセスジネズミに尋ねたが、
「俺がやります」
タネジネズミが答えた。
やると決まったならやるまでだ。尻を蹴飛ばし目を覚まさせることが必要なら、喜んで嫌われ役をこなしてやる。
「一ヶ月後だな?」
タネジネズミは立ち上がる。
「一ヶ月後だ」
セスジネズミが同意する。
「半月で仕上げろよ」
コジネズミの『顧問』としての口出しに、
「心配するな」
セスジネズミも立ちあがり、
「ハツカネズミ隊はそんなにやわじゃない」
副部隊長として顔を上げた。
「ところでセージ、」
タネジネズミは思い出してセスジネズミに振り返る。
「ヤチさんはいいの?」
忘れられた部隊員の名をタネジネズミが口にした途端、
「あれはいい」
「あいつはいいだろ」
「むしろいなくて清々しい」
「死んでくれてりゃ万々歳だ」
セスジネズミとコジネズミが同じ顔で矢継ぎ早にヤチネズミ不要論をまくしたてた。
確かにタネジネズミもヤチネズミはどちらかと言えば嫌いだけれども、ヤマネたちはそれなりに懐いているしハツカネズミにとっては気が置けない仲だったはずだ。そもそもセスジネズミはヤチネズミの後輩だし、あの時だって最終的にはヤチネズミによって救出されたと聞いているのに、
「そこまで言わなくても……」
タネジネズミはセスジネズミの嫌悪感で満たされた横顔に呟いた。しかし、
「タネジはわかっていない。仮にじじいがここにいた場合を想像してみろ。ヤマネ以上にめそめそして、スミ以上に周囲に八つ当たりして、ブッさん以上に騒がしくハツさんを探しに行くとか喚いていただろう」
セスジネズミは鼻筋に皺まで刻んで、憎々しげに想像内のヤチネズミに憤慨した。言われてみればそうなっていただろうことが容易に思い描けてしまって、タネジネズミも同意せざるを得ない。けれども、
「でもハツさんと合流出来た時にヤチさんがいなかったら、今度はハツさんが怒り狂って探しに行くとかなりそうじゃん?」
ハツカネズミの全ての部隊員に対する過保護な思いやりを思い返しながら、タネジネズミも予想を語った。これにはセスジネズミも思い当たる節があったらしい。反論してくる代わりに、「じじいの癖にめんどくせえ」と舌打ちする。
「どうする?」
タネジネズミは尋ねる。
「ヤチさんの捜索も同時進行で進める?」
「いや、いらない」
即答だった。
「ほっとけ、ほっとけ」
セスジネズミに続いてコジネズミも白い目で言う。
「でもさあ、」
さすがに少し不憫に思われてきて、タネジネズミは部隊の嫌われ者を庇おうとしたが、
「必要ない」
セスジネズミは真っ直ぐにこちらを見てきた。
「じじいは絶対死なない。ハツさんと同じだ、実験しただろう?」
そう言えば、とタネジネズミが意外に打たれ強かった上官を思い出していると、
「しつこさだけが取り柄だ」
ぼそりとセスジネズミが言った。「何だって?」とタネジネズミが聞き返すと、
「絶対追いかけてくる」
ハツカネズミに対する心配とは反対の感情を垣間見せながら、セスジネズミがすれ違った。
* * * *
クマタカが目的の部屋の前にたどり着いた時、騒音は最高潮に達していた。クマタカに気付いた見張りの男たちは一瞬驚いた顔をした後、縋りつくような顔になって駆け寄って来る。
「仕事中邪魔をする」
クマタカが告げるや否や、
「邪魔なんて全然!」
「お頭が来て下さるなんてありがたくってもう…」
交互に感謝と感慨を述べられた。
一応定期報告だけは受け取っていたが、
「様子は?」
クマタカは鉄扉を見遣りながら見張りたちに尋ねる。物理的に衝撃を与えられるはずがないのに、その怒号と悪あがきによって鉄扉は微かに振動しているようにも思われた。
「ずっとこうです」
左側の男が青い顔で言う。
「四六時中です。昼間も全く止みません、ニ十四時間寝ないんです」
まるで自分が寝不足であるかのような口ぶりだった。
「一応、色々してみたんです。なんか有益な情報が得られればと思って」
右側の男も語り出す。
「でもどんなに殴っても指の爪はいでも平気な顔してるんです。『ぬるい』『全然余裕だ』とか言って、」
「しかも実のあることはなんにも喋んなくって、ひたすら『お頭を呼べ』って」
見張りの男たちは拷問を与える側でありながらも、反対に恐怖を与えられてきたらしい。立場が完全に逆転していた。
「食事は摂らせているか?」
拷問以外の必要業務が滞りなく行われているかを、クマタカは確認した。見張りの男たちは、「はぁ」と項垂れるように頷く。
「缶詰は全く口つけないですけど」
「ネズミって草食なんですね」
それはクマタカも知らなかったが。
「食べているならそれでいい」
生け捕りにしたネズミの健康状態にクマタカは満足した。
「あの……、お頭?」
右側の男がおずおずと見上げて来る。クマタカが視線で促すと、
「……なんで殺さないんですか? ネズミですよ?」
男は疑問を吐き出してから、「すみません」と即座に謝罪し下を向いた。
「嫌がらせだ」
クマタカは鼻で笑って言う。「いやがらせ?」と男たちは顔を見合う。
「あの女が殺したがっていたからな」
言って男たちに待機を命じ、単身鉄扉の中へ入っていった。
「……ってどんだけ言わせるつもりだって!!」
草しか食べていないという割りには元気なものだ。いや、このネズミに限って言えば拷問を物ともしないところと眠らないところが怖ろしいのだったか。
「クマタカ呼べ、クマタカ!! てめえらの大将だ、話させろって!!」
缶詰を飲まないのは主義だろうか。そうなのだろう。それが高じて夜汽車を地上に解き放ったのだから。
「聞こえてんだろ!!」
「聞こえている」
クマタカが答えるとネズミがぴたりと押し黙った。蝋燭の灯りの下でよくよく見ると、ネズミは後ろ手に縛られ、両脚も拘束され、目隠しまでされていた。おそらく口も封じられていたのだろうが、自力で抜け出したのだろう。唾液まみれの布切れが首輪のように垂れ下がっている。
「入ってくるなら一言言えって!!」
目隠しされたネズミは、何かにつけて鼻に着くらしい。突然語りかけられたことに憤慨して唾を飛ばした。
「お前がやかましくて聞こえなかっただけだろう?」
「嘘つくなてめえ!! 『とんとん』、『入っていいですかあ?』、『失礼しまーす』なんて聞こえなかったぞ!!」
まるで芝居でもするような声色と動作が、拘束された姿と不釣り合い過ぎて滑稽だった。酒を与えていいとは命じていないのだが、
「酔っているのか?」
クマタカはネズミに直接尋ねてみた。途端に、
「はああ!? 酔ってねえよ? 酔うわけないだろって考えりゃわかるだろ! 少しは考えろよ脳足りてねえな地下のごみ!! 独房で? 拘束されてうんこまみれで? なーんで酒なんて飲めると思ったのかなあああ~!??」
酔っているな、とクマタカは判断した。ネズミは変な病気を多々持っている。このネズミも恐らく何かに侵されているのだろう。
変な病気をうつされたくないから、ネズミから距離を保ったままクマタカは本題を切りだす。
「お前たちが夜汽車を襲ったのは、」
それまで一瞬たりとも間髪いれず、悪口か罵詈雑言か不平不満を喚き散らしていたネズミが、『夜汽車』という単語に反応してぴたりと騒音を止めた。
「俺たちから夜汽車を奪うためか?」
「夜汽車を襲ってんのはてめえらごみの方だろが!」
やはり、とクマタカは目を細める。
「俺たちから夜汽車を守るために、お前たちは夜汽車を連れ去ろうとしたのか」
目隠しされたままだったが、ネズミの表情が変わったのが見えた。
「そうだな?」
クマタカは念を押す。
ネズミが唇を閉じた。真顔になって声の主の方を見上げる。
「……クマタカか?」
「なぜネズミが俺を知っている」
「あいつと手ぇ組んだんだろ? こっちじゃ有名な話だ」
クマタカはネズミに近寄った。太刀を引き抜き切っ先をその眉間に向ける。
「お前らこそアイの手先じゃなかったのか」
ネズミは短く鼻で笑い、口角を持ち上げたまま顎を上げた。
「あんたどこまで知ってる」
ネズミからの質問にクマタカは眉根を寄せた。
「……お前らと俺たちが根は同じだということは理解している」
信じたくない心情は別にして、事実として頭では。
「夜汽車とあんたらの関係は?」
既知であることをクマタカは無言を以て伝えた。
「俺らとそっちの関係は」
同じく無言を貫く。それから、「お前らは父の仇だ」と呟いて顔を背けた。
ネズミはしばらく無言でこちらを見上げていたが、何かに合点がいったとばかりに鼻を鳴らした。
「俺らに仲間殺されたことは恨んでるけど、俺らを殺すことには良心が痛んでるって?」
見透かしたような半笑いで頷きながらネズミは言う。
「お前らこそ何なんだ」
答えることを放棄してクマタカはネズミに尋ねた。
「お前らはアイの下部だろう? それが何故夜汽車を奪った。アイの意思か? アイは何を考えている。塔は地下に住む者に夜汽車を送り、女を塔に連れ去るというアイのやり方を…」
「あんたさあ、」
クマタカを待たずにネズミが声をあげる。
「そんなに不満あんのになんでアイに従ってんだ?」
クマタカは驚いてネズミを見た。
「まぁ俺らん中にも決まりに縛られて自分から死のうとしてた奴もいたからわかんなくもないけど、」
そこでネズミは目隠しされたままの顔でクマタカを正面から見据え、
「もう少し自分のやりたいことやりゃいいじゃん」
―手伝わせてよ―
「って俺の部隊のバカなら言いそうだ」
クマタカの動揺をよそに、ネズミは楽しそうに笑った。
「お前らの目的は何だ」
クマタカは再び尋ねる。今度はネズミの正体についてではなく、ネズミの目的について。
ネズミは口元だけでなく顔全体で笑い、
「一緒にアイちゃんぶん殴らね?」
クマタカを誘ってきた。
「どういう意味だ」
イヌマキは塔そのものがアイの体だと言っていたが、
「あれは体を持たない」
クマタカは白い目でネズミに言い放った。
「わかってねぇなあ! 例えだよ、例え。あんた冗談とか通じないだろ。お喋り苦手そうだもんなあ!」
酔っ払いのネズミに図星を突かれてクマタカは眉間の皺を深くした。しかし、
「夜汽車を止めるんだよ」
ネズミははっきりとそう言った。
自分の立場が分かっていないのか、理解する頭脳がないのか、酔っているのか。どれもありそうで全て該当しているかもしれないが、一笑に付すには惜しい提案だ。
クマタカは太刀の切っ先でネズミの目隠しを外した。千切れてはらりと床に落ちた布切れの下から、ネズミの顔が現れる。
「名前は?」
クマタカはネズミに尋ねる。
久しぶりの明かりに目を細めていた男は、やがて明かりに慣れた目でクマタカを見上げ、
「とりあえず酒持ってこいって」
言ってにやりと笑った。