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00-225 洞窟の中の陰鬱

 その野太い叫び声は夜明け後もしばらく続いていたという。


「カぁーヤさ〜ん!!」


 後ろに背負う波音さえも凌駕する声量は、砂上をどこまでも駆け抜ける。


「カーヤさぁーん!!」


 しかし呼ばれる名の主が返事をすることはなく、


「かーやーさぁああああ…!!!」


「あれそろそろ止めてこいよ」


 タネジネズミがワタセジネズミに向かって言った。


「なんでいっつも俺なんすか」


 ワタセジネズミは不服そうに物申す。


「いいから行ってこいよ! 上官命令!」


「俺、別にタネジさんの部下じゃないですって…」


「お前が一番腕力(ちから)あるからだよ」


 カワネズミが仲裁に入った。


「体格的にもブッさん止められるのはお前しかいないじゃん。な?」


「けど…」とまだタネジネズミに不満を持つワタセジネズミだったが、


「俺も行くから手伝ってくれよ」


 先に立ち上がったカワネズミに促されて、渋々ドブネズミの日課をやめさせに行った。


 ワタセジネズミが入り江に向かったのを確認してから、カワネズミはタネジネズミに振り返り、


「気持ちはわかるけどワタセに八つ当たりするなよ」


 一言注意してから後輩の後を追った。注意を受けたタネジネズミはぶすっとして胡座をかいた右膝の上で頬杖をつく。斜めに傾がったまま、部隊の拠点に使っている洞窟の中を見回した。


 ヤマネは洞窟の壁面に向かって項垂れている。その横でスミスネズミは壁面を蹴り続けている。あの二つの背中は洞窟に戻ってきて以来、飯と便所を除けばずっと同じ体制と行動を取り続けていた。原因ははっきりしている、ジャコウネズミの死だ。


 夜汽車奪還を実行して途中まで成功して、途中から失敗に終わったハツカネズミ隊は、ジャコウネズミを亡くし、部隊長のハツカネズミが暴走し、年長者のカヤネズミとヤチネズミを欠いていた。


 怒りのままにワシの編隊に突っ込んでいったハツカネズミは行方が知れず、そのハツカネズミを連れ戻すと言って追いかけていったカヤネズミも戻ってこず、奪還した夜汽車を乗せて四輪駆動車を走らせていったヤチネズミは、夜汽車もろともどこかへ行ってしまった。指揮系統と心理的な拠り所を失った部隊は、拠点にいながらも路頭に迷っていた。


「うっせーな」


 タネジネズミは舌打ちする。スミスネズミの壁蹴りは、ドブネズミの雄叫びと違って止められるものではない。


「あんまりかりかりすんなよ」


 ジネズミにも注意される。言い返したくて振り返ったタネジネズミだったが、同室の同輩と目が合うと、何も言えなくなって顔を背けた。


 完全に機能不全に陥っていた。作戦が失敗に終わって命からがら洞窟(ここ)に戻ってきて、カワネズミたちと合流してドブネズミも三日遅れで帰ってきて。


 しかし四日目以降、年長者たちは待てど暮らせど戻って来なかった。


 探しに行こう、誰かが言った。ハツさんとカヤさんはワシに突っ込んでいったんだ、まだワシの駅周辺にいるかもしれない、と。しかしそんな希望的観測は起こり得ないことを、誰もが当然知っていた。地下の連中がネズミを生かしておくはずがない。ネズミが地下掃除に手を抜かないことと同じように。


 だがドブネズミは受け入れなかった。カヤネズミが死ぬはずがない、まだ死なないとカヤネズミ自身が言っていたのだから、と。


 自分の意思で自分の死ぬ時を決められるのは自殺のみであり、他殺の可能性が多いにある場所においてその言葉は強がりに過ぎない。それなのにドブネズミはカヤネズミの生存を信じた。いや、いまだに信じ続けている。だからこそああして毎晩夜通しでカヤネズミを呼び続けている。


 カヤネズミが帰ってくるはずだからと、移動も次なる一手も拒絶して動こうどしないドブネズミも問題だが、ヤマネの消沈ぶりもお手上げだった。


 ジャコウネズミの保護者はヤチネズミが買って出たが、ジャコウネズミとスミスネズミを生産体から引き抜いてきたのはヤマネだ。それなりの責任を感じていたのだろう。尤も、ジャコウネズミとスミスネズミにとっての保護者は、誰がどう見てもハツカネズミで、それ以外は割りと舐められていた気もするのだが。


 それでもヤマネにとって、ジャコウネズミは手がかかるし頭の痛い、かわいくて仕方ない後輩だったらしい。ワシから撤退する時には既に号泣していて運転できる状態ではなかったし、カワネズミの運転で洞窟に帰って来た時もまだ泣いていた。そしてその涙は延々続いた。さすがに涙も枯れてきたのか、最近では赤い目でぼんやりとしていることが増えたが、それでも時折、思い出したようにさめざめと泣き始める。それなりに悼んだタネジネズミも、いい加減にしろと怒鳴って殴って振り回してみたが、ヤマネには効かなかった。だからもう何も言わない。だが何も言わなくなってどれくらい経つだろう。


「あーあ。またやっちゃったよ」


 ジネズミがぼやいて立ち上がった。タネジネズミも顔を上げる。スミスネズミがまた骨折したようだ。当たり前だ、壁面を蹴り続けているのだから。先月は右足の指の骨を折っていたが、今度は左脚のどこかをやらかしたらしい。明らかに動きが変になっている。それでもスミスネズミは曲がった脚を振り上げて、削れて窪んだ壁面を蹴り続けていた。


「スミ、おいで」


 ジネズミが手当てを申し出てもスミスネズミは足蹴りをやめない。スミスネズミを手懐けられたのは、部隊では唯一ハツカネズミだけなのだ。ハツカネズミの言うことならば何でも秒で聞き入れるが、それ以外の者がどんなに諭そうとも一向に聞き入れない。ハタネズミの薬も入っていない癖に、痛みは感じている癖に、痛み以上の怒りとやるせない思いを、言葉を持たないスミスネズミは吐き出し続けていた。


 ジネズミでは説得も腕力も敵わないのが明らかだったから、タネジネズミも手伝おうと息を吐きながら立ち上がる。「俺が抑えるからジネは固定してやって」と言おうとした時、


「タネジ、少しいいか」


 副部隊長のセスジネズミに声をかけられた。


「ジネ手伝うから後でな」


 タネジネズミは半目で副部隊長に言い捨てて、同室の方に足を踏み出したが、


「ブッさんにでも任せておけ」


 セスジネズミは今すぐ来いと強調する。


「今のブッさんがまともに何か出来るわけ…!」


「いいから来い」


 セスジネズミの後ろから顔を出したコジネズミに凄まれて、タネジネズミは従わざるを得なかった。



 *



 セスジネズミとコジネズミに連れられて、タネジネズミは洞窟の奥まった空間に入った。岩肌が冷たく快適な場所だ。だが今となってはどこにいても居心地は最悪だ。 


「んだよ……」


 不満を全面に出して言いかけてからコジネズミがいたことに気付き、「……なんすか」とタネジネズミは言い直した。


「タネジの意見が聞きたい」


 セスジネズミが言った。副部隊長という立場にありながら、この数ヶ月間何一つ指揮をとれなかった男がついに何かを決断したらしい。


「意見?」とタネジネズミは訝ったが、


「ワシの駅を攻めようと思う」


 とんでもない発案に顎と瞼が痙攣した。

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