3-223 スズメの怒り
「無理ですよ」
「どうして?」
「あれはただの子どもです」
ヨシキリは夜汽車の娘に向けた憎悪と同じもの含めて吐き捨てるように言った。
「あいつらに明確な意思とか崇高な理念なんてないんです。あの謀反だって単なる火遊び。予想以上に炎上しちゃって仲間が大火傷したって感じ?」
ヨシキリは腕組みをして眉根を顰める。
「セッカさんは利用されたのよ。それなのにあいつらはまだのうのうと生きてて普通に過ごしてる」
そこまで言うとヨシキリは私を横目で見て、
「ウさんは、あいつらが私たちに手を貸したと思ってるんですか?」
見下すようにして言った。
「ノスリがそう言っていたわ…」
「知らないんでしょう」
ヨシキリは私と、その後ろの夫もろとも鼻で笑い飛ばす。
「知らないって何を?」
「夜汽車です」
私の質問に、ヨシキリは即答した。
「あの餓鬼どもは夜汽車を逃がそうとしてたの。偶々同じ部屋にいた私たちは便乗してあの部屋から出たっていうだけで」
『夜汽車を逃がす』?
「何のために」
「さあ」と呆れた口調でヨシキリは首を傾げた。
「……だったら、あの謀反の時に処罰されたワシは、スズメが粛清された理由とはまた別ってこと?」
私は唇を指先で隠して尋ねる。
「でしょうね。だってあいつらは途中から…」
そこでようやく気付いたようだ。ヨシキリは目を見開いて唇を閉じた。
「ヨシキリさん?」
「ごめんなさい、これ以上はわかりません。わたしはその場にいなかったから」
済まなそうに俯いてヨシキリは髪の毛を耳にかける。
「でもあいつらが話してるのを聞いたんです。『サギをどうする』とか『ノスリが来ないか見張っとけ』とか。
実際にサギは廓に入っていないんです。あいつらが付きっきりで見張ってて、誰かがサギを廓に連れて行こうとしたら必死に抵抗して。有名な話ですよ?」
髪の毛先を指に巻きつけながらヨシキリは早口でまくしたてた。「そう」と私は頷く。
「あなたが色々知っていてくれて助かったわ。調べる手間が省けたもの、ありがとう。噂話も貴重な情報源ね」
「そうなんです! ウさんもわたし以外とももっと仲良くやっといた方がいいですよぉ。井戸端会議って大事なんですから!」
いつもの幼さを纏い直して、ヨシキリは噂の重要性を説いた。ヨタカ一派の会話の内容までは噂話に上がらないだろうに。
「そうね。私もたまにはお邪魔させてもらおうかしら」
改札を見遣って私は言う。
「わたしが紹介しますよ。その方が話しに入りやすいでしょう?」
ヨシキリは母親によく懐いた幼子のような顔で笑う。
「その時にはよろしくね」
「はい!」
どちらともなく足を踏み出し、並んで改札に向かった。
「見慣れない女が廓に紛れてたら、それがネコだと思えばいいですか?」
「見慣れない顔があったら、アイが見逃さないでしょう」
「だったらアイに登録した新顔がいないか、毎日確認するようにしますね」
「クマタカがいない時に侵入されるかもしれないでしょう?」
「だったら、アイがいない時に廓に新顔がいたら、それがネコってことですね?」
「それでいいわ」と私は承諾した。もう少し自分で考えてほしいと思いながら。
だがこの使えなさそうな頭の弱さも、幼さを伴った懐っこさも、恐らくこの女の作戦だ。おべっかと誘導に乗せられて多大な嘘を暴露した女の横顔を私は見つめた。
ヨシキリがスズメというのは間違いないだろう。時折見せるセッカへの忠誠心やワシへの憎悪は作り物とは考え難い。そして元夜汽車とヨタカ一派の件も、丸々作り話ではなさそうだ。裏付けは必要だがヨタカ一派はセッカの思想に賛同したわけではなく、夜汽車と組んだと考えられる。
まさか夜汽車という不確定要素が噛んでくるとは想定外だったが、例え生きた夜汽車の百や二百が大挙してきたとしても、夜汽車は夜汽車だ。多少の壁にはなり得ても戦力と呼べるものではないだろう。
それよりもヨタカ一派だ。夜汽車を使って何を目論んでいるのか。シュウダも言っていた通り、やはりヨタカ一派の残党とはじっくりお話しをするべきだろう。そのためにはサギと言ったか、元夜汽車の娘を押さえねば。ネコの使いには申し訳ないが、下手なことをする前に早急に退出してもらうことになりそうだ。
正面を向いて静かに息を吐いた。いくつかの予定変更を強いられることになったが、大筋は変わらない。ワシが塔の技術で他の駅を退けるのなら、こちらは数の力で押し込むまでだ。自らの手でスズメの駅も潰したワシに、加勢する勢力は最早ないのだから。
「あ、アイが消えます」
ヨシキリが改札を指差して言った。私もそちらを見遣る。男たちに先んじてクマタカが帰駅するのだろう。
「知ってます? アイって分厚い壁とかすっごい地下深くとかには来れないんですよ」
「そうなの?」
ヨシキリが得意気に言ってきたから、私も知らないふりをして話に乗った。
「そうなんですよお! だから最近は廓の中じゃなくて下層階に連れてかれることとか多くって。隣に聞かれても平気なくせにアイに見られるのはやだとか、どんだけ繊細さん? って感じしません?」
どこかの男の悪口を続けるヨシキリに、私は苦笑で頷いた。おそらく根は裏表のない、明朗な娘なのだろうと思う。
だがヨシキリが、セッカが殺された時にその場にいなかったというのは嘘だ。もしかしたらヨシキリという名前さえも偽名かもしれない。
ヨシキリは、このスズメの娘はヨタカ一派がセッカの謀反を手助けした際、確実にその場にいた。そして謀反の失敗の一端がヨタカ一派にあると考え、彼らを恨み探っている。あわよくば暗殺さえも考えているかもしれない。
ヨタカ一派の目論見がこちらにとって利となるか否かを見極めるまで、彼らには生きていてもらわねばならないから、当面はこの娘の動向を注視する必要があるだろう。やるべきことが一つ増えるが、大切な手駒候補を失う訳にはいかない。
「別にそんなところまで行かなくても、部屋の電気を切っておけばいいだけなのにね」
「ウさんってお頭がいない時でも電気使わなかったりするんですか? いっつもアイとしゃべってる印象ありましたけど」
「あなたの常連さんと同じよ。旦那が切るの」
「ウさんって家庭でどんな話をしてるんですか?」
無知を装い探りを入れて来る。ワシ内部だけでなく、私の情報も欲していることが透けて見える。
「普通よ。子どもの教育についてとその日の情報交換」
いいわ、使われてあげる。持ちつ持たれつ、お互い様だものね。
「ふつうのおうちは『情報交換』なんて単語は使わないと思いますよお?」
「そうかしら」
呆れかえるヨシキリの横で、私は肩を揺する。
「そぉですよお! なんならわたしの方がもっと自然にできますよお」
「だったらそっちの方はあなたにお任せするわ」
頼りにしている、その言葉にスズメの女は嬉しそうに笑った。
* * * *
研究所からクマタカが帰駅した時、駅の構内は密度が薄く静かだった。部下たちは夜汽車の調達からまだ帰っていないらしい。すぐにでもノスリと話がしたかったクマタカは眉根を顰める。
「もうすぐだと思いますけどねえ」
地上まで自分を出迎えにきた男が言う。曖昧な言葉ではなく明確な時間を数字で示してほしいものだが、それはアイの仕事だ。この男にそれを求めるのは酷だろう。
仕事ができなさそうな男の話を遮り、ノスリ以外でも話を聞きたかった男の名を口にした。その者は改札の警護に割り当てられているという。「ほらあれです」と指差された先は中央改札からかなり離れた場所だったが、クマタカはおもむろにそちらに向かった。
「お前がチュウヒか」
地べたに腰を下ろし、煙草をふかしていた男を見おろしてクマタカは尋ねる。まさか駅の頭首が直々に自分のもとに歩み寄ってくるなどとは思いもしなかったのだろう。煩わしそうに舌打ちして、睨め付けながら見上げた視線の先にいた顔に驚き、ようやく立ち上がって返事をする。
「仕事熱心だな」
「や……、あ、その、……はい」
クマタカの嫌味に目を白黒させて舌足らず答えた。
クマタカはチュウヒを見下ろす。清潔感を欠いた髪型と着衣、最下層出身らしい。実弟の遊び仲間か、とクマタカはチュウヒの顔をまじまじと見つめる。だからか、と納得しながら。
「お前は…」
「は、はい! 何すか?」
何だと聞くなら最後まで聞いてほしい。クマタカは若干眉根を顰めてから、もう一度言い直す。
「お前、ヨタカとよく遊んでいたな」
チュウヒが目を見開いて固まった。駅の頭首の顔を無遠慮に見上げる。
「違ったか?」
「いえ……」と首を振ってから質問への答えは是だと気付いて、「はい」とチュウヒは頷いた。
クマタカは俯いたチュウヒの横顔を観察する。実弟の遊び仲間だったこの男は、実弟やサシバと共に夜汽車を逃がし、セッカに与した例の件の共犯だ。その時に逃げ果せたのがマツであり義眼の男でありサギだった。そしてヨタカ亡き後もこいつらはサギの元に集っている。
「『ナナ』は変わりないか」
クマタカは鎌を掛けてみた。
「『ナナ』……?」とチュウヒは間抜け面を晒す。
「夜汽車だ」
クマタカは手掛かりを与えてやる。
「そう呼んでいただろう?」
尤もあの女はワシの駅に来て以来ずっと『サギ』であり、そう呼んでいたのは義眼の夜汽車だけなのだが。
「誰が……」
そこまで言いかけてチュウヒは口を噤み、瞬きを忘れた目でクマタカを凝視した。その顔を見てクマタカは確信する。
「仕事中に邪魔をした」
言って踵を返す。だがすぐに振り返ると、
「今後は『余計な者』との接触は控えろ。隠し通せるものでもない」
釘は打っておいた。立ち尽くすチュウヒの視線を背中で受け止めて、クマタカはその場を後にする。
チュウヒは確実に、サギを通してあの義眼の夜汽車と繋がっている。あの男がチュウヒを『仲間』と呼ぶほど親密な付き合いがあるようだし、チュウヒもまた夜汽車との関係を隠しきれていない。チュウヒはあの男をサギに引き合せているかもしれないし、もしかしたら駅の構内にまで導き入れたかもしれない。仮にそうであれば、チュウヒの処分は厳重注意ごときでは済まされないだろう。
だが今回は多目に見よう。チュウヒの軽率な振る舞いは他駅の侵入を許し得るし、下手すれば争いを招きかねなかったけれども、今回は特別だ。もし仮にチュウヒが誠実に仕事をこなして義眼男を排除していたならば、クマタカは他駅の情勢を知ることは出来なかったのだから。そしてあの夜汽車にはもう少し働いてもらわねばならない。
そしてもう一件、クマタカには確認しておかねばならないことがある。
「お頭?」
駅の構内に入っても、小銃を肩にかけて帯刀したまま階段を降りて行く駅の頭首を、出迎えからずっと傍らに付いて来る男が不審がった。当然居室か執務室に行くのだろうと思っていた頭首は、あらぬ方向に進んでいく。
「あの……」
「下がっていい」
外套と首巻きだけを男に渡して、クマタカは単身、暗がりの中に消えて行った。