3-222 ヨシキリの怒り
「ネコですかぁ?」
月夜の下でヨシキリが目を見張る。誰もいないとこの娘の話し言葉はかなり砕けたものになる。
「ええ。あれはネコよ。こちらに向かっているみたいだった」
私は正面を見つめたまま言った。
「攻めて来るんですか? ここに?」
「一度惨敗しているのに同じ轍は踏まないでしょ」
「だったら何のために…」
「……偵察?」
言って私は考えこむふりをした。
ヨシキリは私のことをサギかツルの親戚だと信じている。ノスリがいない時に駅を抜け出し、廃墟と化した故郷で郷愁に浸るのが息抜きだなどという法螺話に、疑いの目さえ向けない。
「どうします? ワシに報告しますか?」
「あなたワシの味方なの!?」
本気で驚いて私は顔を上げた。どう考えればその発想が生まれるのか簡潔に教えてほしい。
「そうじゃなくて……」と言ってヨシキリは長い髪を耳にかける。
「ネコでも何でも攻め入られたら当然ワシは受けて立つし、ワシの駅にいる以上、私たちも巻き込まれかねないじゃないですか。だったらワシに教えて、駅に入って来る前にネコを排除してもらった方が安全かなって」
いつの間にか私は彼女と一蓮托生にされていたらしい。そしてワシに庇護を求めるあたり、この娘は既にここの生活に染まりつつあるようだ。
無理もない。例え搾取され続ける状況にいても、目に見えて身の危害が及んでいなければ、その安寧を保持していきたいという惰性に流されるものだろう。
「攻め入ろうとしている訳ではないと思うわ。だって武器らしい武器を持っていなかったから」
私はさも彼女たちをこの目で見てきたかのように言った。元々ネコは体術が主なのだから嘘にはならないだろう。
「そんなところまで見えたんですか? ウさんって目がいいんですね」
ヨシキリは大仰に驚いた。話を作り込み過ぎたかと一瞬肝を冷やしたが、間抜けな結論に至ってくれたお馬鹿な思考に感謝する。
「結構近くまで来ていたの」
深刻な顔で脅しをかける。
「でも止まっているようにも見えたわ。もしかしたらここに来ることが目的じゃないかもしれないし、ワシに知らせるのはもう少しだけ待ちましょう」
いずれにしろネコの密偵がワシの駅に来ることは決まっているのだし。
「大丈夫でしょうか」
ヨシキリは戦禍に巻き込まれるのだけは避けたいようだ。
「だったらこうしましょう」
私は今思いついたかのような顔をして振り返った。
「もしもネコがこの駅の中に侵入してくるようなことがあったら真っ先に教えて。私が接触してみるわ。あなたは来ちゃ駄目。もしかしたらその場で襲われるかもしれないから」
「そんなのウさんが危険じゃないですか!」
ヨシキリは本気で私の身を案じた。「ありがとう、でも大丈夫」言って私は顎を上げる。
「少なくともあなたよりは強いから」
冗談めかしてこれ見よがしに力量を鼻にかけた。
「それは、そうだけど……」
身に覚えのあるヨシキリは頬を膨らませたが、
「ヨシキリさんにはもう一つの懸念材料を調べてほしいんだけれども」
私の声かけに、ぱっと顔を上げて身を乗り出した。
自尊心をくすぐられると、どうしてこうも皆、簡単にほだされてしまうのだろうか。依頼や評価をされている時は、相手が何を求めているかを慎重に見計らうべきだろう。甘言に目を細めて悦に浸れば後で泣きを見るこもあるというのに。
それがわからないヨシキリは、「何ですか?」と私に次の言葉を急かした。
「ヨタカ一派について調べてほしいの」
「ヨタカ……」
「ヨタカの仲間が今どこで何をしているか知りたいのよ」
ヨシキリの顔から笑みが消えた。「どうしたの?」と私は尋ねる。
「クマタカの弟のヨタカよ。あなたたちの謀反を手伝ってあなたの仲間と一緒に粛清された…」
そこまで言って私は気付き、
「あなた、その時にヨタカたちと何かあった?」と聞いた。
「……いえ、私はその前に部屋を連れだされたから」
ヨシキリは髪の毛を耳にかけながら目を逸らす。今の歯切れの悪さは何だろう。
「あなたがノスリに監禁部屋から連れ出されてから、スズメは謀反を働いたのよね?」
「……はい」
何だろう。何かが引っ掛かる。
だがそれが何だったのか、その時の私にはわからなかった。
「ウさん?」
眼前にヨシキリが迫っていて、私は我に帰る。
「会っていないならわからないわね」
苦笑して見せた。
「いいわ。自分で調べてみるから…」
「どうして知りたいんですか?」
私は笑みを解いてヨシキリを見た。ヨシキリは真顔で私を見つめている。
「……一度謀反を起こした彼らを生かしておくクマタカの真意を知りたいと思ったの」
本当に疑問に思っている事を伝える。
「どこまでなら許されるのか、どこまでいけば粛清対象になるのか、」
クマタカが警戒し始めるすれすれの範囲内で、外部から仕掛けて来る連中の一助を担って再び謀反を働いてもらうために、
「過去の事案を参考にしたいと思ったのよ」
駒の動きやすさを確保しておく必要がある。
「私たちのこれからに必要なことじゃない?」
ついでにヨシキリが喜びそうな主語を選んで微笑みかけた。
納得してくれたのだろうか。ヨシキリは私から目を逸らし、正面を向いて口を開いた。
「まだ定期的に集まっているみたいです」
私は唇を結ぶ。
「解体されてます、あの後。改札の見張りと完全無職、夜汽車の分別係に残っているのは半分もいないはずです」
随分と詳しいものだ。何故彼女はそこまでヨタカ一派の動向を注視していたのか。
「どこに集まっているの?」
ヨシキリの意図が見えないまま、知らねばいけない情報に的を絞る。
「現場は見てません」
言ってヨシキリは顔を背けた。
「……現場を見ていないのに何故集まっていると言えるの? あなたの勘違いじゃない?」
敢えて女の知識を否定した。するとたちまち、
「勘違いじゃないです! だってあいつら、あの女のことを話してたし」
むっとした顔でヨシキリが唾を飛ばしてきた。
「『あの女』って?」
私はヨシキリを見上げるようにして尋ねた。知らないことに怯えて見せて、知っていることを崇めたてると、ヨシキリは鼻で笑って口元をほころばせた。顎も微かに上げている。
「サギです」
「サギ?」
「ウさん、知らないんですかぁ?」
得意気にヨシキリが笑った。私は首を横に振る。自尊心をくすぐられてご満悦のヨシキリは、さらに首を伸ばして上を向くと、斜め下に目をやり、
「元夜汽車ですよ」
吐き捨てるように言った。
元夜汽車の娘の噂は聞いたことがある。セッカの謀反に便乗して一部の夜汽車が逃げ出したが、逃げ遅れた者もいたと聞く。その夜汽車が珍しく女だったため、瓶詰ではなく『女』としてワシは受け入れたはずだが。
「廓にも入らずにあいつらに囲われてるんです、」
夜汽車のくせに、とヨシキリは憎々しげに言った。
「何のために……」
思わず疑問が口をついた。それ以上は言うまいと私は唇を指で塞ぐ。
「全くですよ。夜汽車のくせに」
ヨシキリが先と同じ悪態を吐いた。その横顔を私は盗み見る。
ヨシキリはなぜ、ヨタカ一派の生き残りの動向を注視していたのか。なぜ元夜汽車の娘の現在に歯噛みするのか。なぜヨタカ一派は逃げそびれた夜汽車の娘を匿うのか。
「……彼らに、もう一度謀反を持ちかけるつもりだった?」
私は、私たちがしようとしていることをヨシキリも考えていたかと訝った。しかしヨシキリは、
「無理ですよ」
一笑に付す。
「どうして?」
シュウダの目論見が小ばかにされたように感じて私は追及する。しかしヨシキリは、これまで見せてきた幼さを隠して、まるで別の女のような顔をした。
「あれはただの子どもです」