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3-221 出会い

「何をしているの?」


 揺れる蝋燭の明かりの中で、女はびくりと肩を震わせた。


「答えて。そこで何をしているの」


 夫と息子が出かけた夜更けすぎだった。アイもいない執務室から気配を感じた。男たちが出払っている時にこの部屋に来る者などいないはずなのに、だからこそ探りを入れに来たと言うのに。


 尋ねても返事をしない女の背中にため息をついて私がその傍らに近寄った時、突然女が振り返った。手の平の中に光るのは武器。こんなところでノスリの女を死なせてしまえば間違いなく自分もただでは済まないというのに、そんなことにも考えが及ばないのだろうか。

 それにしても隙だらけ。


 私は手にしていた掃除用具で女の手首を弾いた。間合いの差にさえ気付かなかったか。払い落された武器を目で追った女の懐に入り込み、その首筋に隠し針を突き立てる。女の喉元が音を立てて上下した。


「何をしていたの?」


 女に確実に聞こえるように、その耳元で尋ねてやった。女の長い髪の毛がはらりと肩から落ちる。噛みしめた歯の間から下品な息を漏らして、女は剥きだした目で私を見た。


「答えて」


 言いながら針先に力を込める。やがて女は観念し、膝から床に崩れ落ちた。


 両手を握りしめて肩を震わせている。どうして泣くのだろうか。そんなことをしたって前が見えなくなるだけなのに。


「あなた名前は?」


 当然女は答えない。


 私は執務室を見回す。女が立っていた戸棚の中には、小さな鉄球がいくつか置かれていた。


「こんなものでワシが死ぬはずないでしょ」


 呆れ果てながら鉄球を摘み上げて私は言う。


「知らないの? 銃身が詰まっていれば引き金を引いた時に暴発するの。上手くいけば殺せる」


 女は上ずった声で得意気に言ったが、


「百歩譲っても指を吹き飛ばせて終わりよ」


 私の指摘に歯噛みした。


「何でもいい! それで銃が使えなくなれば…!」


「刀を使うわ」


 女が言葉を飲み込む。さらに項垂れた髪の毛の隙間から嗚咽が漏れて来る。


 怒りにまかせて勢いづいて、何でも出来る気になっていたのだろう。現実を知って始めて気付いて自分の無力さに打ちのめされている。私は右手を見下ろした。仕込み針の先端が、まだ袖口から覗いていた。これで夫は死ぬかもしれない。確実に死ぬだろう。だがそれだけだ。クマタカの右腕が別の誰かに代わっておしまい。他は何も変わらない。ワシは全く揺るがない。


「これ、あなたの?」


 小さな凶器を床から拾い上げて私は尋ねた。小型の小銃? 見たことのない武器だった。


「よく手入れされているわね。かなり古いみたいだけど」


「それだけだもん。残ったのはそれだけ……」


 ようやく女は話す気になったようだ。


「他の仲間は?」


「みんな殺された」


「駅は?」


「駅ごと燃やされた!」


「トカゲの生き残り?」


 女は無反応だ。私は武器もう一度見下ろす。塔の武器だろう、カメでもここまで小銃を小型化は出来ない。ワシ以外で塔と交流を持ち得て、既に全滅した駅と言えば、


「……スズメ?」


 女の啜り泣きがぴたりと止まった。


 セッカが死んでからかなり経つ。それ以来今まで、この女は一体どこでどうやって生きて来たのか。女の長い髪の毛が一束、肩からするりと流れ落ちた。


「どうやってここまで来たの?」


 女は答えない。


「逃げればよかったじゃない」


「どこに?」


 私は言葉に詰まる。


 小さな塔の武器を女に差し出した。女は涙に濡れた真っ赤な目で、信じられないと言いたげに私を見上げる。


「大切なものなんでしょう?」


「なんで…」


 女が顔を上げて目を見開いた。涙を流していたことすら忘れて瞬きを繰り返している。


「だってあんたノスリの…!」


「一番怪しまれないのよ」


 女は唇を閉じて喉元を動かした。驚いた顔のまま肩で呼吸をしている。


 私は片膝をついて女の目線に合わせた。怯えて距離を取ろうとした女の肩を抱いて、息子に話しかけるよりも優しい声を使う。


「私たち力を合わせられるかもしれない。答えて、あなた名前は?」


「……ヨシキリ」


 言って女は長い髪を耳にかけた。

 


 *



 セッカさんの顔が扉で遮られて、目の前が真っ暗になった。どこをどう歩かされたのかも覚えてない。ただ男に握られていた手首が痛くて、怖くて。ああ、死ぬんだって思ってた。私の腕を掴んでたのはあんたの旦那で、セッカさんから自由を奪った男で。


 せめてあいつだけでも殺してやろうと思ったのに出来なかった。怖くて。歩かされてるはずなのに足がすくんで、きっと辿り着いた場所で死ぬってわかってたのに、それでも少しでも、一秒でも長くそれを先延ばしにしたくて。


 長い階段を降りて、短かったかもしれないけどわたしにはとても長く感じて、暗くてじめじめした部屋に入れられて、もう駄目だって思った時、あんたの旦那を下っ端が呼びに来たの。とても慌てた様子でそのまま連れだって行ってしまった。扉は開いていたし誰もいなかったからわたし、逃げた。


「どうやって?」


 ヨシキリの話を遮って私は尋ねた。ヨシキリは「天井の裏」と言ってしきりに髪を耳にかけ直す。


「よく思いついたわね」


 この頭の弱そうな子が何故そんな知恵を働かせられたのかと私が驚くと、


「……知ってるわよそれくらい」


 ヨシキリは不満そうに早口で切り捨てた。


「あそこなら下の様子も窺えるし、いざとなったら地上(うえ)にも出られるし」


「頭いいのね」


 私が褒めると、ヨシキリは唇と眉をへの字に曲げた。


「それからどうしたの?」


「迷いました」


「通気口の中で?」


 ヨシキリは頷いた。


「みんなのところに戻ろうと思ったけど、どこを通って来たか全然わからなくて。階段を降りたのだけは覚えていたから上に行ってみたりしたんだけど、余計わからなくなっちゃって。結局、最後は地上に出ました」


「そのまま自分の駅に行ったの?」


 はい、とヨシキリは髪の毛の先を指でいじる。


「線路沿いをひたすら走って朝を迎えて、三回目の朝の前に辿り着いたけれども、その時には、駅は……」


 まだ息子(トンビ)が腹の中にいた頃、いつも以上に不機嫌な顔をして夫が帰って来た日、セッカが死んだ。セッカの死の直後にスズメの駅は焼き払われたはずだから、この女は仲間たちが殺されている間中、天井裏に潜伏し、スズメの駅を焼き払ってワシたちが帰駅してから、ようやく地上に出て動き出したということになる。随分長らく天井裏を彷徨っていたようだ。


 だがもし仮に、その日ノスリに連れだされていなければ、この娘はセッカと共に死んでいた。もし仮に、あと数日早く駅に辿り着いていれば、仲間と共に焼かれていた。


「すごい強運ね」


「悪運です」


「でも死なずにすんだわ」


「わたしだけ生き残ったって!」


 死にたくないと繰り返していたその舌の根も乾かぬうちに、全く反対のことを言いながらヨシキリは項垂れた。


「それから今までどこにいたの?」


 それまで饒舌に語っていた女は途端に口を噤む。「(くるわ)?」と私が尋ねると、無言で視線を落とした。


「そんなに落ち込まないで。ここにいる女は皆そうやって生きてきたんだから」


 私が言うとヨシキリは「はい」と力なく頷いた。


「でもこのままじゃ駄目だと思ったんです。どうせなら死ぬ気で、ワシに一矢報いてやろうって」


 私は戸棚を見遣ってから指先で弄んでいた鉄球に目を落とす。この娘にとってはこれが精一杯だったのだ。


「でも仰るとおりです。何にも出来ない。ワシには敵わない! わたし…」


「諦めないで」


 震えるヨシキリの手に手を重ねて、その顔を覗きこむ。


「必ずその時が来るわ。だからそれまで辛抱しましょう?」


「その時って…」


 ヨシキリがそれ以上詮索してくるのを阻止するために、私は両手で女の手を握りしめた。


「私たち、よく似ている。あなたの気持ちがすごくわかるの。だからお願い、諦めないで。必ずワシを討ちましょう。一緒にがんばりましょう」


 ヨシキリの手を胸前で握りしめる。逃げないようにしっかりと。ヨシキリもその手を握り返し、涙目で私を見つめて頷いた。


 この子、使える。



  *

 


 ヨシキリを先に帰して後始末をした。戸棚に残された指紋を拭き取り、髪の毛、残り香、彼女の痕跡を全て抹消するまで根気よく部屋全体を拭った。小銃も忘れない。一本、一本取り出して銃身から拭う。ヨシキリの鉄球はまだ数本にしか仕込まれておらず、それも少し突けばすぐに転がり落ちるような雑な仕事だった。これでは暴発など起こせないだろう。私は鼻でため息をつきながら、それら一つひとつ抜きとっていった。


 それなのに、最後の一本から球を抜こうとした時、幼稚な願望が私の中で首をもたげた。


―何でもいい。それで銃が使えなくなれば…―


 誰かが怪我をしたところで、ワシが歩みを止めるわけではない。


―刀を使うわ―


 小銃一丁使えなくなったところで、奴らに痛手などほとんどない。なのに、


 呆れる頭と裏腹に、体は銃口を床に向けた。戸棚の別の引き出しから弾薬を一つ摘んで銃身に滑り込ませると、弾薬は鉄球にぶつかって止まった。その上にさらにもう一つ鉄球を忍ばせる。驚くほどすんなりと、弾薬は鉄球に挟まれて前にも後ろにも動かなくなった。


 戸棚に小銃を戻す。一番後列の左端。何事もなかったかのようにその小銃は周りに同化した。


 万一この小銃が使われることがあったとして、ワシは仕込みに気付くだろうか。だれがやったのか駅全員が尋問されることになるだろうか。それともこんな後ろの方の予備なんて、未来永劫、誰も手に取らないだろうか。


「馬鹿みたい」


 自分で自分に呆れ果てて執務室を後にした。




 * * * *




「いつもありがとう。あなたが手伝ってくれるようになってからこの駅もだいぶ綺麗になったわ」


 満面の笑みを浮かべて私はヨシキリに歩み寄った。


「ウさんは本当に綺麗好きですね」


 同じく作り物じみた微笑みでヨシキリも応じる。


「はい。ウは掃除が趣味です」


 アイが加わってきて私の趣味を捏造した。


「だって通路も広間も埃だらけでしょう? 気になってしまうじゃない」


 アイに顔を向けて私は頬を膨らませる。足跡が残る構内などおちおち歩けやしない。


「だからって毎日どこかしらを掃除しているのなんてウさんくらいですよ?」


 こちらにばかりやらせていないでお前も働け、とヨシキリの目が言う。


「でも二手に分かれた方が捗るでしょう?」


 何か新しい情報は仕入れた?


「私よりもウさんの方が捗ってそうだけど」


 聞いてばかりいないでそちらも教えてください。


「手が空いている他の皆さんにもお手伝いをお願いしましょうか」


 アイが余計な提案を挟んでくる。女の顔をしたこのおかしな物が、言葉の裏を読む機能を持ち合せていなくて本当によかった。


「ありがとう。でも遠慮しておくわ」


 私はヨシキリを見て言う。


「少し休みましょう。一緒に地上(そと)の空気でも吸いに行かない?」


 誘い文句にヨシキリは一瞬目を見開いたが、すぐににっこりと弧を描いて、「はい」と頷いた。

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