3-220 作戦修整
出立の時、ヘビとカメは全員で地上に立ち、ネコを見送った。ワシの駅に潜入するウミネコへの激励は特に盛大で、シュウダだけでなくイシガメやヤマカガシはもちろん、ヘビの女たちでさえ無事を祈った。
昨日のじゃれ合いで気を許したのか、ヤモリもウミネコに抱きついて別れを惜しんだ。ヤモリの親としてツミはその横にいたが、別れは済ませてある。トカゲになったツミは言葉少なにウミネコを送り出し、ウミネコも素っ気なく社交辞令じみた言葉を交わしただけだった。
「いいとこだったね」
いまだに後ろ歩きで手を振りながらイタチが言う。
「もう住みつきたいくらいだよ」
「嫁入りするかい?」アナグマが冗談めかして言うと、
「盛大に送り出してやるよ」ツキノワグマも便乗した。
「クサガメちゃんかわいかったなぁ〜」
ヒグマがしみじみと呟き、
「出たよ、ヒグマの青田買い」
ジャコウネコが揶揄して爆笑が巻き起こる。
「またすぐに戻ってくるよ。やることやってすぐにね」
テンが呆れながら声を張った。
「それよりもっと警戒しな。ネズミはどこから来るか知れなんだから」
女たちが野太い声で返事をし、イタチも前を向いて歩き始めた。ウミネコも返事をしながらも、ヘビの駅を振り返る。
別れは済ませてきた。再会の約束も交わしてきた。秘密の計画を成し遂げようと固く手を取り合った。しかし言えなかったことが一つだけある。
あのねツミちゃん、ツミちゃんはきっと聞くのも辛いし考えたくもないことかもしれないけど、ネズミにもいいネズミもいると思うの。私は本当はネズミから助けられたんじゃなくて、ネズミに助けられていたの。だからツミちゃんも……。
そこまで考えてウミネコは思い留まる。やはりどう言い繕ってもツミに話せることではない。
だがヤチネズミのようなネズミもいたのだ。ワシにだってきっと話せば分かり合える者もいる。ウミネコはそう信じていた。
* * * *
「無理よ」
私がそう伝えるとシュウダは口をあんぐりとしてしばし固まっていた。
「だから無理よ。死んでるんだから」
「……し、んど、る?」
ようやく絞り出したシュウダに、私は大きく頷いて見せる。
「ヨタカやぜ?」
「ヨタカでしょ?」
「クマタカの…」
「弟のヨタカでしょ。言ってるじゃない」
「聞いとらんちゃあ!!」
がなるように叫んでシュウダはのけぞった。
「うるさいわね」
私は耳を抑えて横目でシュウダを睨む。シュウダは唾を飛ばしながら顔を突き出してきた。
「なんでそんな大事なこと言ってくれんかったがけ!」
「『セッカがワシに謀反を計った、ワシの一部もそれに加担した、謀反に参加したスズメは全員粛清、加担したワシも処分された』って送ったじゃない」
「どこにも『ヨタカ』なんちゃあ書いとらんかったぜ!?」
そうだっただろうか。
「だったら今追加するわ。『セッカに加担したヨタカは実兄のクマタカによってスズメ同様粛清された』」
「遅すぎやって!!」
怒鳴るように叫んでシュウダは頭を抱えた。私は両手を下ろして従弟を覗き込む。
「ネコと協定を結べたんでしょう? しかも密偵も実動もかってくれたなんて万々歳じゃない」
「そのネコにこのお粗末は顔向けできんかろう」
別に構わないと思うのだが。
「原付をスズメの駅に運んでおけばいいんでしょ? 小銃も瓶詰も分けてやったんなら十分だってば」
「ワシの駅ん中に行く子はヨタカを探しに行くんやぜ?」
「探してすぐに会えるほどあの駅は狭くないわ。まあ、そこは作戦失敗で次の手段を探すことになるでしょうね」
「あの子にもしものことがあったらどうするがけ」
「危険は百も承知で侵入するんでしょ? その子だって覚悟はしてるわよ。大丈夫。女の子なら死ぬことはないから」
「友だちの子なが!」
シュウダが言って私は口を噤んだ。それから目を細めて慌てる従弟を覗き込む。
「それが理由?」
「あの子に何かあったらカモメちゃんになんて言えばいいが?」
『友だちの娘』ねぇ。
「ウミ姉頼むちゃ」
シュウダが情けない顔で縋ってきた。
「ウミちゃん言うが、ウミネコちゃん。ウミちゃんがワシの駅に着いたら、すぐに脱け出させてやってくれんまいけ」
「スズメの駅に『作戦変更、ヨタカ死亡』って置き手紙でも置いておけばいいじゃない」
一番手っ取り早い方法を勧めてやると「それや!」とシュウダは叫んだ。動転していて頭がまるで動いていない。使えない。
「でも万が一、手紙が上手いこと届かんくってウミちゃんが先走ってワシの駅に入ってしまった時にはウミ姉、何とかして助けてやってください」
使えない従弟は使えない頭を地面すれすれに下げた。私は息を吐いて件の娘の特長を聞く。
「大体ワシの一派を抱きこむなんて無理に決まってるでしょう。あいつらは仲間割れはしてもワシ以外に下ったりしないわ」
「下る必要なかろう。ネコみたいに同盟を組もういう話やちゃ」
「ワシにとってはワシ以外は全て『下』なの。そんなのと徒党を組む事自体、奴らにとっては『落ちる』と同義なのよ」
ワシの思想を従弟に説明しながら、私はあることを思い出した。
「……でもワシの『下』の奴らなら、ワシであることよりも自分の地位を上げることに執着するかも…」
「ワシの中に『上』と『下』があるがけ」
シュウダが横で首を傾げていたが、私は別の絵を描き始めていた。
「そのネコの子は監視しておくわ。安全もがんばる。予定通りワシの駅に侵入させましょ」
「スズメんとこに置き手紙するいうがは?」
「いらない」
私は首を横に振る。不審がるシュウダの目に向き直って、
「ヨタカは死んだけどその一派はまだ生きてるの。そして連中は少なからずクマタカに恨みを抱いてるはずよ」
「そいつらを懐柔する?」
「その方向で行くわ」
私が言うとシュウダは顎を擦りながら考え込んだ。
別にヨタカに拘る理由は無いのだ。要はワシの中でもう一度謀反が起きればいい。それに便乗してネコとカメに攻め込ませる。ネコとカメとワシの一部が組めば、いくらワシでも無傷ではいられないだろう。あとはアイさえ切っておけば、こちらにも分はある。壊滅、願わくば跡形もなく焼失させられれば言う事はない。全てのワシの息の根を止めてこその勝利だ。
「わかったちゃ」
シュウダが頷いた。私は片頬を持ち上げる。
「なら行くわね。時間もないから」
「ウミ姉、死ぬなよ」
「死なないわよ」
手駒は揃えてあるから。
*
スズメの駅に原動機付自転車を置いて、ワシの駅に戻った。
夫と息子は帰ってきていない。息子の乳離れが終わるや否や、夫は息子を仕事場まで連れ歩くようになった。熱心すぎる英才教育には頭が下がる。全く以てありがたい限りだ。
部屋には戻らずに構内を歩いた。男たちが夜汽車の調達に出向いている間は廓も静かだ。男の相手をしなくていい時に彼女が行く場所と言えば、
「お疲れさま」
掃除の手を止めて振り返った顔に、私は微笑みかけた。