00-59 ムクゲネズミ【部隊長】
過去編(その11)です。
「お前が新顔ね。ヤチネズミくんでしょう? 聞いてる、聞いてる。よろしくね!」
「……はあ…」
「この隊の決まりごとをお話しするよ。この隊ではねえ…」
「それは俺から説明済みです」
「さっすがセージぃ! 出来る子だあ」
セスジネズミは無言で顎を引く。
「それじゃあ今日の業務連絡、みんなちゃあんと聞いてね? 今日はあ、トッカゲぇ! 掃除目標数は十! 女は捕ったもん勝ちだよお。さ~あ、いっちょ元気にやっていこー!!」
部隊長の熱量が半端ない。暗闇で光る蛍光灯みたいだ。だが太陽と違って蛍光灯の照らす範囲は極めて狭い。部隊長だけが煌々と明るく輝くそばで、隊員たちは一様に暗い。
「作戦はどうするう? たまには二手に分かれて挟み打ちとか? それとも…」
「いつも通りで。俺が先行で他のみんなは後方支援で」
ヤチネズミは驚いてハツカネズミを見た。年長者が先行というのは理解出来る。だがハツだけ? その他は全員が後ろで支援だけ??
「そ~お? ハツがそれでいいなら別にいいけどお」
「ありがとうございます」
「でもいっつも同じで面白くないなあ~」
ヤチネズミは目を見張ったまま、今度はムクゲネズミを見た。『おもしろい』って……。
カヤネズミに肩を握られる。一瞬の目配せが先の忠告を守れと言う。
「目標分はちゃんとしますから。面白みは後からついてきますよ、きっと」
ハツカネズミまでそんなことを言う。何を言っているんだと問い質そうとしたヤチネズミだったが、その横顔を見て目を疑う。
「言ったからにはちゃんとしてね?」
「もちろんです。ちゃんと見てて下さい」
交わされる言葉は穏やかなものなのに、ハツカネズミはムクゲネズミとは別の熱量を発していた。ずっと同じ部屋で育ってきたのに、いつも一緒にいたのに、ヤチネズミは初めて見る同室の怒りに言葉を失う。ハツってこんな顔する奴だったっけ? 隣のシチロウネズミを盗み見る。シチロウってこんなにびくびくすることあったっけ?
「あと、」
業務連絡を終えて立ち去りかけたムクゲネズミを、ハツカネズミは呼びとめた。呼ばれた部隊長ではなく、他の面々がびくりと肩を震わす。
「見てるだけにしてくださいね。手は、出さないでくださいね」
ハツカネズミは部隊長に向かってよくわからない釘を刺した。例え仲違いしていたとしても上官相手にそんな態度は、とヤチネズミは思ったが、
「時と場合による」
ムクゲネズミの満面の笑みになぜか悪寒が走る。
「俺が手を出さなきゃいけないような事態にならないようにすればいいんじゃな~い?」
ハツカネズミが無言で上官を睨みつけた。
ヤチネズミはカヤネズミを見る。カヤネズミは視線を逸らして踵を返すと、子ネズミたちに掃除の準備を促した。
「ハツ!」
ヤチネズミは大声で呼びながらハツカネズミに駆け寄った。四輪駆動車の運転席で小銃を肩にかけ、薬莢を手の平で数えていたハツカネズミが顔を上げる。
「どういう作戦なんだ? お前が囮になるのか? 他は後ろから援護射撃ってことか? だったら二輪の方が小回り利くだろ、降りろよ。っつうかお前…」
ハツカネズミは口を半開きにして固まっている。その間抜けな表情だけを見ていれば以前と同じ頭の悪い、間も悪い、子どもの遊び相手になる以外は大体全部下手くそな同室のハツカネズミだ。
ヤチネズミの質問を数秒後に消化したハツカネズミは、へへっと照れたような困り顔で笑って見せた。笑っている場合か? 大丈夫か、こいつ。駄目なのだろう。
「……そこどけ。俺が運転する」
「え?」
「貸せって」
「え? え…」
「運転だけは得意だから」
ハタネズミから散々逃げ回っているうちに上達していたから。
「俺も一緒に行くって言ってんだよ!」
「ヤチ!」
異変に気付いたカヤネズミが駆けてきた。上着を掴まれて四輪駆動車から引きずり降ろされる。
「いってえな…」
首を擦りながら頭を上げ切る前に、今度は肩口を掴まれて駆動車の車体に叩きつけられた。
「見てろって言ったろ」
「見てたよ、ちゃんと」
「いい方間違えた。黙ってろ」
「黙ってられないっつってんだよ!」
カヤネズミの手を払いのけて怒鳴り散らした。
「何だよさっきの! あれが作戦会議? ふざけんな! なんでハツだけなんだよ、なんで誰も何も言わないんだよ、協力もくそもあったもんじゃねえな、ここは!」
「何も見てない奴がとやかく言うなって! とにかく黙ってみてろ。それでわかるから」
「見る前からわかったよ。お前ら全員くそだ。ハツだけ危険に晒して誰も手伝おうともしない腰ぬけくそ野郎部隊じゃねえか!」
「手伝えないんだよ!」
「はあ?」
「俺らに出来ることなんて何も無いんだって!!」
カヤネズミの絶叫が夜の中に響き渡った。肩で呼吸するカヤネズミに子ネズミたちは黙りこんで縮こまる。セスジネズミだけがじっとこちらを見つめていて、その後ろから部隊長が飛び跳ねるように歩み寄ってきた。
「ヤッチネズミくんっ!」
「……はい」
カヤネズミが顔を背けて顎を胸に押し付ける。
「お前、いいこと言うね。俺もおんなじこと思ってたんだあ。こいつらいっつもハツに仕事押し付けるんだよぉ」
「違います」
ハツカネズミがぼそりと抗議した。その声色にヤチネズミはびくりとして振り返りかけたが、
「ヤチくん!」
部隊長に両手で顔を包みこまれ、力づくで正面を向かせられた。首が痛い。握力が半端ない。肩から先と首から上が分離したみたいに不釣り合いな部隊長は、にこやかな顔をヤチネズミに寄せてきた。
「お前がうちに来てくれてよかったあ~。こいつらの根性、叩き直してやろう? 手始めにお前、ハツと一緒に先行ね…」
「いりませんッ!!」
ハツカネズミの怒鳴り声に、部隊長を除く全員が身体を震わせた。部隊長に頬を挟まれたままヤチネズミは首を曲げようとしたが上手く出来ない。その間にハツカネズミが四輪駆動車から降りてきて、部隊長の手首を掴んでいた。
「手を出さないでください」
「出してないよお? 口だけじゃん」
「ヤチから離れてください」
「ええ~? ハツってヤチくんみたいな子が好きだったのお? ハタくんもぞっこんだったって言うしヤチくんってもってもてだ…」
「離れろよお!!」
空気の振動を肌で感じた。続いて心臓の振動が喉元まで揺らす。今にも噛みつきそうなほど歯を食いしばるハツカネズミを、ヤチネズミは信じられない気分で見つめていた。
部隊長は面倒臭そうに唇を尖らせると両手を開いて顔の横に上げる。「これでいいんでしょ」と不貞腐れて踵を返した。子ネズミの中から安堵の息が漏れた瞬間、
「でもヤチくん連れてきなよ。命令」
ぐりんと振り向いて言い放ったその顔は、笑っているのに相手に恐怖と不快感を与える物だった。
「馬鹿ヤチ」
カヤネズミが小さく吐き捨ててその場を離れた。子ネズミたちもそそくさと退散する。
「今までお世話になりましたぁ」
ヒミズがそんなことをぬかして目を細め、走り去った。
「ヤチ……」
今までどこにいたのか。シチロウネズミが子ネズミたちに紛れていたのは、相当背中を丸めて卑屈に縮こまっていたからだろう。明朗さもおちゃらけることも捨てたシチロウネズミはヤチネズミを見つめた。
「なんだよ…」
「大丈夫だよ、シチロウ!」
ハツカネズミが明るい声で割り込んでくる。シチロウネズミはハツカネズミを見てから俯き、なにも言わずに背を向けた。
「シチロウ…?」
「ヤチ」
ハツカネズミに呼ばれて振り返る。シチロウネズミに向けていた笑顔を顰めて、ハツカネズミは困ったような、すまなそうな顔で頭を掻いていた。
「ムクゲの命令は絶対なんだ。だけど同じやつに乗れとまでは言わなかったからヤチは俺の後ろから二輪で来て。危なくなったら駅の中に突っ込んで。間違っても戻んないでね」
「なんで駅?」
地下の連中の中に飛び込めというのか?
「大丈夫。すぐ迎えに行くから」
はにかんだ同室の奇妙な慰めに返す言葉が見つからなかった。
* * * *
作戦決行は日の入りから数時間後、地下の奴らが呑気に地上に出てきて馬鹿みたいに浮かれているところを奇襲する。トカゲは刃物を使うから接近戦には縺れ込ますな。女は二の次でいい。まずは掃除。それからだ。
視力のいいヒミズが双眼鏡で廃駅周辺の様子を報告する。確認出来る影は女も混ぜて十数個、まだ足りない。もう少し待て。数が揃ってから一気に行け。
恐らく何かの作業をしていたのだろう。改札からはもうもうと煙と蒸気が空に向かって排出されていた。汗だくの男たちが手拭いを首にかけて外気の寒さを堪能している。女たちが湯呑のようなものを配って労っている。夜汽車を飲んでいるのかもしれない。くそが。
「二十五…、三十弱くらい。男は南側に固まってます」
双眼鏡を覗きこむヒミズの報告が合図だった。保護眼鏡をかけたハツカネズミが目配せと共に四輪駆動車で飛び出した。遠くから近付いて来る聞きなれない音に左右を見回す者がいる。気付かれたか。ヤチネズミは自動二輪を発車させた。ハツカネズミを追い抜かんと最高速度まで上げていく。
ハツカネズミだ、どうせ運転も下手だろう。射撃だって俺よりも当たらないだろう。だってハツカネズミだから。子ども受けがいいこと以外は大体全部下手で駄目な奴だから。
ヤチネズミの予想は見事に当たっていた。ハツカネズミの運転は荒いし遅い派手すぎる。あれでは気付かれて当然だ。案の定トカゲたちは四輪駆動車の原動機音に早々に気付き、慌てふためいて改札を目指し始めた。目標掃除数は十。いけるかどうかぎりぎりだ。逃がしてはいけない。まずは改札を塞いで潜らせないようにし、それから…、
「え゛!?」
思わず自動二輪を止めて片脚を地面についた。保護眼鏡を持ち上げて裸眼で状況を見極める。ハツカネズミの操縦する四輪駆動車は相変わらずの走行だ、蛇行だ、轢……けてさえいないしあんな運転をしていては、
「ハツ!!」
忠告が間に合わなかった。予想通りの軌跡を描いて四輪駆動車は横転し、ハツカネズミは運転席から投げ出された。相手がネズミ一匹と思ったのか、難を逃れたトカゲたちは得物を片手にハツカネズミ目がけて群がり始めた。慌てて操作棒を握りしめた時、足元の砂が弾けた。撃たれた? 誰に。援護射撃か? 俺より小銃が下手な奴もいたもんだ…
「なに止まってるの?」