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3-219 作戦変更

「……うちのお父さんに会えたら、『ツミは元気だよ』って伝えてもらえる?」


 幼子なような上目遣いで、ツミはおずおずとそう言った。


 頼んでしまったあとで、やはり身勝手な望みだったと気づいたのだろう。前言撤回と言わんばかりに首を横に振り、「ごめん、やっぱり聞かなかったことにして!」と早口に謝る。そんならしくない(・・・・・)ツミを見つめて、ウミネコは考えが変わってくる。


 自分がジュウゴに会えて嬉しかったように、シュセキやナナに会いたいと思うように、ツミだって古巣が恋しいのだ。この世情の中で、ヘビの駅に属しながらワシを擁護することは許されないとしても、トカゲである前にツミはツミで、ワシの駅にいる家族や友だちの無事を祈りたい気持ちは無くせない。


 だからか、とウミネコは理解する。


 なぜツミが、ワシのヨタカを引き入れることをあれほどまでに推したのか。自分を庇ってくれているものだとばかりウミネコは思っていたが、きっとそれだけではない。ツミは恐らく、シュウダたちを止めたいのだ。ヘビやカメのワシへの憎悪を鎮めたいのだ。全面衝突を避けようとしていたのだ。


 だがシュウダの意志は固く、ヘビとカメのワシに対する憎しみは深かった。ツミがどんなに抗ったところで、ヘビとカメを止めることは叶わなかった。


 もちろんウミネコだってワシは憎い。父の敵だしジュウシだって殺された。『ワシの乱心』さえなければ、ウミネコは夜汽車として危険な目に遭うこともなかった。ネコの皆の怒りも凄まじく、ワシへの憎しみこそがその結束力を高めていると言っても過言ではない。


 けれどもネコの皆が傷つく姿など見たくはない。


「止めよう」


 ウミネコは言った。ツミが顔を上げる。ウミネコも顔を上げて、ツミの目を見つめた。


「止めようよ、ツミちゃん」


「何を?」


「争いを」


 ツミが目を見張る。


「ワシを説得して降伏させるの。ヨタカを味方につけて」


 ウミネコは大真面目に訴える。


「ワシを中から瓦解させるの。弟のヨタカが謀反を起こすくらいだもの、ワシの中にも現体制に批判的な勢力がきっと少なくないはずよ。今の頭首を失脚させてシュウダさんやテンたちと和解させれば、ツミちゃんだって直接おじさんと会えるはず…」


「ウミちゃんは狩り合いに参加したことある?」


 熱っぽく語っていたウミネコに、ツミは全く別の話題をふってきた。ウミネコは怪訝に思いながら、「それはもちろん」と答えた。


「狩り合う時は何考えてる?」


「何って……、狩っている最中は必死だから。でも狩り終えた後は、」


 そこまで言ってウミネコは口籠った。


「でも必要なことでしょう? さもなければ私たちは飢えてしまうわ」


 僅かな後ろめたさを生きるための権利にすげ替えて、ウミネコは自己弁護する。


 静かにウミネコを見つめていたツミは、やがて視線を落として「同じだよ」と言った。


「狩り合いと同じ。必要だからシュウダたちはワシを討とうとしてるんだよ」


 ツミは右腕の先端を握りしめる。


「今のワシの頭首が失脚したくらいで収まる感情じゃない、そうしないと生きていけないからカメとヘビも協力してるんだと思う。あんなに仲悪いのに」


「仲違いしているの?」


 ウミネコは驚いて聞き返したが、


「真っ二つ」


 ツミは答える。


「それでも同じ駅でやってってるのは、同じ目的があるからじゃない?」


 ウミネコは唇を噤む。


「そうまでして果たしたい目的を、私たちなんかが止めれるわけないよ」


 言ってツミは俯いた。


 ウミネコは唇を噛む。ツミの質問に上手く答えられなかった引け目から、浅はかなことを軽はずみには言えなくなる。必要な暴力なんてあるわけない、許されないと声を大にして言いたい気持ちと、その必要な暴力をたった今肯定した自分の矛盾が歯痒い。


 だが不必要な暴力に晒されたツミがそれを肯定してしまったら、暴力以外に手段がなくなってしまうではないか。対話も理解も譲り合いも、全てが無意味だと否定されたら、何のために私たちは言葉を持ったのか、何のために知恵を身につけたのか、何が目的で目を手を皮膚を有しているのか。


 しかしウミネコの発想は悲しいほどに現実離れした理想論だった。数年間とはいえ夜汽車として育てられてきた時間が彼女をそのようにしたのかもしれない。

 ありとあらゆる危険を遠ざけてくれた頑丈な壁、飢餓を知らない環境、暴力が届かない距離とそれら一切をとり除いてくれていたアイ。

 ウミネコが意識してもしなくても、夜汽車で培われた常識が、彼女の思考の根底にはあった。


「やってみなくちゃわからないじゃない」


 それは無鉄砲で根拠の無い自信を培い、


「やってみてもいないのに、まだ見えてもいない未来を決めつけるなんて、」


 無に等しい可能性に縋りつく無謀という名の能力を養い、


「それこそやめるべきじゃない?」


 愚かな選択に突き進む強さを備えさせた。


「私もツミちゃんみたいに思ってた。考えればある程度の結果は予測できるって、結果が見えているのだから自ら動く必要もないって。

 でも違ったの。夜汽車を降りて地上に戻ってきて、夜汽車の中で想定していたこととは全く異なる結果や現実を数え切れないほど見てきたの。私の知識や常識なんて全然通用しない事態がたくさんあったの。だってこうしてツミちゃんにだって会えたじゃない」


 ウミネコはツミの左手を握る。


「ツミちゃんは私と再会できるって思ってた? ジュウゴと私が同じ夜汽車に乗ってたって想像できた?」

 

 「それは…」と答えあぐねるツミにウミネコはさらに迫って、


「やってみようよ。だって『やってみなくちゃわからない』ってジュウゴも言ってた」


 無謀の権化の存在を思い出させた。


 その名を聞いてツミは目を見開く。されるがままに握られていた左手が、やがて力強く握り返す。


「私はネコの皆を危険にさらしたくない。みすみす傷つくと分かっている争いの中に行ってほしくない」


 ウミネコは両手でツミの左手を握りしめる。


「ツミちゃんだってそうじゃない? シュウダさんたちとおじさんが戦うところなんて見たくないでしょう?」


 ツミは顔を上げる。


「ツミちゃんお願い、」


 左手を握りしめられて逃げられないツミはウミネコの視線と向き合う。 


「力を貸して」


 ウミネコからの懇願に、ツミは無言で答えた。




 ウミネコとツミはシュウダたちの作戦とは別に、秘密裏でも動き始めた。ウミネコたちの目的は、ワシの討伐を進めるシュウダたちを止めることだ。ウミネコはワシの現政権に反発する勢力に、政権奪取を勧める。そして政権が交代した折には駅間交流を再会させる。


 しかしこれまでのワシの暴挙に憎悪を抱える他駅の者たちは、例え頭が代わったとてそう易々とワシを受け入れはしないだろう。ワシが(へりくだ)れば好機とばかりに高圧的に新政権を叩くだろうし、ワシがそれを甘んじて受け入れ続けるとは限らない。ワシには罪を償わせねばならないが、罪以上の罰を与えるのは裁く側の悦楽でしかなく、また新たな憎悪を生む。他駅の裁量を暴走させぬよう、ワシへの憎悪を出来る限り鎮めて恩情を育てられるよう、ワシへの理解を進める必要もある。


「イシガメ君ならきっとわかってくれると思うの」


 ウミネコは協力者としてカメの男の名を出した。気さくで明るい青年だ。そして相手の立場を鑑みることができる度量があると思った。しかし、


「あれは駄目」


 予想に反してツミは首を縦に振らなかった。


「どうして? イシガメ君ならきっと…」


「駄目。あいつ馬鹿だから」


 ツミは頑なだ。


 イシガメの話になった途端に表情が険しくなったツミを、ウミネコは覗き込む。


「……仲悪いの?」


「根本的に合わない」


「でも共同作業をする仲間なんでしょう?」


「生理的に無理」


「けど…」


「第一印象から最悪だった」


 ツミはむっつりとして唇を尖らせた。どうやらイシガメは諦めねばならないらしい。


「……でもツミちゃんがワシの肩を持つことはできないでしょう?」


 トカゲとして生きてきたツミがワシであることを公表すれば、ヘビとカメを騙していたと捉えられかねない。その時に彼らの恐怖がツミへの虐げと転化されることは容易に想像できる。


「でもイシガメはやだ」


 ウミネコの再三の訴えに、ツミは膝を抱えてそっぽを向いた。


「だったらどうするの?」


 ウミネコはため息を吐きながら呆れる。


「ちゃんとやるから心配しないで」


 ツミは具体策を避けて話を進める。


「あいつの手なんか借りなくても大丈夫。シュウダたちを早まらせなければいいんでしょ? ウミちゃんがワシと話をつけて帰ってくるまで、ヘビとカメが動き出さないように止めておくから」


「だからどうやって」


 ウミネコは眉根を寄せた横目でツミを見たが、


「ウミちゃんこそ大丈夫なの?」


 反対にツミに詰め寄られた。


「単身ワシの駅に行って、お(かしら)の弟を味方につけて、政権交代させて、武器を手放させてシュウダと話をさせるって、やること目茶苦茶多いのにやりきれるの?」


「それは大丈夫」


 ウミネコは胸を張る。


「ワシの方は私に任せて。だからヘビの駅は、」


「わかってる」


 ツミが言って、互いに頷きあった。


「でもねぇツミちゃん、やっぱりイシガメ君は…」


 とウミネコが言いかけた時、がちゃりと部屋の扉が外から開かれた。ウミネコはびくりとする。話を聞かれたかと様々な言い訳を瞬時に頭の中で作り上げた。しかし、


「早かったな」


 ツミがトカゲの顔になって迎え入れたのは、娘のヤモリだった。ヤモリは母と親しげなネコの女を見上げながら、扉の取っ手を握りしめている。


「お母ちゃんの友だちだ」


「こんにちは」


 紹介されてウミネコは少女に会釈した。ヤモリはまだ警戒している。


「ワンとジュウゴの話を聞くんじゃなかったのか?」


 ツミが言うとヤモリはぱっと顔を上げて部屋に駆け込んできた。母親にしがみつくとその陰から顔を覗かせ、上目遣いにウミネコを見つめる。子どもにありがちな恥ずかしがり様だった。コイタチみたいなものだろう。ウミネコは姿勢を低くしてヤモリを覗き込んだ。


「ジュウゴとワンと一緒に遊んだって聞いたよ」


 ヤモリの視線が逃げる。


「ワンはここを撫ぜると嬉しがるよね」


 言ってヤモリの腹をくすぐる。ヤモリは身をよじって逃げる。


「ジュウゴともこんな遊びしたのかな?」


 ウミネコが両手でヤモリの両脇をくすぐりだすと、ヤモリは嬉しそうに笑いながら身をかわした。「やられっぱなしでいいのか?」とツミにあおられて、ヤモリの反撃が始まる。


「ウミちゃん、子どもの扱いになれてるの?」


「ネコの中にも年下の子はいるから…」


 答えながらこそばゆさにウミネコは笑い、ヤモリも全身で笑った。

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