3-215 外からの視点
それがいつからだったのか、始まりについてはネコたちも詳細は知らない。だが本線にほど近いト線の脇に、見慣れぬ建物が築かれたことを気にする者は少なくなかった。
目立っていたのだ。瓦礫と廃屋しかない地上において、駅以外の生きた建物など目につかないはずがない。ト線の果ての方ではまだ無関心な駅も多かったが、身近な場所での変化には誰もが敏感だ。その建物に近い駅、つまり比較的本線寄りに位置する駅の者たちは、口々に憶測を言い合った。
仕様からして塔の建造物ではないか。連中がト線まで進出してきたのか? ト線こちらに干渉するとはどういう了見だ! 話が違う……。
不審感と不安が駅間を行き交うようになった頃、
―ああ、あれはうちです―
ワシの先代が、件の建物はワシの所有物だと告げた。
―塔からの客がね。……いえ、ただの観光です。うちは本線にも近いですし、それなりに交流もあるんですよ。
でもしばらく地上こちらを堪能したいとのことで滞在は長期になると思います―
あまりにお粗末な冗談だった。塔に住む者が地上に好き好んで住みたい訳がないだろう。何が目的だ、こちらに干渉してきた理由は? 駅の頭首たちはワシの先代頭首を尋問したが、
―観光と言っているでしょう―
ワシの先代の口は固かった。
―それとも何か? ワシのやり方にご不満でも?―
そして瓶詰を盾にして、他の駅の質問意見一切を退けた。
「……それからしばらくしたら、ワシの駅はたいそう立派になってたよ。ただでさえあそこは『大改修』で綺麗だったのにさ、馬鹿みたいに電気を使うようになり始めた」
「発電機ってそんなにいっぱい作ってたの?」
セマルハコガメが年上と見られるカメに小声で尋ねた。「俺、修理しかしたことなかったけど」
「やー? なかったと思うけど」
年長者のカメ…、思い出した、リュウキュウヤマガメだ。リュウキュウヤマガメも首を傾げた。
「そうそう壊れるもんでもないしな。俺らも修理しかさしてもらったことなかったわ。親父どもが作ってたのかなあ?」
「カメのじゃないよ」
テンはリュウキュウヤマガメに言う。カメたちが一斉にこちらを向く。
「塔の技術や」
その視線にシュウダが答えた。
ワシの駅は日を追うごとに発展していった。主要部分以外にも設えられた照明、炎を使わない暖房、見たこともない機械の数々。それらはカメが生産したものではなく、
「ワシは塔から技術者を招き入れて、自駅だけを発展させてたんだよ」
とんだ抜け駆けだった。そして犯してはいけない過ちだった。
誰もがワシに怒りを覚えた。だがワシの駅は本線に一番近く、瓶詰の製造を一手に引き受けている。表立って異議など申し立てようものならば瓶詰の配給を止められるかもしれないという恐怖が、他の駅の頭首たちを尻込みさせた。
しかし『持ちつ持たれつ』を合言葉にやってきた関係だ。平等、公平、助けあいが基盤の社会で、独占は受け入れられない。
そして『持ちつ持たれつ』を条件に不干渉を続けてきた塔との均衡関係だ。何の対価も払わずに技術をもらうなど、上下関係を作ることと同義だった。
「長たちもいろいろと揺さぶりはかけてたみたいだけどね。従者のいない時にワシの長に直談判したり、瓶詰の供給を止められるの覚悟で物言いしたとこもあったって話だよ。塔との関係を切れって。恩恵を独り占めするなって」
だが恩恵とは絶対量が少ないからこそ恩恵たり得る。皆で分け合える共有財産になれば、有難みなどすぐに忘れ去られる。それを知っていたのか、はたまた分けあいたくとも絶対量が足りなかったのか、ワシが他駅に塔の恩恵を分け与えることはなかった。
そして塔と手を切ることもなかった。恩恵を手放すのが惜しかったのかそれ以外の理由があったのか、
―あれはワシの客です―
ワシの先代は頑なだった。
強かったとも言える。一本気と言えば聞こえはいい。だが別の言葉で言えば意固地、頑固、変化を受け入れない偏屈で我儘な変わり者だった。
先代亡き後、その息子がワシの頭首に着いた時、他駅の頭首たちは千載一遇の好機と見た。先代頭首は頑固な厄介者だったが、息子は物静かな青二才だ。あの子どもを徹底的に従わせよう。塔の技術の独占をやめさせ、塔との縁を切らせよう。
現ワシの頭首は寄り合いに顔を出すなり不遇な立場に置かれた。味方はいない、教育も受けていないのに無知を嘲り笑われる、無理難題を押し付けられ、出来ないと言えば恫喝されて聞き入れられない。
その効果もあってか、ワシの現頭首はある時突然従順になった。他駅からの無理な要求、例えば瓶詰配給の増量なども黙って頷き受け入れるようになった。他駅の頭首たちは確信する。この若造ならばこちらの要求を飲む、必ず命令に従うだろう、と。
「……でもワシは従わなかった。ト線のくせに長たちの話を聞き入れないで、」
塔に従った。
「そうだろう?」
一通りを話し終えてテンはシュウダを見る。自分のはあくまで又聞きの情報だ。あとは現場にいたお前が教えろ、と。
シュウダは唸りながら鼻水を啜り、指先で鼻先を掻いてから息を吐いた。
「クマタカじゃ埒が明かん言うことになって、直接その塔の連中が住んどるいうとこに話しをつけに行こうって誰かが言ったがやちゃ。先にカエルたちが向かったんやけど交渉は決裂したらしくての。俺が着いた時には塔の者は死んどったわ。中年の男やった。ワシの駅に出入りしとったがも男やったいう話しやし、多分あいつがテンさんの言うとった『技術者』や。
そこで終わったはずやったがやけど、」
「ワシは瓶詰の配給を止めるとかぬかし始めた」
シュウダの言葉を受け取って、テンは歯噛みした。『ワシの乱心』の詳細な経緯を聞かされた若い連中は、神妙な面持ちで押し黙る。
その後のことは彼らでもわかるだろう。実際に体験してきたことなのだから。
瓶詰の配給を止めるとはつまり駅間の交流を断絶することを意味する。瓶詰がないと困るのはこちら側だが、交流断絶で困るのはワシもまた同じだった。何故ならワシの駅は廓制度で成立している。
駅を継続させるためにワシが次に行ったのは、他駅の女たちの拉致だった。
表向きは違う。少なくともワシは別の表現をする。奴らは女を『受け入れている』と。女ならば『無条件でワシになることを許可する』と。
苦しい生活から逃れるために進んでワシの駅に行く者も中にはいるから、ワシの言い分が全て嘘だとは言えない。だが望まぬ選択肢を選ばざるを得ず、泣く泣く廓入りする女がいることもまた事実だ。
「そういう腐ったところなんだよ、ワシは。自駅の利益しか考えてない、そのためなら他駅の犠牲なんて仕方ないって笑ってるような屑だ」
テンはそこで息を整え、
「そんなのとまともに話が出来るとでも思ってんのかい」
ウミネコを窘めた。
ウミネコは瞬きもせずに俯いていたが、唇を舐めると意を決した顔を上げる。
「でも、でもだからこそワシを止めなきゃいけないからこそ、ヨタカみたいな勢力を…」
「まだ言うのかい!」
テンは声を荒らげる。ウミネコはびくりと肩を上下させる。「だって…」と次の言葉を探したが、
「それってさあ、シュウダたちも悪いべや」
イシクサガメのお喋りの方が口を開いた。