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3-211 責任

「……イシ?」


 イシガメが吐いていた。


 「あ?」とシマヘビの存在に気付いて顔を上げたイシガメはしかし、すぐにまた上がって来た吐き気に抗えずに下を向く。便所までもたなかったのか、せめて盥か紙袋の中に吐けばいいものを、こんな駅のど真ん中で吐き散らかして。シマヘビはそれまで抱えていた懊悩も脇に退けて、嘔吐男の粗相に顔を歪めた。


「ちゃんと片しとかれよ」


 涙目を見られたくなくてそっぽを向たシマヘビに、


「み、水……」


 イシガメは助けを求めてくる。


 考えなければいけないことが山積しているというのにこのげろ(・・)男! シマヘビは苛立ちながらもため息を吐いて、イシガメに肩を貸した。


「立てるが?」


「むり……」


「早はよ立てま!」


 半ば強引に引き摺りあげて、シマヘビはイシガメを部屋まで送ることにした。


「この借りは、か、なら、ず……」


 死にゆく一歩手前のような言葉を呟きながら、イシガメはシマヘビに凭れかかる。

 

「わかったからちゃんと歩い…、どこ触っとんが、自分!」


「わざとでな…」


 体勢を崩して倒れた。覆いかぶさって来たイシガメの息が臭くてシマヘビの怒りは頂点に達する。


「だら! ()よどけま!!」


「んなこと言ったっでぇ……」


 泥のようなイシガメからようよう逃れ出たシマヘビは、肩で息をしながらその場に座り込んだ。


(なん)なん?」


 イシガメの嘔吐につられたのか、気持ちを吐露し始める。


「もうなんなん!? ほんっとにもう…!」


 ついに顔を覆って泣き始めた。


 焦ったのはイシガメだ。そこまで悪いことをしたかと目を瞬かせ、ふらつく頭を気力で持ち上げ置き上がる。


「なした? おい、シマ? シマ……ちゃん?」


 シマヘビは泣き続ける。


「えっと……ごめん? 違う? したっけ何?」


 泣いた途端に取り繕い始めたイシガメが腹立たしくて、シマヘビはあっちへ行けと片手で追い払った。しかしイシガメもしつこい。どうせ何も悪いと思っていない癖に、「ごめん、ごめん」と繰り返す。それがなおさら腹立たしくて、シマヘビは追い払うのをやめて叩き始めた。攻撃とはおよそ呼べない女の平手をいなしながらイシガメは、


「と、とりあえず……、寝るべ?」


 なだめようとしたのだが、


「なんであんたと寝なきゃいけんがあッ!?」


 火に油を注いでしまう。そういう意味で言ったのではないのだが。


「わった、わぁったって。したら起きてっか?」


「もう朝やにか! いつまで起きてなきゃいけんがけ!!」


 この唐変木が! シマヘビは叩くことにも疲れてきて、手を下ろして項垂れる。


「ごめんて」


 それ以外に方法を知らないのだろう。イシガメは微塵も悪いと思っていなさそうな顔で、むしろシマヘビこそがそう言うべきだと言いたそうな顔をして息を吐く。


「謝るくらいなら助けてよぉ……」


 シマヘビはどさくさに紛れて本音を言った。聞こえていないと思っていたのに、


「何すりゃいんだよ」


 イシガメの耳には届いていたようだ。


 シマヘビは押し黙る。散々逡巡した後でしゃくりあげながら、


「イシぃ、」


 頼りない酔っ払いに尋ねた。


「もしも、例えばの話やぜ? ほんっとの本気の例え話ながやけど、もしも万が一この駅にわ、……ワシが紛れこんどったら、どうする?」


 イシガメは真顔になってシマヘビを見た。シマヘビはすぐさま首を横に振る。


「例えばやって、例えば! そんながあるわけないってわかっとるぜ? でも万が一…」


「ネコば疑ってんのか?」


 イシガメが低い声で言った。


 赤ら顔の癖に真剣そうなイシガメに見つめられて、シマヘビはぽかんとする。まるで事態をわかっていない阿呆の想像力にがっくりと項垂れる。


「あんなぁシマ、ネコさんたちはワシを討つためにこんなとこまで来てくれたんだぞ? しかも徒歩で。ネズミの動向ば見るために本線くんだりまで出張って来たって話だし…」


「あんたに聞いた私がだら(・・)やったわ」


 シマヘビは赤い目のまま冷めた視線でため息を吐いた。


「お前何なね!」


 イシガメは本気で憤ったが、


「もういい。()よ寝られま」


 怒る気力さえなくしたシマヘビは立ち上がる。


「自分立てる……、立てそうやの。そのげろ(・・)ちゃんと片しとかれ」


 真っ赤な目でそう言い捨ててシマヘビは立ち去ろうとした。考えなければいけないことが山積しているのだ。こんな阿呆に構っている暇などなかったのに、


「待てや!」


 イシガメが手首を掴んできた。


「何けえ。子どもは寝る時間やぜ? とっとと布団に行かれ、ぼく(・・)


 ネコの女の真似をしてイシガメを小ばかにしてやった。しかしイシガメはそんな侮辱にも多少嫌な顔をしただけで、


「ワシだったとしてもさぁ、そいつによるべや」


 据わった目でも真剣に、シマヘビの質問に答えた。


「例えば……、例えばだぞ! 本気で例えばイタッちゃんが実はワシで、ネコに紛れてうちに潜り込んできてたとしても、なんか事情があるかもしれねえべや」


 「事情って?」と振り向いたシマヘビに、「事情は事情だよ」とイシガメは力技で押し切る。


「それにワシだからって全員が全員くずとも限らねんじゃね? ワシだって話せばわかる奴もいるかも知れねえし、話してわかり合えて協力出来んなら、そいつがワシかどうかなんて関係ねえべや」


「でもワシやぜ!? あいつらにやられたこと忘れたが? 特にカメ(あんた)んとこなんて…」


「そりゃ憎いわ!! でも話してみなきゃわかんねえべや!」


 イシガメの真顔にシマヘビは唇を閉じる。


「ワシかもしれねえよ、カメの駅(うち)に火ぃつけた当事者かもしれねえよ。でも俺そいつのこと知らねえし、知らないのにワシってだけで手ぇ出せねえんだよ。

 ワシだったとしても俺はそいつとまず話すよ。そいつがどんな奴か知ってから判断する。だからそいつの出方を見るっつってんだよ」


「……出方見てもわからん時は?」


 シマヘビの指摘にイシガメはしばし考え、


「わかるまで話すかな」


 斜め下を見遣って答える。


「あんたの判断が間違っとるかもしれんぜ?」


 シマヘビはさらに追及する。


「間違っとって、あんたの判断のせいで駅が危険に晒されたとしたら…」


「責任取る」


 イシガメは正面からシマヘビを見て答えた。


「俺のせいでそうなった時には、俺が全責任取る。それでいいべ?」


 シマヘビは唇を固く結んでイシガメを見つめていたが、「そうけ」と言って俯いた。


 責任を取るとはまた何とも中身の無い回答だ。具体的に何をどうするというのか。その身で果たせる程度の責任ならばともかく、それ以上の問題が生じた場合にイシガメはどう対処するつもりなのだろうか。やはりイシガメなんかに相談した自分が馬鹿だったとシマヘビは踵を返す。


「お前なした?」


 イシガメは相変わらず真面目そうな声と面倒くさそうな顔で尋ねてきたが、


「せやの」


 シマヘビは頷く。


 「あ?」と訝ったイシガメを気にせずに、


「私ももっとよう知ってみっちゃ」


 口の中で決意を固めた。


 トカゲはワシかもしれない。だが今のところヘビの駅に実害をもたらしてはいない。トカゲは嘘をついているかもしれない。けれども今のところリクガメ班の班員として、イシガメやヤマカガシと共に駅のために身を削ってくれていることも事実だ。ならばトカゲはヘビの駅の仲間と言える、今のところ。


 だからワシとしてヘビの駅(ここ)を裏切るようなことがあれば、その時はトカゲを止めよう、友だちとして。その時を見逃さないように見張り続けよう、仲間として。


 だがそれが叶わなかった時には、トカゲを始末し(止め)よう、ヘビとして。


 報告の義務を怠る代わりに、誰にも頼らず責任を負う道をシマヘビは選んだ。


 勝手に納得して押し黙ったまま動かなくなったシマヘビの背中を、イシガメはまじまじと見つめていた。何も言い返してこないしいつもの金切り声も寄越さない。そんなにネコが気に食わないか? とイシガメは鼻の奥で唸ったが、


「まあ、あれだよ」


 首筋を擦りながら歩きだした。


「お前が何かやらかしたとしても俺が責任取ってやっから、」


 軽い調子で冗談めかし、「それでいいべ?」とシマヘビの頭を軽く小突いて追い越した。


 その手の平が思いのほかに大きくて暖かくて頼り甲斐があって。シマヘビは叩かれた後頭部に手を置く。


 具体的に何をどうするのか知れないし、自分が取れる責任など高が知れている。けれども自分が抱えきれない責任も、イシガメが一緒に持ってくれるならば大丈夫かもしれないと思ってしまった。


「今度は何だよ」


 シマヘビの数歩先で立ち止まり、振り返ってイシガメが言う。見慣れた赤い顔をじっと見つめていたシマヘビは笑ってしまう。

 自分を待っているイシガメに小走りで歩み寄り、隣に並んで歩きだした。


「イシぃ、」


「んだよ」


「あんたってさぁあ、」


「あ?」


「やっぱいっちゃ」


「んだよそれ! 言いかけてやめんのやめれや、気になるべや!」


 イシガメの不満顔にシマヘビは嬉しそうに笑う。先までの涙は何だったのか。女ってわからない、とイシガメはため息を吐く。


「それよりあんた、あれ片しとかれよ」


 シマヘビが背後を顎で指して言った。


「あれって?」


「げろ」


 言われて体が思い出したのだろう。忘れていた気持ち悪さが再び込み上げてきて、イシガメはその場で膝をつき、再び嘔吐した。

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