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3-210 どうしよう

「ウミちゃんかわいい」


「もう! ツミちゃん!」


 トカゲとサンがじゃれ合っているそのすぐそばの改札の陰で、シマヘビは声を押し殺して固まっていた。


 ツミって? シマヘビの背中を汗が滴る。ツミってワシの名前やにか。うすら寒さに全身を震わせる。つまり言うなれば言わなくてもトカゲはわ……!?


 慌てて口元を両手で塞いだ。荒い呼吸が女たちに聞こえやしないかと息も潜める、心臓の音で気づかれはしまいかと背中を丸める。


 いやいやいや。聞き間違いだろう。覚え違いかもしれない。『ツミ』という名前はワシの名前などではなく、別の駅の名前なのに自分が誤って覚えていた可能性だって…


 ないわ。


 シマヘビはありもしない可能性を諦めた。ワシやちゃ。間違いない。


 改札の陰から女たちを窺い見た。こちらには気付いていないようだ。相変わらず親密そうにじゃれ合っている。口元から手を下ろしたシマヘビは、楽しそうなトカゲの横顔をまじまじと見つめた。


 そんな顔して笑うがけ。同じリクガメ班として過ごしてきた数年間、自分には大分打ち解けてくれたと思っていたのに。いまだに見せてもらったことのない、自分には向けられたことのないトカゲの素の笑顔にシマヘビの胸はちりついた。嫉妬かもしれない。憤慨かもしれない。いずれにしろ良い感情ではない。そして、


「ツミちゃんてば!」


 どう考えてもそれはトカゲを指す名前で間違いないようだった。



 *



 全く面白くない宴会からトカゲが出て行くのを見かけたシマヘビは、これ幸いと後を追うことにした。

飲み直そうと思ったのだ。タイマイたちも誘えば乗ってくるだろうし、ヤモリはお(かしら)の奥さんが連れて行った。スッポンは来られないかもしれないけれどもトカゲが来ないと始まらない。トカゲとアオウミガメの飲み比べは、シマヘビたちの女子会の十八番なのだ。


 途中、クサガメに絡まれてトカゲを見失ったが、訪ねた部屋にはいなかった。そうなればトカゲの行くところは決まっている。こんな日まで鍛錬をするつもりかと地上に出てみれば、案の定すぐにその姿は見つかった。


 見つけたのだが、その横にはネコの女がいた。サンだ。ジュウゴが探していた元夜汽車で元々はチドリで現在はネコだという不思議な経歴を持つ女は、遠目から見てもトカゲと親しげだった。そして、


「ツミちゃん」


 サンはトカゲをそう呼んだ。



 *



 楽しげな女たちに気付かれないうちに、シマヘビはそっと改札を離れる。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう。階段を駆け降りる靴音よりも、心臓の音が頭に響く。


 言わんなん、報告せんなん、今すぐに! 駅の頭首の部屋に向かいかけたが時刻を思い出して立ち止まり、けれども叩き起こしてでも即刻報告すべき事案だと踏み出した足を止めて思い出した。


―あの女の正体がわかったらまず俺に言えま―


 何故かいつもトカゲを目の仇にしているヒバカリからそう言い含められていた。女の出自がわからない、駅に害をなす者かもしれない。ヒバカリはそう言ってシマヘビの目を覗きこんだ。


 お(かしら)は駄目やちゃ、完全にあの女ぁ受け入れとる。そう言ってヒバカリはシマヘビの肩を掴み、


―駅のためや。自分もヘビやろ―


 凄んできた。


 シュウダの部屋に背を向ける。ヒバカリの部屋に向かって足を踏み出した。



 *



「やっぱりワシやったけ」


 ヒバカリが神妙な顔で呟いた。


「やっぱりって、ヒバさん知っとったがですか!?」


 シマヘビは身を乗り出して叫ぶ。だがすぐに「しっ」と唇の前に指を立てたヒバカリの指摘に、両手で口を覆って頷きながら息を飲んだ。


「や、やっぱりって?」


 囁き声で改めてヒバカリに尋ねる。ヒバカリは胡坐の腕組みで斜め下を睨みつけていたが、「勘やちゃ」と答えた。


「そういうこともあり得よう」


 ヒバカリはありとあらゆる可能性を想定していたらしい。起こってほしい未来も起きるべきではない懸念も。


「ようやった」


 ヒバカリに労われる。


「自分に頼んどいて正解やったちゃ。気の毒な」


「なーん、そんなが……」


 あまりに丁寧に礼を言われてシマヘビは恐縮した。それからおずおずと上目遣いになって、


「どうしますか」


 本題を持ちだした。


「お(かしら)に言いますか? でもお(かしら)は曲がりなりにもトカゲの養父(おや)な訳やし、奥さんもおられるし。もしかしたら私の話なんちゃあ信じてもらえんかもしれんし……」


 誰でも自分に都合の悪い事実は信じたがらない。養女(むすめ)の出自についてなど尚更だ。


「せやの」


 ヒバカリは再び神妙な顔になる。「揉み消されるかもしれんのう」ワシでも見るような目でどこかを睨みつけて言う。


「揉み消されるって……」


 シマヘビは正座のまま両手を床について上半身を乗り出した。


「ワシがこの駅(うち)に探り入れとるかもしれんがに、揉み消されるって…!」


「安心せい」


 声を荒らげ始めたシマヘビを、ヒバカリは一言でなだめた。


「自分はここまでようやった。後は俺の仕事やちゃ」


 最近は怖いくらいに真面目くさった顔ばかりしていた男の、久しぶりに覗かせた微笑みに、シマヘビは唇を閉じる。


「自分の仕事を無駄にはさせん。駅も危険には晒させんし何も心配いらん」


 シマヘビの肩を強く握ってヒバカリは言った。


「お(かしら)への報告は…」


「それはせんでいい」


 自分の仕事は終わったとは言われたが、せめて出来るところまではやり遂げようと思っていたのに。突然退場を告げられてシマヘビは困惑し、拳を握って顔を突き出した。


「それくらい出来ます! さして下さい。何なら今すぐにでもお(かしら)んとこ行って叩き起こして…!」


「お(かしら)には言わんでいい言うとろう」


 ヒバカリの怖ろしく低い声に制止されて、シマヘビは硬直した。唇を閉じて唾を飲み込み、ヒバカリの言葉を咀嚼してその意味にたどり着く。


 シマヘビはてっきり、自分が信頼されていないことが原因で、この事案から退けと言われたのだと思っていた。だがヒバカリの思いは違うところにあったようだ。


「……お(かしら)には言われんがですか?」


 シマヘビは尋ねる。ヒバカリは目を伏して黙っている。


「お(かしら)に知らせんつもりながですか?」


 シマヘビは言い方を変え、言葉遊びでは逃げられないように聞き直した。ヒバカリは動かない。


「ヒバさん…!」


「俺の仕事や言うとろう、」


 後始末は。


 濁りを湛えたヒバカリの目に見据えられて、シマヘビは居竦まった。



 *



 シマヘビは弾かれたように体を揺すって立ち止まる。


 駄目や、ヒバカリの部屋に続く廊下の真ん中で立ち尽くす。駄目やちゃ、首を横に振り、鮮明に描き過ぎて現実味を帯びまくった想像を振り払った。ヒバさんに言うたらトカゲが死んでしまう。


 ヒバカリのことは尊敬しているし信頼している。駅を一番に考えていて、見た目の割に親切だ。とっつきにくさはあるけれども、冷静に物事を俯瞰しているが故のあの目つきなのだから仕方ないとシマヘビは思う。手技は(かしら)の次に巧みだし、ウミヘビが一目置くくらい薬の勉強も熱心だった。好きか嫌いかで言えばもちろん好きだ。


 でもトカゲも。


 トカゲとはずっと一緒にやって来た。同じリクガメ班として、数少ない年近い女子同士として。共にイシガメを攻撃し撃退し、スッポンも加えておしゃれを楽しんだり、タイマイとアオウミガメとで駅の男の品評会をしたり。

 いずれもトカゲは気乗りしなさそうに白い目で冷めていたけれども、むっつりと全てに駄目出しをしてアオウミガメと言い争っていたりしたけれども、全然面白そうな顔をしていなかったけれども、でもずっと一緒だった。言いたいことは山ほどあるけれども、シマヘビはトカゲも好きなのだ。


 けれども、シマヘビは頭を抱える。ワシがこの駅の中にいる、その事実を思えば放置できる案件ではない。


 ワシだ。あのワシだ。あの鬼畜の一員が駅の中で何事かを画策しているかもしれないのだ。トカゲは長いこと正体を隠して、自分たちを騙していた内通者かもしれないのだ。またあの地獄が訪れる。また殺される。また死ぬ、また、また! それは嫌だ。それは駄目だ。けれども……。


 シマヘビは通路の真ん中で蹲った。不味い酒のほろ酔いも、鼻の下を伸ばしまくる男たちへの苛立ちも、既に完全に冷めていた。頭の中は混乱と動揺で熱を帯び、首から下は恐怖で震える。ワシだ、いやトカゲだ! 違うワシだ! でもトカゲだ!! トカゲなのだ……。


 どうしよう。どうすべきかがわからなかった。今すぐ誰かに相談したい、こんな大きな難問を抱えきれる訳がない。けれども誰かに言ってしまえば、トカゲはどうなる?


 ヒバカリは事故に見せかけてトカゲを始末するかもしれない。いや、遺体それさえ残さないかもしれない。


 お(かしら)は? シュウダならばどうするだろうか。トカゲを問い質すだろうか。トカゲが真実を語るまで幽閉などしていそうだ。だが語られた真実がヒバカリの懸念と一致したら? いくらシュウダと言えどもワシの内通者を養女として手元に置いとくことはしないだろう。情もあるから命までは取らないかもしれないけれども、駅からの追放は免れられないと考える。


 追放って? トカゲだけ? ヤモリも一緒に? 


 ヤモリは関係ないではないか。だが例え娘は無関係だと無罪放免にされたとしても、母親(トカゲ)への仕打ちをヤモリが許すだろうか。仮にシマヘビがヤモリの立場だとしたら、何らかの疑いをかけられた父が駅から追放されて二度と会うことができないとしたら。恐らく自分も駅を怨むだろう。


 かと言ってトカゲをワシの駅まで送り届けることなどできはしない。みすみす情報を渡すことと同義だし、あんな遠くまで電車も使わずに行こうなんて、ネズミの餌になりに行くような馬鹿をする者はいないだろう。


 駄目だ、シマヘビはその場に蹲る。八方塞だ、妙案が浮かばない。ワシを駅においておくことなど出来ないが、トカゲが死ぬのも危険な目に遭わせるのもそれはそれで嫌だ。そもそもトカゲは内通者なのか? トカゲがワシというのは本当なのか? 


 聞かなかったことにしよう。シマヘビは現実逃避を思いつく。トカゲなんて見ていない、私は宴会からまっすぐ部屋に帰ってそのまま寝た、そういうことにしよう。自分は報告の義務を怠った訳でもないし、トカゲの出自なんて知らない。トカゲとは今までと変わらず同じリクガメ班の班員として……、


 今までどおり接していけるだろうか。


 トカゲは本当にヘビの駅の戦力なのだろうか。本当はワシにこちらの情報を送るために入りこんだ女で、シュウダもまんまと騙されて、こちらに協力するふりをしながらある日突然手の平を返して、ワシの大群と共に駅を蹂躙するのではなかろうか。


 無いとは言えない。だってワシだ。ワシなのだから。


 けれども、シマヘビは首を振る。けれどもやっぱりでもいやしかし。


 どうしよう。同じところを逡巡し続けるシマヘビの目には涙が満ちている。蹲った通路の寒さに身震いして鼻水を啜りあげると、吐きそうな音が出て慌てて口元を手で覆った。


 だがそれが自分が発した音ではないと気付いたのは、その後に嘔吐音が聞こえてきたからだ。


 がばりと振り返った通路の先にいたのは、


「……イシ?」


 イシガメが吐いていた。

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